(五)再会

 新能が別プロジェクトへ移動してから二日が経った。

『ソード』のチーム内では『お供』の打ち合わせで決まった内容を急ピッチで実装作業を進めている。新能がレベルデザインも考慮した仮データを想定した資料を作成しておいてくれたので、既に調整中のデータのどこをどうすればいいかの当たりもついていた。デザイナーもUIの新規作成作業に追われたが、やはり大変なのはプログラマーとサーバーエンジニアで、泊まりで作業を続けてくれている。雪乃もリーダーとしてそれにつき合おうとしたが、二人から拒絶された。


「早見さん、今は企画セクションはちゃんとやることやってくれてます。チームとして実装するということが決まって、やりたいこともきちんとあって、その打ち合わせ結果を反映した仕様書まであるんだから後は実装が終わるまでこっちに任せてください。早見さんに倒れられたら困ります」


 そう言われては返す言葉が無く、甘えて退社させてもらったが、翌日の午前中に『お供』は実装され、ゲームとサーバーを介して稼働するようになった。だが、やはり関連箇所で大小様々なバグが発生するようになった。


「僕が追います。早見さんは全体を見渡してください」


 市ヶ谷がそちらの対応を請負ってくれた。もう市ヶ谷は最初に会ったころとは見違えて、自分から作業を買って出てくれるようになっている。雪乃は安心して、再度ゲームをプレイしての調整作業や、オールインでデバッグを開始するために必要な資料の準備を開始することができたのだった。フリーズバグも幾つかを残して何とか原因を突き止め、いよいよ来週末にオールインROMを提出する算段も立った。

 そんな金曜日の終業間際、雪乃は総務課から来客ありの連絡を受けた。訪問者の名を聞くと、はやる気持ちで応接室に向かう。拝道が、そこにいた。


「拝道さん!」

「早見さん、ご無沙汰しています」


 スーツ姿の拝道が笑顔で頭を下げた。大阪での、バルバロッサでの日々が蘇ってくる。季節はもう七月。暑さが厳しくなりだしているが、わずか三ヶ月前、桜の季節まではあの活気のある現場にいたのだ……。懐かしさと寂寥感が複雑に交錯しながらも、雪乃は拝道との再会が嬉しかった。拝道は、別件の仕事の打ち合わせで東京まで来たという。


「ついでに、言うたら失礼なんですけど、オストマルクさんにも『ヴァルキリー・エンカウント』ではえらいお世話になりましたから、お礼を言うておかななァということで寄らしてもらったんですわ。打ち合わせがちょっと長引きましてこんな時間になりましてどうもすいません」


 ゲーム業界でスーツ姿という服装は案外珍しい。よほどの上役の人でない限り、会社の要職にある人でもカジュアルな服装の人が多いのだ。だがバルバロッサでは、課長職以上の役職者は出張にはスーツ着用が原則で、それ以外のスタッフも、他社へ赴く際は最低ジャケットを着用することが義務づけられている。似合いませんやろと拝道は笑い、オストマルク上層部の方々への挨拶はもう済ませたのだと言って、雪乃を飲みに誘ってくれた。


「新能さんも誘うたんですけど、都合が悪いらしうて。どないですやろ」


 拝道は、今日は東京に泊まる予定とのことだったので、雪乃は仕事を考慮して午後九時を約束して一旦彼と別れた。新能は来られないのか……。新能に相談すべきプロジェクト事項はもうほとんど無くなっていて、すれちがう時に会釈を交わす程度の仲になってしまっていた。落胆を背中で表しながらも、バルバロッサの皆の様子や、『ヴァルキリー・エンカウント』の運営がどうなっているかを聞けることは素直に嬉しいと感じる雪乃だった。


 拝道が宿を取っているホテルの傍に、以前北浜と行ったおいしい小料理屋があったので、雪乃はそこで彼と飲むことにした。互いに生ビールで乾杯した後で、拝道は『ヴァルキリー・エンカウント』の売り上げが好調である事を教えてくれた。


「この分やったら、もう少しで開発費分は予想よりも早くペイできそうな感じですわ。コラボレーションの申し込みもチラホラ出てきまして。マルチメディア展開としてはコミック化の話も来ています」

「良かった……」


 安堵と共に、その様なゲームに関われた幸運を改めて思う。皆でがんばって作って、結果が伴う。それが一番良いのだ。


「バルバロッサの皆さんはお元気ですか?」

「お陰様で。座名は『ヴァルキリー・エンカウント』の運営はもう僕に任せて、次のプロジェクトを立ち上げてまして、来月からスタートです」


 楚亜は引き続き座名や拝道と打ち合わせをしながら、『ヴァルキリー・エンカウント』のシナリオとイベントスクリプトを担当しているが、同時にゲーム中シナリオのコミック化の監修作業を座名に任され、張り切って仕事をしているという。総務の彩子は、まだ九月だというのに来年から始める新卒者採用のための会社説明会準備に忙しいとのことだった。


「そうそう、佐井のやつ、彼女ができよったんですわ」


 相手は他のゲーム会社のデザイナーで、友人同士の合コンで知り合ったとのことだった。佐井のまじめな表情や、不器用だが誠実なアプローチを思い出して、雪乃は頬が緩む。良かった、と思った。


「早見さんの方は、お仕事どないですか?」


 雪乃は数秒ためらってから、出向から戻ってきてからのことを話した。

 炎上していたプロジェクトに配属されたこと。

 そのプロジェクトをバルバロッサで体験したやり方を参考にして、新能に相談しながら何とか立て直してきたこと。

 すると、それまでノータッチだった紺塔が、急にディレクターとして修正指示を出してくるようになったこと。

 そして今回の修正指示に、新能が反発して紺塔から首を言い渡されたこと……。


「幸いなことに新能……は首にならずに済みましたけど、ウチのチームからは外されてしまったんです」


 この場では自社のスタッフなので、新能には『さん』を付けないのが普通だが、雪乃は一瞬口ごもってしまった。

 拝道は生ビールを飲み干すと、早見さんは確か日本酒もいけましたねと丁寧に断りを入れてから、好きだという日本酒の銘柄を熱燗で注文した。無理に飲まなくていいですと言いつつお猪口を雪乃の前にも置いて、注いでくれた。自分のお猪口にも酒を注いで、それをうまそうに飲んで拝道は難しい問題ですなァと息をついた。


「ディレクターが自分の意思をどう現場に反映してゲームを作っていくのか……。これは正直言って答えの無い問題やろなァと思います」


「そうでしょうか……」


 雪乃は納得がいかなかった。座名は、ディレクターとして常に現場で陣頭指揮を執った。こうしたい、ああしたい、という自らのビジョンを常時現場に示し続けた。『ヴァルキリー・エンカウント』のバトル・システムは確かに自分と新能が協力してアイデアを考え、それを仕様化したが、それは明確に座名のディレクションに沿ってのことだった。内容は確かに座名の考えによるものではない。その点では紺塔のやり方とあまり差異は無いのに、受け取る感覚はまるで違う。

 座名がディレクターとして『ヴァルキリー・エンカウント』を作ったと言われれば頷けるのに、『剣戟の彼方に』を紺塔が作ったと言われれば首を横に振りたくなる雪乃だった。そういう自分の考えを吐露すると、拝道は苦笑しながら言った。


「まあ、僕も個人としては正直言って紺塔さんのそういうやり方をディレクションとは認められへんです。以前、打ち上げの時にもお話ししましたが、とりあえず作らせてから修正させるちゅうやり方は以前の座名をはじめ、サラマンドルの大半のディレクターやプロデューサーもやってた進め方ですが、僕はそれが嫌やった」


 拝道はお酒をお猪口に自分で注ぎながら、何か胃に入れないと酔いが早そうですなァと言って、店員がもってきてくれた刺身の盛り合わせから一切れを口にすると、うまいなァと呟いて視線をお猪口に落とした。


「僕は、当時の座名らのやり方に対して反発して、ワークフローというものをきちんと確立するやり方で開発を進めようとしましてん。それで失敗しました」


 お猪口の酒を飲み干してから、拝道は自分の経験を語り始めてくれた。



 株式会社サラマンドルで、やっとディレクターになれたころ、自分はプロデューサー肝入りの版権もの企画、『セメント風魔』という対戦アクションゲームのディレクターに就任した。人気格闘漫画をゲーム化したもので、その開発に当って自分は開発の進め方をある程度ワークフローとして定型化しようと考えた。

 入社したころから、会社での仕事の進め方に疑問を持つことが多かった。会議のための部屋があるのに、あまり活用されていない。大半が口頭のやり取りで実装が進んでいく。それはそれでいいが、ある情報について、知っている人と知らない人がいるのは問題ではないかと思った。上司に疑問を呈すると、知りたいこと、分からないことがあるなら聞きにくればいいだけのことだと返された。だが、ゲームを構成する情報はもう莫大になって、とても人一人の頭に頼って管理すればいいレベルのものではなくなりつつあったし、チームがゲームのROMをいつ出すのか、何を実装すればいいのかなどの情報も、締め切りの一週前にディレクターが一方的に決めることが多かった。仕様の打ち合わせのための会議なんて実施する空気は無く、デザイナーやプログラマーの席を渡り歩いて仕様の説明をしたものだった。

 要は、情報の管理も、ゲームをいつまでにどういう状態にするのかという決めるべき項目も、実装までにどういう工程を経るのかも、ものすごく曖昧な状態だった。それは無駄な時間を生んでいると自分は考えたが、そこを問題点として改善案を上司にあげても聞き入れてくれない。上司にしてみれば、『自分がいなければ開発が進まない』という空気がある事の方が大事だったのだ。

 自分なりに他業種のプロジェクトの進め方を本などで勉強してみたが、仕事の流れをワークフローとして制定して、それを繰り返せばプロジェクトが進むようにすればいいのだと解釈した。

 なので、『セメント風魔』では、チームとして開発をどう進めるかを完全にワークフローとして策定して、各セクションのリーダーとも共有し、実装までの流れも明確化した。

 ゲームをいつまでにどんな状態にするのか、自分が音頭を取って取りまとめた。そのために必要な作業には何があるかもセクションリーダーと打ち合わせて何をやるのかをはっきりとさせた。まだタスク管理用のWEBツールなどは無い時代だったが、エクセルで誰がどんな作業を持っているのかを、共有ファイルサーバーに上げて把握できるようにした。そして、試作版まではそれでうまく回っていった。よし、これならいけると思っていた。

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