第13話 アウメ色の研究



 セイジが提示した解決策はアウメを売る事だった。

 これは私にとって全く思いもよらぬことだった。アウメが透明で私達以外の人からは美しく見える事は理解している。だがアウメは元は排泄物なのだ。それを売って対価を得るなんて発想は出来なかった。

 それにアウメそのものを見られるのはあまり好ましくない。私にとって本来無色透明なはずのアウメに色が着くという事はコンプレックスなのだ。

 だからアウメと分からないように加工することを条件に彼の提案を受け入れた。セイジはすぐに売却先を見つけその日から部屋いっぱいのアウメはどんどん少なくなっていった。



 そんなある日セイジは私を食事に誘ってきた。

 アウメを売却して得た金を私のために使いたいのだと言う。私としては処分してくれるだけで有り難いのでその対価としてセイジ自身のために使えば良いと言ったのだが彼は頑固だった。

 そんなわけでそれから日々夕食をごちそうしてもらう事になった。

 私は酒を飲むとその時の記憶がなくなるので飲んでどうなったとか詳細な事は覚えていないのだが食べた物の事はだけはよく覚えていた。


 食べた物で真っ先に思い浮かぶのはカバシシ肉の料理だ。カバシシとはこの街の北にあるビフィド山の麓に広がる森に生息する動物でその肉はこの地域の人達にとって一般的な食材として食されている。その肉を味付けしそのまま焼いたもの、胃や腸などの内臓に細切れにした肉をスパイスで味付けし詰めて加熱したもの、また内臓そのものを加工したものなど様々な料理がある。どれが一番という事はない。どれも美味しい。

 カバシシ肉に負けず劣らず強烈だったのは牛馬と水山羊のステーキだ。まず牛馬と言うのは主に荷車を引くのに利用される動物で食材として利用されるのは稀である。だからこの肉は高価である。水山羊については川べりに住む動物のため飼育数が少ないと言う事情がありこれもまた高価である。どちらの肉もカバシシよりも味が濃厚でジューシーである。これを串に刺し炭火で焼いたステーキは味付けが塩だけだというのにその味は絶品だ。本当に美味い物に余計な味付けは不要なのである。

 私自身肉が好きなので偏ってしまったがビフィド川で捕れた魚や、沼地や湿地に住む大ガエルと言う足だけが極端に大きいカエル、それに陸クラゲと言う生物の干物というのも美味しい物である。この世界の食生活は実に豊かだった。

 今にしてみればオーメルでの食生活はなんて面白みが無かったんだろうと思う。

 食事と言うのは栄養を摂取するだけの行為でしかなかった。不味いとは思わない程度の味の固形食とスープが私の食生活の全てだった。

 だからこそ、この世界での食事は美味しくとても楽しかった。気付けば私はセイジが食事に連れて行ってくれる事をとても楽しみにするようになってしまっていた。



 そんな生活を送っていたある日、私は自警団の詰所でいつものように契約料を貰い酒屋で酒を調達し住んでいる借家に帰ろうとしていた。

 この世界に来てアウメの処分と同じくらい頭を悩ませたのは生理である。オーメルにいた頃も生理はあったがそれで悩ましい思いをする事は一切なかった。それがこの世界に来てから生理の度に異様な倦怠感が襲ってくるのである。しかも数日は続くので全く困ったものである。

 その日も前日から続く倦怠感に私はイライラしていた。そんな悪い状態で私はセイジが女性と歩いている所を目撃した。私はショックを受けていた。理由なんて分からなかった。

 ただなんとなく無性に腹が立って酒を飲んだ。それから数日の記憶が曖昧なので多分飲み続けていたのだろうとは思う。それでも薄っすらと覚えているのは一度セイジが訪ねてきて食料と酒を置いていった事と他の異世界人に会ってみないかと誘われた事だった。



「この世界にトイレを作ろうと思う!」

 数日後セイジに呼び出され当時彼の泊まっていた宿屋の一階にある酒場に行きそこで彼はそう言ったのである。

「おー」

 そこには私の他にセイジと二人の異世界人の少女と一人のメイドがいた(メイドという職業の人達をこの世界で知った時は本当に驚いた)。真っ先に口を開いたのは黒髪でメガネを掛けた少女、エアリィだ。彼女は賢者なのだという。

「トイレってクソバーの事か?」

「そうだ」

「凄いな!セイジは!」

 続いて口を開いたのは銀髪の少女、イーレだった。イーレの事は聞き覚えがあった。ここから遙か東方の魔族との戦場で私の後に大戦果をあげた魔法使いの話は聞いたことかあった。それがイーレだった。顔を合わせるのはこれが初めてだったが。

「…。」

 なにやら感心しているエアリィとイーレだったが私はセイジの発言に特に関心を持っていなかった。

「というわけで三人に協力を頼みたい。それでまず場所なんだが」

「それならウチに作ればいいよ」

「良いのか?」

「良いよー。ウチに作ってくれれば便利だし」

「となるとエアリィの家の側に住まなきゃならないか」

 話はトントン拍子に進んでいる。

「何言ってんの?みんなでウチに住めば良いじゃん。部屋ならいっぱい空いてるよ。イーレは良いよね?」

「良いのか?」

「もちろん。ティレットさんもどうかな?」

 みんなに私の事は含まれていないと思っていたので面食らった。

「私は別にいいわ」

「え?なんで?」

「私は今のところ別に困ってないし」

 そう、私は別にトイレがなくてもなんとかなっているのである。特に作る必要性は感じなかった。

「そっか。なら仕方ないか…。清治はどう?」

「僕も?」

「当然。」

「いや、僕男だけど良いの?」

「ん?あ、そういう事か。イーレは良い?」

「私は構わないぞ」

「一応補足しとくとこちらのメイドの洋子さん、すっごい強いので清治が変な事しようとしても止めてくれるから安心だよ」

「どうぞご心配なく。お二人には害がないようお守りさせていただきます」

「ならそうさせて貰おうかな。なんかスマンな」

「うん?良いよ。賑やかになりそうで楽しみだ」

「で清治はどんなトイレを作るの?」

「ああ、そうだな。」

「まずはクソバーから始めようと思う」

「クソバー⁉」

「クソバーって?」

「クソバーと言うのはイーレの世界のトイレだ。僕自身は元の世界にあったようなのを作りたいんだがそれは時間がかかり過ぎる。今のところ直ぐにでも作れそうなのはクソバーなんだ」

 さっきから糞、糞と一体何を話しているんだろう。

「ふむ。個室があるんなら良いかな。でもそれで終わりじゃないんでしょ?」

「ああ、ゆくゆくは水洗式で温水洗浄機付き便器を備えた物を作りたい」

「搾便器は?」

「搾便器?」

「搾便器って言うのはエアリィの世界のトイレだ。けどそれは難しそうだな」

 今度は便と連呼し始めた。

「まぁそれはいつかで良いよ。この世界の技術レベルじゃあね」

「というわけでイーレにはこのクソバーについてもっと詳しく教えて欲しい。穴のサイズとか小屋のサイズとか」

「ああ、任せておけ」

 話はどんどん進んでいる。だが私はここに呼ばれた理由が今ひとつ分かっていなかった。

「私は?何か手伝わなきゃいけないの?」

「いや、ティレットは今のままでいい。ただアウメを売ったお金をトイレ作りのために貸して欲しいんだ」

「貸すも何も全部セイジが使えば良いのに」

「そうはいかない」

「セイジも頑固ね。良いわ。使って」

 もっとも後から請求するつもりは微塵もなかった。

「助かる」

「なぁセイジ、アウメってなんだ?」

 イーレはそう言った。異世界から来た魔法使いならもしやと思わなくもなかったがどうやら私とは別の世界から来たらしい。大体私はクソバーなんて知らないのだから当たり前か。

「ああ、二人は知らないか。ほらコレ」

「へえ、綺麗だね」

「すごいなコレは」

「ちょっとセイジ。あんまり見せびらかさないでよ」

 それは出来たままの形をしたアウメだった。これがアウメと分かる形をしている以上あまり見られたくなかった。

「セイジこれは一体何なんだ?」

 セイジは一瞬こちらを見て「話してもいいか?」みたいに目配せをする。妙に追求されるのも嫌だったので私は一つ頷いて答えた。

「これはティレットの、排泄物だった物だ」

 一瞬の間を置いて

「お前のウンコ綺麗だな!」

イーレはそう叫んだ。

「なっ⁉」

 イーレは私の目を見ながら言う。これを見た人間は綺麗だのなんだの言うが私にとっては排泄物だった物に違いはない。褒められるような物じゃないのだ。

「おい」

 私が戸惑っていると何やら業を煮やしたような顔をした男が私達のテーブルに近づいてきて言う。

「ここは飯を食う場所だ」

 それは知っている。何度か来ている。

「クソの話なら他所でしな」

 そう言われた私達はその場を追い出されてしまった。



「とにかく、トイレ、作るんで、どうぞよろしく」

 なぜか逃げるようにして酒場からほど近い中央広場に来てセイジは改めてそう言った。

「なんで、逃げなきゃ、ならないのよ」

「そうだ、ティレット。アウメの事なんだが」

「何よ」

「ほら、使い道。気にしてたろ?」

 これは売り始めた当初から聞いていた事だ。何に使われているのかという不安とこの世界の人間がアウメをどう活用するのかという興味からである。だがセイジ自身も、セイジがアウメを売っていた商人にも完成するまでのお楽しみとして知らされていなかったようで結局分からず仕舞いだったのだ。

「近々完成するらしいんだ。見に行かないか?」

「私も行くぞ」

 私が答えるよりも先にイーレが答える。実に興味津々といった顔をしている。

「それなら私も。でどこに行くの?」

 エアリィもそう答えた。なんだか妙な事になった。

「ビフィド村だ。他にも用事があるから二人もついて来て欲しい。ティレットはどうする?」

「行くわよ、もちろん」

 私は当然そう答えた。

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