第17話 未来の日本
清治が私のいた時代から三百年ほど前の日本人だと知って驚いた。
異世界人というのはてっきり別々の世界から来るのだと思っていたのだ。
だから妙な親近感を覚えてしまい割と相手が異性だろうと躊躇いなく便秘に悩んでいる事を口にした。
便秘の原因は三つある。
まずは搾便器による便意コントロールが無い事。
二つ目はそもそもしゃがんでする事が難しい事。これは清治も同じで安心した。
三つ目は妙な視線を感じる事だった。
だいたいトイレがないので基本野糞なのだ。屋外に仕切りはないのだ。誰かが見ていても不思議はない。
だがこの屋敷は周囲を塀で囲まれているので誰かが立ち入らない限りそんな事はあり得ないはずだった。もし不審者が入り込もう物なら洋子さんがすぐに捕まえてくれる。私の知らない間に捕まえていたなんて事も二度や三度ではない。
まぁ元々賢者の屋敷という事で狙われやすくはあるのだが、にしたって視線がなくならないのは異常だった。
便秘を解消する手立てはないかと清治に相談してしばらく経ったその日彼は私をどこかへ連れて行ってくれるという事になった。
「お待たせ」
この世界にも様々な服がある。中には異世界人が関わっているんじゃないかって物もある。今着ている服がそうだ。
昔の女学生の制服を再現した物らしくブラウンの生地がなんだか可愛く見えたのでつい買ってしまった。ちなみに賢者なので金には一切困る事はない。
「女子高生か」
清治は私を見て開口一声にそう言った。
「そんな卑猥な目で見ないで欲しいんだけど」
清治の時代ではどうか知らないがそれは私にとって非常に猥雑な言葉なのである。清治は妙な顔をしている。
「で、どこに連れてってくれるの?」
「森だ」
「森?」
「ビフィドの森だ。あー、ここから二時間くらい歩く事になるんだが」
「ご心配には及びません」
洋子さんは小さな荷車を引いて現れた。大昔に人力車と言う物があったらしいがそんな感じだ。
私は元の世界でもこの世界でも体を動かさない仕事をしていてさらにあまり運動をしない(ちょくちょく健康によくないと洋子さんに注意される。なのでたまには歩く程度の事はしている)ので長距離の移動は無理だ。おそらく過去にいた賢者もそうだったのだろう。この屋敷は元々賢者用の物件なのだが物置にこの荷車が置いてあったのである。私はそれを利用させて貰っている。
「エアリィ様は私がお連れ致します」
「そ、そうかそれじゃ頼みます」
という訳で私達は森へと出発したのである。
「ブレインストレージって言って分かるかな」
道中、私は清治に未来の日本について話していた。
「ブレインは脳で、ストレージってハードディスクとかパソコンに入ってる奴だろ?」
「パソコン?」
「ないの?」
「なにそれ」
「家庭用コンピューター」
「ああ、オムデバの事ね」
正式名称はオムニバスネットワーク・マルチ・パーソナルデバイスという。オムニバスネットワークとは全世界の国や地域を超えて張り巡らされた通信網である。
「オムそば?」
「美味しいよね、アレ」
私がしていた仕事の話をしているのだがどうにも話が噛み合わない。却って全く違う世界の方が理解しやすいのかも知れない。
「簡単に言うと普段脳ってその全部を使ってる訳じゃないんだけど、その使ってない部分をネットワーク上の記憶媒体として使ってるわけ。」
「そんな事出来るの?」
「出来るよ。ちょっと待って、うーん」
私はその記憶領域にアクセスする。普段使ってる脳とその領域を結びつけるイメージだ。少々コツが居る。
「清治達の時代には、まだないか」
脳をストレージとして使用するという発明は清治の時代から五十年程先の出来事だった。
「今のってその脳の中にあるデータを読み出したとか?」
「そう。良く分かったね」
「そんな事が出来るんなら勉強とかしなくて良いわけか。便利になるもんなんだな。」
「いや、勉強自体はいるよ。例えば、うーん」
上手い例えを思い付こうと頭を捻る。
「例えばここにフランス語のテキストがあるとするじゃない?清治はフランス語読める?」
「読めない」
「じゃあ文法の解説書と辞書があれば読める?」
「うーん、まぁ時間は掛かるけど読み解く事は出来るかな」
「じゃあその内容は理解できる?」
「物による」
「つまりそういう事。アクセス出来てもそれが理解できなければ使い物にならないわけ。ちなみにどんなデータを入れるかで報酬は変わるの。例えば日本語で書かれた料理のレシピは日本語を理解出来る日本人なら普段から使えるじゃない?だからメリットがあるという事で安めなの」
「という事は日常生活で使い物にならない情報は報酬が高いと?」
「そう。過去百年分の特許の一覧とか、日本海溝の詳細な地形図とか」
「なるほど」
「今のは極端だけど日本人なのに何カ国分の辞書データとかも高いよ」
私はそれを受け持っている。
「なんでせっかく入ってるんなら使おうかと勉強したわけ」
英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語は理解できるようにはしてあるが実際そう使うものでもないので役に立たなかった。やはり計画性は大事である。
「あとは歴史データとか。だからさっきそれを読み出したわけ」
「自分で読み出せるのは分かったけど外部からはどうやってアクセスするんだ?」
「これ」
私は掛けている眼鏡の弦を触って言う。
「この中に小さなチップが入っててそこから電波でピピっと。今は勿論使えないけどね。目が悪い訳じゃないよ」
一応過度の光から目を守るレンズではある。外すとなんとなく気持ち悪いから掛けている程度だ。
「なら元の世界ではそのデータにアクセス出来なくて困ってるのか?」
「そうはなってないと思うよ」
同じデータを世界中で何十人、何百人で共有しているのだから私がいなくなっても問題はない。もっとも私以外の全員が殺されでもしたら別だろうけども、元のデータはブレインストレージ以外にもあるのでまた新たな担当を探すだけの話で終わるだろう。
「元の世界かー」
「帰りたいか?」
「まぁ、ね。やっぱり色々と快適ではあったかな」
搾便器のあの感触は忘れられる物ではない。
「でもね、今の方がいいかな」
「そうなんだ」
「うん。ほら、この仕事って何もしなくて良いじゃない?」
私は自分の頭を指して言う。
「たまに担当のコーディネーターと会うだけでさ。ただ食べて寝て起きてまた食べて寝て、ってしてても良い訳だしね」
欲望のままに美味いものを貪り食いたいと思ってもそんな事をしていたらすぐに太ってしまうので出来ないでいる。自由に見えて制約だらけで不自由なのである。
「それでもさ、色々歩き回ったりしてさ、刺激受けるようにしてさ、頑張ってたのよ」
散歩、ウォーキングは何かのついでに出来るとしてランニングやサイクリングは三日で終わった。
「仕事って言っても何かやりたい事とか無かったし。肉体労働とか無理だし。事務系もねー」
「でも金が稼げるんならいいじゃないか働かなくても」
「そう、そうなんよねー。でもなー。って思ってたらこの世界に来てたの」
「あ、やっぱりそんな感じなんだ」
「清治も?」
「うん。気付いたらこの世界にいた」
「そうそう、そんな感じ。なんでここにいるんだろうね。私ら」
「まぁ、そのうち分かるだろう」
「結構気楽なんだ清治って」
「別に困ってはいないしな。生きていけるわけだし。じゃあ、結局のところエアリィは楽しいわけだ、この世界」
「そうだね。色んな人に出会えるし、洋子さんも居てくれるしね」
「そう言っていただけると本当に嬉しいです」
私の前で私を乗せた荷車を引いている洋子さんは口を開いた。話には入ってこないが一応聞いてはいたらしい。
「感謝してるよ洋子さん。これからもヨロシクね」
「はい。お任せください」
そう言う洋子さん。さっきよりも気持ち荷車の速度が上がった気がした。
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