第69話 異世界人の知恵


 御手洗氏の手記を読む。そこには確かに浄化槽の事が書かれていた。そして僕はエアリィの言った意味を理解した。

「あの、すみません」

「ハイなんでしょう!」

 中年の司書の方は僕が何か聞いて来ないかと待ち侘びていた。老婆の方も同じだった。知識自慢したい、というわけでもないらしいが、ここの知識についてどれだけ見識を深めようとそう頻繁に役に立つ事もないらしく、その知識を活かせる機会の到来に浮かれているようだった。

「バクテリアについての資料ってあります?」

 嫌気性バクテリア、好気性バクテリア。嫌気好気については生物の授業で聞いたような聞いてないようなくらいの記憶しかない。そもそもバクテリアって具体的にどんなのだ?って聞かれても正答出来る自信はなかった。なら調べるしかない。つまりこれが分からない限り御手洗氏の遺した浄化槽の知識を活用する事は出来ないというわけだ。

「バクテリア、ですか。それならアガレス・トーマでしょうか?」

「いいえ、清家宗七ね」

「宗七は違うでしょう。バクテリアって言っても発酵学じゃないですか」

「アガレスだって醸造学じゃないのよ」

「あのー、その人達の本はどこに?」

「四号館よ」

「三号館です」

 二人の返答はきっちり同じタイミングだった。

「じゃあ近い方から見てみます。これ持ち出し禁止ですか?」

「いえ、後から私達で返しておきますから館内なら持って行っても構いませんよ」

「助かります。それじゃ行きましょうか。近いのはどちらです?」

「三号館よ」

「四号館です」

 再び同じタイミング。結構仲良いんだろうな、この二人。


 何かを極めるとは時に他者との対立を生む。彼らの知識的な対立は何度も繰り返された。

「あの、窒素とかリンとかって分かります?」

「それならマハーバ・カーリンね」

「カーリンは科学でしょう? 川谷さんの知りたいのはもっと生物学的な物のはずです。それならゴ・フジョウでしょう」

「フジョウは植物学じゃないの。そういう意味じゃないわよね?」


「腐敗について知りたいんですが」

「それならチョ・ウーズですね」

「チョは政治学でしょう! 何言っているの貴方は。腐敗ならエマニエル・セッチンよ」

「セッチンは食品学じゃないですか!」


「はぁ…」

 結局、御手洗氏の手記を読んで気になった単語を調べていたら書庫をあっちへこっちへと移動する羽目になりその度に彼らは口論を始め、そんな事を繰り返すうちに日は暮れて夜になっていた。

「エアリィの言った通りだな」

 浄化槽については未だよく分からない。要するにろ過のような事を繰り返してるのは何となく分かるのだが…。

 雑然とした頭で手記を眺めていたら、ある一文が目に止まった。

「あ、ちょっと待って。浄化槽って汲み取り要るの?」

 てっきり浄化槽は汚物を分解しきってしまう物だとばかり思っていた。手記を見る限り汲み取り式のボットン便所よりは頻度は低いがそれでも汚泥は溜まるようでそれを汲み取る必要はあるようだった。

「なら、ダメだなぁ…」

 汲み取るにはどうすればいい? バキュームカーがあれば別だが。

「そもそも車も車道もないしなぁ。いっそ車を発明してしまうか? 移動が楽になっていいよな。って、ガソリンないか。そもそもこの世界に石油あるのかねぇ。あっても石油精製所から作らにゃならんか。それを作る重機とかどうするんだよ…」

 改めてエアリィの言った事が身に沁みる。

「浄化槽がだめでも、下水処理場の事が分かれば話は変わるか。大規模で本格的な下水処理場なら汲み取りする事もないだろうし。とにかく、後は明日だな」

 司書の二人は先程までいたが退勤時間という事で帰って行った。給料を払ってるわけでもないのでとやかく言える立場にはない。

「はぁ…」

 疲れた。今日はとにかく休んでしまおう。

 僕は書庫を出てフィカから聞いていた宿屋に向かった。

 


「お、イーレ勉強してんの?」

 食後、片付けを終えて私はフィカから貰った紙を眺めていた。そこには簡単な文字が書かれている。ひらがなというらしい。

「ああ。いい加減文字を覚えようと思ってな」

「なんだー、言ってくれたら教えたのにー」

「ああ、頼む。でもまずはここに書いてあるのを覚えてしまわないとな」

 ひらがなは文字の基本だとフィカは言っていた。その他にもカタカナやカンジという物もあるらしい。

「へえ。でもなんで?」

「もし文字が読めたらセイジの手伝いが出来たかも知れない」

 エアリィはなぜだかニヤニヤしている。

「なんだその顔は。私が文字を覚えようとしてるのがおかしいのか?」

「へーえ。良ーんじゃない?」

 エアリィは笑いながらそう言った。



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