第70話 セイジのために出来ること
「ええ。構いませんよ」
セイジの手伝いをするためにしばらく休みが欲しいと言うと市長はあっさりとそう言った。
「当然、いざという時には街の警備を優先してもらいますけどね。幸い警備隊からは差し迫った驚異はないと聞いていますし、ティレットさん一人でも大丈夫でしょう」
思いの外あっさりと要望が通ってしまい、私は少し拍子抜けしていた。
「あ、ありがとう。それならセイジの手伝いが出来る」
手伝いと言っても彼の洗濯物を引き受けたり生活に必要な物を届けたりといったことしか出来ないが。
「いえ、むしろイーレさんには川谷君の力になって欲しいのです。まさかトイレのためにランス湖があんな事になっていようとは…。私にだって責任はあります」
市長の顔は真剣だった。
「それにランス湖には観光地としての価値があります。そしてランス湖を訪れる人は必ずビフィスに立ち寄る事になる。だから綺麗になってもらわないとこの街も困ることになります」
市長はこの街の長として私達以上にこの街の事を考えている。時にその責任感の強さから取り乱したりもするが基本的に頼りになる人だった。
「ところで、川谷君の様子はどうですか?」
「様子?」
「ええ、ひょっとして過剰に責任を感じて気に病んでいるのではないかと思いまして」
セイジの様子はいつもと変わらなかった。
何かの目標を達成しようと頑張る、そんないつものセイジだった、と思う。それでも
「確かに、いつも以上に真剣なように見えた」
私はそう答えた。
「もしも彼が、自分を追い詰めているような素振りがあったら気を付けておいて下さい」
ランス湖の問題はセイジ一人の責任ではない、この街全体の責任だ、と市長は付け加えた。
「そうは言っても彼の事です。私達が思っている以上に深刻に考えてしまっているかも知れない。ですから、イーレさんは彼を支えてあげて下さい。団長と隊長には私から話をしておきます」
「ああ、分かった。よろしく頼む」
私はそう言って市長の部屋を後にして役場を出た。
食事の材料と何かセイジの役に立ちそうな物を探して店を周る。道中トイレの側を通るといつものように行列と人集りが出来ていた。
ランス湖の一件以降もトイレの使用を制限する事はしていない。そんな事をすれば街に迷惑がかかる、とセイジはトイレを使用禁止にしないよう市長に願い出ていた。
だが、こうしているうちにもトイレから出た汚水は地下の下水道を流れ街の側を流れる川に至りやがてランス湖に溜まっていく。
だからセイジは解決を急いでいる。
その知恵を求めてビブリオへ行き、あの膨大な書物の中から解決する手掛かりを探しているのだ。
セイジは今も沢山の書物と格闘しているだろう。
今、まさにセイジは頑張っている。
そんなセイジのために、私は一体何が出来るのだろう。
それこそ洗濯を代わりにする事くらいしか思いつかなかった。食事はビブリオでも出来る。寝る場所もある。何か食べ物を差し入れしようかとも思ったがこの街で手に入る物のある程度はビブリオにも揃っていた。
だから私に出来る事はせいぜい送り迎えと洗濯くらいしか残されていなかった。
「せめて文字が読めればなぁ…」
トイレの壁に貼られた広告を見る。私にはそこに何が書いてあるのか一部を除いて分からなかった。それはつい最近覚えた字だった。あとは数字くらいしか分からない。
「文字さえ分かればセイジと一緒に手掛かりを探すことが出来るのに…」
そもそも会話が成立しているだけで奇跡みたいなものだとエアリィは言っていた。まして文字なんて生まれた世界が違うのだから分からなくて当然なのだと。それが分かるセイジやエアリィこそが奇妙な事なのだと、エアリィはそう言っていた。
そうは言っても私はセイジの手伝いが出来ないことがもどかしかった。
「よお! イーレちゃん!」
声に振り向くとプーさんがいた。セイジの仕事仲間で私も何度かあった事がある。いい人だ。
「ん? なんか元気なくない?」
「そうか?」
プーさんに言われてそんな顔してたのかと思い至る。
「今日はブチ一緒じゃないんだね」
ブチはここ最近私の頭の上よりも酔っ払ったティレットの側の方が楽しいらしい。つまり私が役場に出掛けた時点からティレットは呑んでいたという事になる。
「すまない。ブチは多分家だ」
「そうなんだ。実は俺も昔飼ってたんだよね。モスにゃん」
「そうなのか? この世界の人間には懐かないと聞いていたが」
「それがね、ちゃんとコツはあるのよ。先ずは──」
そのまま家に帰るまで私はプーさんのモスにゃん話を聞いて歩いた。
そのせいなのか少し気が紛れたような気がした。
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