第50話 迷宮綺譚 5
朝食を済ませた私達は食堂でのんびりとお茶を飲んでいる。エアリィとティレットと私、それから洋子さんにも仕事を中断して貰って一緒に居てもらっている。
そしてその時を待っていた。
ブチは毎日ふらりと出掛けていく。一日も欠かさず毎日だ。だが時間は決まっていない。朝食後だったり、昼食前だったり。ただ夕方という事はなくちゃんと夕方に戻ってこられる時間に出掛ける。モスにゃんの鳴き声からは何を言っているのかは分からないが彼らの知恵は私の知っている猫よりは遥かに高いに違いない。
「おおお、食べてる食べてる」
エアリィは大ガエルの肉を茹でた物をブチに食べさせている。モスにゃんの習性から考えれば餌はその辺の茂みで手に入れる事が出来る。だがその辺の茂みは人の排泄物で溢れている。その土を掘り返して虫を捕るなんて事は誰もしたくはない。だから人間用の食べ物の中で彼らが親しんでいるような物をと考え大ガエルや鳥の肉、それから果物を与えてみるとブチは喜んで食べた。ちなみに肉の類は本来捨てる部位を貰ってきて調達した。大ガエルの腹や背中の肉は食べ辛い上に大して肉が付いていないので売り物にならないし鳥も大きな物はともかく中途半端な物は出汁を取った後には捨てられる。これがブチの餌としては丁度良かったのである。
「にゃあ」
ブチはエアリィにまるで催促するかのように前足を振って鳴く。
「ああ、本当に可愛いなブチは~」
エアリィはブチにメロメロだ。
「私にもやらせてよ。ほらブチこっちにもあるよ」
ティレットもブチを可愛がってくれている。
「あ、ティレットずるい~」
「ずるいのはそっちでしょ。ブチを独占しないでよ」
などと言いながらも二人は仲良くブチに餌をやっている。
「にゃあ~」
その餌を食べてブチは腹がいっぱいになったのか一つ鳴いて私の頭の上に乗り毛繕いを始める。
「やっぱりそこが良いのね」
「だね。飼い主はイーレだもん」
二人は私の頭の上のブチを見ている。
「あ」
「来たみたいね」
エアリィとティレットは私の頭の上を見て言う。私にも異変が分かる。ブチが毛繕いを止めたのだ。
「さて、どこを見ているのかな」
ブチはじっとどこかを見ているようだった。エアリィはブチの視点の先を見る。私もそちらを向く。
「南、みたいね」
私達は顔を合わせ身構える。
「にゃあ」
するとブチは一つ鳴いて飛びたった。
「よし、行こー!」
こうして私達はブチの行き先を突き止めるべく追跡を開始した。
私達の住む家はビフィスの中心地から少し北西に行った所にある。だから南の森までは結構な距離があった。仮にブチが南の森に行っているのだとしたらその距離を飛んでいる事になる。そしてブチの飛ぶ速さは私達が思っていたよりもずっと速かった。走る程ではないがのんびり歩いていれば置いて行かれてしまう程だ。
「エアリィ大丈夫?」
「ちょ、ちょっと、待って…」
私もティレットも体力には自信がある。この程度の距離、この程度の速さでの移動はなんら問題なくこなせるものだ。だがエアリィには辛いようだった。
「エアリィ様、大丈夫ですか?」
下水道の調査で歩くようになってかなり慣れてきてはいたがそれでもダメらしい。
「二人は先に行って。私は後から行くから」
「でも、場所は分かるの?」
「きっと南の森でしょ?」
私達の中でブチが南の森に行っているらしいというのはほぼ確信を持っていた事だった。今はそれを確かめようとしているだけだ。
「ほら、行って行って!見失っちゃうよ」
言われてブチを見る。街中の雑踏を軽々と飛んで行くブチ。辛うじて見えてはいたがこのままでは見失ってしまうだろう。
「エアリィ様は私にお任せ下さい」
「うん、分かった。行こうイーレ」
ティレットに言われて私は気持ちを切り替える。とにかくブチを追いかけなくては。
雑踏の中を移動するのは大変だった。今日はそこまで混み合ってはいないがそれでもビフィスだ。人の多さならこの大陸でも上から数えた方が早い。
「イーレ、見えてる⁉」
「ああ、大丈夫だ!あ、次の路地を右に入っていったぞ!」
私は人混みをかき分けて急ぐ。路地に入るとブチはまた曲がる。まるで近道を知っているようだった。
「ブチは?」
「その角を曲がっていった。いたぞ」
曲がっていった角に走りブチを視界に収める。だがブチが飛んでいる下にはゴチャッと物が置かれていてとても歩いて通れそうにはなかった。そう、ブチは空が飛べるのだ。だから少々低い塀や物などお構いなしに飛んでいけるのだ。
「私なら屋根に上がれば追えるけどどうする?」
早く決めないとブチを見失ってしまう。
「ティレット、手を出せ」
私は怪訝そうに差し出されたその手を握り祈る。
「ちょっと!どうするのよ?」
「飛んだ方が早い」
口を開く前に私達の体は既に浮き上がっていた。
「大丈夫なの?こんな事して」
「大丈夫だ。練習はしている」
ティレットが剣の訓練をし始めたのを見て私も特訓を始めた。以前のようにではなくもっと小さく、弱く。こうして空を飛ぶ練習も何度もした。最初こそ巻き起こる風で辺りをぐしゃぐしゃにしたりもしたが今では空中に静かに留まっていられるようにもなった。結局精霊様にどう思いを伝えるか、という事だと気付くのには多少時間がかかったが。
「ブチに気付かれるとまずい。少し静かにしててくれ」
「全く…。しょうがないわね」
この浮遊感の持つ奇妙な感覚にはティレットも戸惑っていた。だがすぐに慣れたようで移動する時には壁を蹴ったり曲がる時に腕を振ったりして体勢を整えているのには流石ティレットだと感心した。
そうしてブチを追って飛ぶ。足下を過ぎる街並みはしだいに落ち着きを増していき遂には人が疎らな所まで来た。途中何人かが私達に気付いたようだったが私は気にせずに飛んだ。ブチの動きは全く検討が付かなくて一度でも見失えば追えなくなると思ったからだ。
「やっぱりあそこだったみたいね」
ビフィスの周囲には幾つか森がある。南の森は北にあるビフィドの森と比べれば狭い。だがあまり立ち寄る人は居ないらしくその中に入る頃には人の影一つ見えなかった。
「まだ南の方に飛んでいくな」
ブチは木の木の間を器用に飛ぶ。ここまで来ると二人が並んで飛べる程の隙間は少ない。ティレットは私の手を離してその身体能力を活かして木と木を跳んでブチを追いかける。私は私で枝と枝の間を縫うように飛ぶ。これは結構集中力のいる作業だった。
「イーレ、見て。あの辺りモスにゃんがたくさんいる」
ティレットに促されて見ると前方にモスにゃんが群れている場所があってブチもその一団に混ざって何かを始めた。
「あれは食べ物を採っているのか?」
あるモスにゃんは木から彼らの小さい前足でも持てる小さな果実をもぎ取っている。また別のモスにゃんは地面で何かを追いかけている。恐らくは蛙やトカゲなどの小動物だろう。そしてブチは草むらに入り虫を追いかけていた。
「ブチは毎日こんな事をしているのか」
毎日どこかへ出掛けるブチ、そして帰って来ると汚れている。それはここでこうしているからか。私達は木に隠れるようにして立ちそれを眺める。
「でも餌はあげてるのにね。モスにゃんはああ見えて結構食べるのかしら」
ビフィスの街を横断する程飛ぶのだから餌を大量に必要とするのは分かる。だがどのモスにゃんもそれらを食べている様子はなかった。前足で抱くように抱えたりその小さな口で咥えたりはしているが頬張るような仕草は見られなかった。
「良かった、間に合ったみたいだね」
声がして振り向くとエアリィと洋子さんがいた。
「速かったな」
ブチの飛ぶ速度はそこまで速くはなかった。
「どうやって来たの?」
だが追い付こうと思ったら手段は限られる。私達の様に飛んだりするのでなければ後は全力疾走する事くらいしかない。
「人力車」
「私がエアリィ様をお連れしました」
エアリィの隣にはまるで平静を保った洋子さんが立っている。
「ああ、あれね」
「静かに、ブチが飛んだぞ」
先程のモスにゃんの一団は何かを終えたらしくその一部が移動を始めた。その中にはブチも混ざっていたのだ。
「さて、どこに行くのかなっと」
私達は息を殺してその後を追った。
ブチとモスにゃん達は森を更に南へ進む。森は南へ傾斜していて進むにつれなだらかに低くなっていく。そして私達は煉瓦で出来た壁を見つけた。
「ああ、ここね。あの二人が言ってたのは」
ティレットの視線の先を見るとその壁の隅に人が通れるくらいの穴があるのが分かる。
「何とか入れそうだね。ほい、これ」
エアリィから精霊灯を渡される。これまでは二人分しか用意しなかったが今日は四人分ある。人力車を取りに帰った洋子さんが持って来たのだという。
ブチとモスにゃんはその穴に入って行く。
「それじゃあ、行くぞ」
穴に入ると一気に暗くなり何となく不安を覚える。何度も下水道に入っているのに今回はなぜか妙な不安感が拭えない。
下水道に入るとモスにゃん達の声が反響して少し賑やかな感じがした。
「あの音の正体はこの子達だったみたいね」
エアリィは小さな声で言う。その声に耳を澄ませているとモスにゃん達の鳴き声も耳に入る。長く入り組んだ下水道の通路はその音を反響させ奇妙な音となっていたのだった。
「ブチはどこに行くのかしら」
先行する私のすぐ後ろからティレットの声が聞こえる。私は再び耳を澄ませ鳴き声の大きな方向に進む。すでにブチは見失ったがその音の先にいるだろうと思いただ歩いた。
「モスにゃんがここに来る理由なんて何かあるのか?」
「洋子さんは何か知ってる?」
「いいえ、私はモスにゃんについては一般的な事しか知りません」
「暗がりとかを好む習性はある?」
「モスにゃんが夜行性というのは特に聞いたことはありません。そもそもモスにゃん自体そこまで研究されているという話も聞きませんね」
「んー、まぁ考えてみたら人間が昼行性ならモスにゃんは反対に夜行性という可能性もなくはないか」
モスにゃんはその辺の茂みを住処にしている。そこで活動しようと思ったら人のいない時間の方が都合はいい。
「でもブチはそんな事ないわよね。夜はどうしてるの?」
「夜は静かに寝てるぞ。どこかに行ったりもしないし。ただクソバーには…いや用を足しには行くから窓は少し開けておくけどな」
前にたまたま目が覚めてブチの寝ている籠を見ると居なかった事がある。しばらく見ていると窓からふらりと入ってきてそこに収まった。私に一つにゃあと鳴いて。
「夜行性かも昼行性かも分からない、か。なら益々ここに来る理由が分からないね」
鳴き声は段々と大きくなる。丁度十字路に差し掛かり足を止めてどちらから声がするのかを聞き取る。
「こっちだな。そう言えばこの辺りはまだ見てなかったな」
「うん、丁度残ってるね。って、ちょっと待って。この道地図にないよ」
エアリィの手にある地図を見る。下水道の出口は地図にも描いてあるがこの辺りの事は不明瞭だった。そしてこの先はエアリィの言う通り地図に描かれていなかった。
「見落としかな」
「これだけ広かったら不思議はないわね。出口に近付いて気が逸ったとかね」
「とにかく行ってみよう」
セイジはこの音に気付かなかったのだろうか。それともモスにゃんが集まるのは時間が決まっているのだろうか。考えながら進む。
すると目の前に突然壁が現れた。
「行き止まり?なんでこんな所に」
「これがあるから地図に描かなかったのかも知れないわね」
「この辺りはどの辺になるんだ?」
「この上は確か街の外壁がある辺りです」
「なるほどね。この先に続く意味はないわけだ」
作った人もそれに気付いたのだろう。今まで整然と積まれていた煉瓦は行き止まりの壁に向かうにつれ荒く積まれているように見える。
「待って、壁の端っこ、穴開いてない?」
「ホントだ。入れないこともなさそう」
「行ってみよう」
私は精霊灯をかざして進む。モスにゃんの鳴き声はその穴から聞こえていた。この先に空間があるのだ。そしてきっとモスにゃんがここにいる理由も。
そこにあったのは一人の人間の死体だった。
死んでからどれくらい経つのかは見ただけでは分からなかった。所々骨が見えている。肌は腐っているのではなく干からびている。エアリィはこの死体をミイラと呼んだ。ミイラは煉瓦で出来た床の上に横たわっていた。着衣はボロボロで触ったらすぐに崩れてしまった。この人がつい最近死んだのでない事は明らかだった。
モスにゃんはこの死体の側にいた。そして死体の側には何かが置いてあった。近付いて精霊灯で照らして見るとそれはたくさんの果物と幾つかの小動物と虫の死骸だった。それはミイラの顔の前に置かれていた。
「まるで、お供え物でもしてるみたい」
エアリィはそう呟いた。
「お供え物?」
「あー、仏壇とか神棚とかさ、ティレットは知らない?」
「つまりどういう事なの?」
「死んだ人に対して食べ物とかお花とかを捧げるというか…」
ティレットはそのような概念を知らないらしい。
「これは弔い、なのかも知れない」
だが、私にはエアリィの言う事がなんとなく分かった。そう思うとモスにゃん達がまるでこの死者に対して食べ物を供えているようにしか見えなくなった。
ふと一匹のモスにゃんが入ってくる。前足で小さな果実を抱えながら死者の口元に降り立つ。そこに果物を置くとその場にあった別の果物を持って飛んでいった。もう一度供えられた物をよく見るとそれらは全て新しかった。
「今のは取り替えてったの?」
私には目の前の光景が信じられなかった。それはエアリィも同じなようだ。モスにゃんのやっている事はまるで人間のそれだ。ブチを見て知性のような物を感じてはいたがまさか弔うという概念まであるとは思わなかった。
「にゃあ」
そんな中一匹のモスにゃんが私の前にやってくる。
「ブチか」
「にゃあ」
私の手の上に乗ったモスにゃんは確かにブチだった。体の殆どは白い体毛で覆われている。なのに顔にだけ黒く大きな斑点がある。
「お前はここで何をしていたんだ?」
「にゃあ?」
ブチはそう一つ鳴いただけだった。
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