第4話 クソバー。




「順調そうだな、セイジ」

 一昨日、昨日と夢中で掘り進めた結果穴の深さは一メートルくらいになった。外から見るとまさに穴という感じで中々の達成感を味わっているとイーレが声を掛けてきた。

 身なりは腰までの長さで丈夫そうなコート、その下はスカートにも見える動きやすそうなハーフパンツ。背中には大きなリュックを背負っている。イーレの仕事着だ。

「もう出掛けるのか?」

「ああ、十時出発だからな」

 今の時刻は九時ちょっと過ぎ。イーレ達の集合場所である北門まではここから歩いて二十分ほど。丁度いいタイミングだろう。

「気をつけてくれよな」

「心配しなくてもいい。私はいざという時のサポート役だからな」


 イーレはこの世界で魔法使いとなり街道警備の仕事を手伝っている。

 一見平和そうに見えるこの世界だがならず者や盗賊、強盗などは存在する(ちなみに異世界らしく魔王とか魔族なんかもいるらしい)。そういった輩が街道を行き交う商人や旅人を襲わないように警備が必要でその仕事にイーレの魔法が活躍するのである。

「それに精霊様が付いているなら怖いものなしだ。」


 この世界での魔法は精霊の力を借りて行う物だそうだ。

 火、水、土、風それぞれに精霊がいてその精霊の力を使って様々な現象を引き起こす。

 それが魔法。

 本来は一人一属性が基本で例えば火の精霊の力を使う魔法使いには他の属性の魔法は使えない。一生を掛けて魔法を極めた達人がようやく二つ目をなんとなく扱える程度にしかならないそうだが、イーレはこの四つ全ての魔法を使うことが出来る。

 なんでもイーレは精霊たちにとても気に入られているらしく全ての精霊が気前よく力を貸してくれるのだそうだ。この世界の魔法使いからは「さすが異世界人!」とか「イーレさんマジ半端ねぇ!」とか思われているらしい。


「それよりも心配なのはセイジ達の夕食だ。一応今日明日の分は作っておいたがその後は自分たちで用意出来るのか?」

 イーレはこの世界よりももっと原始的な生活をしていた。狩猟や採集で食べ物を得てそれを元に食事を作るのはイーレ達女性の仕事だった。

「大丈夫だよ。大体ここで暮らす前はそれぞれ生きてきたんだから二日三日くらい粗末な食事でも生きていけるさ」

 今回のイーレの出張は三日はかかるそうで確かにイーレの作る美味しい食事がなくなるのは辛い。

「でも早く帰ってきてくれると嬉しい。」


 イーレはこの世界での食材の豊富さに感激したそうだ。

 特に香辛料は類は彼女にとって衝撃的な物だった。今までよりも様々な料理を生み出せる事は料理を生きる為の義務から楽しみへと変化させた。僕らは彼女が嬉々として作る料理の恩恵に与っているのである。

「ああ、なるべく早く帰ってくるから待っていてくれ」

 僕が頷こうとした瞬間もの凄い速さで飛んできた何かがイーレに抱き付いた。

「イーレちゃん!行っちゃやだあああ!」

 ティレットだ。イーレは自分よりも背が高くナイスバディなティレットに抱き付かれ身動きが取れなくなりいつもの酔っ払いの奇行にうんざりした顔をしている。

「おい、ティレット。また朝から酔ってんのか?」

 この世界来た異世界人の魔法使いは酒が飲み放題である。ティレットも魔法使いでその特権をこうして正当な形で行使しているがイーレはその酒を料理に使ったり香辛料を買うために金に替えたりしている。

「黒魔術師よ、流石に今日だけは勘弁してくれ。仕事に行く前に疲れてしまう」

「やだやだやだ」

と繰り返すティレット。

「ちょっと洋子さん呼んでくる」

「ああ、頼む」

 諦め顔で酔っ払いの為すがままのイーレを助けるために僕はツルハシから手を離し洋子さんの元に向かった。



 クソバーとはイーレの世界の共同便所である。

 作りは単純。地面に大きな穴を掘りその周囲にいくつか小屋を作る。小屋の床に開けられた穴から外の大穴まで滑り台のような板を設置しこの上で用を足せば排泄物は大穴の底へと滑っていくという仕組みだ。大穴が一杯になったら種を蒔き土を被せる。小屋は解体しまた別の所に穴を掘りそこに設置してクソバーを作る。クソバーだった所には草が生い茂り自然に還るというわけだ。

 またこの穴には食料になった動物の骨や貝の殻、果物の種などのゴミを捨てる場所でもあった。古代の貝塚を連想させるがイーレ達の生活もまた縄文時代とか弥生時代のようなものだったらしい。狩りや採集で食料を得、物によっては栽培も行っていたとのこと。狩りこそ男性の仕事だったが採集や貝拾いなんかは女性も行っていた。そして集めた食材を村に持ち帰り調理して食べる。その繰り返し。たまには祭りやそれこそクソバーの移設などのイベントはあったようだが実に平和的で長閑な生活である。


 さて、ここで一つの疑問がある。

 イーレが野山や川に出掛けた時にトイレはどうしていたのだろう。

 当然山や川にトイレはない。となれば野糞するしかない。まさか朝クソバーで用を足し帰ってくるまでどんなに漏れそうになっても我慢する、というわけにもいかない。つまるところイーレは野糞なんて平気なんじゃないかという事だ。気になったので当人に直接聞いてみたらやはり野糞自体にはさほど抵抗は無いという。ならばなぜトイレが、彼女にとってはクソバーだが、それがなくて困っていたのだろうか。

 答えは彼女達のトイレ観にあった。



 現代日本人にとってトイレとは排泄を行う場所である。時に排泄物以外を出したり中にはその小さなプライベートな空間そのものに価値を見出す人もいるが基本的には用を足す場所である。それだけである。

 だがイーレ達は違う。クソバーとは儀式の場なのである。

 そもそも排泄行為の意味からして違う。人間にとって排泄行為は糞や小便という体内の老廃物、食べた物の成れの果てを体外に排出する行為である。イーレ達もここまでは同じだがその後が大きく異なる。

 排泄物は自然界で分解され土となり大地に還る。その土を元に新たに植物が育ち、動物はその植物を糧とし、その動物は人間の糧になる。

 イーレ達は自分たちが自然の循環の中にある事をよく知っているのである。自然の恵みのおかげで自分たちが生きていける。だから排泄行為とは自然と一体となり感謝を捧げる行為であり、それを行う場所がすなわちクソバーなのである。

 また彼女達はこの自然に神や精霊を見出した。

 原始的な宗教、精霊信仰である。

 だからクソバーとは精霊に対し祈りを捧げる場所なのである。つまりそれがないからイーレは困っていたのである。無宗教である日本人、特に僕なぞまるで神社に行ったりはしないので分かり辛いが毎日欠かさず神社に御参りするような人がそれが出来なくなるようなものだろうか。

 だがイーレにとってそれは僕らが思う以上に深刻な問題だったのだ。


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