第10話 トイレがない!
「お、早かったな」
「あ、いや、その」
用を足しに茂みを覗いてみたら沢山のズボンやスカートがぶら下がっていた。それこそ洗濯物でも干しているのかと思うくらい。
つまり用を足せそうな場所はなかったのである。
「なら別の場所に行こうか」
セイジにその事を伝えるとどこか空いている所を探しに行くことになった。
「…は?」
結論から言うとどこにも空いている所なんてなかった。
この茂み自体はどこにだってある。家や宿屋のそばとか役場などの公共施設、つまり人のいる所に必ずある。だがどこも空いてはいなかった。
キャラバン隊が到着した後のビフィスの街は人で溢れ返っている。どこを向いても人、人、人。そして丁度時刻は昼過ぎ。昼食を食べ終えてトイレに行きたくなる人も多いだろう。
それにしたってどこの茂みもいっぱいとは思いもしなかった。
「イーレ、大丈夫?」
「ん?ああ、まだ大丈夫だ」
便意はそこまで差し迫ってはいない。なんとなくしたい感じがあって手遅れになる前に行っておこうかというくらいである。
「そうか。それにしても困ったな」
「いずれ空くだろうから我慢するよ」
私がそう言ったその時どこからか悲鳴のような物が聞こえた。
「なんだ?」
セイジはその悲鳴のした方向を見て言う。
「西の宿屋の茂みか?」
私もセイジの見ている方向を見るとそこには立派な造りをした建物が見えた。そこはセイジの泊まっている宿屋とは別の、もっと高級な宿だった。やはりその側にある茂みから悲鳴とともに声も聞こえてきた。
「畜生!何だ今の突風は!ズボンが!」
「ああ!スカートが!なんて事!」
用を足している合図として吊るしているズボンやスカートだが当然強風なんかが吹けば落ちてしまうだろう。そして落ちた先には排泄物があるのである。
「なんか悲惨な事になってるな」
「ああ、クソバーがあればあんな事にはならないのにな」
一応空いている所を探しつつ私達は街をぶらついているとまた叫び声がする。
「雨だ!」
「なんでここだけ!」
「せっかく気持ちよく出してるのに!」
その騒ぎの元は茂みだった。役場の側である。そしてなぜか役場の周りだけ雨が降っている。空を見上げれば気持ちのいい晴天である。セイジはこれを狐の嫁入りと言っていた。
「この世界でもこんな事もあるんだなぁ」
「そうだな。雲がないのに雨が降るなんてな」
「こんなに澄みきった青空なのにな」
「それでなんで狐が嫁に行くんだ?」
「さあな。そういう言い伝えがあったんだ」
「その狐は人間と結婚するのか?」
「いや、狐同士の結婚じゃなかったかな」
「良かった。セイジ達は動物と結婚するような人達じゃないんだな」
「分からないぞ。狐や狸は人に化けて人を騙すって言うし」
「セイジは実は狐や狸なのか?」
「婆ちゃんの婆ちゃんの爺ちゃんくらいなら狐に騙されたりはしてたかもな」
なんて馬鹿な事を話していると雨は止んだようで茂みの騒ぎは収まっていた。雨の後の茂みなんて地面が凄いことになってるだろうにそれでも人は残っていた。
「お。」
「おお。」
またぶらついていると不意に揺れを感じた。地震である。茂みのすぐそばだった。
「セイジはなんか平気そうだな」
「ん?ああ、まあ、慣れてるっちゃ慣れてる。イーレもあんまり驚いてないね」
「うん。これくらいの揺れなら年に何回かあった」
揺れ自体は大したことはない。しかも局所的。だがこの世界の人にはこのくらいの揺れでも大騒ぎするようで茂みからは悲鳴が聞こえる。
「おお!ビフィドの神よ!お許しください!」
「この世の終わりだ!」
揺れているのは側の茂みだけではなかった。
「ああ、商品が倒れる!おい!そこ押さえろ!」
どういうわけか近くにあった露店だけが揺れている。一度地震が起きれば辺り一帯が揺れるのにその局所的な揺れ方は随分奇妙に見えた。
「ん?どうした?セイジ」
「あ、いや。この世界の建築物の耐震性は大丈夫かなと思ってね」
「タイシンセイ?」
耐震性とは建物の揺れに対する強さであるとセイジは教えてくれた。周囲の建物はレンガ造りだったり木製だったりするがそこは揺れてはおらず倒れたり崩れたりと言うことはない。
「あの辺りは揺れてないな。なんだこれ?」
その地震の奇妙さにはセイジも首を傾げている。
セイジのいた世界では地震が多かったらしく建物が倒壊した事もあるのだと言う。この世界の建物はセイジ達の世界からすると古い造りをしているので地震なんて起こればもっと酷いことになるんじゃないかと不安になったそうだ。
「まぁ昔ながらの建築物が壊れなかったりするからな。この世界の建物はああ見えて結構丈夫なのかも知れない」
気付くとあちらこちらで地震が起きている。それもやはり局所的にだ。
そんな地震騒ぎもやがて収まった。
茂みから慌てて飛び出てきたような人もいたが下半身が裸なのに気付いて今度は慌てて茂みに戻っていく。街の人々は次第に平静を取り戻しそして最初から地震なんてなかったかのようにいつもの喧騒に戻っていく。
「この世界の人達も結構平気みたいだな」
「ああ、マイペースというか商魂逞しいと言うか」
セイジは近くの露店を見ている。倒れないように抱きとめた大きな瓶をそのまま客に売り込む商人がいた。その隣では地面に落ちた鞄に特価品と書いて売る商人がいる。私とセイジはしばらく商人たちの図太さを眺めていた。
「あ。」
「どうした?イーレ」
「いや、別に。なんでも」
波が来た。我慢だ、我慢。
この波さえ乗り切れば落ち着くはずだ。
「にしてもどっかにないもんなのかねぇ」
「あ、ああ。そうだな」
便意の波は引き私の下腹部は平穏を取り戻す。
「あ、そうだ」
私は突然そこに思い至る。
「宿所なら空いてるはずだ」
「宿所?」
「そうだ。街道警備隊の宿所だ。私もここに住み始めたばかりでな。すっかり忘れていた」
「イーレの家って事か。じゃあ行ってみるか」
荷物を置いてくるついでにもなるので私達は早速宿所に向かう。
だが
「あー、今いっぱいだわ」
宿所に着くなりデートはどんな感じだと聞いてくるラベールと桂花を軽く流してクソバーに行きたくなったがどこも人でいっぱいだと事情を説明するとそう答えが返ってきた。
「なんでだ⁉」
宿所に残っているのは私達のような非番の人間が数人と管理人がいるだけのはずだった。
「丁度キャラバン隊に同行してた人が泊まりに来てるんだよ。ほら、ここそのための部屋もあるじゃない?」
「ここは我々街道警備隊員にとって宿り木のような物である」
期待はしてたので少々がっかりした。
「そうだ。自警団のとこはどう?あの辺なら人もいないしさ」
ラベールの閃きと案内によってそこに行くことにした。だがそこもいっぱいだったのである。
「ちょっとどういう事よ」
自警団の詰所の中、押し入るように入ったラベールは詰所の中にいるおじさんに詰め寄る。彼はラベールと桂花とは顔見知りであり、でもそんなに仲良くはないらしい。
「ああん?当たり前じゃねえか。何言ってやがる。良いか?俺たちの仕事はなんだ?街と人々を守ることが仕事だろう。キャラバンのおかげでただでさえ盗賊の的になってんだから警備体制だって強化するさ」
「にしたって多すぎでしょ」
ラベールは茂みを指差す。
「どうぞご自由にって書いてあるだろ?そう言うこった。糞が出来なくてここに来る人間が減っちゃあ俺たちは失業だ。それはお前らも同じだろう」
「ぐぬぬ」
「お前ら街警がしっかりしてないせいでこうして俺らが気張らにゃならんのに」
「あー!男のくせに女々しいわね!あんた達に仕事させてやってんのよ!大体こないだのやつは何よ!」
街道警備隊と自警団はそもそも仲が悪い。
自警団は街で盗賊が出れば街道警備隊の不手際を指摘し、街道警備隊からすれば長い街道のその全てを少ない人数でフォロー出来るわけでもなく自警団の事をただ同じ所に留まって楽している連中としか思っていない。
それでもラベールが躊躇いなくここを訪れる事にしたのは自警団にただ文句を言いに来たかっただけらしい。
ラベールとおじさんの口論はたまたま自警団の詰所を訪れた警備隊の人間まで加わり大騒動となり始めていた。
私とセイジは騒ぎに巻き込まれ詰所を追い出されてしまったのでまた別の場所を探すことにした。
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