(五)リリース

 大阪に戻った雪乃は、より一層仕事にまい進した。

 北浜は改めて謝罪のメールを送ってきて、雪乃ももう気にしていないよと返信したが、気にならないわけがない。だが雪乃は北浜の事をまだ好きだし、彼の初めてのディレクターとしての仕事にも成功して欲しかった。何よりも、自分も仕事をがんばらなければと雪乃は唇を噛みしめた。

『ヴァルキリー・エンカウント』で初めてバトル・システムの仕様をやらせてもらえている。それもこんな人に恵まれた環境で。期待に応えたいという思いもあるが、何よりも自分自身が、このゲームのバトルをより良いものに仕立てたかった。

 ひとまず北浜のことも初台のことも置いておいて、雪乃は目の前の仕事に全力を尽くそうと深夜まで残業を厭わず、一心不乱に現場で残りの細かな仕様を作成し、打ち合わせをして作業を発注し、実装されればその内容をチェックして修正項目を挙げ、自分で確認したものは拝道と座名のチェックへと次々と回していった。


 三月中旬に株式会社バルバロッサのスマホゲーム、『ヴァルキリー・エンカウント』は広告を展開し始め、事前登録の受け付けも開始し、開発現場はデバッグ作業に入った。デバッグ作業は、それを専門に請負う会社フォルセティに作業を依頼している。同時に、ゲームの様々なパラメータの調整作業や、実装された要素で気になるところの修正・変更作業も進む。

 この段階でも座名はゲームを何度もチェックしては修正指示を出していたが、相変わらずその姿勢は丁寧だった。オストマルクにあるような、大がかりな仕様変更は無い。座名や拝道がキメ細かに普段からチェックを繰り返していたからで、仕様的にはほぼフィックスしている。後はリリース後の様子を見ながら、大きく仕様変更をかけたい箇所は、折りを見ての大幅アップデートで対応する項目としてリストアップすることになっていた。

 雪乃も新能も、デバッグ会社からの不具合報告に対応しながらゲームを何度もプレイしては調整作業を行った。雪乃はバトルの仕様に対する問い合わせに加えて、プレイヤー関係とスキル関係、コンビネーション・コマンド関係、さらに武器や防具といった装備関係のパラメータを、新能はバトルの演出関係の仕様対応と敵関係のパラメータ調整を受けもち、ゲームのもう一つの大きな要素であるダンジョン探索の仕様と調整を担当する拝道とすり合せて調整作業を進めていった。


 フォルセティのデバッグ担当者から、不具合がバルバロッサにある社内用のデバッグ専用サイトにバグ報告としてアップされる。それを拝道が逐一担当者に振り分ける。振り分けられた担当者にはメールで通知が来る。

 バグ内容を確認して、再現を施行。

 現象が確認できれば、自分で修正できるものは自分で。プログラマーやデザイナーの手が必要なものはその担当者に案件を回す。

 修正報告が上がれば、実機でその修正を確認し、再現しなければ修正済みとして最初のバグ報告者に返す。

 バグ報告者が改めて修正を確認できれば、そのバグ修正は終了である。

 自分で発見したバグがあれば、同様の手順でバグ報告を上げた。

 同時にゲームをプレイして、イメージ通りのゲーム展開になっているか確認してはパラメータを調整する。

 ひたすらスマホとパソコンとにらめっこする日々が続き、目には堪える。

 だが、雪乃は充実感を感じていた。

 オストマルクであった様な、『仕様書と実装内容が異なる』、という『仕様相違』カテゴリーのバグ報告はほとんど無く、純粋な意味でのバグが大半であった事に加え、自分が手がけたバトルシステムがゲームとして世に出るのだという歓びがあった。

 自分が考案したバトルの流れ。

 自分が仕様化したアイデア。

 自分がデータを設定したパラメータ。

 それらがプログラマーやサーバーエンジニア、デザイナー、サウンドコンポーザーたちの手で遊べるゲームへと形作られている。

 自分が考案した物がゲームという形になった歓びは、言葉にできない。

 仕事としてはオストマルクでもやっていたことなのに、この歓びの差はいずこから生じているのだろう。

 雪乃は仕事として携わっているが、『やらされている感』を感じなかった。むしろ、自分からもっと良くしたいと調整に手を入れていく。

 担当外のところでも気になるところがあれば、座名宛に自らの意見を『要望』としてタスク管理用WEBツールでタスクチケットを発行することが認められているので、雪乃も遠慮なく気づいたところは意見していった。バルバロッサには、そのようなことも気軽に言い合える空気が明確にある。開発のトップにいる座名の影響だろう。ガハハと快活に笑い、陽気に話して不機嫌な様子は微塵も見せず、スタッフには命令口調を使わず、それでいてどこか威厳があり、舐められるということもない。自らも作業を手がけ、指示も明確で、相談もしやすいせいか、スタッフがよく彼の周りに来る。

『ヴァルキリー・エンカウント』は、確かに座名堂二が自ら手がけた作品だと雪乃は思った。座名は作らせるのではなく、自ら作るタイプのディレクターなのだ。

 その開発に携われたことに、雪乃は心から感謝した。


『ヴァルキリー・エンカウント』は、スマホ用RPGとして、そのアプリを管轄する会社に関係資料とROMを提出し、リリース申請を出す必要がある。その申請ROMを作成する日となった。

 バグも致命的なSランクバグはもうほとんどが修正され、再現性が極めて低いものが一つあるのみだった。パラメータの調整も終え、基本的にもうバグでない限り変更をかけない状態である。

 夕刻にすべてのデータやプログラムが最適化された申請用のROMが作成され、そのチェックに入った。

 だが、雪乃はあるバトルに入った際に血の気が引いた。ザコ敵であるはずの『ワーウルフ』のヒットポイントが、『2000』と表示されている。設定していたはずの値の十倍だ。昨日、最終調整要望に応じてパラメータを触った際、タイプミスをしてしまったとしか考えられない。胃の辺りが痛くなってくるのを自覚しつつ、昨日触ったパラメータをすべてチェックすると、他にもミスが二カ所、合計三カ所みつかってしまった。二カ所はサーバー側で保持しているデータなので、ROMを作り直す必要は無い。だが残る一カ所は、不正な値のためゲームがその場でフリーズするSランクバグであることに加え、間の悪いことにアプリケーション側で持っているデータなので、修正すればROMを作り直さなければならなくなる。

 やってしまった、と雪乃は落胆した。修正した箇所のチェックを怠ってしまった。データ更新締め時間ギリギリまでパラメータを調整している時に、割り込みで急に資料の作成要求があったからなのだが、そんなものは理由にならない。『武器道メモリアル』の時と同じミスを犯してしまった。きちんと修正した箇所の確認を自分で実機で行っているべきなのに、数値を変えるだけだからと焦ってデータを更新して確認を怠ってしまっていた。二度、三度と同じミスをするヤツはバカだという高校時代のテニス部顧問の教えを唇を噛みしめて思い出す。


 周囲はもう今日の仕事は終わりだという緩んだ空気が流れている。だが、雪乃はこのままにはできないと思った。力なく立ち上がると、難しい顔でゲームをプレイしている座名に報告する。


「あの、座名さん」

「はい、何ですやろ?」


 雪乃は頭を下げた。


「申し訳ありません! 私のデータ入力ミスで、進行不能になっている箇所があります。他にパラメータミスが二カ所」


 座名に促されて雪乃は入力ミスをした三カ所の内容を伝えた。


「あー。それはROMからやり直しになりますねえ」

「はい、本当に申し訳ありません……」


 重ねて頭を下げた雪乃の横に、佐井とサーバーエンジニアである明日勅がいつの間にか立っていた。雪乃が事情を説明すると、二人とも腕を組んでそれは修正必須ですねと呟く。


「うん、ROMは焼き直しやね。早見さん、焦らんでええから修正をお願いしますわ。あと」


 座名は立ち上がって雪乃に頭を下げた。


「ようきちんと報告してくれはりましたわ。ほんまありがとうございます」

「いえ、私のミスでご迷惑をおかけして……」

「いや、不正な値は本来コンバートする時に弾いて警告を出しておくべきやったのに、それを怠っていたプログラム側に問題があります。今回はクライアント側で持つデータがそんなに無くて、あまり触る機会も無かったからこちらも油断してしまっていました」


 佐井が真剣な顔で雪乃に告げた。


「サーバーの方は言うてくれたらまた対応しますよって。そないな顔されんでもええですよ。うちの連中なんかもっとふてぶてしいですわ。そんな丁寧に謝られるとなんか照れるわあ」


 三十代後半のベテランサーバーエンジニアである明日勅はそう笑っておどけた。サーバーにアップするデータは、開発用サーバーに流しこんで確認した上で、本番同様の環境であるステージングサーバーにも反映して再確認した後、最終的に本番用サーバーにアップするのだが、雪乃は開発用サーバーにデータを入れこむ作業までしか権限が無く、ステージングサーバーと本番用サーバーへの更新は、明日勅が引き受けているのだった。


「よっしゃ、もう一踏ん張り、お願いしますわ!」


 座名がパンと手を叩いた。雪乃は再び頭を下げると、席に戻って作業を開始する。横では新能が相変わらず無表情のままに、だが当然の様に言った。


「データ更新終わったら言って。俺もチェックするから。ダブルチェックといこう」

「ほんとうにすいません……」

「いや、よくあることだし、多分みんなさほど気にしていないよ。現場によっては知ってて放置するやつとかもたまにいるしね。俺も昔、よくやらかしては怒られてた」


 新能の昔の話……。雪乃は、もっと聞きたいと思ったが、今は目の前の事を確実にこなさなければと、両手で顔をパン、と叩いてからパソコンに向かう。そこへ大那が暖かい紅茶の入ったプラカップを置いてくれた。


「雪乃ちゃんファイトやでー。一緒にがんばろ」

「はい!」


 オフィスに険悪な空気は無かった。

 三時間後にROMは完成し、無事申請に出すことができた。

 いよいよサービスインである。事前登録者の人数は、五万人。決して多くはないが、悪くもない数字だった。


 四月中旬にリリースされた、ゲームクリエイター・座名堂二が率いる株式会社バルバロッサの新作『ヴァルキリー・エンカウント』は、出足こそ鈍かったが、ゲームを開始したユーザーの離脱率が低く、毎日活発にユーザーがゲームをプレイしてくれていた。さらに、ダウンロード数が順調に伸びていった結果、ゲーム内の課金要素はしばらくロックされていたのだが、「もっと遊びたい」というユーザーのリクエストに応じる形で、予定よりも早く解放された。


「カードでダンジョンを探索するのが新鮮。バトルは家庭用ゲーム機っぽいのに面倒じゃなくて、それでいて何も考えずプレイすると敵にやられてしまうのがやり応えがある」

「どのヴァルキリーを嫁として娶るか悩む。またバトルでコンビネーション・コマンドを駆使して強敵を倒せた時の達成感はヤミツキになりそう」


 ネット上にもレビューが見られるようになり、課金による売り上げも順調に伸びていった。雪乃はゲームに対するレビューは、ポジティブなものでもネガティブなものでも目にするたびにうれしさがこみ上げてくるのを感じた。特に、「バトルが面白い」という書き込みやツイートは新能が見つけるたびに共有してくれ、その時でも彼は相変わらず無表情だが、以前から感じていたトゲトゲしさや壁はもう感じなくなっていた。


 ディレクターである座名は早くも数度、ゲーム雑誌やゲーム専用ニュースサイトからインタビューを求められ、開発の経緯や苦労したところを型どおりに話した。だが、座名は「そこは無毛が」、「あそこはデザインの龍水が」と事あるごとに担当スタッフの名前を出して、彼らのおかげでこのゲームが想像以上にうまく形にできたことを強調した。雪乃や新能も例外ではない。


「今回はバトルで新機軸を打ち出せたと考えています。それは、プランナーの早見と新能の功績ですね。私としてはパーティ内キャラ同士の絆を、どの様な形で実現できるかずいぶん悩んだのですが、二人が答えを見つけてくれました。」


 その文章を目にした時、雪乃は顔がほころぶのをこらえることができなかった。

 横の新能に声をかけて、WEBサイトのインタビューを記事を見せる。雪乃のモニタをのぞき込んだ新能は、ざっと見てからうなずくと、やったかいがあったなあと無表情のままで呟いた。そんな彼の声の調子と表情とには明らかにギャップがあって、雪乃には何だか彼がとても可愛らしく感じられた。

 そして、同時に寂寥感せきりょうかんも覚える。出向期間が来週末で終了するのだ。『ヴァルキリー・エンカウント』の開発は終わり、以降は運営とメンテナンスのフェーズに入る。雪乃と新能の役割は終わった。この現場を離れたくはないという思いが強いが、雪乃らは株式会社オストマルクの社員であって、ここにはあくまで出向という身分で来ているだけなのである。座名たちとは勿論、鳥戸や楚亜たちとも別れの時が来ている。出向期間の延長はないかと期待もしたが、会社からは再来週の月曜日から通常通りオストマルクへ出社する様指示が来ていた。

 開発現場も落ち着いていてギスギスした空気はない。開発が一段落した時特有のこの緩やかな空間だけは、オストマルクでもバルバロッサでも変わらないなと雪乃は思った。そして不意に、新能に声をかけていた。


「新能さん、よかったら飲みにいきませんか」

「俺と?」


 自分でも驚きながら雪乃は知らず知らず言葉を続けていた。


「よく考えたら新能さんとは大阪出向に来てから知り合ったのに一度も飲みに行ってないし」

「いつ? 明後日はチームの打ち上げがあるし、来週末にはもう東京へ戻るわけだしバタつくだろう」


 そういえば、鳥戸や楚亜たちが来週送別会をやってくれるのだと雪乃は焦った。


「あ、そ、そうですね、じゃあ東京へ戻ってから」


 新能は少し思案顔になったが、わかった、また声をかけてくれと言って仕事に戻った。今のは社交辞令だろうか。それとも本当に雪乃と飲みに行ってもいいと考えているのだろうか。いや、間違いなく後者だと雪乃はなぜか顔が熱くなる自分を感じいてた。東京へ戻ってから……。北浜の顔が一瞬浮かんだ。

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