(二)すれちがい

 ほどなく、新規イベントはゲームに次々と実装されていった。作業の流れが定型化され、あらかじめ素材や必要な処理をまとめて発注しておくので、新規作成の作業に費やす時間と、それまでに作成したものの修正や変更対応などに費やす時間が明確に別れて作業効率が格段に上がった。残り作業の見通しも立っているので、朝のイベント班の朝礼では皆表情が明るい。


「早見さんが入ってくれてからすごく進めやすくなったよ。先週からはもう泊まりで作業する必要もなくなったし」


 プログラマーの岩槻は白い出っ歯を見せつつ笑った。椎名も得意分野であるイベントの作り込みに集中できる上、何か不足の素材や処理が生じた時にも朝礼やイベント班用のチャットですぐ相談でき、対応してもらえる余力が生まれて心理的な負担が軽減されていると喜んでくれた。


「早見さんみたいにプランナーが音頭取ってくれると助かる。今後もよろしくね」


 デザインセクションでモーション担当者である松戸も上機嫌だった。雪乃自身も、自分で構築した段取りを維持するのは楽では無かったが、イベントが修正された際の資料の更新など、クオリティに直結しない作業をルーティンワークで流すことができるようになってきたので、イベント作成の骨組みというメインの作業に集中する時間を多く持てるようになった。

 結果として、大過なく全イベントを実装し終え、北浜からも大きな叱責を受けることなく細かな要望に応えていくことでオールインROMを迎えられたイベント班だったが、他の担当者は相変わらず就業中に北浜のイメージ通りに実装がされていないと呼びつけられては叱責され、同じ様な指摘を受けたスタッフは罵倒され、その度に雪乃は胸が痛んだ。北浜に、今のディレクションのあり方について意見を交わした方がいいかもしれない。オールインROMの提出が終わった頃、雪乃は丁度良い頃合いだと北浜からのデートの誘いを受けた。


 久々に休みとなる土曜日の午後。待ち合わせ場所である映画館に、雪乃は白地に花柄のショート・フレアースカートに白いレースの半袖ブラウス、素足にミュールという夏らしいファッションを纏って出かけた。気がつけばもう八月も終わろうとしている。ゲーム業界で仕事をし始めてから、季節があっという間に過ぎ去っている気がする。何せオフィスに籠もってパソコンに向かっているか、会議をしているかのどちらかなので、春も夏も秋も冬も知らぬ間に通り過ぎているのだ。

 待ち合わせ時間の五分前、涼しげな麻のジャケット・スタイルでまとめた北浜が笑顔で歩み寄ってくる。いつも通り、雪乃とのデートのために気を配ったコーディネートであることが分かるが、今はそれが重い。仕事の話は、デートの最後にしようと雪乃は思った。まずは恋人としての一時を共に楽しもう。北浜が雪乃の腰に手を回して映画館へ向けてエスコートしてくれる。抵抗はしないが、以前の様な暖かみも安らぎも感じることはできなかった。

 有名なテレビアニメの劇場版第三作である『旧世紀シュヴァルツアオスガング:急』を見た後、夕刻にレストランで食事をしてから、北浜がいい雰囲気の場所があるのだと連れてきてくれたバーで、ゆったりとした時間を過ごし、映画の感想を話しあってから北浜が話題を仕事に変えてきた。


「それにしても、あの遅れが大きくて問題だらけだったイベント班をよく取りまとめてくれたね。さすが雪乃だ」


 その北浜の言葉に、雪乃は素直に喜ぶことはできなかった。それは北浜のディレクション方法への反感から来ている。同時に、問題だと感じていたのであれば、その状態を放置していた北浜に、一方的にイベント班を責める権利があるのだろうかとも思う。


「椎名さんが協力してくれたから。それに、岩槻さんも松戸さんも」

「うん、正社員の二人の査定にはちゃんと反映させるさ。ところでどう? 『武器道メモリアル弐』の出来は?」

「自分が関わったから言うわけじゃないけど……とてもいいと思う。お世辞抜きに」

「だろう? 僕も自信がある。発売日も決まったし、そろそろ雑誌での広報展開も始まる。今回は特に広報にも力を入れてもらえそうなんだ」


 確かに、『武器道メモリアル弐』の出来はいいと雪乃は感じている。バトルの操作性が向上し、駆け引きのゲームシステムは前作をほぼ踏襲しているが、新しいシステムが破綻無く導入されていて、それは新しい戦術を生むようになっていたし、UIも綺麗で、常に動きがあって見応えがある。イベントは流石に大手のように全編フルに豪華、というボリュームには至らないものの、椎名が作り込んだ要所のイベントは大手のそれと比較しても遜色ない出来映えになっている。今後はオンラインバトルモードが追加実装される予定だった。


「次も、雪乃が同じチームに居て欲しいな。今度はリードプランナーとして」


 北浜が雪乃の手に自分の手を重ねた。雪乃は目を瞑って答えない。ややあって間を置いてから雪乃は口火を切った。


「次も同じやり方でディレクションをするの?」


 北浜は重ねていた手をそっと離すと、バーテンダーにカルアミルクを二つ頼んだ。


「前にも言ったけど、僕も好きで怒ってるわけじゃない。雪乃も一度ディレクターをやってみれば分かるよ。どれだけスタッフが思い通りにならないか」


 北浜は目の前にあるカクテルを飲み干し、バーテンダーが差し出したカルアミルクを受け取り一口飲んでから続ける。


「僕がやり方を変えてから大分はマシにはなったけど。スタッフのプロ意識が低すぎるんだ。実装予定が遅れても平気、成果物もただ作りました実装しましたで、クオリティに対する配慮も無い。もっと他社のソフトも研究して、負けないように作り込んだり、処理を軽くしたり、よりよくするために提案をしたり、そうやってゲーム全体のクオリティを上げる様に各自が努力しなければいけないのに」


 北浜はそこで、雪乃に顔を向けた。


「誰もそこを注意しないから、僕が憎まれ役をやった。まだ徹底できていないと思うから、ずっと僕がその役を続けてチームを締めているんじゃないか。君にまで否定されるのは残念だよ」


 北浜に言う事に頷ける側面もある。だが雪乃にはまた別の見方があった。


「それは一理あるとは思う。でも、翔さんと他のスタッフとでは、立場も課せられた責任も権限も違う。同じプロジェクトに所属していても、熱意、熱量が異なるのは当然だと思うわ。全員に等しくディレクターと同じ熱意を持って仕事をしろというのは……その、傲慢、だと思う」

「どうして傲慢なんだ」


 北浜の声が硬くなった。


「プロとして当然のことを要求しているだけだよ」

「なら、翔さんのディレクターとしての仕事ぶりはプロだと胸を張れるの?」

「どういう意味?」

「『武器道メモリアル弐』のスタッフロールに、翔さんは『ディレクター』としての肩書きとは別に『ゲームデザイン』としての肩書きもあるよね。でも、今作の新規要素を仕様化して、他の要素と合わせて破綻無くゲームシステムとしてまとめたのはプランナーの小金井さんたちでしょう」

「だが、アイデアは僕のものだ」


 雪乃はゆっくりとかぶりを振った。恋人を否定したくはない。だが、ここは、ゲームクリエイターとは誰のことを指すのかという点で、戦わなければならないところ、譲れないところだと雪乃は肚をくくった。


「アイデアは、まだ実態を伴っていないのよ。アイデアは実装するまでの見通しと設計図があって、初めて実態を持つ。そのアイデアは何を目的としているのか、それが必要な理由は何か、そのためにどんな仕組みが必要か、それが入ればゲームはどうなるのか」


 雪乃もカルアミルクを飲んで喉を潤す。いつもよりも、喉の渇きが早い。


「ディレクターはそこまでスタッフに提示できて、初めてディレクションの最初の段階としてスタッフに仕事をしてもらえるんだと思う。アイデアだけを投げて作らせてダメ出しをして作り直させるのは、ゲームデザインをしたとは呼べないと思うわ」

「ディレクターが仕様書までを作れって? それこそ無理な話だろう」

「それは、確かに時間的に無理だと思うし、あまり目の前の作業にディレクターが集中しすぎるのも良くない面はあるわ」


 雪乃はバルバロッサでの経験を思った。バトル担当として仕様書の作成、実装をやっていると、やはり全体像を常時把握する、ということは難しくなる。構成する要素が多すぎて、目の前の問題にとらわれてしまうのだ。ゲーム全体を見て問題をどう解決するのがベターかを考えるべきという点をかんがみると、ディレクターは細かすぎる作業に入り込みすぎるべきではない。だが。


「でもね、大枠のビジョンも示さずに要望だけ投げつけるのは、お客様としてのクライアントか、子どもが考えている憧れの職業レベルでのゲームクリエイターだわ」

「話にならないな」


 北浜は明らかに不機嫌な様子だった。


「そこまでやっているディレクターなんていないだろう。大体、僕のやり方に不満があるならそう言ってくればいい。誰も何も言ってこないじゃないか」


 今度は雪乃が不機嫌になる番だった。


「翔さんはミスや落ち度のあるスタッフを意図的に皆の前で大声で怒鳴って叱責しているでしょう。そんな光景をしょっちゅう見ていれば誰も何も言えなくなるわ」

「与えられた条件の中で成果を出すっていう、プロとして当たり前のことを要求しているだけだよ。それができなかったスタッフは、考えを修正してもらわなければならない。だから指摘する。どこか間違っているか?」


 それは違う、と雪乃は思った。北浜の目的は、落ち度を自覚して改善してもらうためというよりも、自分の思い通りに動かないスタッフを心理的にねじ伏せること、自分のディレクターとしての権威を確立することにある。だからそのために『恐怖』で現場を支配している。そんな状態で、上の人間に堂々と文句が言える人間はそう多くは無い。だがそれを指摘するのは憚られた。否定されればそれまでだ。


「それは、目的のために手段を正当化しているだけだわ。あんなにピリピリした現場で、笑っているのはあなたとあなたに認められたスタッフだけ。そんな現場が、本当に良い現場だと思う?」 


 雪乃はヒートアップしていく自覚がありながら、それを抑えようとは思わなかった。


「それに、与えられた条件の中で結果を出すのがプロだと言うのなら、ディレクターに与えられた条件の中に、スタッフも含まれるでしょう。その条件の中で最善の結果が生まれるように現場で陣頭指揮を執るのがディレクターではないの?」

「だから僕なりのディレクション方法を採った。さっき君自身認めたよね? 『武器道メモリアル弐』は僕のディレクションでスタッフの力を引き出してクオリティの高いタイトルになった。結果は出してる」


 北浜は不機嫌な表情のまま、カルアミルクを飲み干した。


「それに、スタッフには勿論感謝しているよ。次のタイトルの時には、また僕のチームに入れてやってもいいって思えるレベルの人もいるし」


 北浜のその一言は雪乃を絶句させた。


「とにかく、僕に責められたく無いのなら、プロとしていいものを作ってくれたらいいんだ。僕のイメージ以上のものをね。そうしたら僕の指示でもっと良くなる」


 哀しくなる。北浜の考えは正論の様でいて実はこう言っているのだ。


「ディレクターのイメージ以上の成果物を実装してこい、イメージの正解は頭の中にあるがそれはあえて教えない。アイデアは出してやるが、全体を組み立てて整合性を付けて持ってこい。そうすれば自分がどこを直せばいいか教えてやる――」。


 そして、成果はディレクターのものだと自負する。スタッフに感謝はしていると口にはしているが、またチームに入れてやってもいいという物言いが、スタッフをどう見ているかの証左と言えた。


 雪乃は北浜の考えが、すっかり紺塔と同じ方向を向いてしまっていることを悟り、急速に胸に、冷気が漂い出している事を感じ始めていた。


「……バルバロッサの座名さんは、きちんと自分で現場を動かしていたわ。自分がゲームをどうしたいかを企画書で、概要書で、テキストで、直接口にして。自分のビジョンを示した上で、足りないところをきちんとスタッフにお願いしていた。チームの運営自体はリードプランナーである拝道さんがやっていたけれど、バトルで言えば、私と新能さんは、座名さんがビジョンを提示してくれたから、その意向に沿って全力でそのためにバトルをどうすればいいかを考えられたわ」


 北浜は肩をすくめたが、雪乃は構わずに続ける。


「座名さんの様な人が本当のディレクターで、ゲームクリエイターだと思う。作らせてダメ出し、というのではなく、自分のビジョンを示して、その方向へゲーム全体を組み立てるように現場を動かして、必要に応じて修正や変更をお願いをするのが……」


 自分で方向性も示さず、スタッフをモノ扱いしてゲームを作らせ、上がったものに偉そうにダメ出しするのがディレクターではない。まして、現場を恐怖で支配した上でそれを強いるのは、ただのブラック企業だと雪乃は続けた。


「綺麗事だ」


 だが北浜は切って捨てた。


「ゲームはクリエイティブなものだ。完成形だって流動的になる。ガチガチにワークフローを定型化して作るものじゃない。昔から、ディレクターは作らせてそれを修正させるのが普通だよ。バルバロッサに影響されたみたいだけど、周りのスタッフが優秀なんだろう? バルバロッサは座名さんが作った会社じゃないか。だとしたら、座名さんにとって都合のいい、優秀な人で周りを固められる。そんな恵まれた人と比べられるのは心外だな」


 雪乃は語気を強めた。


「座名さんも拝道さんも、一朝一夕に今の環境を作ったのではないわ。迷いながら、年月を経て会社を、スタッフを、長い目で見て自分たちで現場を作ってきたのよ。オストマルクだって今からだって遅くない、開発の進め方を変えるべきだわ」


 北浜のやり方は安易すぎる。例え今の多くのスタッフの仕事に対する姿勢に問題があったとしても、それを恐怖を以て修正しようとし、それでいて本当の目的は自らに権威をつけることにある。『自分はクリエイティブの名の下、二度と他人の不幸の上にゲームを作らないと誓った』という座名の言葉が思い出された。

 北浜はもううんざりだと言いたげに両手を振った。だが雪乃は焦りながら続ける。


「今みたいに、やりたいことだけをやって、面倒ごとは現場に丸投げしてダメだしだけをして、現場を恐怖で支配するやり方を続けて……スタッフのみんなが次もまた一緒に仕事がしたいと思ってくれるの?」


 北浜の表情が一瞬ヒクついた。怒りを感じさせる。だがそれは一瞬の事で、彼はため息をついた。


「もうこの話は止めよう、雪乃。どこまでも平行線だよ。今日は久しぶりのデートなんだから……」


 北浜が手を雪乃のそれに重ねてきた。


「そう、ね……。私もちょっと言い過ぎた。ごめんなさい……」


 雪乃は自分の手を北浜の手からそっと離して席を立った。五千円札を取り出し、カウンターに置く。


「雪乃」

「私、今日はもう帰ります」


 北浜は天を仰いだ。


「機嫌直してくれよ」

「別に怒ってるわけじゃないの」


 そう言って頭を下げてから、じゃあまた会社でと言って、北浜に背を向けて店を出て行く。

 怒っているわけじゃない、というのは本心だった。ただ悲しかった。


「今のままじゃいけないと思っている」――そう言って雪乃を励ましてくれていたころの彼。スタッフを気遣っていた彼。

『武器道メモリアル』で一緒に仕事をしていた日々の事を思い出しながら歩く雪乃に、夏にしては強めの向かい風が吹きつけ、彼女の髪とスカートを後にしたバーのある方へとたなびかせていた。

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