水洗トイレ編

第40話 プロローグ ~煉獄の嘆き~


 トイレを作ってから三ヶ月。


 あれから毎日ここで用を足している。

 僕も、イーレも、エアリィも、ティレットも。それから洋子さんも。

 そしてここを使うのは僕らだけではなかった。トイレというのはこの世界の人にとってとても物珍しい物である。だから色々な人がここに来てトイレを見てそして用を足していく。この三ヶ月毎日入れ替わり立ち替わり様々な人がここを訪れ用を足していった。

「臭い」

「臭いな」

「臭いわね」

 そんなわけで僕が必死になって掘った穴は満タンまであと少しとなってしまった。僕らはその穴のそばに立って穴だった所を見ている。

「トイレが臭いのは当たり前だろ」

 僕は三人にささやかな抗議をする。そう言う僕からして臭いと思っているのだが。

「結構早かったね」

 エアリィは言う。

「この後はどうするの?」

「ああ、この上には土を被せておけば自然に還るぞ」

 ティレットの疑問にイーレが答える。

「んで、また穴掘るの?」

「うーん、どうするかな」

 エアリィの言ったことについてしばし考えを巡らせる。仮に穴を掘って小屋を移設したところでまた三ヶ月もすれば、いや、次はもっと早く穴はいっぱいになってしまうだろう。すでに街に作ってあるトイレも似たような状況である。

 ふと目の前を小さな生き物が過ぎる。モスにゃんだ。モスにゃんはその辺の茂みを住処とする羽の生えた小さな猫である。彼らは糞の匂いを好み茂みの周りをウロウロする習性がある。

 そんなモスにゃんは今トイレの、いやクソバーの穴に近付いていく。

「それにしても臭い」

「ああ、本当に臭いな」

「全く、臭いわね」

 溜まりに溜まった汚物は異臭を放っている。三人とも鼻をつまみながら言う。

「しょうがないだろ。これは汚物なんだから」

「それにしたって臭い」

「臭いな」

「臭いわね」

「臭いのは分かってるからもう言わなくていい…」

 柵と穴の僅かな隙間にも消臭草を植えておいたのだがここまで来るとまるで効果がない。先程飛来したモスにゃんはその草の側で穴から発している臭いを嗅ぐ。

 そしてモスにゃんはフレーメン反応を起こし狂ったように暴れまわったかと思ったら少し離れた所にある木によろよろと飛んでいってしまった。モスにゃんも逃げ出す程の臭気らしい。

 それでも小屋の中は臭気が籠もらないのかここまで酷くないのは救いだった。

「で、どうする?清治」

 エアリィの再度の問いかけに僕は一つ閃いた事があった。

「なぁ、ティレット。これアウメに出来ないか?」

「は?」

 心底馬鹿にしたような様子で僕を見るティレット。

「いや、結局自分のだからアウメを見られたりするのが嫌なんだろ?これなら色んな人のが混じってるわけだし」

「出来るの?そんな事」

「知らないわよ。やったことなんてあるわけないし」

「これをアウメに出来るならもう臭わなくて済むな」

「イーレまで何言うのよ。ちょっとセイジ、本気でそんな事考えてるんじゃないでしょうね」

 なんとなく思い付いた事を口にしただけだったのだが自分でもなんだか妙案に思えてきた。

「試してみるのもダメか?」

「これがアウメになったら大金持ちだぞ」

「面白そうではあるね」

「…出来るかなんて分からないわよ」

「ああ、ダメでもともとだ」 

 ティレットはなんとなく嫌そうだが取り敢えず試してみる気にはなってくれたようだ。

「じゃあ、この穴に蓋してよ。アウメを作る時に物が見えてたら出来ないわ」

 アウメを作る際には蓋が欠かせないのだと言う。だから排泄物がアウメになる瞬間どうなっているかはティレット自身知らないそうだ。



 縦に五メートル、幅は三メートルの穴を覆う手段は限られていて物置にあった大きな布を張り合わせて用意することになった。布に汚物が付かないよう穴にいくつか棒を渡しその上から布を掛けると穴はすっかり覆われた。

「これでいいか」

「…ええ。いいわ。ちょっと下がってて」

 ティレットは強烈な悪臭を堪えつつ穴のそばに屈み片手を布にかざす。触れるか触れないかぎりぎりの距離だ。ティレットが目を瞑り集中した瞬間、布の隙間から光が漏れる。

「おお。凄いな」

「ふむ、こうやってアレが作られてるわけね」

 イーレとエアリィは感心している。

 光は数分間の後漏れ出しては来なくなった。

「…はぁ。出来たわよ。疲れたわ、想像以上に」

 布の上に手をかざし目を瞑っていただけだと言うのにティレットはかなり疲れた様子だ。顔には汗まで浮かんでいる。

「ああ、お疲れ。それじゃあ布を取ってみますか」

 布を剥ぎ取ろうと近寄ると先程までの異臭は一切しなくなっていた。これだけでもやった価値はあった。布の表面をよく見ると真ん中が少し盛り上がっている。まるで下から棒で押し上げているみたいに。いつもとは違う形のアウメが出来ているのかも知れない。折角なので何か芸術作品のお披露目の如くバッ!と布を取ってみたくなって先に穴に渡しておいた棒を取っておく。

「さて、どんな色のアウメが出来たのかなっと」

 僕は勢いよくその布を取り去る。


 紫色の巨大な何かがそこにあった。

 アウメとは違い透明感はない。どす黒いと表現して差し支えないような昏い紫。でも表面はツヤツヤと光っていて宝石のように見えなくもなかった。

 そんな事よりも何よりも僕らの目を引いた物がその中央にある。

「人?」

 そこには明らかに人の上半身の形をした何かが浮かび上がっていた。右手を天に伸ばし、口は叫び声を上げるように大きく開いている。目には眼球がなく窪みがあるだけ。まるで底なし沼に落ちて藻掻き苦しみながら沈んでいく人のようだった。


「なぁティレット。人をアウメにしたらどうなるんだ?」

「そんな事は知らない。試した事もない」

「じゃあ、あれはなんだ?」

「知らないわ…」

 ティレット自身驚いているようだった。その紫色の塊から目を離せないでいる。

「これはアウメ、なのか?なんて禍々しいんだ…」

 イーレもその紫色の塊から目が離せない。

 その人影を見るとなんだかどうしようもなく不安な気持ちが湧き上がってくる。

「鍵はかかってたから人ではないと思う」

 確証なんてなかった。仮にこの排泄物に興味を催してしまった人がいたとしよう。なにせ美少女が三人、あと美人のメイドさんの物が混ざっているのだ。そんな変態がいないとも限らない。だが柵はとても登れるような物じゃないし扉の鍵は僕が肌身離さず持っていた。だから人が入った可能性はまずない。洋子さんほどの身体能力があれば入れなくもないが洋子さんはさっきからちゃんとそこにいる。

「まぁ、アウメには違いないみたいだし、これはこれで綺麗だし取り敢えず砕いてみるか」

 僕は物置からトンカチを持ってくる。

 カーン。カーン。カーン。叩くとそんな乾いた音がする。アウメは欠けるどころか傷一つ付いていない。

「セイジ、アウメならアウメ同士をぶつけるしかないんじゃないか?」

 イーレに言われて漸くそんな事にすら気付いてなかった事に思い至る。イーレは呆然としているしティレットも顔を青くして唖然としているしエアリィなんてさっきから一言も発していない。僕自身気が動転しているのかも知れない。

「そうか、そうだな。ちょっと取ってくる」

 あの大量のアウメはカワヤッティの大作のおかげでかなりの数を処分できたがそれでもまだ元の量の四分の一は残っている。それはティレットの借家からこの家の二つ目の物置に移してある。

 物置から戻った僕は早速持ってきたアウメを紫色の塊にぶつけてみる。

「…オォォン」

「イーレ、何か言ったか?」

「何か言ったのはセイジじゃないのか?」

 エアリィとティレットはとても何かを喋れる状態ではない。洋子さんはエアリィの後ろで黙って立っている。

「なんだろうな、今の」

「それでアウメは割れたのか?」

 手に持ったアウメを見るとヒビが入っている。紫色の方も少し欠けているようだった。

「もう少し強くやればいけそうだ」

 僕はアウメを振りかぶり思いっきりその紫色に叩きつける。

「オオォォン」

「やっぱりイーレ何か言っただろう」

「私じゃないぞ」

 当然エアリィでもティレットでも洋子さんでもない。アウメは割れずヒビが強く入っただけだった。紫色の方もヒビが入っただけだ。まだ割れてはいなかった。

「よし、もう一度だ」

 僕はアウメを思い切り全身のありとあらゆる力を使って叩きつけた。

「オオオオォォォォン!」

「セイジ…」

「ああ…、今分かった」

 叩きつけられたアウメと紫色のアウメは三度目で漸く砕けた。そして僕らは奇妙な声がその紫色のアウメから出ている事に気付いた。

「煉獄の嘆き…」

「エアリィ、これが何か分かるのか?」

 ようやく口を開いたエアリィは呆然とその紫色の塊を見ながら呟いた。

「ううん。いや、ほら、なんかそんな感じしない?コレ」

 そう言われて改めて紫色の塊をその中心にある人の姿を見る。

 煉獄とは天国と地獄の間にある世界の事だ。天国を目指し地獄から這い上がった亡者、だが煉獄に至り足を絡め取られ再び地獄に引きずり込まれる、その刹那、亡者は手を伸ばし届かぬ天国に救いを求めた。己の苦しみを嘆きながら。

 確かにそんな感じには見えなくもない。

「ああ。煉獄の、嘆き、か」

 その人の形をした物を見る。もう苦悶の表情を浮かべているようにしか見えない。

 砕けたアウメを見る。いつものは相変わらずの美しさだ。だが紫色の方は表面こそツヤツヤとした光沢があって綺麗に見えなくもないが、何というか物凄く禍々しい。呪いの指輪に嵌っている宝石のようだ。確かにそういう用途として売れそうではある。が、そんな事をしようものならこちらが呪われてしまいそうである。

「これどうする?」

「どうするって言われても…」

 もう一度試しに大きめのアウメの破片をぶつけてみる。

「オオオォォォン」

 再び響く嘆きの声。

「おい!ティレット!大丈夫か?」

 急に倒れたティレットを抱きとめるイーレ。ティレットはこの惨状を見て気を失ってしまった。

「これは、もうだめだな」

 その後、僕はイーレと洋子さんに手伝ってもらって煉獄の嘆きに土を被せて埋めた。土を被せる度に「オオォォン」と音がしているようで不気味だった。そして穴のあった所は少し盛り上がった塚のようになった。

 ティレットはその後高熱を出して三日間寝込んだ。

 トイレだった小屋は使用禁止と張り紙をしてロープで縛って使えないようにしておいた。


 そして僕らはまたトイレのない生活に戻ってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る