第46話 迷宮綺譚 3
うんこ。
うんこ、うんこ。
うんこ、うんこ、うんこ。
うんこうんこうんこうんこうんこ……。
「ああああああああああああああああああああ!なんじゃこりゃあああああああああああ!お前はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトかあああ!」
「エアリィ様!お気を確かに!」
仕事に詰まる事あるよね。例えばどうしても分からない事とか、どの資料見てもわけが分からない時とか。
仕事は順調だった。引き受けた仕事はかつてこの世界に来た異世界人の魔法使いだった男が遺した日記だ。その日記はロシア語で書かれていて、まぁ、そこまでは良かった。
だが、一ページだけ、本当にその一ページだけが分からない。文字ではなくそのページに描かれた図が。
その図(絵?)は四角形の中に四角形が描かれその左隣には十字が描かれている。右隣には丸が4つ、そして十字とその丸の下に大きめの丸が一つずつ描かれている。
これが分からない。
何かヒントを得ようと日記を見返す。それは本当にただの日記だ、と思う。この魔法使いニコライ・トカチェンコは百年ほど前に三十半ばでこの世界に来て魔法使いになった人だ。魔法使いとしては伝説的な存在で彼の真似をしようとする研究者が何人もいる程である。だがそれらは今に至るまで成功してはいない。そんなわけで今回の私の仕事は結構重要だったりする。
その日記には妙な所がもう一つある。それがうんこだ。彼は何を思ったのか日々の排泄物について克明に記録しているのである。まぁトイレのない世界に来たのだから今まで通りに排泄が行えず自然と出す物に関心が向けられたという事なんだろう。にしたってページを捲る度にうんこについて記述が出てくるのである。どのページにもうんこ、うんこ、うんこ。今日のうんこは緩かった。今日のうんこは昨日よりも固めだった。今日のうんこはいっぱい出た…。知るかぁ!そんなの!
ちなみにこの日記は彼がこの世界に来て十年程経った後に書かれた物である。そう書いてある。結構、いや、偏執的なまでにマメな性格らしいのでどこかにこの男の日記が他にもまだあるに違いない。どこかで人目に触れず眠っている物もあるだろう。でもそれが仕事になったら次は絶対に断ろう。中年のおっさんのうんこ事情なんて知りたくないわ!
そんなわけで気分転換を兼ねて、というよりそのために下水道を歩く。私と洋子さんの二人でだ。
「ご気分が悪くなったら遠慮なく仰って下さいね」
「はいよ~。今のところは大丈夫だから」
精霊灯という物は不思議なものだ。どうやら魔法的な何かを応用した仕組みをしているのだそうだが手に持つだけで発光するのである。清治は元の世界に帰れるなら大葉ミントを持ち帰りたいと言っていたが私ならこれを持っていくだろう。科学の進歩した二十四世紀ですらこんな物は存在しないのだ。
「ここからは足元に気をつけて下さい。少し段差があるようです」
灯りを向けると洋子さんの言う通りレンガで出来た通路は途切れ一段下がっているのが分かる。
「おお。言われないと気付かなかったよ。さすが洋子さん。頼りになるぅ」
「お手をどうぞ」
言われるままその手を取る。洋子さんのサポートは相変わらず見事だ。
「洋子さんはあの絵、どう思う?」
「あの絵とは例の日記のですか?」
「そうそう」
気分転換に、と思ったが油断するとつい考えてしまう。アレが何なのか。実のところあの絵次第で私が今している仕事の意味が変わるのだ。あの日記を遺した人物は偉大な魔法使いだ。もしもアレが何の変哲もない(この際うんこの記述は置いておく)日記に見せかけた重要な書物なら魔法の研究者や軍人、さらには大陸全土を巻き込んだ大騒動に発展しかねない物なのである。以前の話ではないが私が暗殺される可能性だって出てくるのだ。気にしないでおこうと思う方が無理がある。
「私には何かの板のように見えますね」
「図形の方はどう?何か心当たりはない?」
「大きな四角と小さな十字と幾つかの丸でしたね。十字については紋章や旗印に用いられては居ますが他の図形と並べてというのは聞いたことがありません」
「だよなぁ~」
「お力になれず申し訳ございません」
「いや、謝って貰うようなことじゃないよ。ちょっと聞いてみただけだからさ」
「街の人にも聞いてみたら如何でしょう」
言われてふと考える。確かにこの世界の人々は異世界人の技術に触れている。そのために私のような人間がいるのだが、ひょっとしたら思い当たる人がいるかも知れない。そうでなくても見る人の視点が違えば新たな発見があるかも知れない。
「そうだね。色んな人に聞いてみるのも良いか。その前に探検を終わらせちゃおうか」
「はい。それにしてもエアリィ様、以前よりも歩けるようになりましたね」
丁度十二時の鐘が鳴る。家を出たのが十時半を過ぎた頃だったからいつの間にか一時間以上歩いていた事になる。どこかが疲れたという事はない。
「まだまだ行けるよ~。お腹さえ減らなきゃね」
私は精霊灯の灯りを頼りに前に進む。その灯りでも通路の先までは見通す事が出来なかった。まるでどこまででも続いているように見えた。
「分からないな」
いつも行く宿屋の一階にある酒場のおじさんに聞いてみる。この人は無愛想だが読書が好きだ。と言ってもその内容が好きなのではなくただ本を広げて眺めているのが趣味なんだそうな。今日も宿のカウンターの中で本を広げて寛いでいた。
「じゃあなんだと思います?」
「旗か?」
確かにそう見えなくもない。国旗をはじめ県や市などの自治体にだって旗はある。それ以外だと企業などの組織の旗とか学校とかにもある。人間というのは結構旗が好きなのである。
「何か似た旗ってあります?」
「四角と言えばビフィスの旗がそうだな。外壁を表す四角の中に色んな図形が描かれてる」
おじさんは物置から旗を持ってくる。宿や商店では基本的には常時街の旗を掲げてないとダメなのだそうだがいつでも掲げてたんじゃ早く痛むという事で何か祭り事のような時にしか出さないようになったらしい。
「ほれ。こんなんだ」
白地に街を俯瞰して見たような絵柄が描かれている。確かに四角形だった。
「なるほど」
「でも、その図のはまぁ違うだろうな。旗ってのはシンプルな図柄だし」
おじさんは旗をざっくり畳みながら言う。
「もっと別の何かだろうな」
「そう、ですねぇ。他には何か思いつきます?」
「いや、さっぱりだ」
その後酒場の女将さんにも見てもらったがやはり分からなかった。ちなみに旗は近々使うそうでこれから洗っておくのだという。思い出せて良かったと私が逆にお礼を言われてしまったのであった。
「う~ん、分からないなぁ」
役場にて。顔見知りの受付のお姉さんに聞いてみてもやはり絵を見て思い当たる事はないと言う。
「この人の事は何か知ってますか?」
「ええ、もちろん。有名な魔法使いだもの、ニコライ・トカチェンコは」
「そんなに?」
「魔法の革命家、偉大なるニコライ、清らかなりし大魔法使いなんて呼び名もあるわね」
「清らか?」
うんこの記述からは想像も出来ない。いや、むしろ皮肉ってそう呼ばれてるのか。
「なんでも生涯女性とは縁がなかったそうよ。女ならともかく、と思わないでもないけどね」
「なんでまた」
戦士だった御手洗氏はこの世界で大活躍し嫁も子供もいたのだから偉大なる魔法使いがモテないとは思えない。
「立派な魔法使いだし実は美青年だったという話もあるくらいでね、言い寄る女の人はたくさんいたらしいんだけど、どういうわけだか全部断ってたみたい」
「そうなんです?男だったら手を出さずにいられないんじゃ」
「そう。だからこそこれが謎なのよ。彼の魔法もそうだけど女性に対する興味のなさも研究されてるくらい」
「実は同性愛者だったとか?」
「それもないみたいね。男性であれ女性であれ恋愛事とは無縁だったのよ、ニコライは」
だから清らか、か。よく分からない話である。
絵の方もまるで手掛かりは得られなかった。
「よう!エアリィちゃん!」
声を掛けてきたのはプーさんだ。清治の仕事仲間であり酒場でよく一緒になるので私達とも面識がある。前回の大宴会では世話になった人だ。
「あ、どうも。この前はありがとうございました」
「いやいや、こっちこそ悪かったな。大事にしちまってよ」
「ったく、定職に就かないかと思えば遊ぶことばっかり」
「姉さんだって楽しんでたじゃない」
この受付のお姉さんはプーさんにとって年上の従姉妹だそうだ。ちなみにプーさんは三十歳を超えている。受付のお姉さんはそのプーさんより年上なので実はそういう年齢だ。二人の子持ちで既婚者である。その若々しい見た目からは想像が付かない。
「で、エアリィちゃんはこんなとこに何しに来たの?なんか依頼?俺で良ければ引き受けるよ?」
私は丁度良いと例の絵を見せてみる。
「そうだ。アンタの家なら手掛かりあるんじゃない?お祖父ちゃんの集めてた本とかあるでしょ?」
「って言ってもなぁ。なんかどっかで見たことあるような気はするんだけど」
「本当ですか?」
意外なところで手掛かりらしき物が見つかった。
プーさんの家に着くと私と洋子さんは離れに案内された。離れとは言っても物置を改造したような所だ。その中はどこを見ても無数の本が無造作に積まれていて何かの袋や棒などよく分からない物もちらほらと置いてあって、部屋中が埃まみれだったが妙にワクワクするような空間でもあった。
「いや、すまんね。汚い所で。祖父さんの持ち物だったんだけど誰も整理せずにそのままなんだ」
プーさんは何かを探しながら言う。
「いえ、お気になさらず」
私も言いながら部屋中を見渡す。手に取って見たいと思わずにいられない。
「それでもないし、これでもないし」
プーさんは本の山から目的の本を発掘しているらしかった。
「お、あったあった。確かこの本にあったような…ああ、これだこれ」
プーさんはその本を開いて見せてくれる。大きな四角と小さな十字と丸が描かれている。だが十字は二つあり丸の数も多い。ニコライの日記に描かれた丸は四つ、この図には六つある。他にも丸い棒の様な線が二つあった。
「似てるけど、違うみたいですね」
「…だな。違うかぁ」
プーさんはがっかりしているようだ。
「この図はなんですか?」
「さあ?」
プーさんのお祖父さんは異世界人に興味があって異世界人に纏わる物や書物を集めていたらしい。中にはこうしてよく意味の分からない物もある。それを探るような事もしていたようだがその殆どが手付かずな状態なのだという。そんなわけでニコライの絵に似たその図は未解明のままここに眠っていたのだった。
「こんなのがさ、この部屋いっぱいにあるわけよ」
「ふむ」
「なんかさ、ワクワクしない?」
プーさんはそう言って笑ったのだった。
「二人はこの絵みたいなの見覚えない?」
やはりあの絵が何なのか気になってイーレとティレットにも聞いてみる。
「これは、粘土板か?」
「粘土板?」
「何か重要な事を書き残すのに使う粘土で出来た板だ。例えば村長が代わってすぐの時に名前を書いたりとか家の名前を書いたりする。あとは無地の物に炭で連絡ごとを書いたりするんだが、こんな字は見たことがないな」
イーレは粘土板を知らないティレットにそう説明する。私だって知ってるわけではないがなんとなく想像は付く。
「ティレットは?」
「私も何かのパネルに見えるけど、この記号みたいなものには心当たりが無いわね」
やはりというか二人に聞いても手掛かりは得られなかった。一体この絵に描かれた物はなんなのか。疑問を抱えたまま私達は四人で下水道に入った。
「そう言えば四人でここに来るのは初めてだな」
「にゃあ」
「私もいるって言ってるんじゃない?」
「ああ、そうだな。すまん、ブチ」
「にゃあ!」
イーレとティレット、それにブチのやり取りを洋子さんと後ろから眺める。
「どうかされましたか?」
「いや、なんだか妙な事になってるなって」
ブチの存在は私達にとってすっかりアイドルのような物になっている。清治が旅に出てもう随分経ったが最初の頃こそ寂しくも感じたものの今はもう慣れてしまった。それはブチの存在に依るところも大きい。
「川谷清治君は今頃どうしているのやら」
私は肩を竦めて言う。
「下水道の調査もあとちょっとだな」
「ええ、あとはこっちとそっちの通路を見て回るだけね」
「地図自体は清治達が作ってくれてたからね。私らはただ見て回るだけで良いんだし、楽なもんよ」
精霊灯をかざすと二股に道が別れているのが分かる。一方は南側に下る通路、もう一方は東側に僅かに上がっているように見える。つまりあちこちから下水が南側に集まる構造をしているのである。構造としてはシンプルだが高さが三メートルはあるトンネルをビフィスの四方八方に張り巡らせる作業は容易に出来るものではない。まず穴を掘るだけでも相当な苦労をするだろうし壁や天井、床まで全てレンガを組んで作られているのだ。一体どれだけの年月を費やして作ったのか検討もつかない。まるで古代遺跡だ。清治はこれが異世界人の仕業だと言うがそれが本当だとしたらこの世界に来てこんな物を作ろうなどとなぜ思ったのだろう。そしてこれを作り上げる情熱は一体どこから来たのだろう。私にはちょっと想像出来なかった。
「ティレット、今何か言ったか?」
「私は何も言ってないわよ。イーレじゃないの?」
「私じゃないぞ。エアリィか?」
「ん?どうしたん?」
「いや、妙な声がしたと思ったんだが」
「洋子さん、気付いた?」
「ええ、何となくですが。お三方の声ではありませんし、私も何も喋ってません。その妙な声のような音はあちらの方からではないですか?」
洋子さんは私達の進行方向の反対側、つまり南側を指差した。
「何かいるの?」
ティレットは腰に備えていたフルーレを抜こうと手を掛ける。
「こう暗いと見えないな」
イーレと私とで精霊灯をかざすが通路の先には何も反射するものがなくただ闇が続いている。それでも目を凝らしてみる。
その時、視界を過ぎる何かが目に入る。
「にゃあ」
「あ、おい、ブチ!」
それはブチだった。ブチは何を思ったのか精霊灯で照らす闇の先に飛んで行った。
「…行っちゃった」
「追いかけなくていいの?」
「あ、ああ。ブチがふらりと居なくなるのはいつものことだしな。この先は、南だよな?」
通路はブチが飛んで行った先に下るように傾斜している。
「この先は確か南の森でしたね」
「あ、うん。確かそう。ここを出た先に何かあるのかな」
下水道の出口は川のような溝になっていてそのままビフィド川に流れるようになっている。今はここを流れる物はないのでそこは草が生い茂っているが確かに溝のようになっているのだという。そしてその周りには森がある。ティレット曰くそこはモスにゃんがよく現れる場所で、一日一回はふらりと居なくなるブチはそこに行ってるんじゃないかとイーレはそう考えている。だが人の殆ど寄り付かない所にモスにゃんが群れている理由はさっぱり分からない。モスにゃんの習性から言えばあり得ない事だった。
「あ、また聞こえたぞ」
「うん。微かに何か声のような音がするね」
今度は私にも聞こえた。なんとも言いようのない音。僅かだが人の声にも感じられた。
「行ってみる?」
三人に精霊灯を向けて聞いてみる。
「そうね。見に行ってみましょう」
ティレットが言うとイーレも洋子さんも頷いた。凄い魔法使い二人に異様な強さを持つ洋子さんがいるなら怖い物は無いだろう。
ふと気付く。今の瞬間あの絵の事を綺麗さっぱり気にしていなかった事を。
「さて、何が待っているのやら」
私は苦笑しつつ音の正体を求め歩き始めた。
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