第42話 迷宮綺譚 1
「こっちは特に何もなさそうね」
「ああ、そうだな」
ビフィス魔法使い隊の隊員である私達の仕事は思った以上に暇だった。だからこうしてティレットと二人でセイジから頼まれた下水道という物の調査をするには丁度良かった。
「壁も壊れている所はなかったしこの通路は問題ないみたいね」
「ああ、そうだな」
精霊灯の光は確かだったがこのどこまで続いているか分からない程の地下通路を照らし切るには心もとなかった。
「今日はこの辺りで切り上げましょ。もう三時間くらい歩いてるんじゃない?」
「ああ。そうだな」
午前中は自警団の詰所で色々と打ち合わせをして昼食をとり今に至る。腕時計という物があるらしいが私達はそんな便利なものを持ってはいなかった。微かに聞こえる時計塔の鐘が頼りである。三時を報せる音が聞こえてから随分経っているように思う。
「さっきからどうしたのよ」
「何がだ?」
「なんか辛気臭いわね」
「昨日はちゃんと風呂に入ったぞ」
街道警備隊の仕事は街を離れる事が多く風呂に入れない事は当たり前だった。水浴びこそするものの当然臭くはなる。ラベールと桂花と三人して自分達の臭さを笑っていたものだ。
「そういう意味じゃないわよ。元気がないって言ってるの」
「そう見えるか?」
「ええ。まるで世界の終わりでも見たみたい」
「そうか」
「ちょっと、今の冗談だったんだけど」
「そうなのか?すまん」
私の様子を見てティレットはため息を吐く。
「何があったのよ」
「そうだな」
原因ははっきりしている。ラベールと桂花が転属になりこの街を旅立った事だ。街道警備隊の組織改編によってその指揮は王都の直轄となった。それにより新たに本職の軍人による部隊が派遣されそこに従来の半分の隊員が加わった。残る半分の隊員は一部は辞めたり自警団に入ったり、他所の街に配属される人もいた。そんな中ラベールと桂花は王都へと招かれた。そこで要人の旅に同行する事になったのだそうだ。
それにセイジも旅に出た。新しいクソバーを作るために必要な物を手に入れるためだという。結局作ったクソバーは今は使えなくなってしまっている。
「まぁ良いわ。取り敢えず今日は引き上げましょう」
「ああ、そうだな」
私達は入ってきた縦穴へと足を向けた。
「一体どうしちゃったわけ?」
夕食時、セイジはいないので私とエアリィとティレットと洋子さんの四人で食卓を囲んでいる。今日のメニューはカバシシの細切れを焼いた物と野菜を煮込んだ物に水山羊の乳を加え煮込んだスープだ。
「何がだ?」
「いや、後ろのそれ」
エアリィは私の背後を指差す。そこには酔ったティレットがいて私を抱き竦めている。
「いつもなら抱きつくなーとか騒ぐのに」
「ああ、そうだな」
「イーレたんは元気がないの。だから私がこうするの」
「元気があろうとなかろうといつもしてんじゃん」
「いーの」
確かにいつもならこんな事されて気分が良いわけではないが今日はなんだか抵抗する気が起きない。
「まぁ当人が良いなら良いか」
エアリィはそう言ってスープを口にする。
「で、調査の方はどう?」
「ああ、順調だ。西の方はあらかた見てきたぞ。どこも壊れたりはしてなかった」
「そう。悪いね、任せちゃって」
「どうせ暇だから構わないぞ。エアリィの方はどうだ?新しい仕事は」
「順調よ。こっちもだいたい終わってる」
数日前に来た仕事は日記の解読だった。セイジが見ても読めない文字で書かれていた。当然私もティレットにも読めない。それを読み解けるのだからやはりエアリィは凄い。
「終わらせたら私達も手伝うからね。良いでしょ?洋子さん」
「はい。構いません。適度な運動は体のために良いですし」
洋子さんは常日頃からエアリィに運動をするように促している。エアリィの仕事は体を動かすことが無いので当然である。
「それで、なんで元気ないの?」
「そんなに心配されるほどか?」
「うん。それはもう」
「そうか」
「やっぱりラベールさんと桂花さん?」
「ああ。そうだな」
ラベールと桂花が転属すると聞いた時には特に何も感じなかった。死ぬわけではない、また会えると。だがいざ去ってしまってからどうしようもない空虚感に襲われた。あの二人の存在は自分でも思った以上に大きかったらしい。
「仲良かったもんね」
「ああ」
「まぁ、慣れるしかないよね。生きてるんだからいつかは会えるんだし」
「そうだな」
「イーレたん!あーん!」
ティレットはスープを匙に掬い私に食べさせようとする。私は大人しくそれを口にする。
「やっぱり変よ」
「そうか?」
「もう一口!」
再びスープを掬うティレット、それを口にする私。
「どーも、調子が狂うね」
テーブルには私達四人だけ。席はあと一つ空いている。
「清治もいないしなぁ」
エアリィもなんとなく物足りなさそうにしている。ここに足りないのが清治であるのは間違いなかった。
「よし。私もイーレに抱きつこう」
「ああ、別に構わないぞ」
「やっぱり変よ」
「ああ、そうかも知れないな」
そうして、夕食は静かに終わった。
翌朝、クソバーが使えなくなったので私は茂みで用を足す。エアリィは困っていたが私にとっては慣れた行為だ。
用を足し終えて身だしなみを整え手を洗っているとそばにある木の枝に止まっている物に気付いた。白い体毛と白い羽。顔には奇妙な形の黒斑がある。それはモスにゃんだった。正式な名称はモスニャン・スケティラス・ティレオニタ・スリスリィスタス・ボッテン・キャタラティスと言う長ったらしい物らしい。神に愛された羽の生えた可愛らしい猫という意味なのだと言う。モスにゃんは枝から飛んで私の肩に乗りその小さな頭を私の首に擦り付け始める。
「ちょ、やめろ!くすぐったい!」
私はモスにゃんを優しく掴んで顔の前に持ってきて見る。その黒斑ある顔はあどけなく見える。そして小さな声でにゃあと鳴く。
「なんだ、お前は?」
私が声をかけるとモスにゃんはにゃあと答える。
「お前も一人なのか?」
再びにゃあと答えるモスにゃん。その腹を指先で擦ってやるとにゃあと嬉しそうに鳴く。
「可愛いな。お前は」
手を離してやると飛び上がって私の頭の上に乗る。
「私の事が気に入ったのか?」
頭の上でにゃあと声がする。何を言っているのかは分からないがまるで私の問いかけに答えてくれているようだった。
それからその黒斑のある白いモスにゃんは私の側から離れないようになってしまった。
まず湯を沸かした。私は料理が好きだ。そしてこの家で日々の食事を作るという役目を担っている。なので当然衛生面には気を使う。味はともかく食事をして腹を壊しては元も子もない。さて、このモスにゃんという生き物はその辺の茂みを住処としている。人間の排泄物の臭いは彼らの好物だ。その近くに寄っていく習性があるので当然清潔であるとは言い難い。だから私はこの子を洗う事にしたのである。
「にゃぁ~ん」
桶に注いだ湯をだいたい風呂の湯と同じくらいの温度にしてモスにゃんを入れてやるとモスにゃんは気持ちよさそうに鳴き声を上げた。猫という生き物はこういう事を嫌うと思っていたので大人しく入るのは意外だった。以前いた世界で拾い猫を洗おうとして大騒ぎになったのを見た事がある。
「気持ちいいか?」
「にゃ~あ」
私が風呂で使っている物と同じ石鹸を付けて揉んでやると本当に気持ちよさそうな声を上げるモスにゃん。湯を張った桶は三つ。石鹸を付けて洗う用と濯ぎ用と浸かり用の三つ。モスにゃん自体手のひらに乗る程度の大きさしか無いのでそう沢山の湯を沸かす必要はなかった。
「ほら、綺麗にしような」
首から下、前足、後ろ足、背中、羽、尻尾と丁寧に泡を付けて揉み洗いする。一切抵抗しないどころかされるがままに任せ気持ちよさそうにするモスにゃんを見ているとなんだか嬉しくなる。頭と顔を洗っても全く嫌がらない。
「よし、石鹸を流すぞ」
桶からモスにゃんを出しコップを使って湯を掛けてやる。それも気持ちいのかまた声を出すモスにゃん。
「ほら、終わったぞ。あとは気が済むまで浸かるといい」
浸かる用の桶の湯温は少し熱めにしておいたがそれも丁度良かったらしく
「にゃぁぁ~ん」
なんて目を細めて気持ちよさそうに鳴く。
「お前はどこから来たんだ?」
桶の中で湯を掬って掛けてやりながら聞く。当たり前だが猫に話しかけたところで返答が帰ってくるわけではない。
「にゃぁぁん」
「気持ちいいか?」
「にゃぁん」
モスにゃんはうっとりとした顔をしている。本当に可愛い生き物だ。
「おはよう!イーレ!」
手洗い場でモスにゃんを洗っていた私は起きてきたエアリィに声を掛けられる。
「ああ、おはよう。エアリィ」
「何してるん?」
「モスにゃんだ」
私は桶からモスにゃんを持ち上げてエアリィに見せる。
「おお!」
エアリィは目を丸くしてモスにゃんを見ている。
「さっき見つけてな。洗ってた」
「何この可愛い生き物!」
「な。本当に可愛いよな。モスにゃんは」
私はエアリィの手にモスにゃんを乗せる。モスにゃんはエアリィの手の上に行儀よく座り「にゃあ」と一つ鳴く。
「おおおお!」
「エアリィは猫嫌いか?」
「いや、嫌いとかじゃないけど触るのは初めて」
「にゃあぁ」
私はそのままモスにゃんにタオルを被せてわしわしと拭いてやる。濡れたままでは体が冷えてしまう。それにしてもこのタオルという物は便利な物である。
「エアリィも撫でて見るといい。この子は大人しいから。まだ濡れてるけどな」
拭いても完全に乾くわけではない。ある程度拭いたら自然と乾くだろう。
「おお!なんかゴロゴロ言ってるよ!」
「ああ、きっと気持ちいいんだろう」
モスにゃんはエアリィに喉元をくすぐられ気持ちよさそうにしている。
「さて、この子も綺麗になったし朝飯の用意をしないとな。エアリィ、この子を預かっててくれ」
私は桶を片付けて調理場へ向かおうとする。
「分かったよ。って、あ」
だがモスにゃんはエアリィの手を離れまた私の頭の上に乗る。
「あらら。その子はイーレの事がよっぽど気に入ってるのね」
私が上を見上げるとモスにゃんも顔を出して私の顔を見る。
「そうなのか?」
私がそう言うとモスにゃんは
「にゃあ」
と短く鳴いて答えた。
それからモスにゃんは私の頭の上が余程気に入ったのか、朝食を作っている時もそれを食べている時も食器を片付けている時も、ずっと頭の上に乗っていた。
「そんなに居心地が良いのか?私の頭は」
上を向いて言うとモスにゃんは顔を出してにゃあと鳴く。片付けを終えて、私は食堂の外にある椅子に腰掛けた。ここからは庭が一望出来て今は使用禁止となったクソバーが見える。
「なんか妙な事になってるわね」
ティレットも私の隣の椅子に腰掛ける。ここではティレットがよく酒を飲んで呆けている。
「妙とはなんだ。可愛いだろう」
「確かに可愛いわね」
ティレットは私の頭の上のモスにゃんを触ろうと手を出す。モスにゃんは抵抗することなくティレットの愛撫を受け入れにゃあと鳴き声を上げる。
「いるとは聞いていたけどこんな生き物もいるのね」
「そうか、ティレットは部屋で用を足せるから見たことはないのか」
排泄物をアウメに変えられるのはある意味便利には違いない。クソバーが使えなくなった今、再びアウメは毎日生産されている。たぶん。
「少しは元気出た?」
気付くとモスにゃんは私の頭からティレットの手の上に移動していてティレットはモスにゃんを指先で擽っている。
「そう、だな。この子のおかげでだいぶ気を紛らわせているかも知れない」
「この子はこれから飼うんでしょ?」
「飼う?」
「違うの?てっきり飼い始めたんじゃないかと思ったんだけど」
「そこまで考えてなかった。この子が付き纏って離れないから洗ってやったりはしたが」
飼うとなるとどんな物を食べさせたら良いんだろう。やはり虫とか小動物を捕まえて来なければならないか。
「飼うなら名前を付けないとね」
「名前か。お前はどんな名前が良いんだ?」
私はティレットの手の上にいるモスにゃんに聞く。
「にゃあ」
モスにゃんは私に返事をするように鳴く。
「なんだか会話してるみたいね。イーレにはこの子がなんて言ったか分かるの?」
「分かるわけないだろう。でもこの子には私達の言う事が分かるのかも知れないな」
「にゃあ」
語りかけると再び返事をしてくれるモスにゃん。
「ホントに可愛いわね」
「ああ」
私はモスにゃんを見つめる。その理由が分からないのかモスにゃんは首を傾げている。
「イーレの世界にも猫はいたの?」
「ああ。もっと大きかったし羽も生えてなかったけどな」
「やっぱりこんなに可愛かった?」
「うん。可愛かった」
「良い世界ね」
ティレットはモスにゃんの頭を撫でながら言う。モスにゃんはその指にじゃれ付き始める。
「猫にはどんな名前を付けるものなの?」
「さあ。特にどんなって名前はないだろうけど」
改めてモスにゃんを見る。白い体毛に白い羽が特徴的だ。私のいた世界ではこういう動物には身体的な特徴から連想した名前を付ける事が多かった。毛の色とか模様とか。だからこの子の場合は白か。でもそれよりも目についている物がある。
「ブチ」
「え?なに?」
「この子の名前だ。顔に大きな黒い斑点があるだろう?だからブチ」
「あんまり可愛くない名前ね」
「いいじゃないか。私は可愛いと思うぞ、ブチ」
「シロとかじゃダメなの?この子白いじゃない」
「それだと黒い斑点があるのに変じゃないか」
「そう?体の殆どが白いんだから良いじゃない」
「いや、決めた。この子はブチだ。お前もそれでいいだろう、ブチ」
私がブチの目を見て言うと嬉しそうににゃあとないて再び私の頭の上に乗った。
「ほら、ブチも喜んでいるぞ」
「まぁイーレとその子がそれでいいなら良いけどね」
ティレットは椅子から立ち上がって背伸びをする。
「今日はまた下水道に行くの?」
「ああ。ティレットは何か用事あるか?」
「お酒を貰いに行くだけね。まだあるし別に今日じゃなくても良いんだけど」
「そうか。なら昨日みたいに昼から行こうか」
「そうね。そうしましょう」
ティレットはそう言って家の中に入っていく。
「どこ行くんだ?」
「酒瓶。午前中に酒を貰いに行くついでに瓶も引き取って貰わないとね」
「飲まなきゃそんな苦労しなくても良いのに物好きなやつだな」
「放っといて頂戴。それじゃ後でね」
「ああ」
再び一人になる私。庭に目をやると頭の上から声がする。
「にゃあ?」
見上げるとブチが首を傾げていた。
「そうか。ブチがいるもんな」
そう言うとブチはまたにゃあと鳴いた。
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