(四)北浜翔2

 北浜翔は、幼少のころから大抵の事は人よりもうまくこなすことができた。

 学校の授業も一度で内容を理解し、必要な項目を暗記することも苦でなく、運動も平均より上の実力を常に発揮して賞賛されることが当たり前だった。

 整った容姿がそれに彩りを加えて、小学校から女子の間で『カッコイイ男子』の筆頭に常に上げられていたし、中学になると部活動のサッカー部を通してファンクラブができたし、高校になると、他校の女子から告白されることも珍しくなかった。名門と言われる国立大学に入るとサークル活動を通して大きなイベントを取り仕切り、彼のリーダーシップはますます発揮され、モデルとしても活動し始めたこともあって、学内でも名前を知られた存在となっていた。

 彼には、実現すべき自らの姿があった。『勝ち組』。大金を稼げる身分になることと、テレビや雑誌といったメディアに取り上げられる有名人になることが彼にとっての成功であった。

 家はいわゆる普通の家庭だった。父は顔が整っているのとまじめなのだけがとりえの中小企業のサラリーマンで、母はそんな父に惹かれて結婚した、優しいが容姿は並みの平々凡々な専業主婦といってよかった。何もかもが極めて普通で、そして北浜は自分のそんな家が不満だった。テレビで放映される俳優や芸能人、起業家の様に彼は裕福な勝ち組になりたかった。自分にはその資格も才能もあると信じていた。

 だが彼はプロスポーツ選手になるには才能も努力も足りなかったし、モデルとしても大成せず、芸能人を志したが結局実を結ばなかった。彼には俳優としての適正も無かったし、起業家としてやっていけるだけの才幹も無かった。

 ならば映画を作る世界で名を上げることを選択してそれなり学びはしたが、この世界で成り上がるには時間がかかりすぎると思った。勝ち組になることへの渇望は増すばかりで、その結果彼はサブカルチャーとしても市場としても名を馳せたゲーム業界に目をつけた。彼自身は、流行のゲームは話題を増やすためにプレイしていたが、さほどゲームが好きだというわけでも無かった。

 だが、丁度携帯ゲームが隆盛し、いわゆるソーシャルゲームが莫大な利益を生むことを知ると、迷わずにゲーム業界への道を歩んだ。プログラミングや絵が描けるわけではない。目指すのは有名な版権を手がけるプロデューサーやゲームクリエイターだ。そのためにはまずプランナーになる。大手の会社よりも中小の開発会社を選んだのは、規模が小さい会社の方が、早く頭角を現して出世できると踏んだからだった。だが、あまりにも無名でも困る。中小だが、業界ではそれなりに名の通った会社がいい。そうして選んだのが、業界では名前がそこそこ知られたゲームクリエイター・紺塔生雄がいる株式会社オストマルクだった。

 新入社員としての日々は怒濤の勢いで流れていった。仕事であるからには簡単ではないだろうと思っていたが、ゲーム業界のプランナーの仕事はまさに百姓仕事といっていいほど多種多様で様々な仕事に追われた。だが、その中で北浜は自分の能力が充分活かされることを知った。プランナーの仕事は想像していたよりも、決められた事を現場に作業できる形に下ろす、言うなればルーティン化可能な領域の仕事が多かった。そして、プランナーの同僚は言うに及ばず、先輩たちの仕事の進め方には明らかに無駄がある。彼はほくそ笑んだ。自分の才幹と力量を知らしめなければならない。

 元々大学時代イベントサークルのリーダーとして、大がかりな大金が動くイベントを幾つも成功させている。人を動かし、自分の意図通りの結果を出させるという点で、プランナーの仕事は同じだと彼は考えた。同僚にも先輩にも自分ほどの才幹を持つ人間はいない事を悟ると、彼は積極的に前に出ていった。同時に勉強も欠かさなかった。どう見ても、この業界の、この会社の仕事の進め方は立ち後れている。ビジネス書を読み漁り、また古今東西の名作ゲームをプレイし、果ては一部でブームになりつつあるボードゲームにまで手を伸ばしてプランナーとしての下地を作っていった。

 二年後、彼は思惑通り異例のスピードで企画課の主任となり、同期は勿論、企画課のプランナー全員の中でも出色した存在となった。辟易したのは紺塔生雄の理不尽な仕様変更要求だったが、彼はそれにまつわるやっかいな仕事は可能な限りうまく立ち回って避けた。そうした中で、初めてリードプランナーとして手腕を振るったのが、『武器道メモリアル』だった。ディレクターは紺塔だったが、実質的には北浜が開発を取りしきった。このプロジェクトで彼は二つの成果を得た。一つはリードプランナーとしての確固たる地位であり、紺塔と共にゲーム雑誌にインタビュー記事が写真と共に掲載された。もう一つは、早見雪乃という恋人である。


 早見雪乃が新人として入社した時、誰もがその美貌に目を見張った。北浜自身も彼女の美しさは認めたが、彼は高校時代から交際する女性には事欠かなかったし、彼女らはいずれも雪乃に負けず劣らずの美女ばかりで、ベッドを共にすることも当たり前にこなしていたので、すぐに新入社員の一人に過ぎなくなっていた。様相が一変したのは共に『武器道メモリアル』のプロジェクトを通して、早見雪乃という女性が、単に美しいだけではない長所を多く備えていることを悟ってからである。

 彼女には裏表が無かった。頭の回転は早いが気遣いも出来た。奥ゆかしく、聞いていいこととそうでないことがあることをわきまえて、他人の心の領域に土足で入りこんでくるようなところがない。かといって大人しく従順なだけかというと、そうではない。性格は快活で、その声は聞く者に春の日差しを思わせる暖かみがあり、同時に他人を引き込む天真爛漫さがある。人を引きつけるオーラというものがあるとすれば、目立たぬにせよ彼女は間違いなくその素養を帯びていた。

 それは、北浜にしてみれば自らが欲してやまない才能といえた。早見雪乃の仕事ぶりや立ち振る舞いを見るうちに、その美貌は輝かしい色彩を帯びて北浜の目に映るようになり、彼にとって彼女は、自らが手に入れるべき得がたい花の様な存在となった。慎重なアプローチの末に、早見雪乃とつきあうことに成功した北浜は、それからも彼女に惹かれていく一方、彼女の様な至高の女性を、本当に自分のものにするには特別なご褒美の時がふさわしいと考えた。

 彼は幼少のころから、テストで百点を取ったり、スポーツで良い結果を出したら褒賞をもらっていた。自分で課した課題を達成した時も自らにご褒美を与えてきた。ならば、この会社でディレクターとして大成した際に、早見雪乃の心と身体を自分のものとすること。それが、北浜が自らに課した課題と褒賞であった。

 あれほどの女であれば、褒賞としてふさわしい。だからといってそれを得るまでに他の男に獲られてはたまらない。自らの鎖に繋いで、じっくりとその時を待つのだ。ゆえに、処女であるらしい彼女――北浜にしてみれば信じがたいことだった――が許してくれそうな雰囲気の中でも、最後の一線を超える衝動を抑えこむことができたのである。

 そして、ついに紺塔に次ぐ第二ディレクターとして開発の陣頭指揮を執る機会が訪れた。『武器道メモリアル』の続編であった。続編といっても、クライアントである大手ゲーム会社の一つリューベックは、『武器道メモリアル』をいわゆるシリーズものとして確立したいという企画のもとで、大きく予算を掛けるプロジェクトとしてオストマルクに依頼をしてきた。これまでの根回しと立ち回りが功を奏したのか、紺塔から「お前にやらせてやる」とディレクターを初めて任されたのである。リードプランナーにはベテランである小金井こがねいをあてがわれ、北浜はクライアントと協議しながらではあるものの、自分の裁量でプロジェクトを進められるポジションに立てたのだった。

 ディレクターともなれば、方針だけ提示して、細かな作業はすべて他のスタッフにやらせて、上がったものをチェックして修正指示を出していけばいい。スタッフに対する態度もこれまでと少しずつ変遷させていった。これまでの実績に加えて、人望に配慮した立ち振る舞いで彼自身の評判はいいが、舐められてはいけない。

 彼は慎重に自分の才幹を顕示できる状況では意図的にそれを誇示した。そうすることで、北浜翔がこのプロジェクトのトップであるという権威を確立した上で、彼自身が構築してきた作業のワークフローに則って、効率的にかつ意欲的に、スタッフに作業をさせる開発態勢が整うはずだった。


 だが、プロジェクトの進行は芳しくなかった。リードプランナーである小金井は、ベテランで経験豊富だが、いかんせんセンスも無く頭が硬く要領も悪い。視野が狭いのだ。北浜が伝えたイメージ通りにゲームが実装されることはなかった。何よりも見栄えを重視する北浜だったが、デザインリーダーの手腕も物足りない。これまでの二番煎じ三番煎じの様な方向性のデザインばかりを指示する。自分がいちいち介入するたびに修正の意図や理由を説明して納得させること度々で、辟易していた。

 自分が一から十まで指示しないと、ここまで他人が思い通りの成果物を上げてくれないものかと、北浜のストレスはディレクターになってから溜まる一方だった。煽る酒の量は増え、現場で大きな声を上げる頻度も上がっていった。そうして、プロト(試作)バージョンのROMの出来をクライアントから否定された際にその不満は爆発した。


 なぜ、自分のイメージ通りのものを上げてこない。

 なぜ、自発的にクオリティを上げようと努力しない。

 彼は各セクションのリーダーの前でそう声を荒げた。


 だが、それは『なぜ俺のためにもっと働かないのか』という内なる心の声の表面を加工して表出しているのにすぎないことに、彼は無自覚だった。セクションリーダーたちとの距離感は開いていき、いきつけのバーで煽る酒量は増すばかりだった。そこへ、初台絵里香が現れたのである。気がつけば朝で、ラブホテルのベッドに初台と二人、裸で抱き合った状態で目が覚めた……。

「大丈夫ですよ、私一回したからって彼女ヅラなんてしませんよ」

 初台はそう言っていたが、職場でも露骨に北浜に親しげに接触してくるようになった。彼女は、早見雪乃をライバル視しているところがあり、北浜と雪乃がつき合っていることにも薄々気づいている節がある。それだけに、初台が雪乃に余計なことを言わないかという不安を抱えたままで探りの電話を入れたが明確に何かを聞き出すことはできなかった。

 だが、出向で大阪にいるはずの雪乃が、土曜日だというのに会社に来ていると同僚から聞いた時、北浜は一瞬背筋が冷たくなった。すでに会社を後にしたということなので、慌ててメールを出したのである。

 思い通りにならないことが最近多すぎる。成功者となるべき自分は、些細なことでつまづくべきでは無い。

 恋人と共に歩きながら、北浜はどのように事を納めるのが自分にとってベストなのか、頭を回転させていた。


 北浜のマンションのリビングにあるソファで二人はいつも通り並んで座った。どことなく空気が重くて、雪乃はまだ焼いてきたパンケーキを取り出すことができない。テーブルの上には北浜が出してくれたペットボトルのお茶が二本並んでいるだけだった。

 北浜が口を開いた。


「えと、うん、実は、僕は雪乃に謝らなければならないことがあるんだ」

「……何?」

「ごめん」


 北浜は深々と雪乃に頭を下げた。彼は、この件に関しては何もかも正直に話をした方がいいと踏んで、全てを正直に話した。

 ディレクターになってから仕事がうまくいかないことが多く、ストレスを酒で発散していたこと。

 そんな時にバーで飲んでいたら初台絵里香が現れ、話をしながら飲んでいたら、翌朝ラブホテルで二人とも裸になっていたこと……。

 勿論、話の端々にストレスと不可抗力、それに雪乃に逢えない寂しさもあっていうニュアンスを巧みに混ぜて、事故の色をそれとなく強調することを忘れない。


「正直、バーで飲んでからの記憶が無いんだ。気づいたら朝で、何をしてたかも覚えてない」


 経緯はどうあれ初台とラブホテルに行ったことは間違いない。それは君に対する明確な裏切り行為だと思う。だが僕は勿論今でも雪乃の事が好きで、一番大事にしたいと思っている。こんなことを言えた筋ではないのは承知しているが、許してくれないか……。

 北浜は心底申し訳無さそうに何度も雪乃に頭を下げた。


「初台さんと……」


 雪乃はうつむいた。軽く目まいがする。初台の態度に合点がいった。彼女は雪乃と北浜がつき合っているのを悟って彼とベッドを共にすることで勝ち誇って見せたのだ。だが、初台の真意がどこにあるのかはわからない。本当に北浜が好きでその行為に及んだのか、雪乃にいわば嫌がらせをしたくてちょっかいをかけてきただけなのか。頭がうまく回らなかった。

 北浜を一方的に責める気にはなれない。初のディレクターという仕事が大変な重圧であることは容易に想像できたし、それが故に酒を煽りたくなる気持ちもわかる。そこを初台につけこまれたのか。

 どうして彼が大変な時にそばにいてあげることができなかったのだろうと、考えても仕方がないことを雪乃は考えてしまう。

 再び頭を下げて謝罪する北浜に、雪乃はゆっくりと頭を振って思った事をそのまま口にした。


「とても寂しいし、哀しい。でも、間が悪かったのよ」


 そう、間が悪かった。そう思うほかない。それに、自分も早く彼と身体を重ねておくべきだったのかもしれない。彼が自分を大事にしてくれているのは嬉しかったが、二人の関係を繋ぎ止めるには、そういう行為も必要なのではないか。大学時代は性急に関係を進めようとする恋人との隔たりを感じた雪乃だったが、北浜と交際を始めてからは、自然と彼に抱かれたいと感じるようになっていた。

 だが、今はとてもそんな気になれはしなかった。


「私、今から大阪へ戻ります」


 雪乃は立ち上がって荷物を持つと玄関へ向かった。駅まで送るという彼の申し出を断り、靴を履いてから本来の目的を思い出して、紙袋を北浜に差し出す。


「これ、パンケーキを焼いてきたの。あっためて食べてね」


 北浜が紙袋を受け取りながら雪乃を抱きしめてきた。


「本当にごめん。もう二度としないと約束する」


 雪乃は気力を振り絞って北浜の背中に両手を回して抱き寄せた。


「分かってる。信じているから」


 そう呟いてから、北浜の頬に両手を添えると、雪乃は自分から彼にそっとキスした。

 恐らくは初台のそれと触れあったであろう彼の唇……。


「無理しないでね。身体が大事だよ」


 雪乃は無理に笑顔を向けると、北浜のマンションを後にした。雑踏の中、駅へ向かう道を歩くうちに、いつの間にか涙が頬を伝っていた。そのまま新幹線に乗って、深夜に大阪へと彼女は戻ってきた。

 

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