第41話 受け継がれる思い 1


「いやあ、とんでもない物を作ったねぇ。ビフィスもさらに人が増えて、おかげでこっちも儲かって有り難いよ」

 ビフィスからビフィド山の遙か北にあるレンサへ向かう道中、僕は僕がアウメを売っていた商人とばったり出くわし丁度同じ方向に向かうと言う事で色々と話をしながら歩くことになった。

「そう言って貰えると嬉しいです、と言いたいところですけどちょっと問題がありましてね」

「何かまずいのかい?」

「ええ、今のままだと穴がすぐにいっぱいになってしまうんです」

「それは仕方ないな。何しろ物珍しいからってはるばる王都から来た人もいるってんだから」

 僕の作ったトイレは非常に好評だった。何しろここはトイレのない世界なのだ。そこにトイレが出来たのだから人の興味を引いてもおかしくはない。

「王都ってかなり遠くにあるんでしょう?」

「ああ、ビフィスから歩いて二十日以上はかかる。足の速い牛馬に乗れば別だがね」

 僕も商人も目的地まで徒歩で向かっている。もちろん牛馬などの移動手段があるが世話が大変なのと乗る技術がないのとそして何より高額なので手が出ないのである。自家用の牛馬を持っているのは農民と運送屋と大金持ちくらいだ。

「そんな所からも来てくれてるんですね。ならあの溜まり様も納得です」

 作ったトイレ、いやクソバーは四つ、そのどれも穴がいっぱいになってしまって今は使用禁止にしておいた。

「穴がいっぱいになったらまた掘るんだろう?」

「ホントはそうなんですけどね。実は今考えてる事がありまして」

「ほう」

「今度は水洗トイレを作ろうと思っているんです」

 今僕がこうして歩いているのはその目的のためである。

「水洗?水なら今までも使ってたじゃないか」

「ええ。でも今度は水で、その、出た物を川に流してしまおうと思うんです」

 僕がそう思えたのはビフィド山から流れる水の綺麗さと豊富さにある。まずビフィスにも下水はある。と言っても街にある側溝を流れていく程度の物である。この側溝には排泄物以外の生活排水が流れていく。例えば服を洗ったり野菜を洗ったり時にはカバシシを解体した時に出る血や大ガエルの酷いヌメリを洗い流した水も流れていく。そしてそうした生活排水はビフィド川へと流れさらにビフィスから南にあるランス湖に至る。このランス湖は非常に透明度の高い美しい湖だ。生活排水が流れ込んでいるのにだ。これはビフィド川を流れる水が綺麗でその水量が豊富なためである。非常に自浄作用の高い湖なのである。だからそこに排泄物が流れ込んだとしても問題は起こらないと考えているのである。

「なるほどなぁ。それなら穴を掘ったりしなくて良いわけだ」

「ええ。でも別の物が必要になりますけどね」

「別の物?」

「はい。川に流れていく水路です。街の側溝に汚物が流れてたら嫌でしょう?」

「そりゃそうだ」

 商人は笑い出す。

「だから見えない所、例えば地面の中を流れるような水路がいるんです。下水道って言うんですけどね」

「じゃあソイツをこれから掘らなきゃならんのか。穴を掘るより手間だろう」

「いえ、実はそれがあったんです」

 一ヶ月ほど前、僕は奇妙な依頼を引き受けた。地面の下に何かある、奇妙な穴がある、それを調べて欲しいという物だ。その依頼に興味を持った仕事仲間のプーさんに強引に連れて行かれる形でその依頼を受けたのだが、実際に中に入ってみて僕はそれが下水道だと気付いた。よく映画やゲームで出てくるトンネル状の地下通路だ。通路の中央には水路もあった。それは街の縦横に張り巡らされていてどうやら下水道として作られているらしい事が分かった。

「あの街の地下にそんな物があったんだなぁ。やっぱり異世界人の仕業かい?」

「ええ、恐らくは」

 この世界には多くの異世界人が訪れている。いや僕のように気付いたらここにいたという事なのだろうけど。そしてこの世界に来た異世界人はその知識や技術で何かを作り残す事がある。例えば時計である。これは何を動力として動いているのか分からない。僕の住んでいた時代から三百年後の東京から来たというエアリィにも分からない。下水道もそうしてかつて来た異世界人が作りそして忘れられていたのだろうと考えられる。

「なら新しいトイレもすぐ作れるな」

「そうもいかないんですよ。下水道だってちゃんと使えるか分かりませんし」

 その調査をイーレ、ティレット、エアリィ、そして洋子さんの四人に頼んである。もっとも仕事の合間を縫ってとの事だったので時間はかかるだろう。

「中々難しいもんだな。で、あんたはなんでここにいるんだ?」

「まだ必要なものがあるんです」

「そいつはなんだい?」

「便器です」



 歩き始めてから四日経った。目的地であるレンサまではあと三日はかかる。まだ半分かと思うとうんざりする。

「トイレって一体何だい?」

 そんな旅路でも誰か話し相手がいると気が紛れて助かる。ある村で出会った老婆が僕と同じ方面に向かうという事で商人としたように話しながら歩くことになった。商人とは目的地が違うので二日目で別れた。

「トイレってのはうんこする場所です」

「その辺の茂みじゃダメなのかい?」

 単に物を出すだけならそれでも良いだろう。

「僕ら異世界人にとってはやっぱりあった方が良いですね」

 そう、トイレのある世界から来た人間にとってトイレがないと言うのは耐え難い苦痛なのである。まぁ僕は適応してしまっていたのだが、それでもあった方が良いし何よりないと困る人間だっているのである。

「そんなに良いものかねぇ」

「人によっては無いと困ったりします」

 イーレもティレットもエアリィも理由こそ違えど困っていた。だから僕はトイレを作る事にしたのである。

「異世界人さんも大変だねぇ」

「ええ。全く」

 だいたいなんでここにいるのか分からない。誰かが僕らをこの世界に連れてきたのだろうか。少なくともトラックに轢かれた覚えはない。

「異世界人って事はお前さん戦士かい?」

「違います」

「じゃあ魔法使いかい?」

「いいえ」

「なら賢者?」

「…いいえ」

「ってことは勇者かい?」

 この世界において勇者の待遇は酷く劣悪だ。戦士には肉を与えよ、魔法使いには酒を与えよ、賢者には総てを与えよ。そして勇者には賛辞を与えよ、なんて格言があってこの世界の人々はそれをきっちり守っているのである。まさに大惨事だ。

「そういう事みたいですね。何なんでしょうね、勇者って」

「私には分からないねぇ。長いこと生きてきたけど出会ったことはないし」

「そうですか」

 勇者と言うのは割とレアな存在なのだろうか。レアな分もうちょっと厚遇してくれても良さそうなものである。

「おっと」

 突然、老婆が石につまずいて転ぶ。

「大丈夫ですか?」

「イタタ。ああ大丈夫だよ。ちょっと膝を打っただけさね」

 老婆は言うよりは痛そうにしている。背中には大きなリュックのような荷物を背負っている。

「よかったらその荷物持ちましょうか?」

「良いのかい?助かるよ」

 まるで遠慮することなく老婆は僕に荷物を渡す。持ってみるとずっしりと重い。よくもまぁこんな物を背負って歩いていた物だ。老婆の意外な健脚に驚きを隠せない。だが言った手前今更引くことも出来ず僕はその荷物を持つ。背中には自分の荷物を背負っているので腹の前に抱える形になる。

「おや、力持ちだね。本当に良いのかい?」

「大丈夫…、大丈夫です」

 そのまま歩く。荷物がない分歩きやすいのか老婆もさっさと歩きだす。

「頼りになるねぇ。勇者様は」

「荷物は持ちますから勇者呼びだけはやめて下さい。ホント、マジで」



 六日目、レンサまで後一日。丁度綺麗な川があったので僕は洗濯をする事にする。と言ってもこの世界に日本にあるような立派な洗剤はなくこの世界にある洗剤も持ってくるのを忘れたのでただ流水で濯ぐだけである。それでもしないよりは遥かにマシだった。

 洗濯を終えてそれを鞄に引っ掛けて出発する。こうしておけばそのうちに乾くだろう。天気は良く気温は少し暑いくらいだ。

「兄ちゃん、どこまで行くんだい?」

 道を歩いていると後ろから音がする。振り向くと牛馬車があってそれに乗るおじさんが声をかけてきた。

「はい。レンサまで行こうと思ってます」

「そうかい、そうかい。俺はその手前の村まで行くから乗せてってやるよ。丁度空荷だしな」

「え、良いんですか?」

「良いともさ。コイツはもう年寄りでな。ゆっくりとしか歩けねえ。ゆっくりなもんだから道中暇で暇で仕方がねえ。兄ちゃんさえ良ければ話し相手になってくれや」

 おじさんは牛馬の背を軽く叩きながら言う。牛馬は気怠そうに牛とも馬とも思えない鳴き声を出して唸る。

「それは有り難いです。是非そうさせて下さい」

 おじさんは嬉しそうに頷く。おじさんの言う通り荷台は空で僕はそこに乗せてもらう。妙に床板が綺麗だったので靴を脱いで乗るとおじさんは気を使わなくて良いのにと笑っていた。歩くのに慣れてはいたもののこうして楽をさせて貰えるのは有難かった。

「兄ちゃんはなんでまたレンサに行こうとしてるんだい?」

「これです」

 僕は鞄から一つの食器を取り出して見せる。牛馬の進みは人が歩くより早く走るのよりも遅い程度なので脇見をしようが問題はない。

「コイツは陶器かい?でもあんまり見ない形と色をしてるな」

「ええ。多分陶磁器かと」

 この世界での食器は木製と陶製が主流である。金属食器もあるとは聞くが一般庶民の使えるような物ではない。陶製の物も落としても壊れない木製に人気を取られあまり目にすることはない。飲み屋ではもちろん飯屋で使われているのも殆どが木製だ。陶製の食器は特別な時に使われる物という扱いである。そしてその殆どが「陶器」である。日本でよく見かける「陶磁器」は使われていなかった。だが僕の持っているこの食器は日本で言うところの「陶磁器」の茶碗に近い。違うのは分厚く縁が丸みを帯びているのとその表面に模様がなく真っ白なところだ。僕は珍品を扱う露店で偶然これを見つけ多少値が張ったが衝動買いしてしまったのである。

「これがどうしたってんだい?」

「これを作った人に作って貰いたいものがあるんですよ」

 そう、この茶碗を初めて見た時に思った。これを作れる技術があるなら「便器」だって作れるはずだと。この茶碗の色ツヤ、その丸い縁は便器を思い出させる物なのだ。

「そのためにレンサか。あそこは陶器の産地だからなぁ。ちなみにどっからだい?」

「ビフィスです」

「まった遠い所から来たんだな!そこまでして一体何を作ろうとしてんだい?」

「和式便器です」

 当然おじさんには和式も便器もトイレすら分からないので僕は一から説明する。説明し終わる頃には目的地まで付いていた。おじさんは面白い話が聞けたと喜んでくれて応援の言葉まで頂いてしまった。

 その後、僕は宿を取ってのんびりする。思いの外早く着いたのだが、だからって先を急いでも今日レンサに辿り着くわけではない。この村から歩いて丸一日かかるのである。だから休めるうちに休んでおこうと思うのである。

 道中立ち寄った村は街道沿いにあるだけにビフィドほど寂れてはいなかった。でもビフィスほど繁栄してもいない。そんな村ばかりだった。だが宿はどこもしっかりしていてその点では非常に楽な旅だった。野宿を強いられるような場所にレンサがあったらもっとキツい旅になっていただろう。だがそれも後一日の話である。明日歩けば漸くレンサに辿り着く事が出来るのだ。

 翌朝、寝入った時間が早かったせいで随分早い時間に目が覚めた。身支度を整え朝食の時間を待つ。ビフィスはビフィスで好きだがこの街の程々な感じも中々良いものである。そんな事を考えながらボーっとしていると急に催してくる。朝だから当然ではある。そして近くの茂みに行き用を足す。当然ここにもトイレはなかった。どこの村も一緒だった。あの臭いクソバーですら快適だったと思い知らされる。やはり人間にとってトイレは必要な物なのだ。

 用を足し朝飯を食い出発する。道中は至って平和。強盗なんかにも会わなかった。彼らは彼らで人と場所は選ぶのだろう。こんな所で獲物を狙ってもそのリスクに見合う成果は上げられない。

 そしてただひたすら歩いた。歩いて歩いて、通った所がどんな景色をしていたかすら分からない。

 そして漸くレンサに辿り着いた。

 村を見渡すとあちらこちらから煙が上がっている。出会った人に尋ねてみればそれは陶器を焼いている窯から上がっている煙なのだと教えてくれた。そして探してやっと見つけた宿屋に着いた頃にはすでに日は暮れていた。人探しは日を改めるしかない。宿で横になると僕は自分でも気付かないくらいヘトヘトになっていたらしくそのまま寝入ってしまった。そして気が付くと朝を迎えていた。



 

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