第45話 受け継がれる思い 3
猫六さん(この辺りでは名前でなく屋号で呼び合う事が普通の事である。だから僕はこの老人の本名を知らず仕舞いだ)の印象はだいたい想像通りだった。頑固で無愛想で取っ付きにくい偏屈な職人、それが猫六さんだ。ただし話が通じないわけではなかった。
僕が茶碗を見せ作ってもらいたい物があると話すと
「信用できんな」
そう呟いてそっぽを向いて作陶に戻ってしまった。
「これを作ったあなたにしか作れない物なんです」
僕は諦めずにそう言うと猫六さんはこう言った。
「ならその器の用途を教えてくれ。お前さんが訪ねて来たのが、その時、だと言うのならそれの使い道が分かるはずだ」
猫六さんは僕の持つ器を指してそう言った。
「用途ですか?用途も何もこれはご飯茶碗でしょ?」
多少の違いはあるもののこれは明らかにご飯茶碗だ。
「ご飯?ご飯とはなんだ?」
言われて僕はこの茶碗を見つけた時、それを見て何を思ったのか思い出した。
「そうか。この世界に米ないですもんね」
「米?」
「やっぱり聞いたことないですか?麦みたいな奴です」
「それをどうするんだ?」
「水と一緒に加熱して炊くんです」
「それがご飯か。どんな物なんだ?」
「うーん…」
普段から当たり前にあって何気なく口にしている物を説明しろと言われると難しい。果たして正確に伝えられるものか。
「白くって、もちもちしてて、そんなに味があるわけではなくて、でもちゃんと噛むと少し甘みがあって」
「なんだそれは。さっぱり分からんぞ」
「…はあ」
「試しに作ってみてくれ」
「いや、米ないんですよね?」
「麦に似とるんだろ?同じ物でなくてもいい。そのご飯という物を作ってその器を使ってみせてくれ」
そんなわけで僕はご飯を作ることになった。
レンサは陶器の産地として栄える村だ。だからといって窯しかないわけではなく宿も店も酒場もある。当然この村の住人が生きていけるように服屋や薬屋、雑貨屋に食料品を扱う店もある。
猫六さんに会った翌日、食料品、特に乾物や野菜を扱っている店に入るとおばさんとは言い難い感じの女性が店番をしていた。この店は住人相手だけでなくここに来た商人なども相手にするので実に様々な食材が置いてあった。だが麦は見当たらない。
「粒のままの麦?粉じゃなくて?あるけど…そんなのどうするの?」
「炊くんです」
「炊く?挽くんじゃなくて?」
なぜ粉ではなく粒の物が置いてあるかというと自分で挽かないと気が済まない人が住人にいるらしい。種類にも拘りがあるらしく何種類かの麦を置いているのだという。
「あ、えーっと、麦をそのまま煮ようと思いまして」
「変わったことするのねぇ。ちょっと想像出来ないわ」
「普通、麦は何に使うんです?」
「何にってパンとか。あと粉にしたのを水と練って焼いたり茹でたり」
「うどん?」
「そうそう」
うどんはあるんだ…。
「ちょっと待っててね。そう売れるもんでもないから倉庫にあるのよ。取ってくるわ」
「はい。お願いします」
店番の女性が奥に入って行って僕は店内に一人取り残される。今は買い物客が誰もいない。それどころか商店が立ち並ぶ通りを歩く人は一人もいなかった。昼時が過ぎた飲食店街のようだ。
「これでいいかしら?」
ほどなくして店番の女性が小さな包みを手にして現れる。女性はその包みを開け小さな粒を出す。
「ええ。これなら良さそうです」
その麦は米に似ているように見える。いつも見ている米粒よりはいくらか大きいようだ。
「じゃあ、これ七百イェンね」
僕は代金を支払い麦を受け取る。包みの重さは二キロくらいか。
「あなた見ない顔だけど商人?」
「あ、いえ、違います。ちょっとこの村に用がありまして」
「ふーん。それどこで調理するの?」
言われてそこまで考えてなかった事に気付く。
「あ、そうだ…。どうしよう」
「うちの台所、使っていいよ」
「え?良いんですか?」
「良いよ。それどうするのか気になるし」
女性は目を輝かせて言った。
「ウチも昔は窯だったんだけどねぇ」
僕はその女性と話しながら台所で麦を炊く準備をしていた。
「私の祖父さんの頃に潰れちゃってね。それでこの店を始めたの」
窯が潰れて転業したが屋号はそのまま使っているそうで、だからこの店の名前は亀九なのだという。
「私としては窯よりもこっちの方が性に合ってるから助かるわ」
この女性はほぼ一人でこの店を切り盛りしていて九ちゃんと呼ばれて親しまれているらしい。
「ほい。竈の準備は出来たよ。そっちは?」
「こっちも完了です」
と言っても麦を炊くなんて初めての事だったので米を炊くようにして麦を洗い鉄鍋に入れ気持ち多めに水を張った。これで上手く行くかは分からない。
「これを火に掛けて暫く待てば良いはずです」
時折火が吹き上がる竈の上に麦と水の入った鍋を乗せる。少し経って鍋の中で水が激しく沸騰する音が聞こえてくる。そのまましばらく待つ。
「もう良いんじゃない?」
「まだダメです。はじめチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋取るな、ってね」
「なにそれ?」
「ご飯を炊く時の歌だそうで」
「ご飯?」
やはり九ちゃんさんもご飯を知らない。米がないから当たり前ではある。
「ね、もう良いんじゃない?」
二人で鍋を見ること小一時間。鍋は沸々と言わなくなっていた。
「ええ。見てみましょうか」
鍋つかみを装備して鍋を火から外して蓋を取る。
「…うわ。これを作りたかったの?」
「いえ、違います…」
鍋の中で麦はしっかり焦げていた。それでも上の方は何となく煮えてるような感じがあって試しに一粒食べてみる。
「硬い。硬い…不味い…」
一回目は見事に失敗した。火加減が悪かったのか、水加減が悪かったのか、米ですら炊飯器に任せきりだった事が悔やまれる。直火での炊飯なんて小学校の頃の林間学校で人がやるのを見ていただけだ。米と飯盒を渡されて炊けと言われても多分失敗するに違いない。そしてそれ米じゃなくて麦でやろうと言うのだ。失敗しない方がおかしい。
「もう一回やる?」
「もちろん」
それから九ちゃんさんと二人で日が暮れるまで麦を炊いた。だが思い描いたような物は出来なかった。
その翌日も九ちゃんさんの厚意に甘え実験をする。どうやら米を炊くよりも水を多めにしなければならないようで、かと言って入れすぎるとスープの様になってしまう。加熱を止めるタイミングも難しい。早くては生煮えだし遅いと焦げてしまう。それでもなんとか火加減水加減ともに丁度良い加減を見つける事は出来た。だがそれはご飯とはまるで別物だった。粘り気はなくパラパラしていた。ご飯特有の臭いもない。何より味が違う。
「うん、食べれなくは無いかな」
「でも不味いです…」
麦を炊いてみた所で米より美味しいはずがない。米に麦を混ぜて炊いた麦飯ですら抵抗がある人は多い。臭い飯などと言われる事もある。それを麦百パーセントで炊くのだから当然の結果だった。
「他の麦も試してみる?」
「う~ん、ちょっと考えさせて下さい」
恐らくダメだろう。自分の元いた世界の事を思い出してみる。麦だけを炊いたご飯なんてあったか?粥ならオートミールもあるし麦を主食とする地域ならそのまま使う所もあるだろう。だが米のように炊いて食べるなんて話は聞いたことがない。粉にして加工して焼くなんて手間をかける必要がないのにも関わらずだ。ないのはそう食べたって美味しくないからだ。それが分かっているからやらないのだ。
「さてと、そろそろ昼飯でも作りますかね」
「え?もうそんな時間ですか?すみません」
実験に夢中で気が付かなかった。
「気にしないでいいよ。私も楽しんでるしね。この村はいいトコだけど何せ面白みがなくていけねえ」
九ちゃんさんは笑いながら言う。
「あんたも食べて行きなよ。って腹は減ってないか」
「いや、麦ばっかりで食べた気がしませんよ。それで何を作るんですか?」
「うどん」
また麦か…、と思いかけたところでふと疑問が浮かぶ。麦を炊いたって美味しくないのは分かったがうどんを食べて美味しくないとは感じた事はない。むしろ美味しい。この差は何なのだろう。
「粉を捏ねて作るんです?」
「そうよ。私はそれ以外の作り方は知らないわ」
「手伝っても良いですか?」
「良いよ~。二人でやった方が楽しいしね」
彼女は倉庫から麦を粉末にした物を持ってくる。小麦とはまた別なんだそうだ。
「まず塩水を作ります。んでこの塩水を粉に掛けて混ぜます」
大きな鉢の中で粉と塩水を混ぜる九ちゃんさん。麦の粉は水を含んだ所から小さな塊になっていく。
「って後は説明する事なんてないんだけどね。これを大きな塊にして伸ばして切って茹でる。そんだけ」
彼女は両手を粉の中でワシャワシャとしながら言う。まるで遊んでいるようにさえ見える。粉はだんだんと粉っぽさを失い小さなつぶつぶになっていく。
「ちょっと待って下さい!」
「え?何?」
僕は鉢の中の粒を一つ摘む。それはまるで米を連想させる大きさだった。
「これってこのまま茹でたらいけませんか?」
「いや、このままだと溶けちゃうんじゃないかな。練らないとあのコシは出ないよ~」
「コシか…。すみません、ちょっとやらせて貰って良いですか?」
「良いよ~。捏ねるのは結構しんどいしね」
彼女の指示のもと粉を練っていく。バラバラだったつぶつぶは次第に減っていき最後には一つの塊になる。
「後は体重を乗せて何度も捏ねる。頑張れ青年!」
言われた通りその塊を潰し畳んでは潰しと捏ねていく。捏ねながら一つの閃きが形になる。この後は平たく伸ばして紐状に切っていけばうどんの完成だ。だがそれをさらに細かく切ったら?それを茹でたら?そうすればご飯みたいになるんじゃないか?
「良いねぇ。美味しいうどんが出来そうだ」
「これで何人前くらいですか?」
「そうだなぁ。あ、これだと四人前くらいになっちゃうか。余るなぁ。君は大食いだったりしない?」
「別に大食いという事はないですが。なら少し分けてもらえませんか?ちょっと試して見たい事があるんです」
「ん?いいけど、どうするの?」
「これでご飯っぽいのが出来るかも知れません」
九ちゃんさんの作ったうどんは美味しかった。この世界には醤油がないのだがそれでもいつも食べてたうどんと同じくらい美味しい。一体何をどうやってあの味を出したのか。彼女は肝心なところは教えてくれなかった。イーレがいたら喜んでそのレシピを聞き出しただろう。
そして食後に再び実験をして、あれこれと工夫して、遂にご飯っぽい物が出来た。もちろん味はうどんなのだがそれでも茶碗に盛り付けてみたらご飯らしくなった。味は細切れのうどんだが。
気付けば夕方だった。当然九ちゃんさんにも仕事はある。これだけ協力してもらったので店の手伝いをして恩返しをした。
「それでなんでこんなの作ってるわけ?」
「ええ、実は猫六さんに聞かれたんですよ。この茶碗の用途を」
「猫六?なんでまた」
「猫六さんに作ってもらいたい物があるんですよ。これは、まぁ、その試験みたいなもんです」
ふ~ん、と彼女はご飯もどきを装ったご飯茶碗を眺めている。
「で、あの偏屈に何を作ってもらう気なの?」
「便器です」
当然便器なんて言っても九ちゃんさんに分かるわけもなくトイレについて一から説明することになった。途中場所を飲み屋に移して飲みながら話をしてたら時刻は十時を過ぎていた。九ちゃんさんは僕の話を面白がって聞いていた。そして最後に出来た便器を見せることを約束してその日は解散した。
翌朝、僕は早速猫六さんの窯に行った。後は茹でるだけにしたご飯もどきを持って。
「なるほど。これが、ご飯、か?」
猫六さんの所で茹でて盛り付けて食べてもらうとなんとも微妙な顔をしながら猫六さんは呟いた。
「ホントはもっと美味しいんですけどね」
「分かった。儂も覚悟を決めよう。今が、その時、だ」
猫六さんは静かにそう言った。だが僕を見据えたその目は何やらギラついているように見えた。口端も僅かに上がっている。
「話を聞こう。儂は何を作ればいい?」
そして僕はやっと本題に入れたのだった。
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