(七)拒絶

 いよいよオールインの日まであと五日となった。追加で実装することになった『お供』の実装が遅れているが、ギリギリで何とか入れられそうだった。だが代わりに、実装を担当したプログラマーとサーバーエンジニア、それに市ヶ谷は疲労の色が濃い。連日泊まり込んで深夜まで作業し、明け方に起きてまた作業を繰り返し、雪乃も調整にかこつけてそれにつき合った。だが、セクションリーダーを中心として、雪乃はチームにある一体感の様なものを感じていた。自分たちの手で、『ソード』を、『剣戟の彼方に』を、ここまで良くしてきたのだという自負が芽生えてきたのだった。同時に、紺塔や会社に対する反発を業務中口にするスタッフも現れ始め、それはさすがに雪乃も注意せざるを得なかった。

 だが、ようやくゴールが見えつつある。オールイン後は約一ヶ月のデバッグ期間を経てリリース予定だ。デバッグに必要な仕様や資料の準備はほぼ済んでいて、円滑にデバッグ会社に作業を始めてもらえそうだった。実装されたものの修正や調整作業のみが主な残作業となったデザイナーセクションのスタッフは、仕事の合間にゲームを頭からプレイしては、気になるところをレポートしてくれたり、バグ報告を上げだしてくれている。専用のウェブサイトもオープンし、事前登録の受け付けももうじき始まる。雪乃は必死に自分を奮い立たせていた。


 だが、そこへまたしても紺塔からの爆弾が投げつけられてきた。今度は初期リリース分ストーリーのエンディング変更と、シナリオの追加だった。会議室に呼び出された雪乃は紺塔からこともなげに言われた。


「システムの追加じゃない。イベント内容の変更と追加だ。できるだろ。よろしく」


 目まいを覚える。『剣戟の彼方に』のストーリーの大枠は、確かに紺塔が企画書と共に作成したものだったが、紙ペラ数枚の、文字通りあらすじだけでしかなかった。外部のシナリオライターにシナリオ化してもらい、それをイベントスクリプトに落とし込んできて何とか形にしてきたのだが、紺塔はこれまではシナリオには注文をつけていなかった。見ていない、という方が正しいかもしれない。雪乃このプロジェクトに入ってから、何度もシナリオ展開のチェックを紺塔には依頼していたのだが返答は皆無だった。

 だが、新しいエンディングの内容をざっと見た雪乃は目を見張った。重要なサブキャラクターがエンディングの中で死亡している。あまりにも突然過ぎた。必然性が無い。だからだろうか、そのための伏線を入れるべくシナリオの追加があるようだが、どれもこれも『とってつけた』感が漂う。

 これでは、むしろストーリーの質が落ちてしまう……。

 雪乃は遠回しにこの変更と追加の必然性を紺塔に尋ねてみたが、「今のエンディングにはインパクトが足りない」、「ユーザーが感動しない」を冗長に言語化するのみで、彼女は納得する答えを得ることはできなかった。だが結局突っぱねることはできずに紙資料を抱えたままスタッフのいるオフィスに戻り、セクションリーダーにその場での打ち合わせ用として利用している空き机に集まってもらって、事情を説明した。皆、作業内容はともかく、エンディングの変更とシナリオの追加には渋い表情をした。


「これ、どう見ても改悪だよね?」

「なんで唐突にヤルセンが死ぬんだよ、お話的に対抗勢力の暗殺ってことになってるけど、それだと滅ぼしたはずの対抗勢力はどうなったんだってことになる」


 程度の差はあれ、皆、「本当にやるのかこれ」という表情をしていた。雪乃は苦笑しながら、紺塔の言うことだから仕方ないと言おうとした。

 そこへオフィスのドアが開いて、紺塔が入ってきた。


「早見、ちょっと」


 歩きながら、紺塔はまた新しい紙ペラをひらひらさせている。


「はい」


 嫌な予感を覚えながら、雪乃は紺塔の前に歩み出た。


「『ソード』な、これ前評判が上がってきてる。で、タイトル画面とワールドマップの移動の仕様、これに変えて」


 話の文脈が繋がらない。雪乃は黙って紙を受け取って内容を確認した。タイトル画面はデザインに関する変更指示で、ワールドマップの移動の仕様は、ワールドマップ画面で、PCピーシーが移動する際の演出に、利用している交通手段を示唆する表示物を追加しろという内容だった。


「今の線に沿ってマーカーが移動するだけじゃ弱い。何で移動しているのかがわかるように、馬なら馬に乗って駆けている様、ドラゴンならドラゴンに乗って飛んでいる様を表現すること。よろしく」


 雪乃はもう無気力にはい、と言おうとした。だが、そこで、不意に何の前触れもなく新能の言葉が響いた。


『言われたから実装しましたなんて、最低な仕事の進め方だ』――。



 新能が、バルバロッサでの仕事中に仕様書にある要素のうち疑問のあるものについて、何を狙いとしてしているのか、何のために必要なものなのかを座名に問い、座名や拝道が真摯に答えている様を思い出した。それに佐井やデザイナーたちが意見を口にする。もちろん雪乃も思うところを述べ、議論は離散していくが、新能や拝道が議論をそのたびに軌道修正して、最後は座名の『よっしゃ、ほなそれでいきまひょ』の一言でよしやろう、という空気になったあの現場――。


「これ何を目的としてやるんですか?」


 雪乃は自分の声が硬質化していることに気がつかなかった。


「タイトル画面の修正はまあまだいいとして。ワールドマップ画面での演出に、わざわざ手持ちの乗り物を反映する必然性と狙いはどこにあるのか。それをまず教えてください」


 紺塔は面倒くさそうに言った。


「いちいち説明しなけりゃ分からないのか? お前のセンスは」

「わかりません」


 雪乃は遮った。


「そもそも馬やドラゴンといった乗り物は、交通手段ではなくて、バトルにおける攻撃手段の増加のためにあるものです。ワールドマップ上では馬を持っているからといって移動のルールに変わりなどありません。なのに移動演出に反映させる必要性がどこにあるんですか? 意図がまったく分かりません」

「いやだからあ、それが移動演出にも反映されていれば、せっかく手に入れた乗り物なんだからユーザーも嬉しいだろ」

「乗り物ではなくて攻撃手段です。必要性を感じません」

「それを判断するのはお前じゃない。ディレクターである俺だ。いいからやれ」

「必要性を感じないものは実装できません。それから」


 雪乃はツカツカと打ち合わせスペース用の机に歩み寄り、先ほど渡されたエンディングの修正と追加イベントが書かれた紙を掴むと、再び紺塔の前に歩み寄った。


「先ほどのエンディングの修正とイベントの追加も必要性を認められません。というより、これを実装すると現在より明らかにシナリオのクオリティが下がると思います」


 紺塔の眉がピクリ、と動いた。


「あのな、早見」


 紺塔は腕組みをして雪乃を睨みつけた。


「これは俺がディレクターのタイトルなんだ。世に出て、評判が悪くても叩かれるのは俺なんだ。だから俺は責任を以て、自分のイメージ通りにゲームを仕上げていく義務がある」

「だったら、もっと早く仕事をしていだけませんか」


 ああこれはまずいと雪乃は思ったが、今までの鬱憤うっぷんがマグマの様に、静かに口から溢れて音もなく周囲を飲み込んでいくようだった。この人は、結局何も変わっていない。新能が首を覚悟で、お前は現場のディレクターとして失格だと皆の前で啖呵を切ったあの時から、何一つ変わっていない。ならば改めてそのことを、ディレクター失格であることをもう一度突きつけてやる。


「最初から陣頭指揮も執らずにろくな指示もチェックもせず、スタッフに丸投げしてゲームが形になりだしてから自分の要望を出して修正させる。それがディレクションなんですか? で、納期ギリギリになってクオリティだのセンスだの横文字を並べてスタッフにオーバーワークを強いる。そんなディレクターならいない方がマシです。クリエイターでも何でもありません」


 前に新能が紺塔にたたきつけた内容ほぼそのままだった。言っちゃった、と雪乃は思った。脚が震えた。


「早見」


 紺塔は耳まで赤くして、それでも胸を反らして、乾いた笑いを立てた。


「今謝って俺の言う通りにするなら許してやる」


 雪乃は、腕組みしている紺塔の拳が、ぷるぷると震えているのを見た。表面は余裕ぶっているが、皆の前で侮辱されたことに相当腹を立てているのだろう。だが彼はすぐにまた微笑を浮かべた。


「まあ、大変なのは分かるが、これもみんな会社としていいものを作るためだ。売り上げが無いと皆も食っていけなくなるしな」


 論点をすり替えていると雪乃は思った。紺塔のディレクターとしての仕事ぶりに問題があると指摘しているのに、紺塔は会社のためだとお為ごかしをしている。


「それに早見、俺はお前を評価している。『ソード』をよくここまで良くしてくれたよ。次はディレクターを任せてみてもいいかと検討している」


 今度は懐柔か。雪乃は紺塔の底が見えたと思った。自分で思っているほどの才能は無いのに、自分を自分以上に大きく見せようと意図した言動ばかりとる。そのため他者の成果物にケチをつけ、大声で恫喝し、怒っているフリをして修正させる。そして、周囲の環境がそれを助長しているのだ。


「ちょっと会議室で話をしよう」


 紺塔はまた笑顔で話しかけてきたが、雪乃はきっぱりと言った。


「お断りします」


 そう言って、手にした紺塔の修正要望をオフィスの脇にあったシュレッダーにかけた。


「早見!」


 シュレッダーが紺塔の自意識を飲み込んで細切れに切り刻んでいく音の中、紺塔は大声を出した。


「お前を『ソード』から外す。田無、今日からお前が仕切れ」


 田無がしどろもどろに返事をした様だが、雪乃は震える身体を抑えこむのが精一杯だった。


「早見はしばらくデバッグに回せ」


 そう言い放つと、紺塔は床を踏みならしながらオフィスを出ていき、田無も後に続いた。静寂がオフィスを包み、誰かが話しかける前に、雪乃はオフィスを飛び出した。

 泣くな、泣くな、泣いたら負けだと唇に力を入れながら雪乃はビルの中をがむしゃらに歩いた。角を曲がる時に人の気配を感じてかろうじてブレーキをかけてよろめく。


「早見さん?」


 よろけた雪乃の身体を支えてくれたのは新能だった。


「何かあったのか」


 雪乃は顔を上げる。新能の少し驚いた表情。だがその目は、今まで見たどんな彼のものよりも優しいように見えた。新能さん、と言いかけた時に決壊が崩れた。雪乃は新能の胸に顔をうずめ、こぼれだした涙と暖かい胸の感触の双方を感じた。

 雪乃は新能の胸で、声を殺し泣き続けた。

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