(四)距離

 翌日から北浜の面談が始まり、雪乃もイベント班の中で最後の一人として一対一で彼との面談に臨んだ。会議室で北浜と対面で向かい合う。会社での仕事の一環なのだから、互いに意識して畏まる必要があった。


「早見さん、お疲れ様でした。早速ですが、まず今回あなたが担当した作業内容を教えてください」


 雪乃は頷いて、愛用の手帳に予めメモしていた作業内容を読み上げる。


「はい、私はイベント班のスタッフとして、イベントスクリプト作成作業、イベント全体の資料管理、それからイベント班全体の進行段取りをまとめました。作成したイベント数は、大小ありますが、概ね四十個前後です」

「作成したイベントの自己評価についてはどうですか?」

「私の作成したイベントは、椎名さんが作成したものと比べると、やはり見劣りがしました。椎名さんは、前任者の作成したフラグの制御の誤りを修正する作業がありましたが、その当たりの作業を苦手としていました。そこで椎名さんと話し合って、私がまずフラグ制御を含めて、今まで前任者が作成したイベントを修正して、新規のイベントについてもイベントを骨組みとして全体に必要な要素、カメラや画像素材、テキストを仮で組み込んでまずイベントがゲーム上で貫通するようにしてから、椎名さんに作り込みとして見栄えを良くしてもらう、という具合に作業を分担する形にしました。結果的に、イベント全体、特に要所の大きなイベントのクオリティは他社競合製品と比べても見劣りしないものにできたと思います」

「うん、早見さんが入ってくれてから、イベント班の実装速度は飛躍的に上がった。それまで実装が遅れに遅れていたから本当に助かったよ」


 北浜は微笑を浮かべる。雪乃は表情を変えない。


「イベント班全体の進行段取りをまとめたというのは? 具体的に何をやったのかな?」


 雪乃はこれにも淡々と答える。


「イベント班は、追加で必要なコマンドやモーション、エフェクトの発注などを、そのイベントを作り始めてからプログラマやデザイナーに相談し、発注して作成してもらっていました。それは効率が悪いと思いましたので、予め章単位で全イベントを見渡して、必要になると思われる処理や素材を洗い出してから、打ち合わせをして発注しておくという風にやり方を変えました。その打ち合わせの開催と進行、その結果発注する追加処理や素材のリストを管理したことがやったことになります」

「ふむ」


 北浜は両腕を組んだ。


「なるほど、そんな効率の悪いやり方を取っていたのか。知らなかった。椎名さんは作成するイベントの出来そのものはセンスがあって僕もあまり口を挟む必要はないんだけれど、進行管理は苦手みたいだね」


 雪乃は答えなかった。評価の場で、求められてもいないのに他人に対する評価を軽々しく口にすべきではないと思っている。北浜は、雪乃から反応が無いのを見ると、改めて雪乃を評価する言葉を並べ立て、こう続けた。


「早見さん、君にはきちんとしたプランナーとしてのスキルがある。進行の管理もできる。次も僕のチームに入って力を貸してほしい」

「わかりました」


 そうとしか言い様が無い。北浜は雪乃からの返答がその一言だけなのが不服そうだったが、目を書類に落とした。


「最後に、何か言いたいことがあればどうぞ」

「ディレクターの方は、もっとゲームのビジョンを提示していただければ助かります」

「またその話か」


 北浜はため息をついた。


「私は何も、ディレクターに仕様書を作成してほしいと言っているわけではありません。ただ、どういうゲームにするのか、そのためにどんな要素が必要か、それは何を目的としてどんな形で入れるのか。それがあるなら示していただきたいんです。無いなら無いで、それは共に考えて行けばいいのではないですか」


 北浜はまた腕を組む。


「そのために、もっとスタッフとコミュニケーションを取ってください。一方的に怒鳴ったり褒めたりするのではなくて……」


 北浜を手を上げて雪乃の発言を制した。


「それはもう分かった。今後は考慮するよ」


 再び書類に目を落として、北浜は面談は以上です、お疲れ様でしたと言った。雪乃は黙って頭を下げて席を立った。


 会議室を出ると、すぐ傍に紺塔用の一室のドアが見える。このフロア全体は三つのオフィスがあるが、すべてオストマルクが借り切っていた。その内一つを紺塔は専用の執務室としてあてがわれているのだった。もう一つのオフィスが会議室スペースで、中をパーティションで区切って大小四つの会議室を備えている。残りの一つが開発室用のオフィスだった。

 開発室と紺塔の執務室とは、共用スペースである廊下とドアで隔てられている。物理的な距離にしてみれば四メートルと離れていない。だが、現場と紺塔との間には、あまりにも遠い距離がある様に雪乃には思えた。北浜は紺塔と同じ道を歩んでいくのだろうか。北浜は今後はやり方を考えると言ってくれてはいたが、言葉に重みを感じられない。

 遠い。

 再び雪乃は思った。

 ディレクターと開発現場との距離は、開発進行方法のあり方そのものと言える。勿論、ゲームの開発方法の答えは一つではない。それはこれまでの経験や出向を通じて体感した。では、このオストマルクでの開発進行方法の答えは既に出ているのだろうか。座名や拝道たちが自分たちで開発現場を作り上げていった様に、これからそれを模索すべきではないだろうか。雪乃はため息をついた。

 私は、プレイする甲斐のあるゲームを作ってユーザーを楽しませたい。そんなゲームを作りたくてこの業界を志した。ただそれだけなのだが、ゲームという娯楽を作ることは、これほどまでに心と体の双方をすり減らす事なのだと今改めて痛感する。そして、ユーザーを楽しませるとは、そのすり減らした分をユーザーに楽しみという形に変えて提供する事なのかもしれない。だが、そのすり減らし方は、自らの意思によって行われるべき行為だと雪乃は思う。それを今の現場にどう落とし込めばいいかはまだ分からない。だが、座名や拝道が年月をかけて自分たちの開発の進め方を模索して確立していったように、自分もまたゲーム開発のあり方、すなわち現場そのものを作っていけるようにならなければならない。

 道のりは遠い。自分が理想とするゲーム開発体制はどんなものなのか。雪乃にはまだその片鱗しか見えていない。だが、目指すべき方向性はある。人を活かす開発だ。自分のゲームを作りたいが、同時に全てのスタッフが活き活きと働く現場にしたかった。綺麗事だと北浜にまた嘲笑されるだろうが、私はそれを目指して、また仕事に取り組んでいこう。


 自席に戻って、面談どうだったと聞いてくれる椎名に適当に答えながら雪乃は開発の進め方について考えていた。やはり、段取りが大事だ。今回のイベント班の作業の流れの取りまとめを振り返って気がつくことができたのだが、作業にはクオリティに直結するものとそうでないものとがある。イベント班の作業で言えば、『骨組み』はイベントがゲーム上支障なく貫通するようにすることやフラグの制御をすることなど、それはそれで大事な作業なのだが内容そのものはルーチン・ワークと言っていい。イベントの質そのものには影響しない。一方、『作りこみ』作業はまさにイベントのクオリティそのものだ。

 イベント班全体の作業として、雪乃が『骨組み』を担当して、カメラワークやそれを前提とした素材の配置や制御、間の取り方といった、センスに出来が左右される箇所については椎名が担当するというやり方は改めて見ても理に適っていた。必要な処理や素材の発注、実装までの流れを定型化できれば、後はイベントをどう作り込んでクオリティを上げていけるのかという方向へ、時間というリソースを多く使えるはずだ。

 雪乃は無意識に頷くと、今回のやり方を資料としてまとめておこうと思った。出来上がった資料は北浜やイベント班の皆にも渡して、今後どのプロジェクトに行っても参考にしてもらえるようにしよう。現在の作業は仕様や資料の整理が主なので、それにかこつけて一緒に作ってしまえばいい。文句を言うだけではいけない。自分も開発現場の改善に貢献しようと思い、新能の顔を思い浮かべながら、雪乃は資料を作り始めた。


 資料は翌日に完成し、『BK2におけるイベント作成の段取り』と名前を付けた。BK2とは、『武器道メモリアル弐』のプロジェクトコードである。イベント実装までの段取りを流れ図で示し、各段階でやるべきことをまとめた資料だった。イベントの管理表も添付し、今後類似のゲームでイベントを実装する際に現場で活用できるようにした。とりあえずイベント班の皆に、今回のイベント実装の流れを段取りとして取りまとめたので、今後の参考にしてもらえればとの趣旨のメールを作成して、作った資料を添付して送信する。ほうっと息をついてパソコンの時刻を見ると、もう定時を過ぎていた。今日は午後八時に、未沙や子安と待ち合わせて、三人でおいしいと評判のホテルのディナー・バイキングに行く約束だった。マスターアップ後の作業も一段落したので、チームとしても交代で休みを取る。雪乃も明日からとりあえず三日間代休を取らせてもらう予定になっていた。

 晴れやかな気持ちでお先に失礼しますとオフィスを後にした雪乃だったが、ビルを出てからうっかりパソコンの電源を落とし忘れたことに気が付いた。まあいいかとも思ったが、明日から三日間休むので、やはりきちんと電源を落とそうとまたオフィスのあるフロアへと戻った。

 エレベーターから降りて、オフィスへと向かった雪乃の耳に、不意に北浜の声が入ってきた。


「いや、本当にイベント班はよくやってくれたよ。イベントのクオリティが前作の比じゃないくらい上がってる。椎名さんさすがだな」

「まあ、私はそのために来たんですし……」


 声は休憩スペースから聞こえてきた。休憩スペースは各オフィスへの入り口がある廊下を曲がった突き当たりにあった。自販機と椅子があって皆が良くここで談笑するのだが、昼間と違って人も道路の交通量も減る夜は、廊下辺りにまで会話が響いてくるのだった。


「それに、岩槻さんや松戸さんにも迷惑をかけちゃいましたし」

「いえいえ」


 どうやら、イベント班の皆と北浜が談笑しているらしかった。北浜が、スタッフとコミュニケーションを取っている。ディレクションのやり方やスタッフとの接し方を考慮すると言ってくれたのは嘘ではなかったのだと、雪乃は嬉しくなった。私も少し参加しておこうかなと歩を進めた時だった。


「ところでどうだった? 途中から入った早見さんの仕事ぶりは」


 どきりとした。自分のいない場所で、自分のことについて話をされるのを聞くのは初めてだった。間髪入れず、北浜が続ける。


「僕自身は彼女はとてもできるプランナーだと思ってる。ただ、ちょっと仕事をワークフロー化することにこだわりすぎてるかな」


 どくん、と胸が一つ鼓動を大きく打ったようだった。


「そうですねー、私もちょっと、あの人苦手です。段取りが段取りがってうるさいし。そのくせイベントの出来は大したことないし」


 椎名の声だった。心臓の鼓動が更に早くなる。


「ああ、そういや今日も退社前にイベント作成の段取りってのをメールで送ってきてたな。何か大げさな内容のヤツ」

「ああー見た見たー。今更あんなの送られてもねえ」


 岩槻や松戸の声がするころには、もう足が震えだしていた。


「段取りは大事だとは思うけど、ゲーム作りってさ、もっとクリエイティブなものだと僕は思う。そこにあまりガチガチの段取りを持ち込むと、スタッフの創造性を低下させないかとちょっと心配でね」

「ああ、わかりますよ北浜さん、そうそう、そうですよねー」

「んー、確かにそれありますよねー」

「とか言っちゃって岩槻さん、早見さん入ってくれて助かるって言ってたじゃないですかー」

「いや、まあねえ」

「早見さんが美人だからって鼻の下伸びてませんでしたっけ」

「そんなんことはないけど、でもほらやっぱりちょっと男なら誰でも美人には弱いじゃん?」

「社内で早見さんに目をつけてる男は多いと思いますよー。ああ、私ももうちょっと可愛ければあんな風に仕事もやりやすいのかなー」

「あの人、絶対そこんとこ武器にしてますよね」


 雪乃は両手で口を抑えた。ゆっくりと後ずさる。心臓の鼓動は絶え間なく頭に響いてきて、振動になって頭を打っている様だった。


「いやいや、彼女はウチではできる方のプランナーだよ。だけどもうちょっと柔軟になっててくればなあと思う。次も同じチームで仕事をしてもらう時には、そこをみんなにもフォローしてもらえればいいなと思って」


 雪乃は背を向けて震える足でゆっくりと数歩歩いてから、両手で口を抑えたまま駆け出して階段を下りていく。ビルを飛び出した時には涙が溢れていた。歩きながら、両手で目元と口を覆う。あれが皆の本音なのか、それとも北浜に追従しただけなのかは分からない。ただただ哀しかった。自分の仕事がすべて否定された様で、自分が会社に居る意味は何だろうと思う。時計を見ると、未沙たちとの約束の時間が過ぎていた。未沙に電話して遅れる旨を告げて謝ると、力無い足取りで待ち合わせ場所へと向かう。


 目を赤くした雪乃を見て、未沙は何かあったのかと尋ねてくれたが、雪乃は首を振って急ごうと促した。高級ホテルのディナー・バイキング会場に入ると、中の豪勢な料理に未沙と子安は歓声を上げたが、雪乃は休憩スペースでの会話が頭に何度も再生されて、その度に頭を振った。


『早見さんに目をつけてる男は多いと思いますよー。ああ、私ももうちょっと可愛ければあんな風に仕事もやりやすいのかなー』


『あの人、絶対そこんとこ武器にしてますよね』


 唇を噛みしめて、雪乃はスイーツコーナーへと足を向ける。そして、未沙と子安が口を開けて驚愕の表情を浮かべるほどの大量のケーキを皿に載せてくると、椅子に座ってまず紅茶を口にして喉を湿らせた。


「ゆ、雪乃ちゃん、いきなりケーキなの……?」

「しかもその量……」

「ええ、プロジェクトも終わったし。よーし、食べるぞー!」


 チョコレートケーキを口に運んで二口で飲み込むと、今度はチーズケーキにフォークをがっしと刺してまた口に運び、これもまた二口で飲み込んだ。続いてフルーツのタルトへ。


「ちょ、ちょっと雪乃ちゃん、そんなに食べたらせっかくのプロポーションが」


 次々とスイーツを口に放り込む雪乃を見て、未沙は慌てている。


「いいの」


 顔を見合わせる未沙と子安を尻目に、雪乃は目の前の大量のケーキを食べ続ける。


「もういいの」

 

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