(六)座名と拝道

「えーっと、皆さん、お疲れ様でした! 『ヴァルキリー・エンカウント』、皆さんのおかげで好調です」


 近所のちゃんこ屋で開催された打ち上げ会は、バルバロッサの社長である紫波名しわなの挨拶から始まった。『ヴァルキリー・エンカウント』はリリースから約一週間でダウンロード十万超えを達成し、課金による収益も今後に期待できる伸びを見せているという。紫波名は改めてスタッフに労いの言葉をかけると、これで今年は倒産しないで済みそうだと本気とも冗談ともつかないことを口にして、場にいる皆を笑わせてから座名に場を譲った。

 座名はまず、全員の前で頭を下げ、全員の尽力に心から感謝することを告げた。


「今日はとことん飲みましょう! 楽しくやってください!」


 それ以上余計なことは言わず、座名の乾杯から宴会が始まった。雪乃は新能や佐井、明日勅や沙羅田らといったバトルを共に作り上げたスタッフたちと次々とビールジョッキを打ち合わせる。新能も無表情のまま乾杯した後、佐井たちにお礼とねぎらいの言葉をかけたりかけかえされたりしているが、明らかに普段よりも受け答えの口調は弾んでいる。オストマルクにいる彼の姿からは想像不能だった。雪乃もその話に加わりながら、他のお世話になったスタッフの元を回っていく。そして、座名や拝道たちの卓に移り、今回のプロジェクトについて話をした。


「私、会社に入ってから、今までで一番この仕事が楽しかったもしれないです」

「でも座名の無理難題に辟易したんとちがいますか?」


 普段は冷静な口調の拝道も笑顔を浮かべてビールを口にしている。座名は軽く拝道の頭をはたいた。


「何というか、私、今回みたいにバトルのシステムを考えさせてもらうなんて初めてでしたし。ただ……」


 雪乃はちょっと考えてから、座名さんや拝道さんの仕事ぶりは、オストマルクの人たちとちょっと違うと正直に言った。


「ほう。どういうとこがちゃいますか?」

「何というか、その……。座名さんたちとは一緒にゲームを作っているっていう感覚がすごくあったんです」


 すると座名は、ああそうか、オストマルクは紺塔さんの会社やったなあと目を細めた。


「紺塔さんをご存じなんですか?」

「いや、知り合いちゅうわけやないんですけど、まあこの業界では紺塔生雄の名前を知らない人はおまへんやろ。僕はオストマルクのかたでは潮見さんと以前職場が同じやった事があってそれで見知ってるちゅう程度ですわ」


 それから座名は改めて雪乃に労いの言葉をかけると、他のスタッフの卓を回るといって立ち上がった。拝道は残り、黙ってビールを飲んでいたが、雪乃に声をかけた。


「最初から指示を出すのではなく、作らせてから修正させる。自分では作業をしないで成果物だけをチェックする。突然の仕様変更。納品日での修正指示」

「えっ」

「座名も、以前はそういうやり方をするディレクターやったんです」

「座名さんが……」


 拝道はビールを飲み干すと、おかわりを注文しながら、昔の座名について語りだした。



 座名堂二は、関西の大手開発会社であるサラマンドルに元々デザイナーとして入社したが、彼が提案するアイデアは光るものがあって、企画書も多く提出した。数年を経て彼は企画課へ転属となりプランナーとして腕を振るった。自分はアルバイトのデバッガーから、成り上がる形でプランナーとしてサラマンドルに入社できたのだが、配属先に座名が居て、そこで初めて彼と出会った。年が同じだったせいもあって仲良くなったのだ。座名はゲームが大好きで、お昼休みにすら会社のゲーム機でずっと流行のタイトルをプレイしていた。

 彼のゲームデザイナーとしてのセンスはすぐに分かった。企画会議でもプロジェクト中に出すアイデアでも、誰もが認めるアイデアを次々と提案できた。そうしてすぐに彼は、自分のオリジナルタイトルを手がけられることになった。

『ノーライフ・レクイエム』と名付けられたそのRPGは、その独特の世界観とストーリーに馴染んだゲームシステムでヒットし、座名は開発部内でも一目置かれるようになった。次に手がけた『ナイツ・オブ・バトルフィールド』で騎士同士による対戦騎馬格闘ゲームという新ジャンルを打ち出してミリオンヒットを飛ばすと、開発部内は元より、ゲーム業界での地位も完全に確立するに至った。

 雑誌のインタビュー記事も頻繁に掲載されるようになり、彼が手がける新作が注目を浴びるようになると、会社は彼にプロデューサーとして複数のプロジェクトを統括するよう命令した。座名の名を冠すれば、売り上げが確実に見込めるからだ。

 元々座名は、システマチックにルーティンを繰り返して作業を進めるというよりも、自分で細かく指示を出してゲームをとりまとめていくやり方をとっていた。だが、時代はもうプレイステーションやセガサターンといった次世代機にシフトしていてゲームのボリュームは増大の一途を辿り、とても一人ですべてを統括することは不可能になっていた。自然な流れで、座名は自分の管轄するプロジェクトでは実作業を減らしてイメージを伝えて現場に作らせて、上がってきたものをチェックしては修正させるといったやり方をとった。

 そのころから、座名はスタッフに対して居丈高な態度で接することが目立ち始めた。もっともサラマンドルの他のディレクターやプロデューサーは元々その傾向が顕著で、開発現場に怒鳴り声が響くのは日常風景であって、その中では座名はまだ穏やかな方だった。それに、彼は企画書の作成はもちろん、大きな要素の概要は自分できちんと資料にまとめて自分の下のプランナーに伝えていたし、成果物のチェックもマメに行っていたので、スタッフからの反感もさほど大きくはなかった。

 だが、そういう複数のプロジェクトを統括する、というやり方で数本のタイトルを手がけているうちに彼は変わった。彼が直接手を動かす実作業は激減して、企画書を作ればまだいいほうで、肝心のゲームの中身はとりあえず現場に任せて、上がってきたゲーム中に気に入らない要素があったり自分のイメージ通りのものが実装されていないと、担当者を呼びつけて大声で罵倒するようになった。開発スタッフは萎縮して彼に何も言えなくなった。

 自分はと言えば、当時やっとディレクターになれたのだが、別の部署で仕事をしていて座名のそういった変化は人づてに聞いているだけだった。だが、座名に対する悪評は高まるばかりで、ある日彼の元で仕事をしていたスタッフの何名かが鬱病になり、また別の数名はもう座名と仕事をしたくないと言っているのを聞いた時、これは深刻な事態になっているのではないかと思った。会社は相変わらず座名に自由な裁量を持たせていたが、複数のプロジェクトを見て統括させるやり方はそのままで、座名がチームをどうしようと任せきりだった。要するに、何も手を打たなかったのだ。

 そして、鬱病になったスタッフの一人が会社を辞めて故郷に戻った。当時つき合っていた自分の恋人だ。別れることになった。座名を呼び出して飲みに行った。社内では彼はもうプロデューサー、自分は一介のディレクターに過ぎず、会ったのも久しぶりだったのだが、その風貌に驚いた。目つきが違った。鋭さはあるが、余裕が無い。会話をすると、相手の言葉の裏に何があるのかを推し量ろうとする心が見え隠れして、常に自分が会話の主導権を握ろうと、強い言葉ばかりを使っているように思えた。

 飲み始めて、自分はどう話をすべきか迷った。とりあえず、最近仕事はどうだと聞いた。彼は、誰も自分の思った通りのものを作らないと笑いながら言った。スタッフは何も分かっていない、俺が全部チェックして指示を出さないといけないから大変だ、と。彼の話を聞いているうちに、彼の考えが分かってきた。

 彼は不満だった。自分の言った通りのものをなぜ上げてこないのか。なぜ自分が期待した以上のものを作ってこないのか。なぜ今さら基本的なことができていない状態のROMを持ってくるのか。なぜ定時に帰るやつがいるのか……。

 要は、彼の思い描いている通りのゲームをなぜ作ってこないのか。不満はただその一点に尽きた。

 俺がゲームを作るから金が発生するのだ、俺の要求に応えられなければスタッフにこの会社での存在価値はないとまで言った。当時の彼は、自分の無理難題を実現してこそプロだろうという論法をスタッフに強いた。彼の周りには、いつの間にかイエスマンしか居なくなって、各セクションのリーダーは座名の指示だからとそのまま下のスタッフに作業を振った。

 こうして、座名のプロジェクトには入りたくないというスタッフが増え始めた。彼は自分が多くのスタッフから嫌われている事に気がついてはいたが、結果を出して会社からは評価されていたし、業界からも高名なゲームクリエイターとして認められていて、それによる自負心もあった。ゲーム雑誌にもたびたびインタビューが載り、自分のゲームはきちんと評価されていると自信を持っていた。収入も上がって生活も派手になった。

 自分は思うところあって発売間近のあるゲームの取材にきた雑誌記者とのやり取りを、見学という名目で立ち会い、こっそりとビデオカメラで撮影した。その映像を後で座名に送った。その映像を見て彼が何を思ったのか、自分には分からない。だが、それから彼は会社を休みがちになった。以前の様な居丈高な態度は減り、怒鳴ることも少なくなっていったが、同時に自分の統括しているゲームもあまり細かくチェックせずに、下のプロジェクトリーダーに投げっぱなしになる事態が続いた。

 そしてある時、座名は会社を辞めると言い出した。半年の間、会社から説得が何度もあったが結局彼は辞めた。辞める前に一度だけ二人で飲みに行ったが、自分は仕事の話はしなかった。彼は明らかに活力を欠いていた。他愛もない話だけをして別れた。その二年後、座名が小さな会社を立ち上げた。自分はサラマンドルでディレクターを続けていたが、ヒット作を作ることはできないままで、会社内の人間関係や利害関係に疲れ果てて、もう業界から足を洗おうと思っていた。そこへ座名がウチへ来ないかと声を掛けてくれたのだ。


「懐かしい話をしよるやん」


 苦笑しながら、座名が卓へ戻ってきた。拝道は微笑して、後は自分で話したれやと言ってビールを持ち、別の卓へと移動していった。


「いやあ、早見さんみたいな若い人にはつまらん話ですわ」


 と座名は座りながらまたビールを飲んだ。


「いえ、私、すごく聞きたいです」


 雪乃は身を乗り出した。


「その、ご迷惑でなければ……インタビューの映像を見てから座名さんが変わったってお聞きしまたけど……」


 座名は頷いただけでその事には触れず、拝道は他人を活かせる人間なんですわと言って、自分でグラスにまたビールを注いでから語り出した。


 拝道礼人は、確かにゲームクリエイターとしてのセンスは凡庸だ。レベルデザインに秀でているというわけでもない。だが彼自身もそのことを自覚していて、それでもゲームが好きでこの仕事を続けている。彼はセンスの代わりに開発進行の事を学んだ。仕様書の作成方法を工夫したり、ビジネス書を読みあさって段取りや会議の進行方法、プロジェクトマネージメントを学び、現場で実践して改善していった。彼に任せれば、どんなタイトルだってビジョンさえあればきっちりと期間内にある程度の形にできるだろう。

 そして何よりも、彼は人を活かせる人間だ。彼はスタッフに嫉妬をしない。自分より優れていると認めたスタッフにはどんどん権限を任せて面倒ごとや責任は自分が引き受けるというスタンスを取っていた。彼の部下からは何人も有能なスタッフが頭角を現して、彼自身の推薦で彼よりもどんどん昇進していった。そのうちの何人かは、今では自分で会社を立ち上げたり、フリーで活躍している。サラマンドルを離れた今でも、彼のことを慕っている人間は多い。

 拝道がサラマンドルを辞めると聞いた時、すぐに自分は彼を誘った。自分の考えるビジョンを、現場にきちんと仕事として落としこめる人間として彼以上にふさわしい人間はいないと思ったからだ。だが彼は、バルバロッサに来ることを了承してくれなかった。もうこの業界にはうんざりしている、故郷に帰るのだと言って聞かなかった。

 最後の説得にも耳を貸してくれなかったので、もう諦めた。拝道と知り合ってからのことを思い出して、そして彼がサラマンドル時代につき合っていた恋人が、自分のせいで鬱になり会社を辞めて故郷に帰ったことを思い出した。二人は同郷が縁で仲良くなったのだ。自分はとうに結婚してそれなりに幸福な家庭を築いていたのに、他人の恋路を仕事にかこつけて踏みにじっていた。あの時はほんますまんかった、彼女にも詫びを入れんとあかんなあと呟いた。その帰り道に、彼はバルバロッサへ来ることを了承してくれた。自分は彼女には、拝道に手紙を一度だけ託したきりで会ってはいない。二人は一昨年結婚した。晩婚だったせいか披露宴は無く、式だけを執り行った。自分にも結婚式の招待状を送ってくれたが、お祝いだけ贈って欠席した。行く資格がないと思ったからだ。

 バルバロッサを立ち上げてからしばらくは受託開発で当座を凌いでいた。自分の意図通りにならないゲーム開発が続いた。だが、自分はもう決してクリエイティブの名の下、人の不幸の上にゲームを作ったりしないと誓った。その中で自分が思っているほどの才能は無かったことを悟り、どうプロジェクトを率いてゲームを作っていけばいいかを模索していった。

 拝道と衝突してはスタッフとの距離感にも悩む日々が続いて、ノイローゼになりかけたこともある。だが、拝道は結局自分が掲げるビジョンをうまく現場に下ろす開発体制を徐々に作り上げていってくれた。その課程ではスタッフに無理をお願いすることも多々あったが、不満よりも笑顔でやりますよといってくれるスタッフが少しずつ増えていった。何度かあった倒産の危機を免れたのは、サラマンドル時代の人脈から仕事を回してくれた人がいたからだし、元サラマンドルの部長職にあって、自分の求めに応じてバルバロッサの社長の座についてくれた紫波名が金策にかけずり回ってくれたからだ。開発スタッフの離職率が大きく低下して目に見えないノウハウが着実に蓄積できているのは拝道のおかげだ。自分以外の人間に、これほど感謝する時が来るとは思わなかった。

 ゲーム業界は家庭用ゲーム機器用のタイトルが減り、携帯電話で遊ぶゲームが主流になってきたが、これからはスマホで遊ぶゲームがより隆盛していくだろう。受託開発を数本経て、今回初めてのオリジナルタイトルをリリースできた。これはバルバロッサにとって大きな一歩だ。なんだかんだいって、自社タイトルというコンテンツを持てないと、大きな武器を手にしたことにはならない。今回の『ヴァルキリー・エンカウント』は、今後マルチメディアへの進出を考えて展開させていく。そこで儲けたお金はスタッフに還元したい。皆でいいゲームを作って、皆で売って、皆で幸せになりたい。ユーザーだけではなくて、スタッフも幸せになれるゲームを、自分は作りたい。それが自分のゲーム作りだ。だから、会社は必要以上に大きくするつもりはない。


 雪乃は、手にしたグラスの中のビールの気がすっかり抜けていることに気がついた。構わずにそのまま飲み干すと、座名が強いですなァと言ってビールを注いでくれた。


「僕は、人間ちゅうやつは希望があれば忍耐できると思いますねん」

「希望……ですか?」

「三年後、絶対にディレクターになって自分のゲームを作ったるでとか、将来絶対に自分のキャラクターを世に送り出してやるとか、このタイトルはヒットが見こめるから仕事は大変でもそれに携わったという経歴は、次へのステップとしてきっとええ経験になるとか、まあそういったもんですなァ」


 ああ確かに、と雪乃は思った。自分は深い考えも無くオストマルクで働き続けてきたが、将来どうなりたいのかは漠然としている。自分の好きになったゲームというものの開発に携わりたいと思い、勢いに任せてここまで来てしまったが、明確にこの業界でどうなりたいのかの目標があるわけではなかった。だからこそ、オストマルクでの仕事はきつく感じたのかもしれない。今はこうでも、将来は違うぞという志があれば、そこに希望を見いだして耐えることができるはずだった。そして今回の出向で、その指針をはっきりと得られた。自分も、自分のゲームを作りたい。自分のゲームを世に出して、ユーザーを楽しませたい。


「希望がある人ちゅうのは、少々しんどうても、今をがんばることができますねん。ところが……」


 座名はビールを一口飲んでから続けた。


「昔の僕は、そこを利用していたんですわ。自分のポジションにあぐらをかいて、スタッフにお前らは俺のおかげでこんな大きな仕事に携われるんや、だからこのプロジェクトで無理をするのは当然やろうと。お前らみんなこのプロジェクトでおいしい思いができるんやぞと……」


 恥ずかしい限りだと座名は再び語り出した。

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