(三)スタッフ
『コンビネーション・コマンド』の使用制限をどうするか、という課題はあるものの、バトルの概要は大筋決まった。次はどう動くのか。雪乃は勿論概要の詳細である仕様書の作成に入るつもりではいた。だが、新能は打ち合わせ後に拝道と雪乃を呼び集めた。
「早見さん、バトルの実装に向けて、次はどう動いていったらいいかな」
相変わらず無表情。え、と思いつつ雪乃は考えを巡らせる。そうだ、概要を作成するのは詳細な仕様を作る前に、中身をスタッフの間で検討、精査して共有するためだ。
「概要を修正してから、担当スタッフの方と内容について打ち合わせをするべきだと思います」
少し腰が引けながらも、自分の考えを素直に述べてみる。拝道にしろ新能にしろ、自分よりも踏んできた場数が段違いだ。そんな二人を相手に背伸びをしたり分かったふりをするのは愚かだと思う。
「うん、俺も同意見だ」
新能は頷いて、拝道に概要を修正後、バトルを担当するスタッフの方と打ち合わせをさせていただきたいと申し出た。拝道は勿論構いませんと言って、会議室の使用申請用社内ホームページの場所を教えてくれた。そして、以後バトルはお二人が主導で動いていただいて構いません、進捗や問題点は毎朝の朝礼で随時相談していただければいいし、大事な報告事項は社内のチーム・メーリングリストに流してもらえばいいと続けた。
それから雪乃は、急いで『コンビネーション・コマンドの使用制限』仕様を考えた。PCと他の仲間との間には『信頼度』と呼ばれるパラメータがある。それを利用して、『コンビネーション・パワー』と名付けたパラメータを算出し、『コンビネーション・コマンド』は1ターン中にその数値の範囲内でしか使用できない、という内容だ。
こうすれば、能力値的に多少劣る仲間でも、長らく行動を共にしていれば『コンビネーション・コマンド』の種類が増えるだけでなく、その使用回数も増えるので、ユーザーが新たに優秀な仲間を入手しても即リストラにはならず、パーティ構成をどうするかの考えどころになるだろうという意図があった。
文章で書いて、新能と拝道に見てもらってOKを貰った雪乃は、概要書の打ち合わせに関係するスタッフの席を回った。皆打ち合わせは了承してくれたが、初めて打ち合わせをする人ばかりなので緊張感が走るのは否めなかった。
今日はもう定時近くになっていたので、明日の午前十時三十分から一時間の予定で行う事になり、その準備を進める雪乃だったが、しばらくして新能がじっとこちらを見つめていることに気がついて、思わず赤面してしまった。
「あ、あの、何か」
「んー」
新能はちょっと言葉を濁す。その目線は雪乃を見つめたままで、雪乃は体温が上昇していく感覚を覚えた。新能はさらに何かを考えていたが、意を決した様に言った。
「明日の打ち合わせについて、チーム用のチャット・ルームで通知を出しておいた方がいいかもな」
「えっ」
バルバロッサでは全員が指定のチャット・ツールをパソコンにインストールしている。重要事項は別途チーム用メーリングリストで送信することになっているが、スタッフが全員同じオフィスにいるわけではないため、チームごとにチャットのチャンネルが割り当てられ、業務上必要な連絡や相談などは、このチャット上で行う様になっていた。オストマルクでも同様にチャット・ツールが導入されてチームごとにチャンネルが用意されているが、用途に明確なルールが無いため、大分渾沌とした状況を呈している。
バルバロッサでは、チームごとのチャンネルがさらに細分化されていた。『ヴァルキリー・エンカウント』チームでは、全員への連絡用、ダンジョン用、バトル用、UI用、パラメータ用に細分化され、担当スタッフがチャンネルに参加する形を取っている。
「基本的に、会議ってやつは人を一定時間拘束してしまう。例えば五人で一時間会議をするとしたら、五人掛けることの六十分で三百分。これだけの時間を預かることになるから無駄にはできない」
新能は一呼吸置いて続ける。
「だから打ち合わせをする際は、一体何のために行うのか、その目的と、誰を、どれくらい拘束するのかを情報としてチームに流した方がいいんだ」
チームの規模が数人ならば不要だろうが、このプロジェクトの人数であれば、全員連絡用のチャンネルに流して情報をオープンにした方がベターだと新能は付け加えた。
「あっ、はい、わかりました」
オストマルクでも、打ち合わせをする際にはメールやチャットで通知する人としない人がいるが、する人の方が圧倒的に少数派だった。なぜその通知をわざわざ出すのか、その意図を雪乃は考えたことなどなかった。だが、オストマルクの旧プロジェクトから、会議の開催メールを引っ張り出してそのフォーマットに則って打ち合わせの連絡をチャットで出すと、間も無く、バトルに関する事ならば自分も聞いておきたいとキャラクターアニメーションの担当者から参加の申し出があった。
打ち合わせの目的によっては自分も関係あるからと参加を申し出る人もいるし、何について打ち合わせをするのか、その情報はそのままプロジェクトの状況を伝えることにも繋がるのだと雪乃は悟った。
もう退社した新能の机を見ながら、雪乃は彼への印象が随分柔らかくなっていることに気がついた。勿論、まだ苦手な印象があるのは否めない。だが、新能の助言は的確と言ってよかった。これまでの、バトルの企画と概要書作成という課題に対しての新能の姿勢を思い返すと、オストマルクでの悪評がまるで嘘の様である。何よりも、自分を対等のプランナーとして扱ってくれていると雪乃は気づいた。新能は雪乃よりもずっと年長で、業界での経験もずっと長い。にも拘わらず、新能は雪乃に一方的な命令を下すでもなく、常に、「君はどうしたい?」というスタンスを崩さない。自分のアイデアより雪乃の案が採用されても負の感情を出さない。だからといって雪乃一人にすべてを丸投げするのではなく、仕事の進め方の部分については随分と助けられている。
アイデアの打ち合わせ。
座名たちへの会議の依頼。
議事進行。
概要の作成。
打ち合わせ開催の通知。
その時その時の新能のいつも通りの表情の中に、無愛想という言葉だけではくくれないものを雪乃は感じていた。
頼もしい先輩だ……。
軽く手を振って去る新能の背中を思い起こす。その後ろ姿は雪乃にとってどこか好ましささえ感じさせるようになっていた。
翌日。
バトルの概要についての打ち合わせが会議室で開かれた。座名、拝道は参加していない。現場で実装を受け持つスタッフでのすり合せである。
バトル担当のプログラマー、
サーバーエンジニアの明日勅駆。
デザインリーダーの龍水晶。
UI担当のデザイナーの
全員ときちんとした話をするのは今回の打ち合わせが初めての面々で、雪乃は少なからず緊張したが、資料印刷の準備に追われる彼女を見て、新能が議事進行を受け持つと言ってくれた。
新能の「お疲れ様です」という挨拶に始まり、今回の打ち合わせの目的は、バトルの仕様変更にあたり、そのビジョンの説明、どんな要素があって流れはどう変わるのかをすり合せ、実装レベルでの問題点や課題を浮き彫りにしてから仕様書作成へシフトする点にあることが説明された。そこで新能は言葉を切り、雪乃の方を見て言った。
「では、バトルの説明は早見が行いますので」
新能の顔を見て一瞬ドキッとした雪乃だったが、気を引き締めなければと思い、席を立って皆に資料を配った。
概要を説明し終えると、幾つかの質問はあったが、おおむね内容を共有できた様だった。ほっとしている雪乃を尻目に、新能は実装のスケジュール確認を開始した。いつごろを新しいバトルシステムの実装目標時期にするか。どの仕様から作成するか、いつごろ次の打ち合わせを行うのかについて、大まかに予定を話し合った。
「あの、バトルの担当者って新能さんと早見さんのどちらになるんでしょうか? 窓口は一本化しておいていただきたいんですが」
バトル担当のプログラマーである佐井が怪訝そうに尋ねた。佐井は二十六歳。大学を卒業後、大手のゲーム会社に入社後二年で退職し、その後バルバロッサに入社して着実に力を付けてきた期待の若手プログラマーとのことだった。スラリとした細身の体型で、髪の毛は特に手を入れていないようだが、短く清潔感がある。服装はポロシャツにジーンズというラフな出で立ちだが、メタルフレームの眼鏡が理知的な印象を与えてくる。
「基本的には早見がバトルの担当者となります。私はそれを補佐します」
新能の言葉に雪乃は頷いて、よろしくお願いしますと改めて席を立って丁寧に頭を下げた。
「あ、は、はい、よろしくお願いします」
佐井は少し口ごもりながら顔を赤らめている。
「それでは、今の概要を元に詳細な仕様を作成させていただきます」
雪乃はそう告げ、会議は終わった。
雪乃はステージの設計やUI、ステージやそこに配置されるギミック、それにキャラクターの仕様を作った経験はあるが、まだゲームシステムを一から組み立てた事は無かった。それだけに、ベースがあるとはいえ、バトルシステムの仕様をどのように作っていったらいいか、明確には分からない。概要で想定している流れに沿って、詳細な仕様を作っていけばいいのだろうと考えてはいるが、今ひとつはっきりとどのように作業を進めていけばいいのかが不明瞭だった。
そこで雪乃は、概要の打ち合わせ終了後に、そのまま佐井に残ってくれるようにお願いした。新能にも残って欲しかったが、座名が会議室に現れて彼に話しかけてきてそのまま二人は会議室を出ていってしまった。残ってくれた佐井に、雪乃は素直に自分の不安を打ち明けた。
「あの、私、RPGの仕様作成は初めてで……。どのようにまとめて仕事を進めていったらいいか、相談させていただければと思いまして」
佐井喜久夫は、目の前にいるプランナーと、まともに目を合わせることができなかった。
この業界のプランナーといえば大抵は男、それもどいつもこいつもプログラマーに対して上から目線で、「それくらいできるやろ」と言ってくる。佐井自身はゲームが大好きで、大学を卒業してこのプログラマーという仕事を選択して大手のゲーム会社に就職したのだが、現場で共に仕事をするのはいつも、彼の仕事に敬意も払わず感謝もせずに、ただ自分のイメージ通りのものを作れと仕様書もろくに書かずに口頭で実装作業をさせ、出来上がったものを見てから納期ギリギリで仕様変更という尻ぬぐいをさせようとするろくでもない連中ばかりだった。
そんな連中に愛想を尽かし、大手のゲーム会社を退職してフラフラしていた自分に、大学時代の先輩が声をかけてくれて入社したのがこのバルバロッサだった。確かに、ろくでもないプランナーとの接触率が圧倒的に減った。仕事にやりがいも出てきて、今回はスマホでの本格派RPGのバトル担当プログラマーとして抜擢してもらった。張り切って仕事に取り組み、評価もされていたのだが、あと二ヶ月でオールインという状況でのバトル仕様変更はさすがに息を飲んだし、正直不満でもあった。
だが、その不満は急速に薄れつつある。目の前にいるプランナー、早見雪乃。
東京にある会社から出向で来たという。女性プランナーと直接仕事をするのは初めてだった。何よりも早見雪乃は美人だった。長い黒髪にクール系の面立ち、デニムのジーンズを履いていても分かるスラリと長い足に、くびれのある体型はモデルと見まがうばかりの美貌だった。二十六年生きてきて、生でこれほどの美人と巡り会ったことは無い。好みのタイプ、そのど真ん中と言っていい。
「それで、現在実装されているバトルの仕様書もありますし、どのような形でまとめれば佐井さんにお仕事をお渡しできるのかと」
声もきれいだと佐井は思った。渡された概要に目を落としながら、ちらちらと彼女の顔を伺う。同じ様に概要に目をやりながら発言を続ける彼女の唇に目が吸い寄せられ、佐井ははっと目を逸らして床を見つめた。
「あの、それで、どうすればよろしいでしょうか」
「え、ああ、はい、ええと……」
一瞬口ごもるが、自分だって抜擢されたプログラマーだ。舐められるわけにはいかない。
「概要で、やりたいことはわかりましたから、後は適宜必要な項目をテキストでもいいですからまとめて持ってきてください。何だったら口頭でもいいですよ。時間もないですからスピード重視で」
「えっ……」
考えるよりも先に、次々と言葉が口をついて出た。
そうだ。残りの開発期間は短い。バカ正直に仕様書を書いてもららうよりも、自分が彼女の意向を汲み取って実装していけばいいのだ。自分の能力を周囲に示すことにもなるし、それにこのプランナーと接する機会も……。
明確に言語化されないうちに、佐井は自分の言葉に頷いていた。
「ええ、そうです。テキストと口頭のやりとりでどんどん実装を進めていきましょう。まず、概要でバトルの流れは分かりましたから、個々のコンビネーション・コマンドの内容をテキストでいいので作成してもらえますか」
「おい、佐井君」
佐井に確認したいことがあるらしく、傍らで待っていたサーバーエンジニアのリーダーである明日勅は間に入って、大丈夫かと心配そうに尋ねた。
「今のところ、パラメータは既に用意してあるものがほぼそのまま使えるみたいやから、新しいバトルでサーバー側が作成せなあかんのはコンビネーション・コマンドに関わる計算周りぐらいで、まあ後はクライアント側のプログラマーの領分やけどほんまにそれで大丈夫?」
大丈夫ですよ、問題があればすぐに相談しますと佐井は自信ありげに言った。
「は、はい。わかりました。ではそれから作成に入ります」
早見雪乃は目を丸くして驚いている。その表情すらまぶしくて、佐井は無意識に目を逸らして唾を飲みこんだ。
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