(二)意志

 座名の指示による新バトルの仕様変更の実装作業は急速に進行していった。だが、ある時から雪乃はコンビネーション・コマンドを使ったバトルがどこか淡泊になっていると感じるようになった。それは最初慣れによるものだろうと思っていたのだが、やがて違和感に変わり、時間を経て「前より楽しくなくなっている」と自覚するに至った。

 なぜだろう。キャラクターやモンスターの強さなど、数値調整の問題かとも考えた。『ヴァルキリー・エンカウント』で、初期リリースする予定のダンジョンの階層は全十階層、そのうち序盤から中盤にかけては、拝道と新能が中心になって設計されたレベルデザインに沿って、新しいバトルシステムに基づいた調整結果のデータが既に入力されており、そこから大きくバランスの変更はかけられてはいなかった。疑問符を抱えたまま何度かプレイをしていた雪乃は、思い当たる点に気がついた。


「コンビネーション・コマンドの拘束人数が三人のものを二人か四人に変更したから……?」


 座名の修正要望で、コンビネーションコマンドのうち、必要人数が奇数のものは偶数になるようにそれぞれ仕様を変更した。座名によると、「拘束人数が奇数、偶数が混在していると分かりづらくなるから」というのが理由で、打ち合わせの場では雪乃も新能も納得して変更対応してもらった項目である。だが、実際に遊んでみると、バトルの際にコンビネーション・コマンドを選択すると、基本的に四人のパーティでのコンビネーション・コマンドの必要人数は、種類は多々あるが二人あるいは四人なので、一つか二つの選択で終わってしまい、選択の余地があまりなくなってしまっていた。拘束人数が三人、または一時的に仲間に加わるNPCエヌピーシー二人を含めて五人のコンビネーション・コマンドが存在していたかつての仕様の場合は、余ったキャラクターにどう行動させるかを考えるのが、思わぬ選択肢のバリエーション増加に貢献していたのである。

 拘束人数の仕様一つでここまでバトルの印象が変わるものなのか。雪乃は改めてゲームを構成するロジックの複雑さに思いをはせたが、この問題をどのように解決すべきかを考えなければならない。


 正直言って、また仕様を戻すのは腰が引けた。これを問題として座名に相談し、そこからまたどうするか決めて、それをまたプログラマーやサーバーエンジニア、事によってはデザイナーに仕様変更対応をお願いする。精神的に疲労度が高まる事が容易に予想できた。

 勿論、バルバロッサでの仕事は、当初思い描いていたよりも、ずっと働きやすい環境と言える。他の会社からの出向という立場もあるが、何よりもディレクターである座名が居丈高な態度を取らず、強権を振りかざして自分の意のままに現場を動かそうとしない。

 まず、「ディレクターとして自分はこうしたい」という相談から入っているのが原因であろう。それに加えて、チーム運営は拝道がきちんとハンドリングしてチームとして共通の目標へ向けてプロジェクトを回している。正直言ってオストマルクの十倍は居心地が良く、仕事にもやりがいがあると雪乃は感じていた。

 だが同時に、慣れない大阪に来て、何もかも新しい環境で、出向という立場でこれまた初めてのバトル仕様作成という仕事にあたふたと突っ走ってきた雪乃はもう精神的に疲労していた。

 大体、ディレクターである座名のディレクションによる変更である。このままでもいいのではないか……。

 そう考えた一瞬に色々な光景、感情、感傷が頭をよぎった。

 オストマルクでの紺塔のふるまい。

 バルバロッサでの座名のふるまい。

 同じゲームクリエイターでも色々な人種がいる。彼らとスタッフを取り持つポジションの人間にしても、田無と拝道は真逆なタイプの人間といえた。拝道は座名の言う事でも異論があれば反論する。彼の判断基準は議題の中身そのものであって、『誰がその発言をしたのか』は議論の外に置かれていた。田無は、紺塔の言う事はすべて素通しして現場に丸投げをする。そして、新能の顔が浮かんだ。


『言われたから実装したなんて、最低な仕事の進め方だ』――。


 ああ、と雪乃は天井に顔を向ける。私は逃げるところだった。そして、自分一人でこの問題に対する判断を背負うべきではない、この新しいバトルを作ってきたのは自分だけではないのだと改めて気づいた。

 確かに『コンビネーション・コマンド』のアイデア、それをゲームにどう落とし込むかを苦心したのは自分だ。そこは胸を張れる。だが、座名や拝道が方向性を示してくれなければ。新能が相談に乗ってプランナーとしての動き方を示唆してくれなければ。実装してくれるプログラマーの佐井、サーバーエンジニアの明日勅、デザイナーの沙羅田がいなければ。彼らと協力しなければ、今の形で実装することはできなかったのだ。雪乃自身の「こうしたい」、というエゴの元に、スタッフ皆で作り上げたバトルだ。

 これは、私だけの問題ではない。この新バトルに関する課題は私だけのものではない。私たちの課題なのだ――。

 雪乃は意を決して新能に声をかける。ゲームプランナーとしての、自分の仕事だと悟った。


「すいません、新能さん。ちょっと相談があるんですが」



 雪乃は、ひょっとすれば自分の懸念が杞憂に過ぎないかもしれないと思っていた。だが、新能は打ち合わせスペースで雪乃の相談を聞くと、改めて言われると、確かに否定はできないなと腕を組んだ。


「慣れからくるものかな、という感触だったんだけど、改めて言われると確かにコマンド選択のバリエーションは減ってる。例えば三人で『デルタ・アタック』をかけて、残り一人に何をさせるかを考えるのが、存外バトルの面白みになっていたんだな」


 新能が同意してくれたので、雪乃は自分から席を立ってリードプランナーである拝道の元へ赴き、相談があるのですがと打ち合わせスペースへと来てもらい、新能にしたのと同様の説明を行った。拝道は雪乃に同意せず、現状で問題ないと思うと自分の感覚を述べた。


「うーん、慣れの問題もあるんちゃうかと思いますねん。ぽんぽんとコマンドを設定できて、私は問題ないと思うんですけど」


 そう言いながらも、だが確かにバトルの選択肢が減少した感はあると付け加えた。


「お二人は、前の仕様に戻した方がええというご意見でしょうか?」

「はい、バトルとしては前の方が戦い方に幅ができて、今のものより良いと思っています」


 雪乃がそう告げると、新能も同意してくれる。


「私はどちらでもいい、と思っていたんですが、やはり戦術選択肢の幅が広いということは、コマンド入力の入り口の分かりづらさを補ってあまりある魅力になると思います」

「ふむ」


 拝道は腕組みして考え込んでいたが、これは座名と相談しますといって散会となった。二時間後、座名と拝道に二人は呼ばれて会議室で打ち合わせをすることになった。議題は例のコンビネーション・コマンドの仕様について、である。


「話は拝道から聞きましたわ。結論から言いますと、仕様はこのままでええと思うております」


 雪乃はわざとうーんと声を出して唸った。だが、ディレクターである座名がそう決断したのであればしょうがないではないかとも思う。だが、まだ完全にあきらめられない。初めて自分でシステムを考えたバトルが採用されたこともあるが、何よりも前の方が絶対に面白いという確信があった。雪乃は怯まずに座名に向かってその根拠を問うた。まずはロジック面から詰めていこうと考えた。だが、雪乃よりも先に口火を切ったのは新能の方だった。


「こちらが課題としてあげているのは、攻撃系コンビネーション・コマンドの拘束人数の仕様変更により、パーティメンバーに半端が出なくなり、それによって『コンビネーション・コマンドプラス通常コマンド』というこれまであった戦術の選択肢が減ってしまっている、という点です。結果、バトルが単純にコンビネーション・コマンド』を選択するだけの淡泊な流れが生まれているというのが現状に対する認識です。それに対して座名さんが現状のままでいいと仰る理由はどこにあるのでしょうか?」


 新能の口調は、穏やかだが毅然としていた。表情こそ柔和だが、適当にあしらわれる気はないという真剣味を感じる。対する座名も動じない。


「はい、この仕様を変更した理由がどこにあったか。それは、コンビネーション・コマンドの拘束人数が偶数であったり奇数であったすると、ユーザーからわかりづらいのではないかという懸念です。それが仕様変更により解消していると感じているので、現状のままでいいという判断ですわ」

「その点は理解できます。しかし、以前よりもコマンド選択の幅が狭くなっている点についてはどうお考えですか?」

「現在の仕様でも、コンビネーション・コマンドの特殊性、それを状況に応じて使い分ける楽しさはきちんと出ていると考えます。なので……」


 雪乃も反論を試みる。


「それは……確かにそうですが、今の仕様では、何というか、その……」


 一生懸命言葉を探す。コマンド選択の幅が前よりも狭くなった、前の仕様の方が面白いと言える点はどこにあるのかを伝えなければならない。なぜか、どうしてか……。雪乃は適切な言葉を見つける事ができずに、それでも何とか伝えようと試み、その言動は整然性を欠いたものとなった。座名も拝道もそれだけで打ち合わせを打ち切ったりはしなかったが議論は平行線を辿り、打ち合わせはいつの間にか始まって一時間が経過していた。

 拝道は何度か議論を打ち切ろうとしたが、座名がその都度制止した。拝道は、座名がまだ雪乃から何かを引きだそうしていることを悟ってからは押し黙っていた。座名は声を荒げるでも嫌がるそぶりもなく、雪乃の手を変え品を変えの説得に耳を傾けているが、未だその内容に決定打を見いだせずに首を縦に振らなかった。


「今の仕様は、やらされている感が……」


 雪乃は必死にゲームをプレイしている感覚を思い出しながら不意に口をついて出た言葉に、自分の頭に閃光を見た。


「そうです! 今の仕様だと、『やらされている感』がすごくあるんです。状況がこうだ、どの『コンビネーション・コマンド』を選択するかさあ選べ、と選択肢のない選択を迫られているような。それを緩和しているのが、余ったキャラクターによる個人行動なんです!」

「やらされている感と……」


 座名は腕組みしてその言葉を何度もつぶやいた。そうして、拝道に目を向けて、「拝道はどうよ?」と尋ねた。拝道は首をかしげて自分はそう感じはしないがと返答したが、座名は腕組みを解かずに考え込み、やがて口を開いた。


「わかりましたわ。他のスタッフの意見も聞いてみることにします。この件はちょっと預からせてもらってええですやろか?」

「勿論です」


 雪乃は頭を下げ、新能もそれにそれに倣う。座名のディレクターとしての度量に感謝する思いだった。仮に、このままこの件がうやむやになったとしても、これ以上は踏み込まない方が良いのだろうかと雪乃は思ったが、新能は果たしてどう考えているだろう。その横顔からは、相変わらず表情を読み取れない。まだ新能との心理的距離の隔たりを感じながら、雪乃は終わった打ち合わせの片付けを始めた。


 二日後の夕刻、座名はバトルの担当スタッフと、雪乃と新能の二人を集めて伝えた。


「コンビネーション・コマンドの拘束人数の仕様を、元に戻します。二度手間かけて申し訳ないんやけど、対応してもらえるやろか?」


 それが座名の第一声だった。続けて、理由を説明した。その内容は雪乃が主張していたものとほぼ同義で、仕様を元に戻して、バトルにおけるユーザーの選択肢を増やし、『やらされている感』を緩和するのが目的だとのことだった。


「了解です。それならデザインの作業はあらへんですし、プログラマの対応のみです。二日ください。後、コマンドのチェックはやりなおしになりますけど……」

「それは、私がやります」


 雪乃は手を上げて名乗り出た。拝道が、すいませんがよろしくお願いしますと頭を下げた。その場はそれで散会となったが、座名は雪乃に今回の決断に至った経緯を語った。


「他のスタッフにも聞いて回ったんですが、なかなかプレイまで手がまわらへんみたいで、どないしたもんかと思ってましてん。そしたら、佐井君が自分も早見さんと同感ですちゅうて。彼は今回のプロジェクトに限らん話やけど朝早う来てはよくゲームもプレイしてくれていますねん。ほんで直した方がええところを自主的にどんどん修正してくれよるんですわ。その彼、さらに早見さん、新能さんと。現場からこれだけ声がそろうと、もう私の感覚の方がズレてるんやろなあと」


 座名はスキンヘッドの頭をかきながら笑顔で言った。


「拝道さんは?」


 雪乃はおそるおそる座名の横に立つ彼に尋ねた。リードプランナーである拝道はまだ納得していないのではないか。だが彼は笑って言った。


「私は座名がええちゅうたらそれでええですわ。最終的に作品に対して責任を取るのは座名ですから」

「ひどいわー」

「それに、強いて言えばどちらでもいい、なら再修正の手間がない方がいいとは思ってましたからね」


 座名は苦笑して、では引き続きよろしくお願いしますといって拝道と共に自席へ戻っていった。新能は雪乃の方を見てデータ調整作業は自分が手をつけておくと言ってくれた。相変わらず無表情で無愛想なのに、なぜか雪乃はそこに陽光を見た気がした。


「お疲れ様。お互いにもうふたがんばり、ってとこだな」


 新能はそう言って自席へと戻っていく。

 の、飲みにいきませんか。

 去って行く背中にそう言いかけたまま、結局口に出せない雪乃だった。言語化できないこの気持ちは何であろう。新能の背中を見つめた時、胸ポケットに入れていたスマホが振動して着信を告げる。北浜翔からだった。

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