汚れた湖
第61話 汚れた湖
セイジはこの世界で出来た大切な友人だ。いや、友人と言うよりも仲間と言ったほうが良いかも知れない。同じ家に暮らし寝食を共にしているのだ。家族ではないからやはり仲間と言った方がしっくりくる。
元々私達、セイジと私とエアリィとティレットはセイジがクソバーを作るから一緒に生活をするようになった。みんなこの世界に来てクソバー(セイジ達はこれをトイレと言う)がない事に困っていて、それをセイジが作ると言い、それを作るためには場所が必要で、それを使うには一緒に暮らした方が良いという事で共同生活が始まったのである。
だが最初に作ったクソバーはすぐに穴が埋まってしまいセイジは新たに水洗トイレと言う物を作った。これが凄い物で排泄物は川から引いてきた水によって流されて無くなってしまう。クソバーのように溜まってしまう事がないのだ。実に快適な代物だ。セイジは今この水洗トイレを作ることを仕事にしていてビフィスの街のあちこちに作っている。毎日忙しそうではあるが充実しているように見える。今朝も毎日毎日忙しいと笑いながらため息を吐いていた。嫌そうには見えなかった。
そんなセイジが突然奇行に走ったのだから心配しないわけがない。
私達は今日の昼頃、役場で受付をしているお姉さんからセイジが飛び出していった事を聞いた。そして向かった先が恐らくランス湖であるという事も。
ランス湖はビフィスの街からは歩いて丸一日はかかる。そんな所まで走って行くなんて正気の沙汰じゃない。気が狂れたとしか思えない。だが気が狂れるような理由がセイジにあるのだろうか。全く思い付かない。今朝会ったセイジはいつものように元気だった。忙しいながらも充実した毎日の中にいるごく普通の青年だ。だからさっきからその理由を探して考えている。
実はお金に困っていた?いや、それはない。セイジは水洗トイレを作る仕事を役場から正式に依頼されていて報酬を貰っている。私やティレットも役場から報酬をもらう身だが私達より多いはずだ。何せトイレは街の集客に一役買っている。このトイレを一目見ようと遠方から遥々やってくる人もいるのだという。だからそれを作るセイジは街から必要とされていて報酬を得ているのである。それにセイジは金遣いが荒いという事もない。本人が言うには買いたいと思う物が特にないらしい。つまり出ていく金が入ってくる金を上回る事はなくだから金がなくて困る事などないはずだ。
なら仕事上の悩みだろうか。それも恐らくないはずだ。多少考え事をしているところは見た事はあるが悩んでいる様子は一切なかった。人伝に聞くセイジの様子でもそういった話はない。仕事は至って順調のはずだ。
実は元の世界に帰りたがっているとか?それは、あるかも知れない。私からすればこの世界は元の世界に比べれば遥かに進んでいる。人も多いし食文化は豊かだし様々な物に満ちあふれている。帰りたいとは思わない。それはエアリィやティレットも同じだ。ただセイジはどうなのか、はっきりと聞いたことはない。この世界には彼の世界にあった「ゲーム」という物はなく時折懐かしそうにその事を話したりはする。ひょっとしたらその「ゲーム」という物がやりたくて堪らなくなって発狂に至ったのかも知れない。その可能性はなくはない。
或いは別の何かか?私はセイジについて全てを知っているわけではない。私の知らない何かがセイジを苦しめているのかも知れない。
とにかく心配だった。
だから私はこうして精霊様の力を借りて空を飛びセイジが向かったというランス湖まで文字通り飛んで行く最中なのである。
「つまんなーい」
「にゃあ」
左手の先で声がする。ティレットとブチだ。
「我慢しろ。後少しだ」
歩いて一日かかる距離でも飛べばすぐだった。私は役場のお姉さんの話を聞いてすぐ家を飛び出していた。高い所が苦手と言うエアリィとランス湖まで人力車でエアリィを運ぶ洋子さんを残し酔ったティレットとブチを連れて。
「つまんない、つまんな~い」
「にゃあ、にゃ~あ」
ブチは酔ったティレットを気に入っているようでよく酒を飲んでいるティレットの側に行って遊ぶ。今も普段は私の頭の上を居場所としているがティレットの頭の上に乗っている。そして時折こうしてティレットの話すことを真似て鳴く事がある。
「お前はセイジの事が心配じゃないのか?」
「わかんなーい」
気怠げに答えるティレット。
「はぁ…」
私は飛びながらセイジの事が心配であれこれと考えていたのにまったく酔っ払いはいい気なものである。
「むー」
「にゃー」
酔っ払いとブチは私の考えをよそに気怠げに唸る。それを見ていると一人で考えているのもバカバカしくなり自然とため息が出る。考えたって答えは出ない。ランス湖にはあと一時間もすれば着く。セイジが無事辿り着いているならあと少しで事態は判明するはずだ。
「つまんないつまんなーい」
ティレットは再びそんな事を言いながら腕を振って暴れ始める。
「おい!こら!!止めろ!」
私達は精霊様の力で浮いて飛んでいる。それは私がティレットの手を握っている、つまり私の体に触れているからであってティレットが私の手を離れたら精霊様の力は届かなくなる。要は落下するのだ。
「えい!」
酔っ払いの言動は時に常軌を逸する。ティレットは私の手を振り払い落下する。
「おい!何をするんだ!」
「んふふふふふーん!」
落下するティレットは笑っている。
「やっほーい!」
まさかそのまま墜落させるわけにも行かず私は慌ててティレットを追いかける。
「馬鹿か!お前は!」
「んふふふふっ」
地上まであと少し、間一髪私が抱きとめた事でティレットの体は落下を止め再び宙に浮く。
「全く、前のレンサの時といい酔ったお前はどうしようもないな…」
今度は後ろから抱きすくめるようにして再び飛んでいた高さまで飛び上がる。
「んー」
「…今度はなんだ酔っ払い」
何かを見つけたティレットが指差す方を見る。
「あれは…ランス湖か?」
ランス湖には一度行った事がある。海ほどではないが大きい湖だ。そしてその水は透明で綺麗だった。
「んー?」
再び妙な声を上げるティレット。首を傾げているのがわかる。
「あれがランス湖なのか?」
私達の前に姿を表したランス湖は私の知る美しい湖ではなくなっていた。
どうしてこうなった。
ランス湖には絶えずたくさんの水が流れ込む。多少の不純物などその水量では薄まってしまうはずだ。そこにいくら大勢の人の排泄物が流れこんでいたってそれは変わりはないはずだ。人間の活動など大自然から見たら些細な物だ。ランス湖に大きな影響など与えないはずだ。
なら他に原因があるのか?上流でがけ崩れでも起きて土砂が流れ込んでいるのか?いや、それはない。トイレに使っている水は川から引いている。その水は綺麗なのだ。だから水を引いた地点とここに至るまでの間に何か変化があったなら。その変化は、つまり、下水道から流れる汚水だ。何よりこの臭いがそれを証明している。
果たして本当に下水の量が微々たる物と言えるのか。トイレを作ってからビフィスを訪れ用を足す人は増えた。その辺の草むらで用を足す人は激減した。そんな人は田舎者扱いされているなんて話も聞いた。今日もトイレには行列が出来ていた。トイレで用を足す人は間違いなく多い。だからってここまでなるのか?そんな量が流れ込んでいるのか?確かめようがない。試しに一回の排泄物の量を計ってみるか?一日に何人の人がトイレを使うのか数えてみるか?それとランス湖の容積を比べてみるか?流れ込む下水の量は本当に多少で済む程度なのか?分からない。
ただ一つ言えるのはこの変化が僕が水洗トイレを作ってから起こったものだという事だ。他に原因はない。
「甘かった…」
この世界にトイレはない。だからこそビフィスのトイレは珍しく多くの人の興味を引いた。ましてそれが水洗だ。普段の排泄と変わりなく行える和式であり抵抗は少ない。流水の中に出すというのも考えてみたら興味を引きそうなギミックだ。訪れた人の多くが用を足そうとする。そしてそれは全て川を経てランス湖に流れ込む。それがこの結果だ。
「猫六さんの時と同じだ…」
水洗トイレを作るに当たり必要となったのは便器だ。日本にあるような陶製の便器を作れるのは代々その技法を受け継いできた猫六さんだった。だが猫六さんは老人だった。にも関わらず便器の制作を依頼し結果猫六さんは倒れた。今はもう元気になったがその時に後先考えずに依頼した事を後悔したのだ。もっとよく考えるべきだったと、そう、思ったはずだった。
「汚水が、流れ込んで平気なわけがないじゃないか…」
僕は知っている。かつて暮らしていた日本で下水処理場があった事を。なぜそんな物があった?下水を垂れ流せばこうなるからだ。
周囲には異臭が漂う。湖には汚れた水、その中には浮いている魚の死骸だってある。水の表面には油のような物だって浮いている。完全に自浄力を失った湖。今も川の水とそこに混ざった汚水が流れ込みおぞましい流れを生み出している。
「…全部、僕のせいだ。僕が水洗トイレなんて作ったから」
僕は湖を前に膝を付く事しか出来なかった。
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