第19話 解放



 清治は洋子さんを連れて森の外に出ていった。

 この森には私一人だ。

 周りに誰もいないのは洋子さんがちゃんと確認してくれた。人の出入りした痕跡は一週間は前の物が一つあるだけなのだという。


 さて、私はここでうんこする事になったらしい。

 そりゃ人の目が気になるとは言ったよ?だからってこんな森の中で取り残されて気持ちよく出来るわけがない。却って緊張するわ。穴の前の木には虫が歩いてるし。

 取り敢えずスカートを脱ぎ頭の前辺りにある枝に掛ける。この世界の風習である。

 パンツも脱いだ。ちなみにパンツは清治のいた時代から私のいた時代まで特に変わったことはない。この世界のパンツも似たような物だったのでそれで気付いた事実である、が今はどうでもいい話だ。

 そして取り敢えずしゃがんでみる。このしゃがむという姿勢は非常に辛い。本来このような格好の方が排便に適しているという話だがそれは足腰が丈夫な人の場合である。私は足腰が鍛えられていないのだ。だから当然のように辛い。今だって数分どころか一分と保たない。でもこれでも練習はしたのだ。練習の成果が今試されているのだ。

 それでも誰かに見られているような落ち着かない感覚はなかった。

 人がいないのだから当たり前である。

 それどころか自然の奏でるサウンドが妙に心地よく感じられて私はいつの間にかリラックスしていた。そしてようやくさざなみの様に穏やかな便意が訪れる。



 学校を卒業し、十六歳になり、私は家を出ようを思った。

 両親は反対はしなかった。

 むしろ子供の自立を喜んでいたように見えた。

 それは子育てから解放された安堵感だったのかも知れない。それとも子育てが終わった達成感だったのかも知れない。

 両親はそれについて深く語ることはなかった。

 私は深く尋ねることが出来なかった。


 今どき十六歳での自立なんて珍しくもない。

 それでも親元に残る人間だって大勢いる。私にはそのどちらも選ぶことが出来た。

 でも私は自立を選んだ。

 別に両親との生活に不満があったわけではない。ただ違う世界に飛び出してみたかったのだ。

 ただ一つ反対された事がある。それは新宿に住むことだった。

 そんなど田舎に引き篭もってどうするのか、とそれが両親の反対した理由だった。友人にも物好きだと呆れられた。新宿を選んだのは単に家賃が安いからだ。収入の大半を家賃に費やすよりももっと有意義に使おうと思っただけだ。本当にそれだけだ。

 両親の反対を押し切って新居を決め、結局私は引き篭もりとなった。外に出る理由がなくなってしまったからだ。

 外に出ても特に面白い物はないし外に出なくても生きていけた。それが良くなかった。外に出るのが億劫になりますます外に出ようとはしなくなった。そしてどんどん外に出るのが体力的にも精神的にも辛くなる。悪循環だ。

 こうして一人の引き篭もり女が完成した。


 この世界に来て良かったかと言われれば良かったと答えるだろう。

 以前のように外に出る事は億劫ではなくなった。人と出会うことも楽しかった。

 何よりも屋内にトイレがないのだ。生きていくためには食べなければならない。食べれば当然トイレに行きたくなる。

 だがこの世界にトイレはない。

 用を足すのはその辺の茂みだ。

 それは外にしかなかった。

 もう私は以前のように部屋に引き篭もっているわけにはいかなくなった。そして気付けば自然と外に出るようになっていた。



 私は一つ深呼吸をする。波はもう収まっていた。驚くほど自然に今まで出来なかった事が果たされた。一体どういうカラクリなんだろう。

 ただ一つ分かるのは私は今自然に近い状態にあるという事だ。排便という行為は生物の持つ当然の営みである。本来動物という物はこうして自然の中で自由に排便するものなのだ。人は知恵を持ち便を不浄であると知ったおかげで排便する空間を規定し生物本来の営みを制限した。その結果排便に対し苦労が伴うようになった。その苦労を解消しようと知恵を使った結果搾便器などという発明をするに至ったのである。もし人間に知恵がなかったら排便に苦労する事もなかったのかも知れない。

「はぁ、何考えてんだ私は」

 無事用も済んだことだし尻を拭って身なりを整えよう、そう考えて私は清治から貰った大葉ミントを思い出した。その名にロイヤルが付くという事は等級が高いという事なのだろうか。

「揉んでから使わないとびっくりするんだっけ?」

 普通逆じゃないか?と思わなくもないが、はてどんな物だろうと興味はある。やるなと言われればついやってしまいたくなるのは人のサガである。

 その大葉ロイヤルミントで尻を拭った瞬間、ほんの一瞬、目の前が真っ白になった。

「…こ、これは強烈過ぎる」

 未だ尻に残る強い清涼感に身悶えしそうになる。私は手にした大葉ロイヤルミントを見る。

 見る。

 じっと、見つめる。

 そして、不埒な閃きが頭を過ぎる。

「おーい、エアリィ!」

 遠くから私を呼ぶ声が私を現実に引き戻した。清治の声だった。

「清治⁉もう来たのちょっと待って!」

 私は慌てて大葉ロイヤルミントを揉み尻を拭い、パンツを履き、スカートを履いて身なりを整えた。

 そして清治と洋子さんと再会する。

 清治も洋子さんも特に変わった様子はなかった。

 洋子さんが鼻血を出しているらしく鼻に詰め物をしている事を除いては。


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