第53話 思いは、そして… 1


「なぜ、あんな物を作ろうとしているんだ?」

 猫六さんのお孫さんは僕の顔を見るなりそう口にした。

「え?」

 挨拶をしようとした僕は面食らう。

「アンタが祖父さんと作っていた物の事だ。何に使うかは聞いた。でも分からない。なんで陶器なんだ?陶器は食器だ。食べ物を乗せる為にあるものだ。それをなぜ糞の為に使うんだ?」

「それは…」

 答えようとして、口籠る。僕だって明確な答えを持っているわけじゃない。それに金属で代用は、一応、可能なのだ。

「まずは高い耐水性です」

 だから、言葉を選びながら答える。

「耐水性?」

「はい。陶器は水に強い。何度も何度も使って、その度に洗って、それでも錆びたり水を吸い込んだりはしない」

「そんな事はないぞ。釉の掛かっている所はともかく素焼きの部分にはそれなりに水が染み込む」

「その釉が掛かった部分が必要なんです。だから水の流れる所は釉で覆われてなければなりません」

「分かった。まだ、あるんだろ?」

「はい。次にその釉の白さです。便器が白ければ汚れが目立ちます」

「わざわざ汚れが目立つようにしちゃあダメじゃないか」

「いや、だから良いんです。汚れは洗えば落とせます。それに便器の汚れは不潔そのものです。雑菌やら異臭の元になります。便器を清潔に保つためには真っ白な便器こそ必要なんです」

「なるほど。だからウチの技が必要だった、と?」

「はい。そして何より白くツヤツヤした便器は美しい。薄汚れた場所で用を足すよりも気持ちのいい場所でしたいと思いませんか?」

 自分で何を言っているのか分からない。おかしな事は言っていないだろうか。だいたいなんでこんな事を話す必要があるんだろうか。

 彼は一つ深呼吸をした。猫六さんのそれとは違って健康な人間のそれだ。

「もう一つ聞かせてくれ。いや、ここが一番分からないんだが…。その、トイレ?と言うのはなぜ必要なんだ?糞ならその辺でしたら良いじゃないか。なんでそのための場所を作る必要がある?」

 そう、根本的にこの世界の人にはそれが分からないのだ。僕の住んでいた世界には、少なくとも僕にとっては生まれた頃からあった物だ。それは当たり前過ぎて、ない生活なんて想像することさえ出来なかった。それと同じだ。ここの人達には逆にある生活が想像できないのだ。なくて当たり前。それが常識なのだ。

「トイレは、人間にとって必要だからです」

「必要?俺はそんな物がなくてもこの歳まで何不自由なく生きてきたぞ。祖父さんは俺の倍以上だ。なくても良いじゃないか?」

「ダメです。さっきあなたは言った、陶器は食べ物を乗せる為にあると。ならなぜそんな事をする必要があるんですか?」

「そんなのは当たり前だろう。物を食べる事は人間にとって必要不可欠な事だ。食事を快適にする。それが食器の役割だ」

「じゃあ排泄行為はなんなんですか?必要な事じゃないんですか?食べるだけ食べて出さなかったらそれで人は死ぬんですよ?」

 正直、僕は頭に来ていた。この世界の人達の排泄行為への無関心さに。

「食べる事が大事なのは当たり前です。生きていく為には食べなければならない。でも出す事も大事なんです。やらなければならない事なんです。そりゃ僕にもありますよ。なんでこんな事を毎日しなきゃならいんだ、なんで困るタイミングに限って催してくるくせに出したい時に出ないんだって。こんな面倒な事をなんでしなきゃならないんだ。いっそそんな事をしなくて良い体になりたいなんてのも思いましたよ。でもしなきゃならないんです。毎日食うなら毎日出さなきゃならないんです。それを快適にしたいって思いませんか?雨に打たれる事もなく、草と糞をかき分けて場所を探す事もなく、周りに人がいるかも知れないなんて思うこともなく、そして臭くもない」

 僕は深呼吸をする。

「だから、僕はトイレを作りたいって思ったんです。快適に、安心して用を足せる場所を作りたいんです。だから、猫六さんの器を見て、それが作ることが出来るかも知れないって思って、だから、ここに来たんです……けど、こんな事になっちゃって…」

 僕は一体何をしてるんだろう。こんな事お孫さんに言うことじゃないのに。

「分かった」

 わけの分からない事を聞いたのにも関わらずお孫さんは短くそう言っただけだった。まるで猫六さんの様な言い方だった。

「ちょっと、こっちに来てくれないか?」

「え?」

 お孫さんはそう言って中に入っていく。向かった先は工房だった。


「こんなんでどうだ?」

 そこには三つ目の便器があった。もちろんまだ焼く前の乾燥を待つ状態ではあるが。

「これは…?」

「…今朝方まで見よう見真似で作ってみたんだが」

「貴方が?」

「で、どうなんだ?良いのか、悪いのか」

 てっきり彼は反対しているものだと思っていた。でも、そうだ、彼も猫六の人間なんだ。

「いや、その…」

 仕上がりは見事だった。それを見ただけで作るのだ。相当の腕がないと出来ないはずだ。かつてこの店の前で出会った老人も言っていた。腕は良いのに、と。

「ダメだな」

 僕が口を開こうとした瞬間背後から声がした。猫六さんだった。

「ほれ、ここの均しが甘い。だが大凡の形は良さそうだな」

「祖父さんには敵わないなぁ、ったく」

 猫六さんは力無さげに、でも不敵に笑う。

「筋は良い。お前なら出来るさ」

 三人でその便器を見つめる。

「さて、始めるとするか。儂が指示してやれば作れるだろう」

 猫六さんの笑顔はあの時、猫六の器の使い道を知った時のそれだった。まるで腹の中で煮え立つ野心が行き場を見つけて顔を出したようなものだった。

「…これからか?」

 対してお孫さんは何やら疲れている様子だった。

「なんだ、この期に及んで他所の窯を手伝うこともないだろう」

「いや、そうじゃねえよ…」

 言葉には力がない。

「昨日は仕事して色々あって、帰ってきて、また仕事して、帰ってきて、そっから作り続けて、ようやく形になったんだ…。少し、いや、一日休ませてくれ…。なんか、もう、とにかく、眠い…」

 お孫さんはすっと座ったかと思ったら倒れて眠り込んでしまった。

「まったく仕方のないやつだな。すまんな、こんな孫で」

 そう言った猫六さんの笑顔はどこか優しげに見えた。



「なぁ、一つ聞いていいか?」

「はい、なんでしょう?」

「これ一ついくらになるんだ?」

 あれから三日経ち窯入れを待つ便器は八つになった。猫六さんとお孫さんの連携プレーのおかげでどんどん作られていく。僕は手伝いをしながらそれを見ていてその早さに驚いていた。

「あ、そうだ、えーっと、いくらでしょう?」

「祖父さんと話してないのか?」

「ええ…」

 完全に失念していた。僕も猫六さんも便器が作れる事に舞い上がっていてその辺りの詳しい話については全くしていなかった。

「まさかタダ働きさせる気じゃねえだろうな⁉」

「いや!そんな事はないです!純粋に忘れていただけで…」

「で、いくらだよ」

「いくらにしましょう?」

 お孫さんと休憩がてらその辺の話を詰める事にした。猫六さんは今病院に行っている。病院と言っても医者の暮らす家に診察と軽い運動を兼ねて遊びに行ったくらいの話だ。

「実際、いくら出せるんだ?」

「あ、えーっと、今持ってきてる現金で百万イェンなんですが」

「百万⁉」

「足りないですかね?」

「待て、待て、取り敢えず落ち着こう。じゃあ一つ当たりの話をしよう」

「一つだと…十万?いや、今後の事も考えると、うーん…」

「今後?まだ幾つかいるのか?」

「いや、多分トイレ自体何ヶ所か作ることになると思うんですよね」

「どこに?」

「ビフィスに」

 クソバーですら大盛況だったのだ。より快適な水洗トイレとなれば訪れる人はさらに増えるだろう。

「ビフィスかー、大都会だなぁ…」

「で、前も四箇所作ったんですけどね。これが大人気で行列が出来たんですよね」

「そうなのか?」

 何かの催し物か人気店に並ぶ人達かと思ったほどだ。

「ええ。と考えると一箇所に複数あった方が良いですよね。例えば五つくらい。これを四箇所だけじゃなくて街中に作るとなると」

「単純に十ヶ所としてそれだと五十個要るわけか…」

「あ、もう一つ、いや二つ追加でお願いします」

「その二つは?」

「僕の今住んでる所に作る分です。五人で住んでるんですけどね、やっぱり一つよりか二つの方が良いと思いまして」

 元々はこれが目的なのだがいつの間にか街に作ることが当たり前になっている。

「ふむ。取り敢えず大変な事になるのは分かった」

「まぁ、まだ未確定なんですけどね。実際に作ってみて反響に応じてって形になるとは思います。で、どうでしょう、材料費とか手間賃とか込みで、いくらならやって行けそうですか?」

「まぁ軌道に乗ったとして一つ十万も貰えれば充分過ぎる。軌道に乗ればな」

「じゃあ一先ずの契約料のその一部として百万でどうでしょう?一個当たりの値段はその後で話し合いましょう」

 何れは量産化する事にはなるだろうけどそれまでの資金は要る。百万では少ないだろう。役場に預けている現金も百万と少しだ。足りるだろうか…。

「良いのか?そんな大金貰っても。見たところ年頃から言ってもそんな金持ちそうにも見えないが…」

「一応まだ蓄えはありますし、特にお金に困るような事もしてませんし」

「分かった。君がそれでいいならそうしよう」

「ありがとうございます。お…、えーっと」

「ん?ああ、俺はこの辺りじゃ六代目って呼ばれてんだ。そう呼んでくれ」

「はぁ、じゃあ六代目さん」

「さんは付けなくても良いよ。さて、金の心配がなくなったところで作業を開始しますかね」

「はい、よろしくお願いします、六代目さん」




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