第6話 アウメ。


 穴の深さが一メートルを超えた辺りからちょっとした梯子を使って出入りしなければならなくなったのだが、その梯子も深さが丁度イーレやエアリィの背丈ほどになると出入りがし難くなる。

 そんなわけで僕は梯子をより大きな物と取り替えるため穴を掘る手を止め豪邸の裏にある物置きへと向かうことにした。

 豪邸の一階、丁度この穴が見える所には庭を眺めお茶でも飲むに適したような一角がある。この豪邸の今の持ち主はエアリィだが作られたのは何十年も前だという。ここを作った人はあそこで庭を眺めながらティータイムを楽しもうとしたのであろう。


 今そこではティレットが呆けている。

 ぶどう酒の入った酒瓶を抱き胡座をかき、どこを見るのでもなくぼーっとしている。

 一応断っておくが、酒を飲んでいない時のティレットはあんな感じではない。もっとツンケンとした感じで出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるスタイルにちょっと高めの身長とその美貌も相まってすごく格好のいい美人に見える。だが飲むとあの様におかしな感じになる。

 それでもティレットの境遇を考えればそれも致し方ないと特に酒を止めようとかは思っていない。それでも朝から飲んでいるのはどうかとは思うが。


 ティレットのいた世界は滅びに瀕していたという。

 世界は再生するという事を知らず、何もしないでいればどんどん壊れていくのだと。空間が壊れるとかそれを人の手で作り直すとか聞いても僕にはよくわからなかった。ただ核爆発で都市が滅びるとか隕石の衝突で地上が焼き尽くされるとかそんなレベルではない。そんな事が起こってもせいぜい人の命や人の生存圏がなくなるだけで世界そのものは多少変化したに過ぎないらしい。

 彼女の世界は文字通り世界がそのものが壊れていくのだという。

 そんな中でティレット達その世界の住人はその世界を延命させる為にあらゆる事を最適化した。

 食事は生きて活動するためだけの栄養をただ補給するための行為、睡眠時間もきっかり決められ自発的な眠気ではなく休眠ベッドの機能による強制睡眠、仕事も当然職業選択の自由などなくただ世界を保つための仕事を充てがわれるだけ。完全にコントロールされた管理社会。

 それでも一応の娯楽はあった。酒自体もあったがティレットは興味がなくこの世界に来て初めて素晴らしさを知ったらしい。


 この世界に来てティレットは自由を知った。食事は美味しく酒も美味い。イーレやエアリィという友人も出来た。そして何よりこの世界は滅びとは無縁であった。滅ばないよう働きかける事をしなくてもいいという究極の平和。


 呆けているようにしか見えないがティレットはこの世界の穏やかな日々をああして全身で味わっていると思えばそっとしておいてやろうなどと思うのである。



 が、そんな僕の気遣いも虚しく嵐はやって来た。

「ティレットさん!ティレットさんはいるか!」

 どやどやと屈強そうに見える男たちが数人豪邸の門を抜け入って来る。

「おい、こっちにいるぞ!」

「車もってこい!」

 中の一人が呆けているティレットを見つけると仲間の男たちに声を掛ける。すると大八車のような荷車を引いた男が門から入ってくる。この世界には車もトラックもない。大きな物や沢山の荷物を運ぼうと思ったらこのような荷車を使うのが当たり前なのである。

「ティレットさん!ちょっと来てくれ!」

 そして一人の男がティレットに話しかけるが酔っぱらいの反応は鈍く首を傾げ「へ?」なんて返事をするのみ。

「駄目だ出来上がってる。おいどうする」

「いいから連れてくぞ。後で水でもぶっ掛けりゃ正気に戻るだろ」

「ああ、ティレットさん失礼しやすよ」

 なんて言いながら二人くらいがティレットの体を持ち上げる。ティレットは「へ?え?」とか戸惑いながらも特に抵抗することなくあっさりと荷車に乗せられる。

「それじゃティレットさんお借りしてきますんで」

 男たちの一人が僕に声を掛けてくる。彼とは数回会ったことがあり面識があったので

「はい、ご苦労さまです」

と言って僕は頭を下げる。

「目標確保!全員撤収!」

 一人が大声で言うと男たちはあっと言う間に豪邸から姿を消した。当然ティレットは連れて行かれた。


 今のは何かと言うとティレットが仕事に駆り出されたのである。

 ティレットはこの世界に来て魔法使いとなった。イーレと同じ魔法使いではあるが魔法自体は全然別物なんだそうでイーレ曰く「あれは世界を滅びに導く力だ。まさしく黒魔術だ」だそうな。

 ティレットの使う魔法は精霊の力を借りた物ではないがただただ強力だ。本気を出したらビフィスの街なんて簡単に消し炭になるだろう。その力は今街の防衛に使われている。ビフィスは栄えた街であるので盗賊のような連中からすれば格好の標的である。そのためビフィスでは自警団が組織され街を守っている。先程来た男たちはその自警団の人たちだ。彼らにとってティレットの魔法は盗賊達に対する抑止力、あるいは直接的な攻撃手段となる。


 あれから三十分ほど経った。

 長い梯子を穴に下ろし穴の中で掘り起こした土を外に出していると物凄い轟音が聞こえた。南東の方角だ。なんだ?と思っていると再びドォン!と音がする。もう一度音がして今のはティレットがやったんだなと思い至る。僕自身間近で何度か見た事があるので特に驚きはなかった。無事自警団の人たちの目的は果たされたようだ。僕は街が守られた事とティレットが勤めを終えた事に安心して自らの作業に戻ることにした。



 アウメを説明するためにはまずA(仮)について語らねばならない。

 まず表記だが日の真ん中の棒線が離れて曰になるようにAの真ん中の棒線が離れている。曰とは逆に左側だ。もちろんそんな字はないのでA(仮)としておこう。発音はアーにエーが四分の一弱混ざったもので僕も何度か口にしてみたがティレットには全然違うと言われてしまった。これはエーの割合が四分の一でも五分の一強でも駄目らしくそれでは全然違った意味になってしまうらしい。

 それでこのA(仮)は全ての物事の始まりの一なのだと言う。

 そしてA(仮)に還元する力をA(仮)の力という。ティレットの世界、名前をオーメルと言うのだがその世界の住人はこの力を使って世界を維持しているのである。


 さて、アウメとはこのA(仮)の力を使って排泄物を変化させた物である。

 元はうんこだというのにアウメはとても美しい。臭いもない。そうとは知らず舐めてしまった事もあるが無味であった。大きさはバスケットボールの直径ほど、形はおはじきや鏡餅の一段目のような円盤型だ。

 そして透明で宝石のような輝きを持つ。色はその日によって変わる。おそらくティレットが食べた物やアウメを作った時の気分、または体調の変化によって青、赤、黄、緑など様々な色が付くのだろうとは思う。色々と試してみたのだが狙った色のアウメを作るのはある程度の法則らしき物こそ見つかったが非常に困難である。

 こうして色が着くことでこのアウメは見た目には大きな宝石のようである。

 だがこの色が着くと言うのは本来有り得ない事でティレットはその事に劣等感を抱いていた。

 ティレットは僕やイーレ、エアリィとは違い今までと同じようにトイレ出来なくて困っていたわけではない。

 彼女の世界ではアウメルというおまるに似た容器に用を足す。そして出したものをアウメに変えるのである。

 アウメルは大きめの鍋で代用が可能であったし排泄物はアウメに変化させてしまうので用を足す場所にも困らなかった。アウメル代わりの鍋さえあればどこだってトイレになってしまうのだ。臭いも残らない。

 だがそのアウメこそがティレットが困る原因となった。

 彼女の世界ではアウメは世界を構成する物質として利用されていたのだがこの世界ではアウメに使い道がなかったのである。ティレットはこの世界に来て一年になるらしいがトイレを一日一回としても単純計算で三百六十五個のバスケットボール大のアウメが出来上がる事になる。実際にはそれ以上だったが当然そのアウメは日々溜まり処分しなければならなかった。


 だがティレットはどう処分していいのか分からず困っていたのである。


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