第49話 受け継がれる思い 5
「うちの技法の見せ所は釉と焼きだ。形を出すだけならそこらの窯でも出来る。あの白色を如何に出すか。如何に綺麗に焼き上げるか。そこが肝心なわけだ」
昨日ふらついたのは何だったのか、と思うほど猫六さんは快調に見えた。
「だからこんなところでもたついてないでどんどん先に進めたいわけだ」
その言に偽りなし。苦労すると思われた便器のモックアップはすでに完成していて、猫六さんは実際に焼きまで仕上げる物に取り掛かっていた。
「それにまだ気は抜けねえ。割れてしまうかも知れん。焼き上がった時の大きさもどうなるか分からん。だから何個も作らにゃならん」
結局、下部を先に形にしてその上に別に作った上部を乗せて作る事に落ち着いた。その時に必要となる下部を固定する台も作った。僕が手伝えるのはそこまでだった。後は小間使いの様にそれを取れと言われれば取って渡し、あれを持って来いと言われれば持って来て渡す、そんな程度の事しか出来なかった。
「ところでこの技術は誰が最初に伝えた物だったんですか?」
僕は昨日から猫六さんの体調を心配している。体の事なんてお構いなしに作陶に没頭する猫六さん。その勢いは凄まじく自制を促しても怒声が返ってくる始末。なので頼んだ僕がこう言うのも変だが気を散らしたり邪魔する事でしか無理をさせない方法はなかった。
「ああ?お前さんと同じ異世界人さ。もう何百年前になるんかなぁ。レンサの窯はみんなそこが由来さ」
「この辺り全部ですか?」
「おうよ。なんでも元の世界で陶芸を生業にしていた人らしくてな。窯の名前もその人が決めたんだ。鶴だの亀だの猫だの。縁起が良い生き物から取ったって話さ」
その手を止め話してくれる猫六さんに僕は少しホッとする。
「それまでは陶器はなかったんですか?」
「いや、あったよ。何と言ったもんか、新しい作風が増えた、という事だな。あとは窯の効率が上がったりとか、そうだ、ろくろを使うようになったりとかな。陶器業界の革命ってやつだ」
猫六さんを少しでも長く休ませようと僕は器に水を入れて渡す。
「おう、ありがとよ。まぁレンサが今も製陶を続けていられるのは全部その人のおかげだな。中興の祖って奴だ」
猫六さんはその水を一息に飲み干す。
「さて、くっちゃべってねえで始めるか」
その時だった。伸びをした猫六さんはそのままふらりとして倒れた。
「猫六さん!」
慌てて駆け寄り抱き起こす。
「…何、ちょっと目眩がしただけよ。ほれ、いつまでそうしてる。放してくれ」
「少し休みましょう。これで二度目ですよ」
「大丈夫だ。気にするな…」
猫六さんは再び作業台の側の椅子に座る。だが頭は項垂れたまま、体を起こすことは出来なかった。
「…年は取りたくないもんだ。この程度の事で音を上げるたぁ情けねぇ…」
猫六さんは椅子に座っていた。だがそれもままなくなり椅子から落ちて床に倒れた。
僕は猫六さんを工房の隅に一旦寝かせ、ちゃんと休めるように布団のある場所を探す。
工房と家とは繋がっているとは聞いている。だからどこかに普段寝起きしている部屋があるはずだ。僕は傍から見たら空き巣にしか見えない事もお構いなしにその場所を探す。
工房から丁度反対側の端にその部屋はあった。何の飾りもない板張りの狭い部屋。その部屋の隅にベッドがある。宿屋の安部屋にあったような質素なベッド。飾り気のない部屋といい決して贅沢など出来ない人生だった事が伺える。
僕は眠っている猫六さんを背負いその部屋に向かう。そんなに背は低くはないはずなのにその体はとても軽く感じた。
病人の介抱の仕方など分からない。とにかくベッドの上に寝かせて布団を掛けてやる。額を触ってみると発熱しているのが分かった。ひょっとしたらただの風邪かも知れないと淡い期待を懐きつつ飲み水と頭を冷やすための水を小さな手桶に用意する。
粗方用意して猫六さんの顔を見る。眉間にシワを寄せて苦しそうに見えた。
「…誰だ、アンタは」
扉が開いた音がして振り向くと一人の青年が立っていた。一度だけ、初めてここを訪れた時玄関ですれ違った人だった。
「ひょっとしてお孫さんですか?さっき猫六さんが倒れてしまって…」
「…え?おい、祖父さん!大丈夫か⁉」
「…ああ、帰ってきたか…」
その青年の声を聞いて猫六さんは目を覚ました。
「どこだここは…。なんで儂は寝とるんだ…」
「さっき、工房で倒れたんです」
「そうか…」
猫六さんは一つ深呼吸をする。
「儂を工房に連れて行け」
そして静かにそう言った。
「何言ってんだ祖父さん!そんな体で何しようってんだ!」
「黙ってろ。お前には分からん…。邪魔だ、そこを退け」
猫六さんは起き上がり立ち上がろうとする。が、再びよろけてそれを青年が受け止める。
「何やってんだよ。ほら、今は取り敢えず寝ろ。それにもう昼飯時だぞ。飯も食わずに何するつもりなんだ」
「…もう、そんな時間か」
「待ってろ今準備するからな」
青年は猫六さんを寝かせて部屋を出ようとする。その時僕に目配せをした。着いて来いと言っているのは何となく分かった。
「帰ってくれ」
玄関先で青年はそう言った。
「でも…」
猫六さんに無理をさせたのは僕だ。せめて看病なり何かを手伝えればと、そう思った。
「いいから帰れ。祖父さんがあの調子じゃあアンタの目的も果たせないだろう」
「それでも、何か手伝わせて下さい」
「必要ない。俺一人で充分だ。それにアンタが居ると祖父さんがおかしくなる。もう、そっとしておいてくれ」
青年はそう言って玄関の扉を閉めた。僕はそれ以上何かを言う事が出来なかった。
便器が陶器製である必要性はなんだ。なぜ陶器で出来ている。なぜ白い。なぜ金属製ではいけないのか。
レンサの街中を歩き宿へと帰る。歩きながら僕は改めて便器について考えていた。
結論から言えば僕は陶器製の便器を諦めるつもりだ。これ以上猫六さんに無理をさせるわけにはいかない。トイレは大事だ。必要な物だ。でも、だからといって猫六さんの命には変えられない。タイミングが数年ばかり遅かったのだ。あと十年、僕がこの世界に来るのが早ければ多分実現したのだろう。
日中のレンサは大通りであっても人通りが殆ど無い。みんなそれぞれの窯で、それぞれの工房で仕事をしているのだ。出歩いている暇はない。
僕は一人通りを歩く。改めて村の風景を見渡す。この村の製陶技術はかつてこの世界に来た異世界人によってもたらされたのだという。その人はなぜそんな事をしたのか。単に元の世界で得た技術を広めたかっただけなのか、それとも僕の様にトイレを作ろうとしていて、そのために製陶技術を伝えたのか。猫六さんの先祖にほとんど便器を作るためだけの技法を伝えたのはついでだったのか、それともこの村が製陶で発展した事の方がついでだったのか。分からない。
別に便器は陶器製でなくたっていい。実際元の世界でも金属製のトイレはあるのだ。この世界に鉄パイプがあると知って僕は他の素材でも作られていないか調べた。錆びないステンレスとまではいかないが真鍮製の物があった。それがあるなら金属製の便器だって作れる。真鍮の錆びに対する耐性はよく分からないが鉄製よりは錆びにくくはあるだろう。だからそれで大丈夫だ。何も陶器でなくたっていい…。
この村もビフィスほどではないが水は豊富だった。川から引いた水は村中を流れ村の中央にはちょっとした人工池が作られている。その側でベンチのように座れる岩があって僕はそこに腰掛けた。水が緩やかに流れる音が気持ちいい。
便器が陶器であることの最大の利点は耐水性だ。多くの食器がそうであるように水によって腐食したりする事がない。そりゃあ何度も何度も繰り返し使い洗っていれば劣化もするだろうけどその寿命は長い。
僕にとっては生まれた時から便器は陶器でそれが当たり前だった。白くてツヤツヤしてて綺麗だ。この綺麗さは汚れを際立たせる。汚れていたらすぐに分かる。だから綺麗にする。綺麗なトイレの清潔感はそこで用を足す時の気分を良くしてくれる。誰も汚れたトイレの方が良いとは思わないだろう。気分が良いだけではない。衛生面から言っても汚れが残っている事は望ましくない。陶器製の便器は清潔さを保つのにも適しているのだ。
陶器製か金属製か、明らかに陶器製の方が良い。それでもそれが成し遂げられないのだから仕方がない。
村を見る。亀、鶴、猫。縁起の良い動物だ。そこに漢数字が組み合わされて屋号として使われている。この村の中興の祖たる異世界人の遺した物だ。もう何百年と受け継がれているのだ。それを表す様にどの建物も古びていて、でも整っていて綺麗だと思える。元の世界だったら観光名所にでもしている事だろう。
そんな長い間、猫六さんの窯では技法が受け継がれてきたのだ。
何の為に?
きっと、トイレのためだ。
トイレを作ろうと、何百年前に来た異世界人もそう思ったのだろう。それがある世界から来た人間にとってそれがない事は辛いのだ。
「この技を守り、伝えよ。いつか『その時』がくるまで」
猫六さんの言葉が脳裏をよぎる。
「儂が生きてるうちに『その時』が来たんならこんなに有り難い話はない。今までやってきた事が無駄じゃないって分かっただけでもな」
そう言う猫六さんは嬉しそうだった。
僕が諦めるという事は、つまりそういう事だ。猫六さんに思いを遂げさせる事が出来なくなる。まして技法の意味が何なのか分かったのにだ。知らないまま死んだ方がまだマシだっただろう。
空を見る。馬鹿みたいに晴れていて雲ひとつない青空だった。奇妙な物で空は元いた世界と何一つ変わらない。この世界にも太陽はあるし雲も出れば雨も降る。今日は動けば少し汗ばむくらいにはいい陽気だった。なのに僕の頭はまるでモヤがかかったようだった。
「よー、青年。何か悩んでるんかい?」
「あ、九ちゃんさん…」
声に顔を上げるとそこには九ちゃんさんがいた。何やら袋を持っている。
「聞いたよー。猫六の爺さん倒れたって?」
この村にも医者はいる。その医者と出会って聞いたのだそうだ。
「まー、難しいとこよねぇ」
暇なら手伝えと言われて僕は正直有難かった。ただじっとしていては却って悶々とするだけだっただろう。体を動かしている方が気が紛れる。それに仕事をしながら九ちゃんさんは話を聞いてくれて、それがとても助かった。
「爺さんの気持ちも分からなくはないけど体の方が大事よね」
「ええ。無理をさせるよりかは…」
「じゃあ、諦めるんだ」
はっきりとそう言われて僕は即答する事が出来なかった。
「そうするしかないですね…」
僕が手伝っているのは棚の整理だ。新たに増えた物を置くためにスペースを作りそこから退かした物を別の所に置く。そして出来たスペースに物を置く。
「よし、これで良いね。ありがとさん、助かったよ」
九ちゃんさんは僕の肩を一つ叩いて言った。
「あ、そうだ。もう一つ頼まれてくんない?」
「ええ、良いですよ」
「コレと、コレと、あとコレもだ」
言いながら麻布の袋に何かを詰める九ちゃんさん。果物だろうか。
「ほい、これを猫六さんの所に持って行って」
「え…?」
意外だった。
「ほれ、私からの見舞いだよ。六代目にそう言っといて。今の時間ならいるでしょ」
正直行き辛い。六代目、猫六さんの孫であるあの青年はこの村の人からはそう呼ばれている。渾名のような物だ。彼には来るなと言われている。その理由にも僕は納得している。猫六さんに無理をさせてはいけないという認識は共通して持っている。
「ほらほら!行った行った!帰ったら飲みに行くからなー」
そう言われて僕は店を追い出される。追い出されるのは今日二度目だ。
猫六さんの所に行くのは気が引けて足取りも当然のように重くなる。
それでも程なくして着いてしまった。猫六さんとお孫さん、何れにしても会うのには躊躇いがあった。
玄関先は暗い。でも奥の方から灯りが漏れているのが分かる。
僕は意を決しひと声かけて中に入る。返事はない。鍵は掛かっていなかった。
預かった物を手渡す為にも二人のどちらかとは会わなければならない。もう一度声を出そうとしてその灯りが工房の物だと気付く。
工房には猫六さんがいた。ゆっくりとではあるが手を動かしている。猫六さんは今便器を作っている。受け継がれた思いを果たすために。
「猫六さん」
「おう、青年。どこ行っとった?」
「いえ、ちょっと用事がありまして。あ、これ九ちゃんさんからです。お見舞いの品だそうです」
「ああ、すまんな」
「無理はしないで下さいね」
「同じ事を孫にも医者にも言われたわ。聞き飽きたわい」
猫六さんはそう言って笑った。でも朝の威勢の良さはないように見えた。
「気になってる所を片付けたら今日は終いにするよ」
僕は猫六さんが作業を止めるのを見届けて工房を後にした。その日はお孫さんはとは顔を合わせなかった。猫六さんも彼の事は口にしなかった。
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