第48話 迷宮綺譚 4
奇妙な音の正体は二人の男の声だった。その声は下水道の壁や天井に反響して奇妙な音となっていたのだった。近付くにつれ段々と何を話しているのかが聞き取れるようになってくる。
「違う、もうちょっと前だ」
「こうかい、兄ぃ」
「ああ、いい具合だ。もうちょっとで」
「早くしてくれ、俺はもう」
「我慢しろ、あと少しだから」
片方の声はどこか急いでいるようだった。もう片方の声は息を荒げているように聞こえた。一体何をしているのか私達の中で想像出来たものはいなかった。
男達は折れ曲がった先にいる。私達は気取られないよう息を殺して様子を伺う。
「兄ぃ、俺もうダメだぁ」
「バカ!諦めるんじゃない!あと少しで…」
そう聞こえたかと思ったらうめき声がして話し声は途切れた。
「どうする?こんな所にいるんだから普通の人じゃないよ?犯罪者かも」
「だが見過ごすわけにもいかないだろう。ただ迷い込んだだけの人かも知れない」
「そうね。どちらにしてもどんな奴か気になるわ」
そう言いながら私は二人が犯罪者であるとほぼ確信していた。下水道は暗く広く、そして街のすぐ下にあるのに誰にも知られる事がなかった場所だ。奇妙な縦穴があるという通報から発生した依頼をセイジ達が受けなければ私達もここの存在は知らなかっただろう。だがもし私達やセイジよりも先にここを知った人間がいたとしたら、それがもしも犯罪者なら、ここはそんな輩にとって身を隠すには相応しい場所に違いない。一般人が好き好んで来るような場所じゃないのだ。
イーレとエアリィの二人を洋子さんに任せて私は男達に駆け寄る。腰に掛けていたフルーレを抜いて。
「ちょっと貴方達、こんな所で何をしてるの」
精霊灯で照らすと男達は床に転がっていた。その表情を見ると私の存在に驚きつつ何やら痛そうにしている。それよりも私はこの二人の顔にどこか見覚えがあるような気がしていた。
「だ、誰だっ⁉」
男の一人がこちらに灯りを向ける。
「おい、兄ぃ!こいつは!」
男達も私には見覚えがあるようだった。そして私はこの二人の事を思い出した。
「また、アンタ達なの?よく会うわね」
私がセイジと初めてあった時、そしてその後も二度ほど私達に強盗を働こうとした二人組のならず者だった。こちらの事を知っている以上他人の空似というわけでもない。
「なんでこんな所にいるんだ⁉」
「それはこっちの台詞よ。何してるの?こんな所で」
男達二人は互いに顔を見合わせて目配せだけで何かの相談をしているようだった。
「うるせえ!俺たちはやるんだ!」
「ああ!絶対にでっけえ男になってやるんだ!」
「ちょっと、何言ってんのよ」
「そこをどけえ!」
「うわああああ!」
男達はわけの分からない事を言いながら剣を抜いて私に襲いかかってきた。
犯罪者という存在を私はこの世界に来て初めて知った。他人を傷付けその命や財産を奪う、なんでそんな事をするのだろう。他者の存在は生きていくためになくてはならない物だ。それは世界が違えど変わらないはずだ。でもそんな馬鹿な事をする輩がこの世界にはたくさんいる。だから私やイーレのようにそんな輩から人々を守る人間が必要で、まぁそのおかげで私達は仕事を得ることが出来ているというのは複雑な気分だ。
闇雲に振り回された剣を私はフルーレで往なす。これでA(仮)の力を使うようになってから私は暇な時を見計らって洋子さんに剣術を習っている。たまに団長さんや隊長さんにも相手をしてもらっている。そうするようになったのは自分の能力の幅を広げるためだ。A(仮)の力はこの世界で使うには強力すぎる。剣の類を使ったとしてもだ。特にここのような狭い空間で尚且つ被害を出さないようにしようと思うと気を使う。だからA(仮)の力なしでも戦えるようにしておきたかったのである。都合のいい事に身体能力の面でも私はこの世界の人間に比べて優れているので剣技だけでも充分な事もある。
「くそっ!なんで当たらない!」
「大人しくしやがれ‼」
二人の男の剣は私を捉える事は出来ない。
本来幅広の剣とフルーレでは勝負にならない。剣の方が圧倒的に硬くフルーレではその動きを受け止めることなど出来ないからだ。だから私は男達の振るう剣の勢いをフルーレの持つしなやかさで逸らしている。結果、二人の男は斬り掛かる勢いのまま明後日の方向に突っ込んで行く。壁だったり床だったり。それでも立ち上がり私に向かってくる根性だけは凄まじい物がある。一体何が彼らをそうさせているのか。
「ちっくしょおおおおおお!」
「ああああああ!」
「もう、いい加減にしろっての!」
戦いには優勢であっても同じ事ばかり繰り返していればうんざりしてくる。仕方がないので私は男達を止めるために攻撃に転じる事にした。
「うっ!」
「あぎゃっ!」
それぞれ額とこめかみをフルーレの丸い先端で強打する。人体の急所の一つだ。これは洋子さんが教えてくれた。男達は脳への衝撃で一時的に動けなくなりその場に蹲まった。
「全く、ようやく大人しくなったわね」
それでも男達は身を捩り私から遠ざかろうとする。だがその程度で私から逃れるわけがない。
「もう終わりにしましょう」
切っ先にA(仮)の力を集める。もちろん撃つつもりはない。ただの威嚇だ。
「あああ……」
「なんで、いつも、いつも…」
「何?」
二人はよく分からない事を呟いたかと思ったらその場で大声で泣き始めたのだった。
犯罪とは身勝手な行為である。だが時にその犯罪が許される事もあるのだとセイジから聞いた事がある。例えば、生き残る手段が一つしかなくそれを巡って他者と対立し生き残るために相手を殺す必要に迫られたとか、そこまで極限の話ではないが飢えて死にそうな時にやむを得ず目の前にある食べ物を盗んだりとか。罪は罪だが生きるために仕方がなくした事なら場合によっては許容されるケースがあるという話だった。緊急避難と言うらしい。
私達は泣き止んで落ち着いた男二人から話を聞いた。盗みや強盗をしているならず者に育てられた事、物心付く前にはもう盗みを覚えていた事、生きる手段はそれしか知らない事、そして今、大金を盗むために下水道から役場に忍び込める所を探していた事。彼らはしょんぼりしながら私達の質問に答えた。
「なるほどね。さて、どうしようか」
犯罪者を捕らえたのだ。当然然るべき所に届けるのが筋だろう。エアリィの世界では警察というものがあるらしくこういう場合はそこに任せるのだと言う。
「団長さんか隊長さんに頼むか」
私もイーレも警察というものを知らないがそれに類する物は自警団だったり警備隊ということになるだろう。もしくは王都の軍か。
「そう、ね」
「ティレットは何か考えがあるの?」
「ううん、別に」
もやもやした気持ちはある。彼らの言を信じるなら彼らは犯罪しか生きる術を保たなかった。だから犯罪者であるしかなかったのだ。
「見逃してもそれこそまた犯罪行為をするだけだぞ。それしか知らないのなら改心なんて出来ないだろう」
「そうよね」
「ならいっそ〆るか」
エアリィがそう言って私がふと男を見ると二人は「ヒィッ!」と呻く。
「せめて真っ当に働ける場所があればな。でもこの二人じゃな」
「働く、か」
イーレに一言がきっかけになって私は一つの案を思い付いた。
「市長さんの所に連れて行きましょう」
私がそう言うと三人はキョトンとしていて男二人は観念したような顔をしていた。
ビフィス魔法使い隊は市長直轄の部隊で市長とは日頃から顔を合わせる機会が多い。だから私とイーレは市長と気軽に話すような仲になっている。困ったことがあればいつでも、とは言われていた。
「ふむ。盗賊、ですか」
男二人を前にして市長の顔は険しかった。市長からすれば市民の安全を脅かすこの二人のような存在は許せるものではないだろう。
「野放しにしたってまた犯罪に走るだけよ」
市長室は役場の二階の奥にある。一階こそ人が多く賑わっているがこの部屋の辺りになると静かだ。そして室内は一層静かでさらに沈黙して考える市長によって静寂が深まっている。
「なんとかならないだろうか」
私のした提案はこの二人に仕事を与える事だった。口に出したのは市長に会ってからだったがそれを聞いたイーレは喜んで賛同してくれた。
「そうは言ってもですね、まさか役場でそんな輩を働かせるわけには行かないでしょう?第一読み書きは出来るのですか?」
市長の問に男、兄と呼ばれている方が答える。
「読み書きは、出来る。それは教えて貰った」
「計算は?お金の勘定は出来ますか⁉」
「それぐらい出来る!馬鹿にするな!」
弟の方は声を荒げる。これは意外だがこの二人には多少教養がある。なんでも育ての親は盗み以外にもそういった事を教えていたのだという。ならなぜ犯罪などを教えていたのだろうか。
「では」
市長は一つ間を置いて
「人を殺した事はありますか?」
と聞いた。
私は二人を見る。確かに強盗を働くような輩だ。殺人を犯していても不思議はない。盗みならまだ弁済の余地はある。怪我だって程度によっては治る。だが人殺しだけは取り返しがつかない。失われた命は帰らない。
「殺しはしてない。これからもしない」
「父ちゃんに言われた。何があってもそれだけはするなって」
二人はそう答えた。
「本当ですね?嘘は吐いてませんね?」
「ああ」
それを聞いた市長は一つため息を吐いて再び沈黙した。
再び訪れる静寂。市長は何か考え込んでいる。
「一つ、案はあります」
「本当か?」
聞いたのはイーレだった。
「ええ。ですが条件があります」
市長は二人を見据える。
「司法取引と行きましょう。意味は分かりますか?」
「ああ、何をすればいいんだ?」
兄の方がそう答える。弟の方は分からないようだが私もイーレも分からなかった。
「貴方達が盗賊として得た情報の全てを提供して下さい」
「そんな事でいいのか?」
「そんな事と言いますがこれで貴方達は盗賊には戻れなくなりますよ。少なくとも他の盗賊が黙っていないでしょう。つまり、そういう事です」
二人はお互いに顔を見合わせて黙った。今まで盗賊としてしか生きてこられなかったのだ。その生き方が出来なくなる。
「俺たちは、本当に、真っ当に生きていけるのか?」
兄の方が口を開く。
「それは貴方達しだいです」
再び顔を見合わせる二人。
「分かった、やる」
「兄ぃがそう言うなら、俺もやる」
市長は一度二人の目を見る。そしてため息を吐いて
「分かりました」
と短く言った。口元は僅かに笑っていた。
「もうすぐこの街の自警団の団長と街道警備隊の隊長が来ます。貴方達の処遇についてはその時に相談しましょう」
市長と団長と隊長は頻繁に会っている。街の治安については市長が最も神経を使っているところでそのための連携は欠かせないのだ。
「さて、皆さん。緊張もした事でしょう。一時間ほど休憩して来て下さい。イーレさん、ティレットさん、この二人の事は頼みましたよ。気が変わって街の人に危害を加えないように見張っていて下さい」
イーレと私は顔を見合わせる。
「これも、魔法使い隊としての任務です」
市長はそう言って笑った。
「本当に良かったのか」
私達はその一時間を街をぶらついて過ごした。
「何が?」
「仕事の事だ。なんで俺たちなんかに良くしてくれるんだ?」
兄の方が聞いてくる。
「別に。何となくよ」
特に考えがあってやったわけではなかった。幾度も脅してそれでなお盗賊を辞めない二人だ。また改めて痛めつけても同じ事を繰り返すだろう。それを止めるには殺すしかない。でも私はそんな事をしようとは思わなかった。
「他に何も思い付かなかったから」
水筒屋の前で水筒を四人分買ってイーレと二人に分ける。
「私はこれで良かったと思うぞ」
イーレはさっきから機嫌が良さそうだ。
「まだ分からないわよ。とんでもないことやらされるかも…」
「ちょっと、脅かさないでくれよ姐さん」
ふと、妙な事を言われた気がした。
「なに、姐さんはからかってるだけだって。ね、姐さん?」
「何その姐さんって」
「姐さんは俺らの恩人ですから」
「ええ、姐さんのおかげで真っ当に生きていける道筋が見えたんですから、姐さんって呼ばせて下せえ」
つい数時間ほど前に私に剣を向けてきたならず者とは思えない。にしても姐さんって…。少なくとも私の方が年下なのは違いない。
「良かったじゃないか。子分が出来て」
イーレは楽しそうに言う。
「にゃあ」
「お、ブチ。帰って来たか」
ブチはイーレの頭の上に乗って嬉しそうに鳴く。
「お、モスにゃんですかい?イーレさん」
「ああ、ブチと言うんだ」
「へぇ、よろしくな!ブチ!」
兄の方が言うとブチはにゃあと鳴いて答える。本当に人の言葉が分かるんじゃないだろうか。
「モスにゃんと言やぁ地下道の中で結構見かけましたぜ」
弟はブチを指で撫でながら言う。私とイーレは顔を見合わせる。
「やっぱりあの下水道に何かあるのか?」
「確か南の森に出口があるのよね?」
「なんだ、姐さんも知ってやしたか。私らもそこから入ったんですわ」
「壁にちょっとした隙間が空いてましてね。モスにゃんもそこから入ってるみたいです」
私はイーレとその頭の上のブチを見る。
「ブチは南の方に行く。南には森と下水道の出口。そこに入っていくモスにゃん、か」
ブチを見ると所々に汚れているのが分かる。
「まだあの下水道には何かあるかもね」
「ああ、調べて見る必要はありそうだな」
翌日、私達は再び下水道の調査に来た。
結局あの二人は私達魔法使い隊の准隊員という事になった。今日から色々と仕事を覚えるために団長さんと隊長さんの下で働いている。ある程度見込みが経ったら私達の部下として働くことになるらしい。今朝も仕事の前にご丁寧に挨拶に来た。その顔はとても晴れ晴れしていた。
そんな事を話しながら下水道を歩いていると、再びあの奇妙な音が聞こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます