第83話 まだ見ぬ知識へ


 意外だったのは、あのイーレがすっかりトイレがないと駄目な体質になってしまっていた事だった。



 イーレが飛べなくなったと分かった後、僕らはビブリオで一泊してからビフィスへの帰路についた。当然徒歩での移動となる。ビブリオからビフィスまで徒歩で移動しようとすると基本的に街道を歩いていくだけとなる。道中に点在する村や街で宿を取りながら移動する事になるので食料にも困ることはない。


 はずだった。


 移動を始めて三日目までは順調な道程だった。イーレと二人でなんで魔法が使えなくなったのかを考えたりする余裕もあった。イーレは魔法が使えなくなって落ち込んだりという事もなく、むしろ徒歩での移動こそ彼女本来の姿のようで僕の方が頼りないくらいだった。

 ビフィスから僕らを探しに来た人にも会い取り敢えず無事を伝える事も出来た。心もとなかった路銀も届けてくれた。だからそのまま街道を進めば四日でビフィスに帰ることが出来た。


「この森を突っ切れば近道が出来るんじゃないか?」

 なんてイーレが言い出して、僕は僕で少しでも早く帰れるのならとその提案に乗ってしまったのが悪かった。


 そして始まるサバイバル生活。


 大体、詳細な地図も、コンパスもない中でなんで鬱蒼とした森を進もうとしたのかは今を以って分からない。

 幸いだったのは森には食料となる動植物には事欠かなかったし、陸クラゲのおかげで水にも苦労しなくて済んだ(まさかこんな所でこの世界で生きるためにした日雇労働が活きるとは思いもしなかった。人生何が起こるか分からない)。

 トイレにも困らなかった。僕はそもそもこの世界のトイレ習慣に慣れていたし、イーレは元の世界でも野トイレに慣れていた。

 だから困ることはないはずだった。


 にも関わらずイーレは日毎に焦燥感を増していった。

 別にトイレを我慢したりとか便秘になったとかそんな話ではない。どうにもトイレでないと落ち着かないらしいのだ。思い起こせばイーレがクソバーがなくて困っていたのもそんな理由だった。そして僕らが作ったトイレの快適さを知ってしまって、それに慣れてしまって、あのトイレでないと落ち着かない、ということらしい。

 水洗トイレならクソバーにあった臭気もない。絶えず流れる水によるマイナスイオン効果だってある。


 やはり、水洗トイレを思う存分使えるようにしなければならない。

 そのためには知識が必要だ。僕のようなトイレに詳しくない凡人には思いも寄らないような知恵が汚水の問題を解決してくれるに違いない。

 だがその知恵はなぜか「意図的に」隠されてしまっている。


 そんなわけで僕はエアリィに助言を求めた。


「検閲ねぇ。聞いてたっちゃあ聞いてたけどさ」

「何か手はないか? 例えば検閲される前の物が見られる場所とか」

「検閲される前のって言うなら直接法王庁に乗り込むとかね。でも原本を保存したりはしてないだろうなぁ。保存するためにビブリオがあるわけだし。いや、原本はビブリオにはないのか。ん? じゃあ原本はどこに行くんだ?」

「エアリィでも分からないのか」

「まぁね。そこまで考えてなかったな。でも塗りつぶして隠すくらいなら保存してたとしても簡単に見せてくれそうにもないよね」

「だよなぁ…。じゃあ手付かずの物とかは?」

「賢者が見る前のってこと? って言われてもなぁ。そうそう都合よく集まってる場所なんてねぇ…」

「そもそも賢者は誰から仕事をもらうんだ?」

「協会とか」

「協会?」

「正式名称は忘れたけど異世界人に関連する色んな事を調査したりしてるとこがあんのよ。そっから」

「異世界人のか」

「そう。異世界人ってこの世界の人からすると結構なインパクトがあるみたいよ?」

「そりゃそうだ。僕らの世界にだって魔法使える異世界人がいたらビックリするもんな」

「そうそう。だからその知識を探したり集めたり研究したりって人はいるらしいんよね。あ、そうだ」

「ん?」

「あるわ。賢者の手の入ってない書物が集まってる場所が」

「本当か⁉ そんな都合のいい場所があるのか⁉ どこだそれは⁉」

「プーさん」

「…プーさん?」



 そんなわけでプーさんの家に来た。実はプーさんの家自体来るのは初めてだ。豪邸でこそないがしっかりと整理整頓がされていて清潔感が漂っている。

「ここだ。祖父さんの集めた物を押し込めてるだけだからな。埃っぽいのは勘弁してくれよ」

 プーさんが離れの扉を開けるとそこは予想以上に埃っぽかった。ビブリオのあの一室がまだマシに思える程には。

 そしてそれにも増して予想以上だったのはそこに収蔵された書物と品々だった。

「凄い…」

 僕は思わず口に出していた。その離れはそんなに小さくはないが中はぎっしりと足の踏み場もないくらいに詰まっていた。確かによく分からない「物」も沢山あるが積まれた書物の量は圧倒的だった。

 これなら期待できる。

「プーさん、良いんですか? 見せてもらっても」

「おう。俺もちょくちょく見てはいるんだがさっぱりな物ばっかりでな。でも賢者か、セイジみたいな異世界人なら何が書いてあるか分かるだろ。役に立つんなら祖父さんも喜ぶだろうし好きに見てくれていい」

「ありがとうございます」

「ただ、セイジの目当ての物があるかは知らないぞ」

「それは大丈夫です。今はとにかく藁にもすがりたいところなんです」

 改めて部屋を見渡す。どこから手を付けたら良いのか迷うほどの量だ。だからこそ期待感が高まる。

 僕は手始めにすぐ傍にあった一冊を手に取った。

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