(二)ダブル・ブレード
『ダブル』の開発がベルリンで始まったのは二〇〇五年、自分は二十八歳だった。
プランナーのアルバイトから始め、正社員になって五年ほど経験を積んでいたが、仕事はまだまだ未熟だった。今思い返しても仕事ぶりは恥ずかしくて、よく首にならなかったものだと思う。五年の間に担当したプロジェクトも、周囲に助けられて何とか形にできた様なものだ。
ベルリン自体、設立されてまだ七年程度の中小開発会社に過ぎず、移植を中心とした細かな受託案件で事業が成り立っている状態だった。会社そのものも、ゲームが好きなとある金持ち一家の息子が趣味で作った様な会社で、会社の舵取りもフラフラしている状態だった。だが、そんなベルリンもコツコツと実績を積み上げて、大きなチャンスが来た。それが、当時有名なゲームクリエイターである水道橋祐二をディレクターとした企画『ダブル・ブレード』だった。
奇しくも、というべきか。『ダブル・ブレード』は『ヴァルキリー・エンカウント』と同じく、『絆』をプッシュした企画だ。アクションRPGでありながら二人のキャラクターを操作するコンビ制で、キャラクター同士の絆が高まると、特殊なアクションができると。企画書ではそういう触れ込みだった。制作は大手のゲーム会社であるヨーツンハイムだが、実際の開発は下請けの開発会社に出すというよくあるパターンだ。
水道橋祐二は今ではもう見なくなったが、当時のゲーム業界では名の知られたクリエイターだった。それまで所属していた会社を辞めて、フリーのゲームデザイナーとして活動していた。彼が手がけた作品はどこか外連味があって、スマッシュヒットを幾つも飛ばした。水道橋がディレクターを努めたゲームはヒットがまず見込める、開発実績も大きくなるとして、ベルリンはヨーツンハイムから打診されたこの案件に飛びついた。
開発の座組みとしては、プロデューサーは制作会社であるヨーツンハイムの担当者、キャラクターデザインに有名な漫画家・イラストレーターである高円寺彰、開発そのものは外部のディレクターである水道橋をトップとしてベルリンが受け持つという体制だった。
社内のプロジェクトリーダー兼リードプランナーは根津秀一と言う男だった。
プランナーは他に三人。バトル担当として自分、イベント担当者が一人、マップとUI担当者としてもう一人。
プログラマーは繁忙期に応じて入れ替わりがあったが、概ね五人。デザイナーは二十人近くになった。
派遣や他社からの出向社員も集めて、最初から大がかりなプロジェクトになった。こうして、『ダブル』の開発がスタートした。
だが、開発は最初からスムーズに進行しなかった。まず、ディレクターである水道橋は会社に常駐しなかった。週に一度、打ち合わせということでベルリンに来社はするのだが、概要書も仕様書も作らない。とりあえず、企画書を元にベルリンで仕様を切って実装していってくれとのことだった。
現場は困惑した。元々このプロジェクトの開始時に、ベルリン自体にアクションゲームの移植や受託開発の経験はあってもRPGの開発経験など無かったことから、その点については水道橋やヨーツンハイムがこれまでの開発タイトルの資料を提示して積極的に協力するという話があったのだが、いざ開発が始まると、部外秘ということで資料提供の件は無かったことになっていた。仕様をどうすべきか、まったくの手探り状態から始めなければならず、既存のゲームや攻略本を参考にしながら、それでもどうにかこうにか仕様を決めて実装を進めていった。
結局、水道橋は打ち合わせもめったに来なくなり、パッケージングしたデータを自宅で受け取り、自分でROMに焼いて実機確認をして、修正指示をメールで出す、という仕事の進め方が大半になった。だが、何よりも困ったのは、ゲームのキモになる『絆が強さに結びつく』という部分をゲームにどう反映するか、具体的な仕様どころか、アイデアすらベルリンに丸投げだったことだ。それではということで、バトル担当の自分がアイデアを考えて水道橋に送ったが、何の返事も無い。そして、最初のアルファ版提出時に、水道橋が言うところの『ディレクション』とやらが始まった。
とりあえずアルファ版の提出日が迫ってきたので、水道橋にも提出想定のROMデータを送った。まあ、何らかの修正指示や要望は来るだろうとは皆考えていたが、メールで送られてきたその内容も量も、驚愕に値した。アルファ版では全ての要素が実装対象ではなかったが、主要なUIやバトルに関係するアクションは試作として実装しており、それらに対して細々注文が来た。そして『絆』というコンセプトを反映するために考えた『絆アクション』はまるまる没で考え直せという指示だった。さすがにそれはアルファ版ではどうしようもないのだが、それ以外はすべて対応すべしということだった。慌てて残りの二日、ほぼ全スタッフが泊まり込みで対応しては水道橋のチェックを受けては修正という作業を繰り返した。その内容はデザイン素材の色具合や、UIの仕様変更にまで及んで、間に合わないのでプログラムに直打ちするメッセージテキストまで出る始末だった。結局土日も作業して月曜日にやっとアルファ版の提出が認められた。
この時点で、誰かが進め方がおかしいと声を上げるべきだったのだ。だが、水道橋というクリエイターの権威の前に、自分も含めて誰も何も言えなかった。リードプランナーの根津は、むしろ水道橋に媚びるような態度になっていた。
企画書にあった大きなコンセプトの柱である、『絆が生む新しいアクションRPGのバトルの快感』。
それをゲームにどう落とし込むのか。これがクリエイターの、ゲームデザインの腕の見せ所のはずだ。だが、企画を立てたはずの水道橋自身に何のビジョンもなかった。耳障りのいい言葉を企画書に並べて、後はそれをキーワードにして現場に作らせてから、水道橋自身がディレクションという名目で変更させるという開発の進め方だったのだ。
そこまで話すと、新能は熱燗を続けて二杯煽り、雪乃も熱燗を一口飲んだ。
「まんま紺塔みたいだろ」
新能は表情を硬くしたままで、かんぱちのお造りを口に運んだ。雪乃は頷いて、お銚子を両手で持って、新能のお猪口に酒を注ぐと、彼は一気に飲み干して話を続けた。
以後も水道橋のディレクションとやらは変わらなかった。
自分からは決して仕様どころか概要も作らず、せいぜいコメントレベルのアイデアしか出さない。
こちらがではこうしてはどうかというアイデアをまとめたものを出しても感想めいたコメントしか返さない。
実装してプレイできる状態にして、初めて修正要望やリテイクの指示が来る。
実装してもらわなければ分からない、というのが水道橋の言い分だった。
そのたびに、バトル担当の自分は水道橋の変更指示内容を、担当プログラマーである
瓢は自分と同い年だが、彼は経験者の中途採用枠で入社していた先輩だった。『ダブル』で初めて一緒に仕事をすることになったが、年齢が同じ事もあってすぐに親しくなった。彼は性格が内気で大人しく、自己主張も強い方ではなかったが、仕事に対してはねばり強く誠実だった。どんな相談や要望にも、嫌な顔をせずに対応してくれた。今思えば、自分は彼に甘えてしまっていたのだ。
水道橋の要望対応のために、ROM出しの際はもうずっとお互いに泊まり込みでの作業になるのが当たり前になっていた。特にバトルの仕様は、何度も何度も自分の考えるアイデアが概要の段階から水道橋にダメ出しをされ、次のROM出し間際になって、ようやくそれじゃあ実装してみろという事になって瓢と必死に作業を進める。他のプランナーは自分のことで手一杯だし、リードプランナーの根津はひたすら成果物だけを要求してきて、水道橋の言う事を伝える伝書鳩としてしか機能していなかった。
やっと実装したものを触って、また水道橋のダメ出しが来る。そんなことを繰り返しているうちに、自分はもういつ終わるか分からない仕事に疲弊していた。だが、瓢はもっと疲弊していた。何日も会社に泊まり込んでいるから身体も臭うのが普通になっていたし、髭が濃くなった風貌は明らかに憔悴しきっていた。それでも彼は、文句一つ言わずに黙々と作業を続けてくれた。
ベータ版の提出フェイズが近づいてもプロジェクトの進捗が芳しくないことを憂慮した会社は、追加人員を現場に何人か投入した。その中の一人に、シナリオ担当者として
瓢はバトル担当だったのだが、敵と戦っている最中でも新しい形でイベントを実装する必要が生じたので、その実装に関して若江と接するようになったのだ。
そのころにはもうプロジェクトははっきりと炎上の様相を呈して、企画書でコンセプトとして提示されている、『絆が生む新しいアクションRPGのバトルの快感』がまだゲームに反映されていないとクライアントからはROM出しのたびに『非承認』の結果が突き返されてきた。ROMが承認されないため会社にも支払いがされない。自分は胃が痛い日々が続き、よくトイレで嘔吐したし、会社に泊まる日々が続いて横になって眠りたくても眠れず、昼間の業務中、トイレの個室で思わず横になって十分ほど仮眠を取ることもしょっちゅうだった。気がつけば、一年の予定のプロジェクトはその一年を過ぎても終わる気配が見えず、モンスターのモデルやモーションといった素材ばかりが増えていった。
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