第六章 波乱

(一)ソード

 土曜日に借りていたマンションを大掃除してからカギを会社に返却し、夜に大阪から東京へ戻ると、日曜日はもう何をする気も無く、雪乃は一日ベッドでだらだらと寝て過ごした。月曜日も本当は休みを取りたかったが、とりあえず次の仕事の確認もあって出社した雪乃は、新能と共に田無に会議室に呼び出された。二〇一二年も四ヶ月の出向を終えていつの間にか五月に入り、雪乃はプランナーとして三年目のキャリアに突入したことになる。


「出向、お疲れ様でした」


 相変わらず、生気の無い目で、無表情の田無だった。首からかけているセキュリティカードを兼ねた社員証の写真は、入社時に撮影したもので、爽やかで朗らかな微笑を称えているのとは対照的である。


「で、お二人の次の仕事なんですけどね。まず、早見さんは『SWD』、ソードの方に入ってもらいます」

「ソード……ですか」


 ソードとは社内での別称で、プロジェクトコードは『SWD』だが『ソード』と称される事が多かった。正式名は、『剣戟けんげきの彼方に』というタイトルである。『ヴァルキリー・エンカウント』と同じくスマホが対象ハードだが、こちらは本格派アクションRPGという意欲作だった。もっとも、老舗のネットワークゲームのメーカーである株式会社ヴィルヘルミナをクライアントとした炎上中のプロジェクトである。業務命令なので仕方がないと雪乃は思いながら、また胃が痛くなる日々になると心の中でため息をついてしまった。


「新能さんは、『箱入りモンスター』のテストプレイとデバッグを手伝ってください。ええと、『ソード』については担当プランナーの市ヶ谷いちがや君、『箱入りモンスター』についてはプランナーの戸部とべ君に聞いてください」


 新能を、テストプレイとデバッグに使うのか。雪乃は信じられない思いだった。バルバロッサでの仕事ぶりから、新能はベテランプランナーとして手堅く仕事を進められる手腕を有している事は明白で、そんな彼をアルバイトでも対応可能な仕事に回すのはもったいないように感じたが、表だっては何も言うことができない雪乃だった。

 新能は新能で、了解ですと返事をしただけで、その表情からは何も読み取ることはできない。ただ話が終わって散会となった時、雪乃が新能の方を見ると、彼も目を合わせてお疲れ様と言ってくれた。雪乃は思わず目を逸らして少しうつむいてしまったが、口に出したのは意識していない言葉だった。


「また仕事でご一緒できるかなと思ったんですが」

「残念」


 新能はそれだけ言うと、片手を上げて会議室を出て行こうとした。雪乃は思わずあの、と話しかけてしまった。


「何?」

「えっと、仕事でまた何かあったら相談させてもらってもいいですか?」

「ああ」


 新能が去り、ドアが閉められた後も、雪乃はじっとそこにあった新能の背中を見つめ続けた。


『ソード』こと、『剣戟の彼方に』の開発は難航しているとは聞いていたが、雪乃はとりあえず、担当プランナーである市ヶ谷からプロジェクトの現状を確認することから始めた。

 市ヶ谷祐一いちがやゆういちは昨年入社したばかりの新人プランナーだが、リードプランナーであった先輩が鬱病で三ヶ月前に退職したため、いきなり一人で最前線に放られてしまった立場だった。大学時代はゲームサークルでゲームを作っていたとのことだが、現場でプロジェクトを回すことは勝手が違うらしく、いつもプログラマーやデザイナーに詰め寄られては右往左往している有様だった。他にプランナーは二人いるが、派遣会社から来ており、完全に市ヶ谷の指示待ちで受け身だということだった。また、ディレクターである紺塔は、プロジェクト開始当初は熱心にチェックや指示を繰り返していたが、リードプランナーが退職してから、ほとんどこのプロジェクトにタッチしないようになっているという。納期まであと約一ヶ月。ゲームとしては一通りの流れや要素は実装できているが、まとまりを欠いていて面白くないというのがクライアントからの評価になっていた。


 会議室で市ヶ谷から状況を聞きながら、雪乃は彼が明らかに精神的に疲弊していることを悟った。表情は常に青ざめ、目にも生気がない。髪型は長髪でぼさぼさだが、髪型というよりは放置しているのだろう。美男子というわけではないが、真面目そうな印象を与えてくるさっぱりとした髪型で微笑をたたえている社員証の写真との差異は、田無のそれに対して抱く印象と、何ら変わる事が無かった。


「早見さん、すいません、僕もどう立ち回っていいかわからなくて。とりあえず今はプログラマーやデザイナーから要求のあった仕様を片っ端から作っているのですが、仕様の穴や不備を指摘されまくってて、そこを埋めてやっと実装してもらったものがクライアントからことごとくリテイクをくらって。担当者さんからも責められて。他のスタッフからもどうするんだプランナーのせいだぞと色々言われて……」


 田無からは、最悪人を突っ込めばどうとでもなると言われているが、自分でもどうしていいかわからないのだと下を向いたまま、ぼそぼそと話す市ヶ谷を見て、いたたまれない気持ちになってきた雪乃は、一人で大変だったねと声をかけた。


「この状況で三ヶ月、よくがんばってくれたね。自分を責めちゃだめだよ」


 雪乃がそう言った次の瞬間、市ヶ谷は両手で顔を覆い、声を殺すように泣き始めた。身体が震えている。雪乃は内心の焦りを表に出さないようにしながら、彼の隣に座ってその背中を優しく撫でた。

 ゲームは楽しい物だ。だが、それを作るのは仕事だ。仕事なのだから楽しいことばかりなわけはない。だが、新人一人をこんな状況下で放置して、潰れるに任せているこの状況が当たり前だとは、雪乃にはどうしても思えない。自分の胸に熱い感情の渦が巻き起こるのを彼女は感じ始めていた。


 雪乃自身、ディレクターは勿論リードプランナーの経験もないが、紺塔も田無もノータッチという状況では、自分らでプロジェクトの状況を立て直すほかない。次にどう動くべきか迷った雪乃に指針を与えてくれたのは新能だった。


『多分、仕様を決めて実装するまでの流れが段取りとして確立されていないのと、ゲームの内容そのものが面白くないという二つの面の問題があるんだと思う。

 まずは、ゲームの何が問題で、どこをどう変えるべきかを検討するところから始めてはどうかな。

 その改善案を、まずチーム、次いでクライアントとすり合わせてみる』


 メールで相談した雪乃に新能はそう返してくれた。そのアドバイスに沿って雪乃は動き始めた。


 数日かけてゲームを触り、改善点をリストアップすることから始め、市ヶ谷と打ち合わせをして『要変更リスト』としてまとめた後、プログラマーやサーバーエンジニア、デザインのリーダーとすり合せを行った。三人とも、「プランナーが決めてくれたらこっちはやるだけ」というスタンスなのが気になったが、今は放っておいた。マネージャーは別にいたが、すでにプロジェクトには関与するつもりが無い様なので、これも放置した。

 また、市ヶ谷の出勤記録を見てもう二ヶ月休みを取っていないことを確認すると、雪乃は彼に、今週金曜日は定時に上がって、土日は必ず休むよう厳命して他セクションのリーダーにもこれを通知した。これ以上無意味にがんばらせたら、彼は壊れてしまうだろう。

 次の段階、クライアントとの打ち合わせの準備は億劫ではあったが、毎週火曜日には必ず担当者が来社するとのことだったので、そこで『ソード』の要変更リストをすりあわせようと資料作成を進めた。急激に忙しくなったこともあり、北浜とは社内ですれ違う時に挨拶を交わす程度で、結局二人で会うことは無いままだった。


 翌週、クライアントであるヴィルヘルミナの担当者との打ち合わせで、改善点はほぼ「どうぞやってください」という事にはなったが、結局のところ、先方にも紺塔と共同で作成したという企画書以上の明確なビジョンは無く、後は出来上がったものを見て修正点を出すというスタンスらしいことを悟ると、雪乃の双肩に突然大きなプレッシャーがのしかかってきた。

 北浜からは何度か当たり障りの無いメールが来て、週末にデートの誘いが来たが、今はそんな気になれなくて断ってしまった。実際、『ソード』をどう立て直すかについて四六時中頭を回転させて、それ以外のことに気力を回す余裕が無い。

 自分の改善点はこれでいいのか。もしまたダメだったらどうするのか……。

 答えの無い迷路に入りこんだ状態で変更すべき項目の仕様を作成し、チーム内での打ち合わせをして、素材作成と処理の実装をお願いし、実装確認を行い、更に市ヶ谷にも気を配ってと仕事に忙殺されるという表現がぴったりの日々が続いた。

 紺塔がまったくプロジェクトにタッチしていない今、自分がディレクターでありリードプランナーでもあるのだろうかと、チームを率いていくということの大変さを改めて思い知る。バルバロッサでは、それだけ座名のディレクションを考慮した拝道の段取りが良かったのだろうと大阪での日々を振り返るのと同時に、彼らとの差異はどこにあるのかを考えてはため息をつく毎日だった。

 だが、そんな日々の中でも新能が相談に乗ってくれることは本当にありがたかった。メールや個人チャットで自分の不安を話すたびに、新能は励ましでも叱咤でもなく、ただあるべき心のあり方について淡々と語ってくれた。


『他人にどう思われるかなんて考えるだけ時間の無駄だ。

 自分がこうするべきと信じたものを目指して、そのために何をすべきかを考え、一つずつこなしていくしかない』


 言うは易しとはこのことだと雪乃は思ったが、新能に言われると、不思議とその言葉に暖かみを覚える。新能がチームに入ってくれたらと心から願った。彼は相変わらずテストプレイやデバッグといった作業にだけ使われているようだったので、田無に人員補充を申請したものの却下されてしまった。

 右往左往しながらも『ソード』の改善作業は少しずつ進み、たまに端末を新能の席まで持っていっては触ってもらってレビューをお願いした。仕事の話ならもう彼との間に距離を感じなくはなっていたものの、二人きりだとどうしても言葉が覚束なくなってしまう雪乃だった。


 そして一ヶ月が経とうというころ、『ソード』こと『剣戟の彼方に』はクライアントであるヴィルヘルミナ担当者から、「大分良くなっている」と好感触を得ることができた。ここ一ヶ月の頑張りと、クオリティの上昇が認められて、担当者がリリースを二ヶ月遅らせて作りこんでいくことを社内で通してくれた。そのことを打ち合わせで伝えられた雪乃は、その後チーム全員を集めてそのことを伝えた。


「みなさんががんばってくれたおかげで、ヴィルヘルミナさんがリリースを二ヶ月送らせて作りこもうという方針に変えてくれました。方向性はもう現在のままで、後は残りの素材の量産とクオリティアップです。大変なことに変わりはありませんが、本当にみなさんのおかげです。今日は先方にも了承をえていますので、定時で上がってください」


 と頭を下げると、瞬間、おおーと声が上がり、空気が変わった。


「確かに良くなってきた気がするね」

「もうちょっとボスを倒した時の演出凝りたいな」

「あと、こないだ実装した新スキルのモーションの当たり判定もっと斜め前にすべきだよ、そしたら対空用としても使える」


 口々に改善案が出てきていた。雪乃が解散を告げて席へ戻ると、隣の席の市ヶ谷が、パソコン上でキャラクターのアクション制御用スクリプトを編集しているところだった。


「市ヶ谷君、今日はもう上がっていいんだよ?」

「はい、でも今新スキルのアクションシーケンスの調整、ノッてきたところなんです」


 市ヶ谷は黙々とスクリプトでキャラクターのアクションを作成している。その表情に疲労はあってももう悲壮感は無かった。雪乃は頷くと、打ち合わせ結果の議事録をまとめ始めた。キーボードを叩く手は、軽い。

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