(四)衝突

 次のROM出しに向けてさらに仕事は忙しくなったが、雪乃にとって朗報が一つあった。

 要請が認められ、新能がテストプレイヤーとバグチェック要員としてチーム入りしたのである。勿論、雪乃はテストやバグチェック要員としての働きは半分で、プランナーとして相談にのってもらったり、あまり手が回らなくなってしまった市ヶ谷へのフォローを期待してのことだった。

 新能は雪乃の申し出に黙ってうなずき、打ち合わせに参加してくれたり、仕様の取りまとめや派遣社員への指示出しに加えて、市ヶ谷と協力してデータ調整を行ってくれるようになった。市ヶ谷は新能に対して初めは身構えている様子だったが、その態度が軟化していくのに三日もかからなかった。


「新能さんてすごく頼れる人じゃないですか。あまりいい話を聞かなかったけど……」


 雪乃から見ても、新能から受ける印象は以前より明らかに棘が取れていた。バルバロッサの時と同じように、無表情に、だがやるべきことを見据え、一つ一つ淡々と、だが的確に仕事を進めていく新能の姿を見て、市ヶ谷も積極的に彼と話をして仕事の参考にしている様だった。

 懸案だった超巨大ボスも、ステージの形状に変化をつけて、戦い方の応用をプレイヤーに求める形で最終実装とし、これならいけるだろうという感触をチームともヴィルヘルミナの担当者とも共有できた。ところが、オールインまで残り二週間となったところで、再び紺塔から修正指示が来た。


「パーティ制……」


 会議室。

 雪乃は渡された修正指示リストを見て一番衝撃を受けた項目を見て思わず呟いた。


「そ。やっぱりアクションRPGでもパーティ制だろう」


 紺塔がガムを噛み、スマートフォンを触りながら言った。相変わらずノーネクタイのジャケット・スタイルで整っているが、その姿はどこか舌なめずりする肉食獣を思わせた。


「そうですね」


 田無が追従する。

 目まいを覚えた雪乃だったが、さすがにこれは今の時期、クライアントもリスクが高すぎて認めないのではないかと思う。


「三人でいい。パーティ制にして二人はオートで動く。アクティブ対象なキャラクターだけをユーザーに操作させる」

「いいですねえ」


 田無はもういないことにしようと雪乃は思った。


「……さすがに、今の時期ではヴィルヘルミナさんもリスクを考えて賛同しないのではないかと思いますが……」


 そして、何よりもゲームの根底であるコンセプト、『一人の戦士の徹底したバトルアクションをスマホでプレイ』を崩してしまう、と雪乃は思った。

『ソード』こと『剣戟の彼方に』は、一人の戦士が、立身出世を目指して各地で傭兵として戦っていくという内容のゲームだ。だからこそ、ユーザーが操作するPCプレイヤーキャラクターである戦士には、一人でも戦えるように色々なスキルやアイテムを苦労して考案し、実装していた。

 中でも、ストーリーの重要な仲間とのイベントは、『メモリアル・アクション』と呼ばれるスキルやアクションとして登録され、その仲間の能力が使えるようになるという仕様は雪乃が考案し、もっとも苦労し、そして今ヴィルヘルミナから最も評価されている要素だった。

 それをパーティ制にして複数のキャラクターを切り替えながら遊ぶ形に変更するというのは、これまでの仕様や調整を再度すべてリファインすると言っていることに等しい。その事を遠回しに雪乃が告げると、紺塔は事もなげに言った。


「んー、なら『お供』でいい」

「お供、ですか?」

「パーティ制じゃなくていい。動物か何か、ああ、何か可愛いデザインのモンスターがあったな、あれをお供として連れて行って育成できるようにする」

「それもいいですねえ」

「ともかく、今のご時世キャラが自分だけなんて流行らない。どうにかしてみせろ」

「はあ……」


 完全パーティ制にするよりはマシだろうが、それでも無茶なオーダーであることに変わりはない。雪乃が力無く生返事をしている間に、紺塔は次のROMに実装しろと言い残して田無と二人で去っていた。これを今からチームのみんなに説明するのか……。机に伏してため息をつきながら、まず新能に相談しようと雪乃は渡された紙を握りしめた。


 会議室に来てくれた新能は、雪乃からいきさつを聞くと、いつも通り無表情に言った。


「つまらないことをする」

「つまらないこと……ですか」

「ハイボール&ローボールっていう交渉術の初歩。最初に高い要望を出しておいてから、低く見せて本命の要望を出す。受け手は本命の方をまだマシな方かと錯覚する」

「ああ、なるほど……」


 雪乃は得心した。紺塔が、パーティ制をいやにあっさり諦めてお供レベルでいいと言った理由はそこにあったのか……。


「それにしても、後二週間でオールインという状況でこれを仕様化して実装するのはヴィルヘルミナさんも何というか……」

「ああ、一旦実装するとしたらこんな形、というのは提示する必要はあるが、それをヴィルヘルミナと詰めた方がいいだろうな。多分やらなくていいという話になると思う。けどその前に」


 新能は雪乃を目を見つめて言った。


「早見さん自身はどうしたい? ディレクターの要望を見て」


 雪乃はハッとした。スケジュール感から無理というのと、内容の妥当性はまた別の話なのだ。雪乃は改めて『お供を実装する』というオーダーを頭の中でどうすべきかを思考を巡らせた。


「……入れるべきではないと思います」

「その理由は?」

「ええと、ゲームの企画のコンセプトから外れるからです。この『剣戟の彼方に』は一人の戦士が立身出世を目指して戦っていくというのがコンセプトで、そのためにキャラクターのアクションやイベントの内容が決まっています。今、そのコンセプトを崩して、キャラクターが持っている機能を他の要素にシフトすることはしたくないです。もしどうしてもというなら、プレイヤーキャラクターの持つ機能の一部の補助で育成もなし。でもそんな中途半端な要素にするなら入れない方がいいです」


 新能はちょっと思案顔だったが、やがて頷いた。


「わかった。捨て作業に早見さんのリソースを割くのは勿体ない。市ヶ谷君と相談しながら俺が今日中に作っておくよ」

「ありがとうございます」


 自分から動いてくれるスタッフほどありがたいものはない。雪乃は深々と新能に頭を下げた。


 翌日に新能が作ってくれた、『お供の概要』を確認し、各セクションのリーダーにも共有した上で、『ディレクター紺塔からの要望です』という形でヴィルヘルミナの担当者に投げたところ、先方から「それはもうやらなくていい」という返答がすぐにメールで返ってきた。雪乃はほっとした。返信は紺塔や田無にも届いている。ところが、十分後、オフィスに紺塔が田無を引き連れ、床を踏みならしながら乗り込んできた。


「早見、ちょっと来て」


 嫌な予感がする。皆の無言の視線を一身に集める気配を感じつつ、雪乃は二人の前に歩み出た。


「『お供』な、アレ、実装することになったから。次のROMまでによろしく」

「えっ……、でも先ほどヴィルヘルミナの辺留ベルさんから実装する必要はないとお返事をいただきました」

「すぐに電話した。スケジュール的な問題を懸念されていたからそこは何とかさせますと言って説得した」


 紺塔が口周りの髭を撫でながら得意げに言った。雪乃は絶句する。


「納期を延ばしていただかないと無理だと思います。それは概要にも提示してあったと思いますが」

「こなしてこそプロだろ。何とかして。人が欲しければ使っていいから」

「でも……」


 雪乃は頭を巡らして、新能に告げた自分の考えを紺塔にも説明した。やはり『剣戟の彼方に』の出発点である「一人の戦士の戦い」をせっかくここまでフューチャーしたのに、中途半端なお供を入れるべきではない……。


「じゃあなんで概要を作ったんだよ。反対ならその時に言え」


 雪乃が二の句を告げないでいると、じゃあよろしく、と紺塔と田無は背を向けた。


「あのー、なんでもっと早く言ってくれないんですか?」


 紺塔の背中に向けて放たれた大きな声が彼の歩みを止めた。オフィスが静まる。紺塔は振り返った。


「誰?」


 新能が手を上げた。


「オールインの直前にこんな大きな追加仕様とか普通に考えて無理ですよね。普段からちゃんとゲームを見て、方向性をディレクションするのがディレクターでしょ?」


 新能はわざとおどけるように肩をすくめた。


「ちょっと前まではこのプロジェクトを放置してたのに、ゲームとして形になりだしてからしゃしゃり出てきて、自分の色を反映させようなんて無い。無いわー。ちょっとムシが良すぎませんかねー」


 雪乃の背中に冷たいものが走る。


「し、新能さん……!」


 紺塔がゆっくりと歩いてきたのを見て、新能も前に出てきた。二人は至近距離でにらみ合う。何事かとオフィスの皆も席を立ち始め、今や全員の視線が二人に集中していた。


「お前、名前は?」

「新能荒也ですが。スタッフの名前も覚えていないんですか?」


 新能は完全に紺塔を挑発にかかっている。


「新能さん、あ、あなたはバグチェックとテストプレイヤーに過ぎないでしょう、遠慮してください」


 やっと口を開いた田無の方は見ることもなく新能は紺塔を冷めた目で見ている。


「テストプレイヤーも立派なスタッフですけどね」

「俺の実績でこの仕事を獲れたんだ。俺の名前を冠するゲームなんだから、俺の指示に従うのは当然だろう」


 声こそ荒げていないが、紺塔の目はつり上がっている。


「だから、さっきも言いましたけどそれならもっと早く言ってくれませんかね。ちゃんとどういうゲームにしたいのか、書面なり打ち合わせなりできちんと提示してくださいよ。それもせずに今の状態が俺のゲームじゃないと言われても俺らエスパーじゃないんでどういうゲームにしたいのかなんてわかりませんわ。それらを前職のリードプランナーや早見さんに押しつけておいて、今から変えろと言われてもねえ」

「俺がディレクターだ。ディレクションをするのが俺の仕事だ」

「ディレクション? 冗談言っちゃいけない。どういうゲームに仕立てるかを想定しながら、そのために必要な要素を見据えてスタッフに仕事を頼み、ゲームとしてイメージ通りになるようスケジュール感を持って現場を動かして陣頭指揮を執っていくのがディレクターだよ。自分では具体的な方向性も案も示さずにキーワードだけ投げて作らせて、上がったものに納期ギリギリでダメ出しするのがディレクターじゃない。そんなものは」


 新能は冷笑しながら続けた。


「ガキが考えてるゲームクリエイターだ。自分は手を動かさず、現場に作らせて上から目線で変更指示だけ出せばいいと思っている。ちゃんちゃらおかしい」


 完全に場は凍り付いた。


「お前」


 紺塔は新能の胸ぐらを掴もうとしたが、さすがにまずいと思ったのかその手をひっこめて続けた。


「明日からもう来なくていい。首だ」


 新能は答えず、冷めた視線を紺塔に注ぎ続けていた。雪乃は飛び出した。


「紺塔さん困ります! ここでスタッフを減らされるのは!」

「どうせバグチェック要員なんだろ。どうとでもしてやる。とにかく『お供』は実装しろ。いいな、早見」


 紺塔は新能を睨みつつ、田無を引き連れて出て行った。

 静まり返るオフィスの中で、新能は周囲を見渡してから、雪乃の方を向いた。


「早見さん、皆さん、申し訳ありませんでした」


 新能が頭を下げた。雪乃は呆然と新能を見つめていた。新能は首を言い渡されることなど覚悟していたのだろう。その表情はいつもと同じだった。新能がいなくなる。その現実は雪乃の周囲を凍りで埋め尽くされる様な感触を想起させた。新能が頭を上げると、立っていた他のスタッフも自分の席へ戻り始めたが、何人かは新能の肩を無言でぽんと叩いてから自席へ戻っていくのだった。新能はまた雪乃に向き直って、「ごめんな」と呟いて席へ戻っていった。


 雪乃もやむなく自席へ戻った。時間はちょうど終業時刻になったところだが、誰も帰ろうとしなかった。市ヶ谷がそっと雪乃に話しかけてきた。


「あの」

「何?」


 死んだ目でモニタを見ながら生返事をする。


「『お供』の仕様、初稿はもうでてきます」

「えっ」


 市ヶ谷の方を見る。市ヶ谷は雪乃を手招きして、自分のパソコンモニタを見るよう促した。そこにはヴィルヘルミナに提出された概要書とは別のシートが作られていた仕様書の画面があった。『お供』の仕様が記載されている。すなわち、お供とは何か、何のために実装するのか。そのためにどんな仕組みで実装するのか。どんな素材が必要か。仕組みの詳細なルールはどうするのか。どんなデータが調整すべきデータとして必要なのか。網羅すべき項目がすべて記載されていた。これなら、すぐにでも打ち合わせに入れそうだった。


「これ、市ヶ谷君が?」

「ほとんど新能さんです」


 新能と市ヶ谷が概要を作る際、不要になるかもしれないが、実装となった場合に備えて仕様の作成はやってしまっておこうと相談して、昨日ほぼ泊まり込みで作成してくれたのだという。


「中身は新能さんがほとんどまとめてくださって、僕は必要な素材とデータを洗い出したくらいです」


 雪乃は立ち上がって新能の席のある方を見渡したが、そこに彼の姿は無かった。雪乃はオフィスを飛び出して、潮見がいる七階のオフィスへ急いだ。彼女の席へ駆け寄ると、「新能さんが」と声を出してから何も言えなくなった。涙がにじみ出ているのを自覚できていない。


「早見さん、ちょっとこっちで話そうか」


 何事かと周囲の視線が集まる中、潮見は立ち上がると雪乃を促して、小会議室へ足を向けた。ここは、会社の課長級以上の会議やクライアントとの重要な打ち合わせで使用される場所だった。


「紺塔さんが、新能さんを首だって、さっき……」

「落ち着いて、とにかく座って」


 潮見が優しく座らせてくれた。自身もその横に座りながらその話はさっき紺塔さんから聞いたと続けた。


「でも安心して。新能君は首にならないから」

「本当ですか」


 初めて顔を上げて潮見を見る。潮見は頷いた。


「新能君は私が無理を言ってオストマルクに来てもらったんです、そういう人を紺塔さんの判断だけで首にしてもらっては困りますって。ただね」


 潮見は視線を雪乃か外す。


「『ソード』からは外れてもらうことになったの。別のプロジェクトのデバッグにしばらく回ってもらう事になったわ」

「そんな……」


 雪乃は両拳を膝の上で握りしめた。


「新能さんはできるプランナーなんです! 大阪でも『ソード』でも、新能さんがいなければ私どうなっていたか……」

「分かってる」


 潮見は苦笑した。


「だから来てもらったの。ウチのプランナー陣は、仕事をフィーリングでしか進められない人が多いと思って。新能君はその辺りをきちんとできる人だから来て欲しかったの。けど……」


 それ以前の問題があったみたいだと潮見はため息をついた。紺塔をゲームクリエイターとしてオストマルクに迎え入れてから、確かに受託案件は増え、会社の業績は伸びた。規模も大きくなった。だが、離職率は格段に上がり、人の出入りが激しくなって派遣や他社からの出向に頼らなければ現場を回せない状態が続いている。また、最近はとにかくオフィスの空気が良くない。独立してオストマルクを皆で立ち上げたのは、ストレスなく自分たちで納得のいくゲームを作りたいからだったのに……。


「とにかく、新能君は首にはならないから安心して。わかった?」

「はい」


 やっとそれだけを発すると、雪乃は潮見に突然押しかけた非礼を詫びて、小会議室を後にした。自席に戻って、心配そうな市ヶ谷に新能が首にはならないことと、別プロジェクトへ移動することだけを伝えて、『お供』の仕様に目を通し始める。明日にでも打ち合わせをしなければならない。新能が作ってくれた仕様書。

 見出しにも、フォントにも、印刷を考慮したページレイアウトも、ヘッダーやフッターに仕様書を更新した日付や現在のページ数と総ページ数があることも、各仕様書シートにリンクが張られているインデックスにも、読み手への配慮が感じられる。各項目はやりたいことが図化され簡潔にまとめられていて、文章はその補足。あらゆる要素や素材にはきちんとした名称の定義がある。雪乃は仕様書の構成や記述から、改めて新能の真価を見る思いだった。

 当たり前の事をきちんとやる人は案外少ない。続ける人はもっと少ない。更新履歴を記載するシートには仕様を変更した人の名前と更新内容、日付を記載する。そこに書かれてある『新能』の名前を見た瞬間、雪乃は彼のことを好きなのだとはっきりと自覚したのだった。それが北浜翔に対する気持ちとどう違うのか、雪乃には考える余力が無かった。

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