第68話 ビブリオにて


 その街は低い森の中にあった。

 北側に大きく目立つ建物がありその南側に升目のようにきっちりとした道とその間を埋めるように建物が見える。

 ただ明らかにビフィスよりは小さく、人も疎らにしかいない。

 ああ、こんな街もあるんだな、と私は思った。ビフィスに比べると建物の立派さは同じくらいだが人が少ない。そして森に囲まれているせいか妙に静かそうに見える。ここには異世界人の知識が保存された図書館という物があると聞いている。おそらくあの大きな建物だろう。その建物はかつて訪れたビフィドの神殿よりも大きく何か厳かな雰囲気すら感じる。

「どこに降りる?」

 私は沈黙を破ってセイジに問う。飛び始めてからは互いにずっと無言だった。

「南側の門の前に行ってくれ。街中に降りるのは目立ち過ぎる。怪しまれたら面倒だ」

「分かった」

 セイジの意見に従って南側に見える門目掛けてゆっくりと高度を下げる。ちょうどその辺りの森に木々の疎らな所を見つけてそこに降りることにした。そこからなら門はすぐそこだった。


「何のようだ」

 門には二人、兵士のような格好をした男が立っていて門を抜けようとした私達は呼び止められた。

「ええっと、僕らビフィスから来たんですけど、図書館に用があるんですが」

 セイジは言葉を選びながら兵士に話す。

「何か身分を証明する物はあるか?」

「いえ、特には。あ、これ賢者から預かってきたんですけど」

 セイジはエアリィが書いた封書を渡す。

「賢者? 名は?」

「エアリィです」

「そうか、少し待っていろ」

 兵士はそう言って近くの建物に入る。

 しばらくして出て来た男に私は見覚えがあった。

「ひょっとしてエアリィ様のご友人ですか?」

「あ、はい。そうです」

「お手紙拝見させて頂きました。図書館にご案内しましょう。ようこそ、ビブリオへ」

 男は静かにそう言った。



「お二人のお世話をさせて頂きます、フィカと申します。どうぞ宜しくお願いします」

 男に案内されあの大きな建物に入り応接室に通された私達はしばらくそこで待たされた。そしてノックと共に現れたのは私と同じくらいの年に見える少女だった。

「いや、お世話って、そこまでしてもらわなくても…」

 セイジは申し訳なさそうにそう言った。

「いえ、お二人を丁重におもてなしするようにと言われてますので」

 私とセイジは顔を見合わせる。セイジはもてなしを受けるために来たのではなく調べ物をしに来たのだ。

「あの、それよりも早速資料を見せて頂きたいのですが」

「畏まりました。それでは館内をご案内させていただきます。どうぞこちらへ」

 そう言って少女は応接室の扉を開けた。


「当館では現在、百万冊の本を所蔵しております」

「百万⁉」

 私は思わず声を出してしまう。

「申し訳ございませんが館内ではどうかお静かに」

「す、すまない…」

「異世界から来られた方の知識は賢者により編纂され本という形で保管されております」

 長い廊下を歩きながらフィカは説明をしてくれる。それにしても百万か。私は本という物を数回しか見たことがないがそれが百万冊ここにあるというのがちょっと信じられなかった。

「この先が一号館の書庫になります」

「一号? 他にも幾つかあるんですか?」

 セイジは聞く。

「はい。本館、一号館が一番大きいのですが他にも別館が三棟ございます。そちらにも書庫はございます」

 廊下の正面に見えてきた扉の背は高く幅は広かった。だからその先の部屋はとても広そうだとは思った。

「それではこちらが書庫でございます」

 フィカは扉を開ける。

 中は見たこともないほど高い天井と、背の高い棚がずらりと並んでいた。そして、そこには隙間なく本が詰め込まれていた。


「…す、凄いな」

「ああ…」

 その様子にはセイジも驚いている。

「セイジの世界の図書館もこんな感じなのか?」

「いや、こんな凄い所は見たことがない…」

「他の所もこんななのか?」

「いえ、他の書庫はこちらの半分くらいの大きさになります」

「この半分か…」

 それでも十分広い。だから気になった。

「セイジは、この中から探すのか?」

「あ、ああ…」

 セイジが何を探そうとしているのかは分からないが文字の書かれた紙がたくさん集ったのが本だ。それが百万冊。その中から探そうと思ったらどれだけ時間が掛るのだろう。

「あの、分類別に分けてはあるんですか?」

「いえ、書いた方によって分けられてはいますが、後から発見される事もありますので完全ではありません」

「そ、そうですか…」

 セイジは途方に暮れてしまっている。

「なら御手洗保さんの手記はどこにありますか?」

「あの…」

 フィカはどこか言い辛そうにして言う。

「私はまだ見習いなので、そこまでは…」

「へ?そうなんですか?」

「はい。書庫の案内役はもう少ししましたら参りますのでお待ち下さい」

「案内役がいるのか?」

「ええ。誰がどのような物を書いたか研究している者がおりますのでそちらが川谷さんのお手伝いをさせて頂く事になっております。私はあなた方が滞在する間の雑務についてお世話させていただきます」

「いや、それは良いですよ。自分の事は自分でなんとかします。それにイーレは今日帰りますし」

 私はセイジを送り届けたらまたビフィスに帰る事になっていた。来る時は二時間掛かったが一人で飛ぶ分にはなんの気兼ねもない分もっと速く飛べる。片道一時間も掛からないだろう。私は一旦ビフィスに帰り一週間後に来てセイジを迎えに来ればいいのだ。

「そうですか。そう仰るなら私はお役には立てませんね」

「なんかすみません。突然押し掛けてるのに気を使わせてしまって」

「いえ…」

 フィカはどこか気落ちしているように見えた。

「あのう、あなたが川谷清治さんですか?」

 まだ開いたままの扉から声がした。振り向くと中年の男性と老婆と呼んで差し支えないほどの女性がいた。

「はい」

「私達が書庫のご案内をさせて頂きます司書です。どうぞ宜しく」

「あ、はい。こちらこそお願いします。突然すみません」

「いやあ、ここの知識が活用していただけるなら私共にとっても喜ばしい事です。早速ですが水に関しての知識をお探しと聞きましたが?」

「はい、水を綺麗にする方法を探してまして。あ、まずは御手洗保さんの手記を見たいのですが」

「はいはい。最近賢者エアリィが納められた物ですね。それなら三号館にありますよ。参りましょう」

 二人の司書はここで出会った人の中では活き活きしてるように見えた。フィカとは対象的である。

「それじゃあ、イーレ、今日はありがとうな」

「あ、うん。頑張ってな」

「ああ。一週間後にまた」

 そう言って清治は去っていく。

「フィカ。イーレさんをお見送りして差し上げなさい。決して粗相のないように」

「はい、分かりました」

 そう言われたフィカはまだ気落ちしているようだった。

「行ってしまったな」

 私はフィカと一緒に背の高い書棚の合間に取り残される。

「はい、私もお手伝い出来れば良かったのですが…」

 フィカは要は役に立てない事を残念がっているらしかった。

「私もだ」

「え?」

「私も同じだ。本当はセイジを手伝いたい」

「なら手伝って差し上げれば良いじゃないですか?」

 出来るならそうしたかった。

「私はこの世界の文字が読めないんだ」

 だからセイジと一緒に本を探したりは出来なかった。セイジとエアリィは元の世界とこの世界とで使っている文字は殆ど変わらないらしい。ティレットも書きはしないが何となくは読めるらしい。だが私は違う。元の世界では本のような物はなかったし文字らしき物は名前を書いたりする事にしか使われていなかった。そしてその文字はここの物とは全然違っていた。

「あの、もし良かったら教えましょうか?」

「え?良いのか?いや、でも一週間では覚えられない」

「今回は間に合わないでしょうけど知っておいて損はないですよ?」

 以前にも何度か覚えようと思った事はある。だがいつも半端に終わっていた。良い機会であるのは確かだ。

「なら、頼んで、良いか?」

「はい、喜んで」

 私はフィカの笑顔をその時初めて見たのだった。


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