第3話 前世の記憶を取り戻してみれば、自分は悪役令嬢でした
シルヴィア・クリステラはクリステラ公爵家の長女であり、皇太子の婚約者であり、未来の国母となるべく育てられてきた少女だった。
クリステラ公爵はこの国の宰相であり、陛下を支え国に尽くす事を第一の信条とする良き臣下で優秀な人材だった。よって彼は娘や息子にも、そうなるべく厳しい教育を課していたのだ。
シルヴィアもそれを当然とし、母譲りの美貌が―これさえあれば令嬢はだいたいが上手く立ち回れるのだが―ありながら、勤勉に教育を受け続けた。
彼女の明晰な頭脳は瞬く間に父が課したものを吸収していったが、それに慢ることを良しとせず、シルヴィアは努力を続けた。
淑女の頂点に立つことになったのは当然のことといえよう。
もちろん、公爵令嬢として、皇太子の婚約者として、駆け引きだって見事にこなしてみせた。
敵などいなかった。いても軽くあしらえるとシルヴィアは考えていた。―――――あの日までは。
エドワード殿下を支えるべく王立魔法学園へ共に入学し、殿下が生徒会長となった時には副会長に任命されもした。
問題など、どこにもない。
けれどそんなシルヴィアの人生に、本当のところは想像もつかない困難が立ちふさがっていたのだ。
それが異界から召喚された『聖女』、ハルカ・トキワ嬢だった。いや、正確にいえば、『聖女』を取り巻く『世界のシナリオ』という壁、だ。
シルヴィアがそのことに―この世界の根幹に―気付いたのは、まさに『聖女』に出会った、その日のことだった。
エドワード殿下が緊急に王宮へと呼びだされた時、妙な心持ちがしたがシルヴィアはそう深く考えなかった。しかしその一日後、宰相である父からそれと分からないよう偽装された手紙を受け取った時、胸騒ぎがした。
何か非常事態が起きている、と。
手紙には『王立魔法学園へ編入する者がいる。十分に気をつけろ』と暗号でしたためられていた。
まもなく一人の女子生徒が編入してくることが分かった。生徒会副会長として、また公爵令嬢として、その少女が異界から召喚された『聖女』だと知ったシルヴィアは、とにかく彼女を確認しようとした。
父が警戒する少女とはどんな者なのか、と。
果たして、寮で待ち構えていた―全寮制なのだからきっとくるはずだと予想して―シルヴィアの前に、彼女は現れた。
エドワード殿下と弟のルシウス、そして何故か学園一優秀だと噂される三年生のベイゼル・ロバートを伴って。
「あら、エドワード様? そちらの方はどなた?」
声をかけると僅かにエドワード殿下が不機嫌になった。長い付き合いのシルヴィアにしか分からない程度だったが。
はて? とは思ったが、シルヴィアは目の前の少女に注意を戻した。
小柄な身体に、幼さの残る顔立ち。庇護欲をかきたてられる姿。リフィテインではあまり見かけないダークブラウンの髪は、やはりこの国の女性ではしない、肩のあたりで切り揃えられた髪型をしていた。
この少女のどこに警戒をする必要性が? 内心、首を傾げてしまったシルヴィアに、エドワード殿下が告げた。
「シルヴィア、聞いていないのか? 今日から編入することになったハルカ・トキワ嬢だ」
おや、やはり機嫌が悪いようだ。何故? と不思議に思っていたら、紹介された少女がぺこりと頭を下げた。
「ハルカ・トキワといいます。よろしくお願いします」
その甘く可愛らしい声を聞いた途端。
「―――!?」
シルヴィアの脳裏が激しく点滅した。
「………………あの、どうかしましたか?」
こちらを覗き込む少女、ハルカ・トキワ、いや――――――常葉遥、に。
「いいえ、なんでもありませんわ」
そう言うのが精一杯だった。
激しい痛みがシルヴィアの頭を襲っていた。
が、それを表情に出すわけにはいかない。
「私はシルヴィア・クリステラ。クリステラ公爵家の娘ですわ。ハルカ? というんですの? 珍しいお名前ね」
「……………ハルカ様は『聖女』であらせられますよ」
ルシウスが刺のある言い方をした。彼の瞳は「貴女は知っているはずだ」と言っている。
「そうでしたの。ああ、それでエドワード様がご案内を。なんだかお邪魔をしてしまったようで、申し訳ありませんわ」
上手く頭が回らず、嫌味にもとれる言葉になってしまった。
エドワード殿下とルシウスの表情があからさまに悪くなる。だが、もはや限界だった。
「それでは皆様、ごきげんよう」
シルヴィアはそう言い置き、自室へと逃げ込んだ。
その日の晩、ひどい高熱が出た。そうして夜中うなされていた最中、悪夢のような、しかしたいへん重要な事をシルヴィアは思い出したのだ。
かつて―おそらく前世というやつで―自分はニホンという国で暮らしていたこと。そこでの自分は、この世界に酷似する『君といた刹那』という乙女ゲームを知っていたこと。
その自分は、どうやら死んでしまったらしい、ということ。
なにより重要なのは―――――その乙女ゲームでの、シルヴィア・クリステラ公爵令嬢の立ち位置が悪役令嬢であった、ということだった。
高熱にうなされた次の日。
シルヴィアはベッドの上で考え抜いていた。
この世界があの『君といた刹那』のゲームの舞台だというのなら。シルヴィアは明晰な頭脳をフル回転させて、情報の全てを整理していた。
『君といた刹那』通称『キミセツ』は、攻略対象者が四人と少なめだ。
皇太子のエドワード殿下と宰相の息子であるルシウス、そして優秀魔道師のベイゼル・ロバート。あと、騎士団長の息子、リヒャルト・バルカスがそれにあたる。
それぞれのベスト・ノーマル・バッドエンドの展開は
殿下ルート→シルヴィア死亡、シルヴィア死亡、ヒロイン死亡
弟ルート→シルヴィア死亡、シルヴィア死亡、ヒロイン死亡
魔道師ルート→シルヴィア死亡、シルヴィア死亡、ヒロイン・シルヴィア死亡
騎士ルート→シルヴィア死亡、シルヴィア死亡、ヒロイン・シルヴィア死亡
と、なる。
どうしよう。どう足掻いてもシルヴィアが死亡する未来しか思い描けない。
そもそも、この『キミセツ』は中盤で悪役令嬢―シルヴィアのことだ!―がヒロインを呪うイベントが発生するのだ。
それを助けにきた攻略対象者が、その後のルートになる、という流れになるストーリー。ちなみにヒロインが助けだされた際、呪いは跳ね返りシルヴィアは死ぬことになる。
魔道師ルート、騎士ルートにいたっては、呪いが成就してもその後の暴走でシルヴィアは死ぬことになる。
なんて悪役令嬢に優しくないゲームなんだろう!
と、そこでシルヴィアは思い当たった。ようは、自分がヒロインを呪わねば良い話ではないか、と。
確かにシルヴィアはエドワード殿下をお慕いしていた。この記憶がもどらなかったなら、嫉妬にかられてとんでもないことをしていたのかもしれない。
しかし、世界のカラクリに気付いてしまった今となっては、殿下があの少女とイチャラブしたところで、シナリオだとしか思えない。
そして彼への想いは、死の未来を前に、すっかり冷めてしまっていた。
もう道は一つだ。
殿下が婚約者を忘れてイチャつこうが、あの少女が弟を誘惑しようが、四マタをかけようが、知ったことではありません。
自分は関係ない、とばかりにシルヴィアはシナリオ離脱を決めた。
その後は徹底してヒロインを避けまくり、殿下が彼女にかまけている所為でちっとも片付かない生徒会の仕事と、これまた同じ理由で溜まってしまった弟の仕事の後始末に追われるのをいいことに、シルヴィアは学園では生徒会室に、寮では自室に引きこもる日々を送った。
この時はまだ、これでやり過ごせると思っていた。
それがとんでもなく甘い考えだと知る由もなく。
シルヴィアは平穏無事な生活が続くと信じて、引きこもりを満喫していたのだった。
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