(五)片鱗
翌日、バルバロッサ二日目。雪乃は始業二十分前に出勤したが、新能は既に出勤してノートに何やら書き連ねていた。
「……おはようございます」
「ああ、おはようございます」
チラリと雪乃の方を向いて軽く頭を下げただけで、新能はすぐにノートに向き直った。
素っ気なくても挨拶はしてくれるんだと前向きに捉えながら、雪乃は自分のパソコンのスイッチをオンにした。
始業時間になると、座名と拝道が改めてチーム全員を大会議室に集めて雪乃と新能を紹介してくれた。社内で『ヴァルキリー・エンカウント』を担当しているスタッフは、座名と拝道以外で大那を含むプランナー三名、プログラマー四名、サーバーエンジニア三名、デザイナーが十名という構成だった。開発タイトルのジャンルがRPGということもあるだろうが、社内の人数構成はオストマルクでのスマホ向けタイトルより若干多い。だがスタッフの顔つきが、オストマルクにいるスタッフよりも明るい様に感じられるのは気のせいだろうかと雪乃は思った。
全員への紹介後、拝道が改めてプロジェクト概要と進行方法について、紙資料を渡して説明してくれた。それは雪乃にとっては小さくない驚きだった。プロジェクトの進め方について、上長がその説明をしてくれるという事など、オストマルクでは皆無だったからである。
バルバロッサでもタイトルごとにプロジェクトコードが割り当てられる。『ヴァルキリー・エンカウント』の場合は、『CA11』、Cは携帯電話を表わし、Aはプロジェクトの発足順に割り当てられるアルファベット、11はプロジェクト開始時の西暦の下二桁、とのことだった。
「今のバトルの仕様は僕が企画書のバトルのページに流れを書いて、別のスタッフに仕様化してもろうてたんですが、その子が別のプロジェクトへ移動せなあかんようになってしまいまして。僕はダンジョン探索の仕様も担当してるもんで、もうバトルには手が回らへんちゅうことで、お二人にお力を貸していただく事になりまして」
拝道はそう言ってチーム構成も改めて図化された紙で説明してくれた。バルバロッサは必要な素材の外注は、サウンド関係以外ほとんどしておらず、大半は内製。今回シナリオ以外のプランナーを外部に求めたのもバルバロッサでは異例との事だった。
『ヴァルキリー・エンカウント』のチーム構成は、ディレクターである座名をトップに、プロジェクトリーダーとして拝道がいて、全セクションを統括する。拝道はリードプランナーも兼任しており、他にリードプログラマーの
プランナーセクションは、拝道の下にメニュー関係のUIを担当する
「ただ、座名はディレクターということで、全セクションに対して直接指示を出す事があります。指揮系統としてはセクションリーダーを経由するのが筋なんですが、そこはディレクターの業務権限ということでご了承していただければと」
ああやっぱりと雪乃は思った。どこの会社でもディレクターはそんなものなのだろう。やはり、ゲーム会社での開発の進め方など、どこもあまり変わらないのではないかと思ったが、チーム運営についても説明を受けた際に、雪乃は二度目の衝撃を受けた。座名と全セクションのリーダーは、始業開始と同時に朝礼を行い、連絡や問題点を相談する。その後、各セクションの朝礼が始まるが、形式張った朝礼ではなく、セクションリーダーの会議で受けた連絡を伝えてもらったり、現在作業で困っていること、迷っていることなどを相談したり、確認事項があればそれを確認する場になっていた。それから一日の仕事が始まるのである。
さらに最低月に一度は全員が集まって、プロジェクト状況が座名自身の口から全員に説明されるという。ディレクターがここまでするものなのかと雪乃は意外に思ったが、抵抗感はまったく無かった。オフィスにいるスタッフの空気も、何だかチームとして一体感を感じる。朝礼への参加は明日からお願いしたいということと、具体的な業務の進め方はまた別途打ち合わせをさせてもらうことを付け加えて、拝道は改めてよろしくお願いいたしますと二人に頭を下げた。
それから自席に戻った雪乃だが、今日の予定はどうすればいいのだろうと迷ってしまった。新能と相談すべきかと思うが、話しかける隙がないというか、むしろ壁を感じてためらわれた。だがこのままではオストマルクのプランナー二人は何をやっているのだということになる。二人そろって出向してきているのにバラバラに動いていたのでは意味がない。五分思案した挙げ句、雪乃は決意して新能に話しかけた。
「あの、新能さん」
新能は何やら書き込んでいるノートから顔を離し、雪乃に顔を向けてはっきりと答えてくれた。
「はい?」
新能の視線は真っ直ぐに雪乃の瞳に注がれ、その眼差しに思わず赤面してしまう。鳥戸が「ちょっと陰のある感じで大那の好みのタイプ」と評していた事を思い出す。
「あ、あの、えっと、今日はどう動いたらいいのかなと思いまして」
「ああ、なるほど」
と新能は言ったが、やや間を置いてから雪乃に逆に聞いてきた。
「早見さん、だっけ、あなたはどう動いたらいいと思う?」
「えっ……」
雪乃の頭がぐるぐる動き始める。えーと、昨日の話では、バトルを『仲間との絆』というコンセプトを反映するものにしたいが、現状のままではまだ弱すぎるから何とかしたいという話だった。答えはすぐに出るとは思えない。雪乃は息を大きく吸ってから、率直に自分の考えを述べた。
「すぐに改善の答えが見つかるとは思えません。まず、新能さんと私とで、それぞれ改善案を考えて、それを持ち寄って検討するところから始めてはどうでしょうか」
「了解。検討の時には座名さんや拝道さんにも同席してもらおうか」
「はい」
「時間を決めよう。午前中使ってアイデアを出して、午後から打ち合わせ。どうかな」
「わかりました」
新能は席を立つと、プランナー陣の机のシマを見渡せる位置にある拝道の席に歩み寄り、早速打ち合わせの予定を取り付けた。
さあ、がんばろう……。雪乃は再度実機端末の『ヴァルキリー・エンカウント』のバトルシーンを立ち上げた。
午後からの新しいバトルのアイデアの会議では、新能のアイデアにも雪乃のアイデアにも座名はいい顔をしなかった。率直に言って、それまでのバルバロッサでも出ていたアイデアが多かったからである。
「まあ、ウチでもさんざんぱらアイデアアイデアちゅうて打ち合わせしましたからなあ。そやけどなかなかこれや! ちゅうのがおまへんねん」
「どのジャンルでも抽象的なコンセプトをゲームに落としこむってのはハードルが高いですけど、RPGのシステムでは特に顕著ですからねえ」
新能が苦笑しながら自分のアイデアをプリントアウトした紙に、赤いボールペンで大きく『×』をつけた。雪乃は心の中でため息をつきながら、どうしたらいいのかを考えた。正直、とっかかりすら見えない。
RPGに限らない話だが、『コンセプト』をどうゲームに落とし込むかが、ゲームデザインの根本といっていい。コンセプトがいくら良くても、ゲームには全然反映されていなかったり、ゲームとしては普通だったりすると、そのゲームならではのものが無くなってしまう。
勿論、すべてが斬新である必要はないのだが、ベタすぎると普通になるし、あまり変化球にしすぎると今度はまとまりが悪くなったり、わかりづらくなったりする。『そのゲームならでは』の魅力をユーザーにわかりやすい形で遊べる仕組みにする、というのはゲームデザインをする者の腕の見せ所なのである。
結局アイデアを再考することになり、その後数日に渡って数回の打ち合わせをしたが、打開策は何ら見いだせなかった。雪乃は焦りと同時に疲れてきた。アイデアをだけをひたすら考えてまとめるという仕事は、成果が見えないだけに相当に疲れる作業なのである。新能とも未だ打ち解けず、仲良くなっていくのは鳥戸や大那とばかりで頭を抱えてしまう。マンスリーマンションで湯船に浸かって精神的疲労を癒やしているうちに、北浜に逢いたくなってきた。
毎日の様にメールのやり取りはしているが、声は聞いていない。電話一本かければ済む話なのだが、北浜の忙しさを知る雪乃としては躊躇してしまうのだった。ぶくぶくと湯船に顔を沈めながら、また仕事の事を考える。
『絆』か……。自分にとって、『絆』とは何だろう。家族ではない、赤の他人との『絆』……。
冷静に考えると、『絆』などというものは普段意識するものではないし、目にも見えない。大体、『絆』はどうなったら『ある』、どうなったら『ない』と見ることができるのだろう……。
雪乃は自分の周りにいる人を思い浮かべてみる。父。母。兄。恋人の北浜。それに未沙。地元の親友の敬子。高校時代のテニス部の顧問である
あれ、どうして今私は新能荒也のことを思い浮かべたのだろう……。
ぶんぶんと雪乃は頭を振って湯船の水面を揺らしているうちに、高校時代、テニスの試合で負けた日は、よくお風呂に入って顔を何度も湯船に沈めて涙をこらえていたっけと思い出した。あれだけ練習して練習して、それでも勝てないという現実。それでも勝利を求めて練習する中で流した汗も涙も別の形で自分の中で糧になっていると、後になって実感できた。
雪乃は個人戦の代表にはなれなかったが、ダブルスの選抜選手には選ばれた。だが、そのダブルスのパートナーの子とソリが合わずによく衝突した。あの時のパートナー、後衛を努めてくれた
最初は性格のウマが合わず、互いに反発しあって普通のダブルスのパートナー以下の関係から始まったっけ……。
初めてダブルスを組んだ試合で、どうして自分の動きに合わせて動いてくれないのかと眉を釣りあげて怒った彼女の顔を思い出して、雪乃はクスリと笑った。練習についての交換日記を持ちかけたのは雪乃の方で、それこそ最初は一行どころか一言、「暑い」とか「しんどい」だけだった彼女の記述は日を追うごとに「バックハンドへたすぎ」とか「ドライブ効かせようとムキになりすぎ」とか、雪乃に対する具体的な苦言へと進化していった。勿論雪乃も負けじとダメ出しを書きまくり、それと比例して互いに練習は負けん気が先走ってぴりぴりとしたムードが漂ったものだった。だが、心地よい緊張感を雪乃は感じた。やがて交換日記は不要になり、互いに遠慮なく、だが刺々しさもなく言いたいことを言い合えるようになるころには、阿吽の呼吸で動けるようになった。
最後の公式戦で初めて初戦に勝利した時は抱き合って歓び、次勝てば準決勝という一戦で敗れた時、相手との握手が終わってから互いに身体を支え合ってわあわあ泣いた……。
雪乃は湯船から出ると、バスタオルを身体に巻いてマンションの窓に立った。阿吽の呼吸。互いに何も言わなくても分かる次にやるべきこと……。
窓を開けて、一月の冷たい夜風を身体に受けると、窓を閉めてから頭に浮かんだことを口にする代わりに、バスタオルを巻いたままノートに書き付けていった。
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