終章
作るべきもの
雪乃はオストマルクでの日々に思いを馳せていたが、始業時間まであと二十分になったことに気がつくと、『週刊ゲーム通信』をそっと閉じて、そのままコンビニのレジへ持って行ってペットボトルの紅茶と一緒に購入した。店を出ると、本格的な春の訪れを告げるような暖かな四月の日差しが道路に降り注いでいる。
オストマルクを退職後、雪乃はすぐに新能が紹介してくれた株式会社トリスタンへ中途採用枠で応募し、面接を経て即採用してもらえることになった。二〇一三年の二月から正式に勤務を開始したが、トリスタンはまだ設立されて数年の若い会社で、経験のあるプランナーが極端に少ない。雪乃の二年八ヶ月という経験年数でもプランナー陣五名の中では二番目に長いキャリアだったりした。
現在は受託開発案件として開発中のスマートフォン向けゲームを、ディレクターと協力して開発を進めてリリースまであと少しのところまで来ていた。仕事の流れは、これまでの経験から定型化したものを提案し、その流れで今のところ順調に進行させることができている。
本来、試用期間は三ヶ月とのことだったが、雪乃は二ヶ月で先日無事に正社員に昇格となり、仕事にもより身が入るようになった。若くて経験も浅い会社だが、それだけに今から自分たちで会社の歴史を作り上げていく歓びがある。社内にはクセの強い人もいるが、どうにかこうにか仕事を回すことができていた。
未沙とは退職後もつきあいがある。彼女から聞いた話によると、オストマルクは社長の指示で今期から開発体制が変わり、紺塔は企画営業として外で開発案件を引っ張ってくる仕事に注力し、ディレクター業務は規模の小さめのもの一本に限定されることになったという。企画課課長も田無に代わった。ディレクターは社内の若手を積極登用することになり、北浜は当然その中に入っている。
新能とはメールのやり取りもほぼ無くなったが、彼が担当したスマホのゲームがリリースされた時にはその連絡をくれた。『Raise Your Flag.』という、ファンタジー世界で傭兵団を運営していくというシミュレーションRPGだった。お祝いのメールを返信しながら、今度連絡をする時は、雪乃自身が企画したゲームがリリースされた時にしたいと思った。
会社までの道のりを歩きながら、またジーンズがきつくなってきたなあと雪乃は思った。意図的な暴飲暴食の結果として当然ながらウエストはもう九センチは大きくなり、顔もふっくらと丸みを帯びてしまっている。健康的にはよろしくないと思いながらも、会社で「早見さん少し痩せたらもっと美人なのに」という声を耳にするたびに苦笑しながらしばらくこれでいいやという気もする。
会社のあるビルの入り口をくぐり、五階にあるオフィスへとエレベーターで向かう。担当しているスマホのゲームはもうデバッグも大詰めの段階で、雪乃自身は今のプロジェクトの終了と同時に企画課の主任に抜擢されることと、次のプロジェクト立ち上げの準備に加わるよう指示されている。次は確か、コンシューマの案件で、版権もののアクションゲームだと聞いている。版権ものは苦手なのだが、何事も勉強だ。プロジェクトの立ち上げから参加することも初めてだが、まずこれまでの経験を棚卸しして、あらかじめ準備をしておいたほういいと感じたことをまとめていこう。カバンの中には常にプロジェクトの進め方や論理的思考等についての本が数冊入っていて、小まめに読み進めては参考になると思ったことはどんどん現場に反映していっている。合うものも合わないものもあるが、とにかくまず自分がやってみることだ。新能と同じく『自分で必要になると思うからやる、それを評価するのは他人なのだから気にしない』ことは、もはや雪乃の行動指針になっていた。
エレベーターが五階に止って、雪乃はオフィスのドアをセキュリティカードを使って解錠し、中に入る。
「おはようございます」
周囲のスタッフが次々にあいさつを返してくれる。トリスタンでは社長の方針で、挨拶にはうるさい方だ。そしてそのおかげか、オフィスの朝の空気はバルバロッサと同じ様に明るさがある。
パソコンのスイッチを入れて席に着く。買ってきた紅茶を飲みながら、周囲のスタッフと最近やっているゲームについての雑談もする。皆それぞれハマッているゲームが異なるのがまた面白い。
始業五分前になると、皆が今日の予定を確認していく。雪乃はオストマルク時代と同じ様に、パソコンのスケジューラとは別にプライベートで手帳を買い、そこに日々の仕事や予定、目標を書き込んでいた。その手帳には、最初のページに自分で書いた自分への問いかけがある。
『ゲームクリエイターとは誰の事を言うのか?』
雪乃は毎日、この問いかけへの答えを仕事の前に自分で答えることにしている。
驕らないために。オストマルクでの日々を無駄にしないために。
どんな風に遊び手の心を動かすのか。そのためにどんな仕組みと素材が必要なのか。それを自分で組み立てられ、そのために陣頭指揮を執って現場を動かせる人をこそ、雪乃はゲームクリエイターだと思う。
だから自分は、ゲームと開発現場、その両方を作っていく。
それが私の目指すべきゲームクリエイター像であり、目標だ。
そして、ディレクターとして自分のゲームだと胸を張れるタイトルをリリースすること。その時に、自分は初めて新能と逢える。
『互いに本物のゲームクリエイターになったらまた逢おう』――
あの新能の言葉を胸に、目指すべき目標へ向かって、日々前へ進んでいこうと思う。
早見雪乃、二十六歳。職業はゲームプランナーだ。ゲームを作ることが私の仕事だ。
ゲームを作ることは、皆の笑顔を作ることだと雪乃は考えている。
ユーザーの、スタッフの、そして私の絵顔。
その笑顔を探すために、雪乃は今日も現場にいる。
そう、ただ笑顔のあり方を求めて。
『遠き開発』 終
遠き開発 安 幸村 @yasu_yukimura
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