(三)ディレクター

 雪乃は北浜にメールを打った。


『久しぶりに、お食事でもしませんか?

 今晩、都合はどう?』


 即座に返信が来た。


『勿論。うれしいよ。二十時くらいになるけどいいかな?』


 雪乃はお店は自分が予約しておくと了解の返信を打ちながら、話をどう切り出したものかと思案する。だが、結局答えを見いだせないまま、待ち合わせ場所の駅に着いてしまった。ほどなく、北浜が笑顔で改札を出てくる様子が見えた。


「嬉しいよ、雪乃から誘ってくれて」


 北浜は雪乃の手を取って握りしめた。


「ううん、忙しいのにごめんね」

「どんなに忙しくても、雪乃と会う時間は削りたくないな」


 言いながら二人で歩き出す。北浜は雪乃の右に立って、抱くように左手を彼女の腰に回す。互いの体温を感じて北浜との距離がぐっと縮まるこの感覚は久しぶりだった。

 いつも二人で来ているイタリアン・レストラン。予約をしていた席に案内される。


「今日はお料理も特に決めてないの」

「うん、好きに頼もうか」


 二人とも、最初の一杯目はビールと決めている。それで軽く乾杯してから、ワインと料理を幾つか頼んだ。


「ああ、うまい」


 北浜は美味しそうにビールを飲み干した。雪乃は一くち口を付けただけで、両手でグラスを抱えたままだった。


「……まだ怒ってる?」


 雪乃はかぶりを振った。


「そのことは本当に、もういいから」


 それは本心ではあったが、初台に対するわだかまりが消えたわけではないし、未沙から遠慮がちに、二人が度々親しそうに会話をしているという話を聞いていた。だが、初台は『武器道メモリアル弐』のチームにいる以上、仕事について話をすることは避けられないだろう。あまり邪推をして、恋人を疑うような重い女にはなりたくなかった。

 食事をしながら互いの近況を話したが、北浜は仕事については何とかクオリティが上がり始めたところだと言っただけで、むしろ雪乃の大阪での話を聞きたがった。


「『ヴァルキリー・エンカウント』だろ? 僕も今プレイしてる。面白いね。課金もしちゃったよ」


 雪乃はかいつまんでバルバロッサでの事を話した。バトル仕様を担当したこと、とまどうことばかりではあったがとてもやりがいがあったこと、そしてチーム内の空気がとても良かったと思うこと……。


「座名さんに拝道さん、それにプログラマーさんもデザイナーさん、みんな一緒に仕事をしていてとても心地良かった」

「あのバトル、君が作ったのか……。すごいな」


 北浜に褒められて、新能さんのおかげ、と言いかけて雪乃は口を止めた。理由は自分でも分からない。


「バルバロッサでは座名さんがずっとビジョンを提示してくれて、そこに向かってどうすればいいか、みんなでアイデアを出して実現していってるって感じがすごく強かった。それに」


 雪乃はそこで一旦言葉を切り、料理に合わせて選んだワインを一口飲んでから続けた。


「座名さん、スタッフを怒鳴ったり大声で叱責したりしなかった。だからみんな伸び伸び相談も提案もできてて……」


 ナイフとフォークを扱っていた北浜の手が止まった。


「僕だって、好きでスタッフを怒ってるわけじゃないよ」


 北浜は苦笑して事情を説明した。


 自分はディレクターだ。ゲーム全体のクオリティに責任を持つ立場にある。

 今回は『武器道メモリアル』の続編として、前作を超えるクオリティに仕上げなければらない。そのことについては皆にも説明したが、誰もそのことに注意を払っていなかった。プランナー陣も自分に仕様を作れとばかりに資料作成を要求してくる。そのくせ作る仕様書もやたら見づらい上に穴が多い。デザインは、作られた素材も仕様書で提示された画像ほぼそのままということさえあった。プログラマーはプログラマーで、触ればすぐに分かるレベルの不具合もそのままでチェックに回してくる。数え上げればキリがない。最初はやんわりと注意していたが、改善が見られなかった。各セクションのリーダーからしてそんな有様だった。正直言って、自分は舐められていたと思う。

 やむを得ず、きつく叱責せざるをえなくなった。反発はすべて理論で叩きのめした。紺塔もバックボーンとして利用し、やっと皆がクオリティを意識して動き出したところだ……。


「これまでは僕が何を言っても反発されてばかりだったけど、やっと皆言った通りのものを作ってくれるようになったよ。もうプランナー陣は僕に資料提出を求めずに、イメージを聞いて仕様を作ってくれるようになって、今は彼らが作った概要を見てチェックして修正させるだけでよくなった。デザイナー陣も成果物が上がるたびに僕に確認をお願いしてきてくれるようになった。プログラマーも触ってすぐ分かるレベルの不具合をそのままにチェックに回してくることはなくなったな」


 ここからが本番だと北浜は自信満々に言った。


「もっともっと良くしてみせるよ。競合他社のソフトにもヒケはとらせない」

「そう……」


 雪乃は何も言えなくなってしまった。彼の言う事にも一理ある。だが、オフィスのあの空気の硬さと子安の元気のない顔を思うと、食事は進まない。


「でも、締め付けられてばかりだと、皆しんどくならないかな?」

「分かってる。だからちゃんといいスタッフは皆の前で大声で褒めてるよ。鞭も必要だけど、飴も確かに必要だからね」


 北浜は笑顔でワインを飲み干した。


「次のROMが出てクライアントからの評価もついてくれば、皆も今のやり方でがんばればいいんだと悟るだろう。そうしたら、僕がいちいち大声を出す必要は無くなるよ」


 今のスタイルをずっと続けるつもりはないというその一点にだけ光明を見いだした雪乃は、そこで話題を変えた。だが、北浜の物言いが胸の奥に棘のように刺さっている。明瞭に言語化はできていない。ただ北浜の自信に満ち溢れた言動から感じた、彼のやり方ではバルバロッサでの仕事で味わった高揚感を得ることはできないだろうというおぼろげな予感だけがワインの味を苦くしていた。


 北浜の事は気にかかるものの、雪乃は雪乃で自身の仕事を進めなければならない。気を取り直して雪乃は再度仕事に注力し始めたが、ある日田無から会議室へ呼び出しを受けた。『ソード』について、紺塔と打ち合わせをしてほしいと、メールにはそれしか書かれていなかった。最新バージョンの入った端末を用意して会議室で待っていると、予定より十分遅れで田無と紺塔が会議室に現れた。


「お疲れ」


 紺塔はそれだけ言って、雪乃にプリントアウトされた紙を差し出し、彼女が机の上においた端末で『ソード』を起動させた。


「これは……?」


 雪乃は渡された紙を見た。リスト形式で、『ソード』の修正指示が書き連ねられている。大小二十項目前後あった。


「俺がチェックした『ソード』で直さないといけないところ。次のROMまでに全部対応して」


 次のROMといえば、今週末金曜日だ。あと二日しかない。


「あと二日しかないです。これ全部できるとはお約束できませんが……」


 雪乃は恐る恐る、といった体でリストを読み解きながら口にしてみた。多分無駄だろうという予想は、正確に的中した。


「プロだろ。何とか入れろ」


 雪乃は胃がヒリつく感覚を覚えた。リストの修正項目の中には、とても残り二日では実装できないと思われるものがある。


「あの」

「何だ?」

「この、超巨大ボスを実装というのはどういう……」


 雪乃の言葉を遮って紺塔はぶっきらぼうに声を大きくして言った。


「そのままじゃん。巨大なボス戦を実装して。今のボスは大きさがありきたりで全然インパクトがない」


 だが、『超巨大ボスの実装』という項目には、どんな敵なのか、どういうボス戦にしたいのかは一切書かれていない。


「……どういう敵で、どういうバトルを実装すればいいのでしょうか?」

「自分で考えろ」


 他の項目でも幾つか質問を投げたものの、返ってくるのは「それくらい自分で考えろ」か「任せる」が大半だった。


「それじゃ、早見さん、ROM出し日のお昼にまた僕のところまで最新版を入れた端末を持ってきてくれるかな。そこから紺塔さんにチェックしてもらうから」


 田無が続ける。相変わらず生気の無い目だった。雪乃の返事を待たずに、よろしくの一言だけを残して二人は会議室から去って行った。


「はーっ……」


 雪乃は机に突っ伏した。今までほとんど放置同然だったのに、急にやる気を出されても困る。

 渡されたリストを死んだ魚の目でぼんやりと見ながら、どうしようかなあと考えを巡らせる。間に合わなかったらみんなの前で私も罵倒されるだろう……。いや、それはいい。何よりもスタッフに、自らの意思によらず無理を強いなければならない。どうすればいいのだろう、せっかくゴールも見えてきて、チームの士気も上がってきたところなのに。知らず知らず、うっすらと涙がにじんで視界がぼやける。ふと新能に会いたいと思った雪乃は身体を起こして涙を拭くと、新能のいるフロアに向けて歩き出した。


 新能は休憩スペースで雪乃の話を聞いてくれた。彼は缶コーヒーを飲みながら紺塔の修正リストを眺めていたが、


「『ソード』がゲームとしてまとまって、良くなってきたから口を出してきたな」


 と言って、不機嫌そうにリストを雪乃に返した。


「え」

「ゲームとしてある程度まとまって形が整うまでは面倒くさいことばかりだ。ドブさらいと言ってもいい。そんな面倒なことは下のスタッフにやらせて、自分は上がってきたものをチェックして修正指示を出す。それがディレクションだと思っているのさ」


 新能は、まずクライアント担当者に変更予定の項目を報告し、同時にセクションリーダーに相談して実装の態勢を整えるようアドバイスしてくれた。


「大きな項目については、勝手に実装内容を変えるのはまずいだろうから、担当者には一報を入れておいたほうがいいな。仕様の削除じゃないなら、やるなとは言わないだろうし。後はすぐに対応できそうな項目とそうでない項目をより分けて、すぐに対応できないものをどうするか、チーム内で取り決める。ただその大前提として」


 新能は雪乃の目を見て言った。


「早見さん、君自身が、『こうする、こうしたい』という意思を明確にする事だ。それが修正項目に対する拒否なのか、対応するのかも含めて」


 雪乃はハッとした。そうだ、まずは自分自身がリードプランナーとしてどうすべきかを決断しなければならない。


「俺の見解では、妥当性はそれなりにある内容ばかりだけど……この超巨大ボスの実装ってやつがなあ。具体的に何を意図としてるのかが不明瞭で。今のところ思いつきをねじこんできたという印象しかない」

「はい、私もそれが一番頭が痛いところで……」

「単純にボスを大きくしても意味がない。大きいだけのゲーム的な意味がないと……」


 雪乃は新能の表情を見ながら、彼の顔立ちは優しいと思った。真剣に考えてくれているのが分かる。その目を見ていると、雪乃はだんだんやってやるという気が、肚からせり上がってくる感触を覚えた。


「まず、ボスを大きくして、各種挙動もそれに対応します。その上で『大きなボス』として遊びをどう入れるか、仕様を考えます。その実装が間に合わなければ、最終的にはこうなります、というのを資料で用意しておこうと思います」


 新能は無表情に頷いた。


「うん、その線でいいと思う」

「早速チームで検討します」


 雪乃は深々と頭を下げて、オフィスに戻った。背中が押されているようにその足取りは軽く、速く、力強かった。


 紺塔の修正要望は、結局大半は実装できたものの、一部、中でも『超巨大ボスの実装』は、既存のボスを大きくして、各種挙動も合わせて対応しただけで、新規仕様の部分は実装できなかった。その部分については最終的な実装のイメージを紙の資料として用意し、紺塔のチェック用として田無に提出した。

 雪乃にとって有り難かったのは、最初に相談したセクションリーダーたちが積極的に協力してくれたことだった。皆面喰らいはしたものの、いつものことだと気を取り直したらしく、雪乃が対応の方針を話すと皆賛同してくれ、次々と自分らも含めてスタッフに仕事を割り当てていってくれた。


「紺塔さんの無茶ぶりはいつも通りのことだけどさ、それをちゃんとチーム内でどう対応していくか話を取りまとめてくれてありがたいよ」


 プログラマーのリーダーはそう言ってくれた。チームとしても皆一体感が強くなってきた感触があった。それでも、雪乃を含めて数名のスタッフはROM出し日前日には泊まり込みになった。

 結局、雪乃は紺塔のROMチェック後に呼び出され、『超巨大ボス』の実装が間に合わなくなった点を責められたが、「まあ、初回だから見逃してやる」という趣旨の台詞でROMのクライアントへの提出が認められた。雪乃は主だったバグの修正が終わると、セクションリーダーだけを残して残りのスタッフを帰宅させてから、ROM出し作業を終えた。帰宅すると同時にベッドへ潜り込む。目を閉じて思い浮かぶのは、新能の顔だった。

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