第11話 祈りの場所
「なんだこれ…」
再び街の中央広場に辿り着くとそこも大騒ぎになっていた。
ある人は大雨でびしょ濡れになっている。
ある人はまるで竜巻にでも巻き込まれたかのように髪をボサボサにしている。
商人は倒れた商品を陳列し直している。
そんな人がゴロゴロしていた。一人や二人の話ではなかった。
「おっと」
また地震である。
「あああ!もう揺れるんじゃねえ!商品が!」
不意に突風が吹き側を歩いていた女性のスカートが捲れ上がる。
「さっきから何なのよ!」
ふと雨の匂いを感じて振り向くとそこは大雨だった。
「なんで晴れてんのに雨が降るんだ!」
私とセイジはその奇妙な光景に唖然としていた。
「これは一体…」
すぐそばで異常が起きているのに私達だけは全く無事だった。
ふと胸騒ぎがして私は空を見上げる。そこには水の精霊様が空を飛んでいた。
水の精霊様は空を駆けある場所でくるりと回る。その直後その下は土砂降りの雨になった。
風の精霊様も同じように優雅に舞う。すると風が巻き起こり強風が人々を煽る。
土の精霊様は仁王立ちしたまま足を踏み鳴らす。そして大地は揺れる。
「そんな、精霊様が」
未だかつてこんな事はなかった。いつでも気前よく力を貸してくれる精霊様に私はすっかり甘えてしまっていた。精霊様は決して人を傷付けないと、私はそんな風に思い込んでいた事に気付いた。
「セイジ…」
私は黙ってセイジの手を握る。
「セイジにも見えるか?」
「…ああ、これは一体」
「精霊様がお怒りになられている」
私はそう言うのが精一杯だった。
「お怒り?なんで」
セイジは目の前の光景に目を丸くしながら言う。
「それは、クソバーがないせいだ」
そう、クソバーとはただ排便をする所ではない。
私達が自然の一部である事、私達が生きていられるのは自然の循環の中にあるからであるという事、それを自覚し森羅万象に感謝を捧げる場なのだ。それを欠いた時人は驕り自惚れ無謀にも力を過信した挙げ句生きていられなくなるのだ。そんな人間に力を貸そうなどと精霊様が思うわけがない。
「なんでこんな時にクソバーなんだ」
「セイジだってクソバーで用を足すんだろ⁉」
「クソバーじゃなくてトイレだ!」
未だにセイジの言うトイレと言う物が分からない。
一体クソバーとどう違うと言うんだ。
「熱っ!」
「大丈夫?」
「ああ、平気だよ」
そばを通りがかった男女の会話が耳に入る。きっと焼き立ての腸詰めか何かのせいだろう。
「…熱い?」
セイジにも今の男女の会話が聞こえていて何かに気付いた様子だ。
「イーレ、あの青いのが水の精霊か?」
「そうだ」
「なら緑のは風の精霊で茶色いのは土の精霊か?」
「そうだ。セイジ、青いのとか茶色いのとか失礼だぞ!」
「そんな事はいい。なら火の精霊はどこにいる?」
「火の精霊様ならさっき噴水の所に…」
そこには誰もいなかった。さっき噴水の縁に腰掛けて周りを眺めていたと思ったのだが。
「火の精霊も怒っているのか?」
「いや、分からない。今どこにいるのかも」
「不味いな…」
セイジはそう呟く。
「不味いってどういう事だ?」
「水の精霊が暴れたとして今は雨を降らすぐらいだ。風の精霊は風を起こすだけ。もちろん激しくなると駄目だろうけど」
セイジは辺りを見ながら言う。相変わらず精霊様は猛り狂ったかのように街中を飛び回っている。
「土の精霊は地震だ。これは危ないけど、でもさっきみたいな揺れ程度ならまだ大丈夫だ」
「火の精霊様は?」
「火事はまずい。もし露店に火がついたとしたら」
言われて血の気が引くのが分かる。
露店は通りの両端にひしめき合うように並んでいる。店と店の隙間なんて人が通れる程もない。そして布張りの屋根はとても燃えなさそうには見えなかった。その一箇所にでも火がついたら瞬く間に燃え広がってしまうだろう。
「でも水の精霊様がいれば」
「いや、風と地震が組み合わさったら多少の雨じゃどうにもならない。こんな街一つあっという間に燃え尽きてしまうぞ」
「私のせいで街が…」
まだこの街に来て日は浅い。
だがこの街は好きだった。
一人一人の営みが街を賑やかに活気のある場所にしている。それを私の不手際のせいで破壊してしまうかも知れないと思ったら怖かった。手が震える。
「イーレ!」
私の手の震えが握った手から伝わったのかセイジの声は私を叱咤しているように聞こえた。
「どうすれば精霊の怒りは静まる?」
「それは」
考えられるのはクソバーだった。でもクソバーはこの世界にはないのだ。
「クソバーか?」
「…ああ」
「なんでクソバーなんだ」
「クソバーは自然と人間との間を取り持つ場なんだ」
「精霊は自然の存在でクソバーがその橋渡し役という事か?」
「そうだ」
「なら、自然を感じられる場所なら良いのか?」
「ああ、でもそんな場所なんて…」
セイジは何か閃いた様子だ。
「イーレ、精霊の力でここから遠くまで移動することは出来るか?例えば空を飛んだり」
精霊様の力で空を飛ぶなんて考えた事もなかったので少し驚いた。
「たぶん出来る、と思う。だが今の私の願いを精霊様は聞き入れてくれるだろうか」
「大丈夫。やってみよう。ダメで元々だ」
セイジは私の手を離し、私は両手を組んで目を瞑り精霊様に祈りを捧げる。
不安はあった。だが次の瞬間体がふわりと軽くなる。目を開けると私は宙を浮いていた。
「イーレ!」
初めて感じる浮遊感に戸惑っていた私はセイジの伸ばした手を思わず掴む。その瞬間セイジも浮いていた。周りを見れば私達は緑色の風に包まれていた。
「セイジ、どうすればいい⁉」
「森だ!ビフィドの森に飛べ!」
セイジの意図は汲み取れなかったが私はとにかく夢中で祈った。
「ここは?」
セイジの指示で飛んだ先はビフィドの森だった。
「ここなら丁度いいだろ?」
「ここで何をすれば」
「何言ってんだ?トイレだよトイレ。いや、イーレの場合はクソバーか」
そこでようやくセイジの意図が分かった。そして不意に訪れる便意を私は堪えられそうになかった。
「すまない、ちょっと行ってくる」
「ああ行っといで」
森の中はマナに満ち溢れていた。
木々の葉が擦れ合う音、おそらく川の源流の一つであろう湧き水とそこから流れるせせらぎの音、鳥のさえずり。こ
こは静かだが音の一つ一つが自然の鼓動、生きている証左に感じられる。元いた世界では当たり前に感じていた光景だ。
私にとってここはとても落ち着く場所だった。精霊様の姿はどこを見ても見えなかった。だがこの場所に漂う優しい存在感は精霊様そのものだった。
そうか、見えなかっただけで精霊様はいつも側にいたんだなと私はそんな事に気が付いた。
これは後から聞いた話だが私達が街から飛んで行くのをラベールと桂花は見ていたらしい。彼女達は警備隊の人間と一緒になって自警団と乱闘騒ぎになっていたところ街中での騒動の通報を聞いて駆けつけたそうだ。
そして街中に付いた瞬間私達が飛んで行くのを見たという。
「まるでおとぎ話のお姫様みたいだった!」
ラベールはそう興奮気味に言った。
街中での騒ぎは私達が飛んで行ったあとパタリと止んだそうだ。セイジは
「精霊はイーレが用を足せるように茂みから人を追い出そうとしてたんじゃないかな」
と言っていた。だから火の精霊様は火をつけて暴れるような事はしなかったし、水の精霊様も、風の精霊様も、そして土の精霊様も人の身に危害を加えるような事はしなかったのではないかと。つまり私達の危惧は杞憂に終わったという事だ。
この話にはまだ続きがある。
「あれは精霊様がやったのかい?」
そう尋ねてきたのは露店組合の長をしているという太った老人だった。私がそうだと言うと
「またやってくんないかな⁉実は単に露店を出すだけじゃつまらないと思っていたんだよ!こないだのあれ!お客さんからも受けが良くってね!雨に濡れたおかげで思い切って服を買ったとか、風に吹かれたおかげでいい髪留めを見つけられたとか、地震で落ちた商品がお値打ちになって良い買い物が出来たとかね!」
なんて興奮気味に言われて私は開いた口が塞がらなかった。
「マンネリ化した露店街に刺激的なサプライズだったよ!はっはっは!」
とにもかくにも誰も不幸なことになってなくて良かったと私はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
「ふーむ。」
「うむ。」
「どうしたんだ?二人して」
ビフィスを発って二日後、私達は盗賊団らしきものを見かけたという辺りで野営の跡を見つけた。焚き火をしたであろうかまどの跡、テントを張った時の杭の跡、食べ物の残り滓、それらを見るに確かにここで野営をしていた人間がいたというのは明らかだった。
「なんか変じゃね?」
「奇妙だな」
「何が?」
二人は私を見る。
「コレは盗賊団の仕業なの?」
ラベールは言った。
「整然とし過ぎている。」
桂花はそう呟く。
「野営跡ならこんなものじゃないのか?」
「イーレは軍隊にいたんだっけ?」
「ああ。一ヶ月ちょっとだけどな」
「その時も野営とかはあったんだよね?」
「もちろん」
「こんな感じ?」
「当然だ」
立つ鳥跡を濁さずと言いながら片付けていた男がいて感心したものだ。
「野営の経験ってあとは警備隊に入ってから?」
「そうだ」
「私達もこんな感じにしてくよね」
ラベールは辺りを見ながら言う。
「確か盗賊団らしきものを見かけたという話だったな」
桂花は言う。
「盗賊ってさ、もっと適当なんよ。ゴミとかそのまんまだし酒瓶なんかも放置だし」
「テントの張り方も雑然としているしかまどを作ったりなんかもしない。作ってもそのまま放置だ。とにかく傍若無人を絵に描いたような光景になる」
「盗賊なんてアホだからね基本」
「ならこれは誰が?街道警備隊の誰かとか」
「そのような話は聞いておらぬ」
「自警団の連中ならともかく私らはちゃんと連携とれてますから」
当然自警団でもないのだという。
「じゃあ誰が?」
私はかまどの跡で炭のかけらを見つけて拾う。もう何日も経ったのだろう。炭はしっとりと湿っていた。
「これは、でもそんなはずは」
「だがそれしかあるまい」
ラベールと桂花は杭の跡を見ながら言った。
「これは」
「東方遠征軍だ」
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