(三)打算

 こんなはずではなかった。

 北浜翔は一人残されたバーのカウンターで舌打ちをしていた。ビールを飲みながら、思い通りに行かなかった今夜の顛末に思いを馳せる。

 今日は特別な一日になるはずだった。初めてディレクターを努めた『武器道メモリアル弐』は、デバッグ期間をもうすぐ終え、マスターアップに至る。自分のディレクションの賜物で、クライアントからの評判も上々だ。雑誌展開が始まるのと同時に受注は開始されており、その伸びも昨今のコンシューマのタイトルとしては上々の滑り出しだった。

 ついに自分はゲーム業界でディレクターとしての一歩を刻んだ。ゲームクリエイター紺塔生雄と二枚看板を張るディレクターになるべく、これから更に名前を売っていけるようになるだろう。次は今人気になっている携帯電話やスマートフォン向けのタイトルを手がけて、売り上げをどんと稼いでやる。

 だがその前に、自分にはご褒美が必要だ。ついに恋人である早見雪乃を抱く時が来た。初台絵里香との一件から少し距離感が空いた様に思えたが、久々のデートに応じてくれた。あまり過去の事をねちねちと掘り返さないのもいい女として見所がある。

 デートの待ち合わせ場所で見た彼女の姿は輝いて見えた。普段、会社内では絶対に履かないスカートのファッションスタイル。すらりとした細い足、くびれたウエストに均整の取れた胸を思わせるレースの付いた半袖のブラウス姿は、見慣れた北浜ですらその清楚さの際だった美貌に目を奪われた。よく今まで、この肢体に手を出さずに我慢できたものだと我ながら思う。だが、その我慢も今日で終わりだ。映画を見て食事をしてから、バーに連れこんで雰囲気を良くすれば、後は頃合いを見て甘い言葉を囁くだけだ。

 だが、その目論見は見事に外れてしまった。

 雪乃が投入されてから、明らかにイベント班の動きが良くなって、イベントの実装速度が早まったばかりか、これまで問題視されていたクオリティの低いイベントもどんどん改善されていった。やはり、恋人であることを置いておいても、早見雪乃というプランナーは優秀になったと思った。これからも公私共に自分の手足として手元に置いておきたい。そのため、彼女の仕事ぶりを持ち上げ、褒めあげて、優遇することを約束して仕事の場でも完全に自分の味方として取りこむつもりで振った仕事の話が、とんだ火種となって炎上してしまった。

 ゲーム開発の現場は、ドブさらいだ。どんな仕組みが必要か、どういう操作方法にするか、そのためにどんな素材やデータが必要か、ひとつひとつ丁寧に洗い出して、破綻無くゲーム全体を統合して組み立て無ければならない。さらにそれを、プログラマーやデザイナーに伝えなければならない。面倒事のオンパレードと言っていい。だが自分はそこから脱却して、意思決定のみを行うポジションにやっとなれたのだ。自分で仕様書も作らずすり合せの打ち合わせもせず、データ作成も調整もやらない、実作業をしないポジションの楽さは例えようも無かった。だが、その楽さはすぐに自分の思い通りに動かないスタッフへの怒りへと変化した。

 ここで躓くわけにはいかない。言うことを聞かなかった連中を力づくでねじ伏せ、逆らう者は容赦なく皆の前で恥をかかせることで断罪し、自分の権威を作った。自分はディレクターだ。ゲームをスタッフに作らせ、その成果をチェックして修正させるのがディレクターだ。ディレクターの無理難題を実現化してこそ現場の価値がある。ドブさらいをする地位から脱却した自分には職務としてそれを行う権利があるのだ。

 だが、雪乃はディレクター自身が現場で陣頭指揮を執り、ビジョンを示して現場を自ら動かしていくべきだという。冗談ではない。ビジョンを示すなど、企画書や口頭で充分だ。概要レベルでも形として示しなどしたら、もしそれに問題があって修正や変更をする際に、ディレクターとしての権威が弱まるではないか。

 アイデアを投げるだけ投げて、後は現場に必死に形にさせる。ダメ出しをすることで自分の望む方向に直させればいいのだ。そうやって、「答えは俺は知っているが、あえて教えない、それはスタッフのクリエイティビティを信じているからだ」というスタンスを取れば、ディレクターとしての自分の権威は崩れない。ビジョンを示せ? またドブさらいに足をつっこむのはご免こうむる。

 だが雪乃が引っかかることを言っていた。

『現場を恐怖で支配するやり方を続けて……スタッフのみんなが次もまた一緒に仕事がしたいと思ってくれるの?』。

 確かに、少しスタッフを締めすぎたかもしれない。『武器道メモリアル弐』のスタッフに対しては、もう自分のやり方や力量は伝わっただろう。結果を出した以上、自分はディレクターとして認められているはずだ。もうじきデバッグも終わりマスターアップを迎える今、少し皆の頭を撫でてやって褒めて、次も都合よく使えるようなスタッフを増やしておくべきかもしれない。それに、紺塔のレベルにまで締め上げるのは流石にまずい。いや、むしろ紺塔よりも自分と仕事がしたいと思わせるように仕向ける方が得策だ。

 もう一つ。雪乃自身は、今後も自分の手足として使いたい。だが、それはあくまでも自分の意思に沿う形で無ければならない。何よりも彼女自身が、この自分よりも会社で評価される様では困る。今回のプロジェクトでは確かに良くやってくれたが、彼女は公私共に自分よりも下の範囲で自分を支えるべき人間だ。

どうすべきか……。

 気の抜けたビールの入ったグラスを睨みながら、北浜の頭はフル回転を続けていた。


 十月某日。クライアントの担当者から、ハードメーカーの最終的なチェックを無事通過したことが伝えられると、オフィスが湧いた。『武器道メモリアル弐』が無事にマスターアップし、一通りの開発作業が完了したことを意味する。あちこちでお疲れ様でしたの声が飛び交う。この空気のもたらす安堵感と一体感だけはどこの現場、どんなプロジェクトでも変わらない。

 北浜がパンパンと手を叩いて皆の注意を引きつける。


「えーっ、みなさんちょっと聞いてくださーい」


 北浜は両腕を組んで皆を改めて見回した。


「ご存じだとは思いますが、今し方マスターチェックが通りました。これでマスターアップです」


 そこで北浜は組んでいた両腕を解いた。


「評判も益々上々で、受注も伸びているそうです。これもみなさんが僕の無理を実現化してくれたお陰です。本当にありがとうございました」


 北浜が頭を下げると、まばらに拍手が起きて、少しずつその拍手の波が広がっていった。


「僕もキツイことを言わせてもらったけど、これも一重に皆さんといいゲームが作りたいからです。そして『武器道メモリアル弐』は、本当に素晴らしいタイトルに仕立てることができました。今回の経験をまた皆さんと共有して、次もいいゲームを作りたいと思います」


 間をとって、また皆を見渡してから北浜は続けた。


「勿論、みなさんの功績は査定に反映させます。そのうち一人一人面談をしますから楽しみにしておいてください」


 北浜がまた頭を下げると、また新たな拍手がわき起こった。

 これでいい、と北浜は内心ほくそ笑んだ。自分に反感を抱いてたスタッフも、面談の時に褒めてから改善してほしいところを伝え、また持ち上げておけばいい。結果が出た以上、会社内での評価に直結するとなれば、そこで自分に文句を言う人間も居ないはずだ。今後も北浜に服従するだろう。自分の要望通りに作業をさせるスタッフは多い方がいい。

 いつになく賑やかなオフィスの中で、北浜はイベント班の皆と笑顔で談笑している雪乃をちらりと見て、口角を少し上げた。

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