第四章 ディレクション2

(一)概要

 こうして新しいバトルの方向性は決まり、打ち合わせは終わった。雪乃は自席に戻って三秒ほど躊躇してから、ノートになにやら書きこんでいる新能に話しかけた。


「あの、概要書作成の作業なんですが」

「ああ、悪いけど早見さん中心で作ってもらえるかな」


 新能は顔を上げ、雪乃の目を見て言った。


「早見さんのコンビネーション・コマンドが採用されたわけだから、あなたが作成するのがベストだと思う。勿論、協力はする」

「は、はい……。でも私、RPGのバトルの概要書なんて作ったことがなくて」


 雪乃は素直に不安を口にした。事実、これまで雪乃が作成してきた仕様は、部分的な一要素やステージの設計図がほとんどで、バトルの様に一つのシステムをまるまる設計するのは初めての事である。大体、『概要』といっても、具体的に何をどの様にまとめて書面化したらよいのか、朧気にしか想像がつかない。

 現在実装されているバトルは概要書らしき書類が無く、仕様書が詳細に用意されていた。冷静に考えて、概要書と仕様書の違いすら、雪乃は明確に説明できる自信が無い。


「大丈夫」


 新能は表情を変えずに言った。


「まず前提として、どんなプランナーだって完璧な書面なんて作れやしない。ケチをつけようと思えば誰にでもいくらでもケチはつけられるから」


 そう言ってから新能は立ち上がって再び打ち合わせスペースへ行こうと雪乃を促した。自分自身は椅子に座らずにホワイトボードに向かって『概要』と書くとそれを丸い円で囲んでそこから線を引いて、その先に『目的』と書いた。


「まず、概要は何のために作るものだろう? その目的は?」


 雪乃はいささか緊張しながら思考を巡らせる。新能の表情は硬いままで、その真意は分からないが、意地悪で尋ねている感じはしない。


「ええと……、全体を把握するため、でしょうか」


 新能はうなずいて、言葉を続ける。


「うん、では、どうして全体を把握する資料が必要になるんだろうか? いきなり詳細な仕様書を作らないのはなぜだろうか?」

「あっ……」


 雪乃は得心した。いきなりバトルについての詳細な仕様書を作っても、実装段階で問題があって大きく作り直すようなことになれば時間の無駄になる。だから、まず全体を把握できる資料を作って大まかに仕様全体を俯瞰して見る。そこから詳細が必要な各項目を仕様化すれば、無駄の発生する可能性を下げられるのだ。


「そうか、仕様な詳細を作る前に、全体を俯瞰する概要をまず作って、内容を皆で共有して検討するんですね」

「その通り」


 新能はホワイトボードの『目的』の横に『全体を把握するため』と書いて円で囲った。そして現在のバトルの概要書が無いのは、企画書の段階からバトルのイメージが明確になっていたからだろうと思うと続けた。そういえば拝道が言っていた通り、『ヴァルキリー・エンカウント』の企画書にはバトルの流れが明記されていた。


「ではそのために、概要書にはどんな項目が含まれていればいいだろうか?」

「ええと……大まかな画面の流れと、どんな要素があるのか。それがあれば」


 新能は頷いて、『全体を把握するため』と書かれた円から線を引っ張り、『流れ』と『要素』と書き、それぞれを円で囲った。


「そう。概要書とは何か? ある要素について、全体の流れとどんな要素があるのかが把握できる資料のこと。だから最低限、その二つが網羅されていればいいと思う」

「他に、何かあるんですか?」

「個人的にはあると思っている。でもそれは、俺個人の見解だから無理に入れる必要は無い」


 それは何だろうと雪乃は思ったが、新能はもう彼女に背中を向けて、ホワイトボードに書いた文字を消していた。


「いつまでにできそうかな?」


 新能はホワイトボード全体を丁寧に消しながら尋ねてきた。


「明日いっぱいまで時間をいただけますか」

「わかりました。完全じゃなくていいから、明日のお昼休み前の段階で見せてくれるかな。それまでに、俺の方も自分のアイデアを概要化しておくから。そこから俺の方のアイデアをどう融合させるか打ち合わせをしよう」

「了解です」


 雪乃は返事をしながら、意外な感覚を味わっていた。新能荒也に対するイメージが変わりつつある。確かにとっつきは悪いし、話しかけにくい雰囲気はそのままだ。だが、これからやるべきこと、『タスク』に対して何のために何をするのか、それを明瞭な言葉できちんと説明してくれた。

 そういえば、新能はベテランのプランナーだった。だがベテランのプランナーでも、自分の仕事をきちんと言語化できる人とそうでない人がいることを雪乃は知っている。例外は北浜くらいだろうか。オストマルクにいるプランナー陣の中でも、これだけ仕事をする目的を言語化できる人がいるだろうか、感覚のみで仕事を進めている人が圧倒的に多いだろうと雪乃は率直に思った。

 よろしくお願いしますと無表情に口にして、先に席に戻る新能の背中を雪乃はじっと見つめた。


 早速雪乃は新たなバトルシステムの『概要書』作成に入った。まず、流れから作成していく。バトルシーンに入ってから、画面はどうなっていくのか。基本的な演出は、現在実装されているものをそのまま踏襲することとして、雪乃は自分のアイデアを落とし込んでいった。それから、バトルを構成する要素についてまとめていく。まずは、何と言っても『コンビネーション・コマンド』である。


『コンビネーション・コマンド

 コンビネーション・コマンドとは、複数の味方キャラクターが実行する特殊行動です。『絆』の深まったキャラクター同士であれば、敵の攻撃や魔法をカットしたり、一人が囮になってもう一人が攻撃するなどといった特殊な戦術を実行することができるというものです。』


 それから雪乃は、具体的な『コンビネーション・コマンド』をリストアップして大まかな内容を書いていった。正直、まだ具体的な形になってないコマンドも多いが、今はとりあえず数を出すことの方が大事だと思った。攻撃系。防御系。カット系。魔法系。系統別に分けて、雪乃はコマンドを考えてリストアップしていった。

 大変なのに、どこか心が躍る。なぜだろう。自分の考えたアイデアを仕様に落としこんでいく作業は、大変だがやりがいがあった。責任の重さよりも意欲が勝る。そして自分はこの、自分で作ったものでユーザーを楽しませたいという思いでこの業界を志したのだ……。

 雪乃は夢中でキーボードを叩いて、叩いて、自分の頭に浮かんだものを一言一句余さずに言語化するつもりでアウトプットしていった。実際のバトルシーンをイメージしながら、どんなコマンドが考えられるか、どんな演出で表現すればいいかも考えていくと、頭の中でキャラクターやモンスターたちが実際に戦う様が浮かんで、雪乃はますますのめりこんでいった。早く実際にプレイしたい。敵を見て、コマンドをセットして、実際に戦いが始まって……。

 その瞬間、雪乃の頭に閃光が走った。

 あ。


 それは、ある懸念点だった。不安、と言い換えてもいい。考えすぎかも、と思った。だが、一度頭に浮かんだ不安は時間を追うにつれて大きくなっていって、いつしか雪乃のキーボードを叩く手は止まっていた。

 どうしよう。そう思ってふと横を向く。新能がいた。彼もまたカタカタとキーボードで自分のアイデアを概要に落としこんでいる。表情から感情は読み取れない。新能は雪乃の視線に気づいて彼女の方に顔を向けた。


「どうかしました?」


 声こそ無感情で硬いが、基本的に新能は雪乃に対して言葉使いが丁寧だった。二人だけの時は、先輩としての口調になる時もあるが、彼女を呼び捨てにしたり、命令口調になることは無い。


「あの、その、ちょっと相談が」


 新能の目にまっすぐ見つめられ、思わずしどろもどろになってしまった。


「何?」

「ええと、ちょっと、その、考えすぎかもしれないんですが」


 新能は椅子を回転させ、身体ごと雪乃の方を向いた。


「うん。何でもいいけど」

「このバトルシステム、コマンドセット型でいいんだろうかって不安が生じてきたんです……」


 新能はちょっと待ってと言って、パソコンに入力中の概要書をセーブしてから打ち合わせスペースへと雪乃を誘った。そこで雪乃は、改めて自分が感じた懸念点を話し始めた。


「このゲームのバトルって、あらかじめ各キャラクターのコマンドをセットしてから、敵味方が素早い順に行動を実行していくタイプですよね。コンシューマではまだあるタイプだと思うんですが」

「スマホのゲームでは一般的ではないと?」

「それ自体は、あまり問題ないと思うんです。『ドラクエ』シリーズでも踏襲されている方式ですし」


 新能はうなずいた。『ドラクエ』こと『ドラグーン・クエスト』シリーズは、『ファイナル・ファンタジアン』、いわゆる『FF』シリーズと合わせ、日本国内で二大RPGと称されている超人気シリーズである。その『ドラクエ』シリーズは、シリーズ一作目から、ターンごとにあらかじめコマンドをセットしておくタイプのバトルシステムを貫いていた。一方、『FF』シリーズは、行動順番が回ってきたキャラクターに対してその場でコマンドを選び、それが即座に実行されるタイプだった。『ドラクエ』方式は、あらかじめバトルの状況を見て敵味方の行動順番を読んだ上で適切な行動をセットしておく必要があり、読み違えると優先的に倒しておきたかった敵が生き残って手痛い反撃を受けるなどのリスクがあった。『FF』シリーズは素早いキャラクターから順番に、その場その場で適切な行動を取りやすいため、その手のリスクは少ない。


「では、問題と感じている点は?」

「はい。コマンドセット方式だと、コンビネーション・コマンドの場合は選択したコマンドが空振り、つまり無駄に終わるケースが出てくるんですが、『ヴァルキリー・エンカウント』は四人パーティですよね?」

「あー、なるほど」


 新能は腕組みをした。雪乃は頷いてから言葉を続ける。


「コンビネーション・コマンドをセットして外れ、もしくは想定外の結果だった場合、キャラクター四人中、最低でも二人分、つまり戦力の半分をロスすることになります。これは、一回のバトルが長引く可能性と、ユーザーに高いストレスを与える原因になるんじゃないかと……」

「うーん」


 新能は目をつぶって考え出した。


「『コンビネーション・コマンド』は、コンセプトをバトルに反映するためのものだから、使っても使わなくてもいい、という位置づけの要素にはならないな」

「はい。私も登場する敵モンスターの強さは、程度の差はあれ『コンビネーション・コマンド』を使用する前提、という方針にしないと、結局使わないユーザーも出てくるのではないか考えています」

「微妙な問題」


 新能は目を開けてから言った。


「案外、そういうもんだ、とユーザーが感じてくれる気はする。だって、自分でコマンドをセットした結果だからな。それに慣れていけば、敵味方のパラメータが相対的にどれくらい開きがあって、どのコマンドが確実に実行できるのかを見極めて作戦を立てて、それがハマって敵を完封できたりするから達成感や爽快感も生まれるんじゃないかな」

「でも、ガラケーやスマホのライトな作りのRPGが氾濫している今、そう受けって遊んでくれるユーザーがどこまでいるか私は疑問に思います。バトルを遊んでくれていても、肝心の『コンビネーション・コマンド』が外れるわバトルが長引くわとなれば、戦い方の工夫をする前に、なんだこのゲームはと離脱する契機にならないかとそれが心配で」

「む」


 新能は再び考えこんで、その懸念自体は適切な気がすると言ってから、手にしたペットボトルのお茶を飲んでから続けた。


「それで、対案は?」

「えっと、まだ、考え中で……」


 オストマルクでは、「問題を指摘するなら解決案も同時に持ってこい」と言われる。文句を言うなら対案を出せ、というのが基本方針としてあるからだが、雪乃はすぐに解決案を出せなかった。新能は怒るでもなく、難しいなこれはと頭をかいた。


「残り期間からいって実装してから修正、というのも厳しい。できるだけ机上のシミュレートで詰められるだけ詰めたいな」


 そう言って立ち上がると、新能はホワイトボードに向かって立ち、マジックペンを握った。


「思いつきでいい。何かある?」


 言いながら、自分で思いついたことをホワイトボードに書いては円で囲っていく。

 その場コマンド。アクティブ・タイム・バトル。横スクロールアクションオートバトル。ダイス。カード……。

 新能は思いつくままの言葉を書き連ねているようだった。時折、手が止まるが、また思いついたように書き連ね始める。ホワイトボードは新能が書いたキーワードを囲った丸で徐々に埋め尽くされていった。

 その背中を雪乃はぼうっと見つめた。新能の服装はいつもシンプルで、ジーンズに白か黒のワイシャツが基本だった。靴だけは毎日代えていて、革靴の時もあればスポーツシューズの時もある。確か日本拳法をやっていたと聞いた。そのせいかどうかわからないが、ガッシリとした身体つきは引き締まった筋肉質の裸体を連想させ、思わず雪乃は赤面してしまった。だが、新能にばかり考えさせるわけにはいかない。雪乃は両手でぱんと自分の頬を叩くとホワイトボードを見据えたが、結局自分の頭に浮かんだのは、片倉明日香と挑んだダブルスの試合だった。

 予想と修正。自然に身体が動く感覚。明日香は左へ、私は真ん中へ。

 雪乃はこめかみを抑えた。

 違う。違う。ゲームは現実をシミュレートするものではない。ユーザーに楽しみを提供するものだ。ならば、『コンビネーション・コマンド』という、バトルの中心要素を楽しめる形にするにはどうしたらいいのか。都合が良すぎてもいけない。かといって使ってもらえないと意味がない。

 新能にそのことを伝えると新能は黙って彼女が口にした言葉をホワイトボードに書き連ねてくれた。


「敵味方不問で、敏捷度、つまり『素早い』キャラクターから先に動ける、という形は残したいです」

「同感。素早いキャラクター、というのは敵にしろ味方にしろ面白い個性になる」

「では、敏捷度の高いキャラから行動順番が回ってきて、アクションを選択実行できる、という形でしょうか」

「攻撃系はそれで成立する。他の系統のコンビネーション・コマンドは、どう使わせる?」

「……敵の行動時に、選択肢として出てくる、というのはどうでしょう?」


 新能は、雪乃の方を向いて、ホワイトボード用のマジックペンを手渡した。雪乃はそれを受け取り、ホワイトボードに自分の考えを図化する。

『コンビネーション・コマンド』は、攻撃系、防御系、カウンター系、追撃系、魔法系というカテゴリーに分かれている。

 攻撃系は、プレイヤー側から強力な攻撃を繰り出すというわかりやすいものだ。これはコマンド選択時に『コンビネーション・コマンド』が選択肢としてあるべきだ。

 防御系。これは、仲間同士で身を寄せ合って防御力を高める、というイメージのものだ。他には、逆に散開して敵の魔法や炎の息といったある種類の攻撃による被害を防いだりといったコマンドを想定している。これは敵の攻撃に対して咄嗟に判断する類のもの……。


「つまり、『コンビネーション・コマンド』には、能動的に実行するものと、相手への対処として咄嗟に選択するものと、大別してこの二つのカテゴリーで考えるべきだと思うんです。攻撃系、魔法系はコマンド選択時に選択、実行。防御系、カウンター系、追撃系は、使えるタイミングの時に、プレイヤーが咄嗟に判断して使う。こういう風に分ければ、コマンドをあらかじめセットしておく方法よりも、コマンドの無駄が生じにくくなりますし、プレイヤーは使える場面で自分で判断して、自分で使うか使わないかを選択するわけですから、結果を獲得する満足感を得られるのではないでしょうか」


 話しながら内容を整理してそう取りまとめると、新能は腕組みをして目を閉じた。


「敵が攻撃をしてくる。その攻撃を実行される間に『コンビネーション・コマンド』が表示され、そこから選ぶというイメージ?」

「はい」

「アクション寄りのバトルシステムになるけど、スマホで遊ぶRPGとしてどうだろうか?」


 う、と雪乃は詰まってしまったが、それこそ一瞬で、いやいけると思った。思ったというよりは感じたという方がより近いかもしれない。


「だ、だいじょうぶ、だと、思います」

「どうして大丈夫だと?」

「確かに、ある種のアクション性が入るシステムになりますが、アクションゲームの様にプレイヤーキャラを中心に、画面のあちこちに注意を払い続けないといけないバトルではありません。『コンビネーション・コマンド』が表示される場所は当然固定します。となれば、プレイヤーとしては、敵の種類を見て、あらかじめどんな行動を起こすかを予想した上で、その行動に対して『コンビネーション・コマンド』を一定時間内に選択すればいいわけです」


 新能は目を開いた。わかったそれで推そうと頷いたその顔に、一瞬笑顔が浮かんだ様な気が雪乃にはしたが、はっとしてもう一度見た新能の顔は、いつも通り無表情のままだった。

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