(六)笑顔

「その後はご存じの通り。これが俺の職務経歴書、だよ」


 新能は語り終えると、喉が渇いたと言ってまた生ビールを注文した。


「俺は多分、水道橋の様な輩が跳梁跋扈ちょうりょうばっこするゲーム業界に復讐がしたかったんだと思う。だがどうすればいいか分からなかった。だから、結局現場でクリエイターづらする他人に噛みついて噛みついて、ただそれだけしかできなかった」


 雪乃はそっとかぶりを振った。無理もないと思う。新能は答えの無い迷路の中で、水道橋の幻に対してただただ抗い続けてきたのだろう。亡くなった瓢への贖罪の念を、その様な形でずっと一人背負い続けてきたのだ。

 新能は生ビールをぐっと飲んでから続けた。


「やりたい仕事しかしない。ゲームを作らせてから、自分好みに変更させる。陣頭指揮を執らない。そんな人間を、俺は今でもクリエイターとは認めない。自分のイメージやアイデアを、形にするまで動くのがクリエイターだ。『作らせる』人間はクリエイターと呼ぶべきでない。俺はそう思って仕事に臨んでいる」


 雪乃は同意して頷いた。


「昔のゲームクリエイターって、ちゃんと自分で開発を手がけていたんですよね。どうして……こんな業界になっちゃったんでしょうか」

「ゲームの開発者を『クリエイター』としてメディアがもてはやしたのが一因だろうな」


 プレイステーションやセガサターンが登場した、いわゆる『最初の次世代機』の勃興から、ゲームは市場規模もそのタイトルの幅も格段に広がった。当時から開発に関わる人数は増大していたが、それでも今ほどの規模ではなく、開発のキーマン、というスタッフは必ず存在していた。多種多様なゲームが作られるようになり、その中でも尖ったゲームの作り手はやはり注目されるようになる。そして、その作り手に注目が集まると、彼が手がけたタイトルにも自然と注目が集まる様になった。

「あの話題作を手がけたクリエイターの新作!」

 と冠すれば、注目され、一定の売り上げが確実に見込めるからだ。

 ゲームクリエイターの名を冠すれば売れる。

 ならば、クリエイターの手がけるタイトル数を増やそうとするのは資本の当然の理論だろう。こうして、クリエイターは企画書の作成をするのがせいぜいで、他のスタッフにとりあえずゲームを作らせ、出来上がったものに対する変更指示を『ディレクション』と称してゲームを仕上げていく体制ができた。

 つまり、クリエイターは『意思決定のみ行う、実作業をしない』という開発体制が普通になってしまった。それが今の一部開発現場の惨状を生んだと新能は自分の見解を述べた。

 例えば映画ならば、一人の監督が同じ時期に二本の映画を作ることなどまずありえない。物理的にほぼ不可能であろう。だがゲームはデジタルの集合体だ。映画や漫画やアニメといったコンテンツと違い、「この人がいないと形にできない」という要素の割合はタイトルによって大きく異なる。また、デジタルで出来ているということで、日時さえあれば何度も変更ができてしまう。これが、ゲームクリエイターをいびつにしてしまった原因の一つだと思うと新能は続けた。

 クリエイターとやらが陣頭指揮を執らずに、他のスタッフに作らせてから好きな様に変更させる。それもここが気に入らないから何とかしろとか、アイデアだけがぽんと投げられるだけのことばかりだ。仕様化は現場のスタッフに丸投げ。スケジュールは自然押していく。プロだから間に合わせろと現場に無理を強いる。それで作られたゲームが注目されれば、『自分の手がけたタイトル』とアピールする。これをクリエイターとは呼ばないだろう……。


 新能の口調はあれだけ酒を飲んだというのにまったく普段と変わらない。


「俺は、破子矢のさんの言っていた、言われたから実装しましたなんて最低な仕事の進め方だという言葉の重みを感じながら仕事を続けてきた。プランナーなら、いや、クリエイターなら常に自分のビジョンを持っていなければならない。そのビジョンに則って流れを考え、必要な要素を考え、仕組みを考え、演出を考え、必要な素材を発注し、実装してから、さらに自分のビジョンに近づけるように修正や変更をお願いする。自分でできないなら、他の人に意図を説明して、イメージに近づけてもらう。それができる人をこそ、俺はクリエイターだと思う。作らせてダルマの目だけ入れる、やりたいことだけやる。そんな奴を俺はクリエイターとは認めない」


 だから、自分は瓢の様な悲劇を生まないために、開発の現場では自分なりのビジョンをもって戦ってきた。言われたからやる、ではなくて、それを実装する意義を説明し、スタッフにも納得して作業してもらい、意味のあるゲームに仕立てていくことがゲームプランナーとしての自分の仕事だと考えていると新能は続けた。

 相変わらずの無表情のままで淡々とした言い方だったが、他の客の喧噪の中でもそれは確かに雪乃の耳に届いていた。

 ああ、と雪乃は思った。だから新能はオストマルクでは衝突が多かったのだ。オストマルクは言われたからやるという受け身の人が多いのだから。きちんと要素の目的や意義を、仕様として組み立て、それを理解して仕事をするのではなくて、紺塔が言ったからやるのだという。そこには創意も工夫もない。仕事がキツイ代わりに責任を回避している周囲の仕事に対する姿勢が、紺塔の独裁を助長しているのだ。


「ただ、メディアがゲームクリエイターを持ち上げ始めたころは、まだクリエイターの、作り手としての実態がきちんと伴っていたんだと思う。そう、例えば紺塔だって、最初からああだったわけじゃない。彼の最初のヒット作と言われている『ヴィーナス・コイン』では、文字通り彼がゲームの根幹部分のアイデアを全部仕様化して、ストーリーは勿論、ゲーム中のテキストまで一人で作っていたらしいし、その続編も、その次の『ダンジョンズ&デーモンズ』も現場で陣頭指揮を執って自分の手も動かしていたらしい。これまでに渡り歩いた現場で紺塔と一緒に仕事してたって人から聞いた。ゲーム雑誌でゲームクリエイターとして持ち上げられて、複数のタイトルを一度に手がけるようになってから徐々に変わっていったらしいな」


 実は自分は、『ヴィーナス・コイン』のファンだったのだと新能は告白した。紺塔の、いわゆる中二病と呼ばれる心をくすぐるような過剰な設定と台詞回しが好きで、それを楽しめるゲームはもちろん、攻略本もファンブックもサントラCDもドラマCDも買ったという。紺塔が最初のころのやり方のまま、自ら手を動かすディレクターであり続ければ変わった未来があったのかもしれない。そう言ってから、新能は視線を下げた。


「だが、ひょっとしたら、もう時代が違うのかもしれないな。ディレクターは作業をせず、意思決定のみを行うというのは割と中小の開発会社でも見られるやり方になってきた。座名さんや拝道さんの様な現場を作るには時間もかかる。座名さんや俺の様な人間は、もう古いタイプの作り手なのかもしれない」


 いや、と雪乃は思った。

 どう考えても、座名や拝道、それに勿論新能の考え方の方が、本当の意味でゲームクリエイターではないか。

 自らのアイデアをビジョンとして示し、仕様化し、実装まで陣頭指揮を執る。他のスタッフとビジョンを共有して開発を前に進められる人。完成形をイメージして、そのためにコツコツと作業を積み上げて、一本のゲームを完成させられる人。

 そんな人をこそ、ゲームクリエイターと呼ぶべきではないか。

 間違っても作らせる人間のことではない。やりたい仕事しかやらない人間のことではない。

 雪乃は改めてそう思うと同時に決意した。自分は本物のゲームクリエイターになる。


「私、また新能さんと仕事がしたいです」


 新能の目を見て、雪乃ははっきりとそう告げた。それは言葉を代えた告白であったかもしれない。新能はやや間を置いてから、ゆっくりと首を振って雪乃に向けて生ビールのジョッキを掲げた。


「ありがとう、早見さん」


 それは、雪乃が初めて見た新能の笑顔だった。

 胸にどくんと大きな鼓動が打たれて、なぜだか少し視界が滲んだ。


「バルバロッサで『ヴァルキリー・エンカウント』に携わって、またゲームを作りたいって情熱が湧いてきた。俺はやっぱりゲームを作るのが好きだって」


 そう照れくさそうに言ってから、カバンからノートパソコンを取り出して幾つかの企画書、それにフリーライセンスで使えるゲーム開発用エンジンで作成中だという試作版を見せてくれながら、新能は会社を辞めるつもりだと言った。


「ひょっとしてバルバロッサへ行かれるんですか?」

「いや、バルバロッサには行けない」


 バルバロッサは確かにいい会社だが、出向後に退職してそこへ転職すれば、バルバロッサがオストマルクのスタッフを引き抜いた様な印象を与えるだろう。オストマルクからすれば面白いはずがない。そうなれば、バルバロッサに迷惑がかかってしまう。


「知り合いのつてでね、福岡にある小さな開発会社で採用してもらえることになった」

「福岡……」


 遠い、と雪乃は思った。言っても詮無いことだと知りながら、私もご一緒したいですとまた口にしてしまった。新能は優しい微笑を浮かべてビールを一口飲んだ。


「早見さん、君は俺と一緒にはいないほうがいい。俺は俺で、あなたはあなたで、自分の作りたいゲームを作れる様になること、そのためにこれからの時間を使っていくべきだ」


 そして、互いに本物のゲームクリエイターになれたらまた逢おうと、そっと右手を差し出してくれた。暴力事件を起こしたというその手は暖かくて、オストマルクで味わった苦い時間も、バルバロッサで感じた作る歓びも、そして新能への想いも、すべてがそこに溶けこんでいく様に雪乃には感じられた。

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