第36話 変わり始めた日常
十時の休憩という事で大工さん達に茶を出して調理場に戻ってくると起きてきたイーレがボーっとしていた。
「おはよう、イーレ」
「ああ、セイジか。おはよう」
「眠そうだな」
「ああ。昨夜は遅かったからな」
昨夜?何かあったのだろうか。
「セイジは朝食は済ませたのか?」
「うん。ベーコンとチーズをパンに挟んで適当に」
「すまなかったな。用意できなくて」
「いいよ。なんか疲れてるみたいだし。イーレも何か食べたら?」
何かを調理した形跡はないので多分何も食べてはいないだろう。
「ああ、そうだな。どうしようか。でも、もうすぐ昼だしな」
「あ、そうだ」
昼と言われて思い出す。
「大工さん達に昼飯を出そうと思うんだけどどうかな。食べに行ってもらってもいいんだけどさ」
特に用意しろと頼まれているわけではない。なんとなく手伝いもせず小屋を作ってもらうだけでは気が引けるのでそうしようと思っているだけだ。小屋作りを手伝う事も申し出たのだが素人が下手に手を出して怪我でもされては敵わないと断られてしまった。という事で昼飯ならと思ったのだ。彼らは弁当のような物は持ってきてないらしいのでどこかに食べに行くつもりなのだろうとは思うがここからだと飯屋まで十五分以上はかかるのである。
「それは良いな。私は賛成だ。大工さん達は何人だ?」
「六人だ」
「私達を含めて十一人か。パンと野菜のスープと焼いた肉でも良いか?」
「うん。って作ってくれるの?」
「ああ。いけないか?」
「良いの?」
「別にいいぞ。ただ材料が足りないな」
「じゃあ、買い物に行くか。昼まで暇だしな」
「そうだな。それならティレットが起きてくる前に出かけよう。きっと今日は起きしだい飲むぞアイツは」
「だな。絡まれる前に行くか」
ふと、違和感を感じる。いつもと違うような事を言っていたような。考えながら準備する。と言っても男の準備なんて財布と鞄を持ってくるだけだ。
「早く行こうセイジ。ティレットの部屋でなんか音がしてた」
「ああ。ところで黒魔術師って言わないのな」
「ん?黒魔術師って言ってなかったか?」
「いや、ティレットって」
「まぁ良いじゃないか。それよりも急ごう」
イーレは足早に家を出る。前を歩くイーレがどことなく上機嫌に見えるのは気のせいだろうか。
手早く買い物をすませ家に帰ると時刻は十一時半になっていた。僕らが玄関のドアを開けるとティレットと鉢合わせた。
「あ、セイジ。おはよう」
「おはよう、って、今起きたのか?」
「うん。悪い?昨夜は色々あったのよ。あ、イーレも一緒だったんだ」
ティレットの存在に気付いたイーレは僕の影に隠れる。
「まだ飲んでないか?」
「ええ。丁度切らしててね」
「そうか。切らしたままの方が良いぞ」
「何よそれ」
「なんでもない。じゃあセイジ、昼には間に合うように用意するから大工さん達にも伝えておいてくれ」
「ああ。よろしくな。そうだ、ティレットって酒飲んでる時の記憶って全く残ってないの?」
「なんでそんな事聞くの?確かに残ってはいないけど」
「イーレに凄い事してるって気付いてる?」
「は?何よそれ」
「やっぱり知らないのか」
「ちょっとどういう事よセイジ!」
「あーあ。言っちゃった。面白いから言わない方が良いのに」
「お、エアリィも起きてきたか」
「私は起きてたよ。十時位には」
「ちょっとセイジ!教えなさいよ!」
ティレットは僕の襟元を掴んで泣きそうな顔をしている。
「苦しい。苦しいって」
丁度首を締められるような感じになって辛い。
「教えてくれたら離す」
「分かった。先に離してくれ。これじゃ喋りづらい」
僕は開放され一息つくと酔ったティレットがイーレに抱き着いている光景を思い出しそれを教えてやる。
「なんで言わないのよ!」
ティレットは目に涙を溜めて再び僕の襟を掴み締める。
「苦しい!苦しい!」
そんな時、僕らの様子を面白げに見てたエアリィはティレットの耳元で何かを言う。ティレットの身長に合わせるように少し背伸びをして。するとティレットが僕の襟を掴む力が弱まる。ティレットは俯いて顔を真っ赤にしている。なんだか照れてるみたいだった。
「エアリィ何言ったんだ?」
「別にぃ。ただ事実を伝えただけだよ」
「もう!エアリィ!」
そして二人は話をしながら食堂に入って行った。
「何なんだ?一体」
少女二人の奇妙な様子に首を傾げながら僕は庭に出て大工さん達に昼飯の事を話す。直後から弟子たちが妙に張り切りだしたのがこれまたわけが分からなかった。
三時の休憩時に再びお茶を出そうと持って行くと既に柱が立ち小屋の形が分かるような骨組みまで出来ていた。
「早いですね」
僕は少し唖然としながら言う。そしてお茶を配る。
「おう。あとは組み上げるだけってとこまで作っておいたからな」
大工さんはお茶を飲みながら言う。
「これならホントに明日までに出来そうですね」
「おう。この時間には出来てるぞ。あ、そうだ。ちょっと来てくれや」
「はいはい」
「ここはホントにここで良いんだな?」
大工さんは小屋の形をした骨組みの中に入り滑り台のように縁の付いた長い板を持って言う。
「そうです、そうです。バッチリです」
「なら良かった。どうも用途が分からねえとピンと来なくてな」
「それは出来たら分かりますよ」
トイレという概念がないのだからここで糞をするという発想には至れないらしい。
「よし。これご馳走さん。昼といい悪かったな」
「いえいえ。明日も用意しますんで期待してて下さい」
イーレの作った昼飯は大工さん達に大好評だった。十五人分くらい作ったスープもあっと言う間になくなった。
「さあて、お前ら!ラストスパートだ!気合い入れて行けよ!」
「おー!」
大工さんの号令とともに盛り上がる弟子たち。なかなかどうして士気が高い。
「おー。出来てきたねぇ」
様子を見に来たエアリィが小屋の骨組みを見て言う。
「明日の今くらいには出来るってよ」
「おー。楽しみだねぇ。いよいよトイレが出来るのか」
「ああ。まぁ実際に使えるのは明後日くらいだろうけどね」
「そうなんだ?」
「そう。ほら、あの穴ってさ、その、溜まるわけですよ。アレが。だから誰かが落ちたりしないように柵を付けたりさ、あとは色んな小物を配置したりしなきゃいけない」
柵は大工さん達に作ってもらうように依頼してある。それを運んでもらって取り付けるのは自分でやろうと思っている。
「なるほどね」
「そう言えばあれからどうだ?」
「どうって?」
「ほら、視線を感じるってヤツ」
「ああ、そう言えばなくなったかな」
「ふむ」
「うーん。ひょっとして…いや、それは関係ないか」
「どした?」
「いや、結局のところ覗いてた人は誰だったのかなって」
「あー、そういう話ね」
僕は犯人を知っている。だがそれを話すことで良好な人間関係が壊れてしまうのは良くないと思う。だから黙っている事にした。実際に覗かれている感覚がないのなら敢えて波風を立てることもない。
「やっぱりただの気のせいだったんじゃない?」
だからそう濁しておく。
「そうかなぁ」
「そうさ。きっとね。やっぱり野糞なんてハードル高いし。僕は男だから気にならなかったけどさ」
「うーん。まぁ良いか。そういう事にしておこう」
「おう。それが良いぞ」
家の中に入ろうとした時、丁度門が開いて洋子さんが入ってくるのが見えた。
「あ、洋子さん、おかえりー」
「はい。ただいま戻りました。変わったことはございませんでしたか?」
「ないよー。平穏無事です」
僕からすると洋子さんが朝から今の時間まで出掛けていたのが奇妙だった。まぁついこの間も数日出掛けた事はあったのだが。
「何かあったんです?」
僕はなんとなく気になって洋子さんに聞いてみる。
「いえ、最近不審者が多いので自警団と街道警備隊の方々と打ち合わせをしておりました。ここで何かあってからでは遅いですし」
ここに入ってくる不審者を幾度となく洋子さんが捕まえたという話は聞いている。やはり賢者の屋敷という事で泥棒なんかも多いのだろう。
「そうですね。エアリィ本人に手を出す不届き者もいないとも限りませんし」
「それなら洋子さんがいるから大丈夫だね」
僕はじっと洋子さんを見る。
「はい。エアリィ様の警護は私にお任せ下さい。決して手を出させるような真似はしませんので」
洋子さんは僕を見て言う。妙に自信がありそうだった。そしてそれはなんだか決意表明のように聞こえなくもなかった。
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