(四)女子会

 結局、雪乃と新能のバルバロッサ初日の仕事はパソコンの準備と実機での現状確認、それに仕様書の把握で終了した。バルバロッサの終業時刻は十八時となっており、その時間になるとチャイムが鳴った。新能はそそくさと帰り支度を始めている。

 雪乃は迷った。今夜鳥戸と大那との飲み会に、新能も誘うべきか……。結局、迷っているうちに新能は周囲にお疲れ様でしたという一言を残してとっとと退社してしまった。今日の作業が実機確認と仕様書の確認であったせいもあるが、仕事中もほとんと口を利くことが無かったのはさすがにまずいのではないかと思う。明日はどうしよう。正直、新能との接し方がまだ分からない。それに今後、『バトルの仕様を担当する』という仕事に対して、どのように作業を進めていけばいいのかも漠然としている。

 私はどうすればいいのだろう……。オストマルクへの業務報告メールをカタカタと作成しながらぼんやりとそんな事を考えていると、鳥戸と大那がもう誘いに来てくれた。すぐに出ますねと笑顔を向けると、雪乃はメールを送信した。


 雪乃が同僚のプランナーと付き合っていることを告げると、鳥戸も大那も歓声、というよりは喝采の声を上げた。もっとも、小洒落た感じの焼き鳥屋のにぎやかな喧噪の中なので誰に迷惑がかかるでもない。焼き鳥と雑炊が絶品だというこのお店につれてきてくれたのは大那だった。雪乃としては目と鼻の先に借りているマンスリーマンションがあって驚いた。

 雪乃はつきあう事になったきっかけやどこにデートに行くのかなど、二人から根掘り葉掘り聞かれた挙げ句、根負けしてスマホの中に入れている北浜の写真も見せてしまった。北浜の写真を見た二人はさらに歓声を上げた。


「わーっ、イケメンやん……、ええなええなあ、雪乃ちゃんええなあ」


 大那はそう言ってはしゃいだ。この女子会が始まって一時間のうちに、すっかり三人は打ち解けてしまって、二人は年下の雪乃の事を「雪乃ちゃん」と呼ぶようになり、雪乃も二人のことを名前で呼ぶように自然になっていた。二人とも雪乃たちの交際がどこまで進んでいるのかなどのぶしつけな質問はしてこずに、雪乃はなおさら二人に好感を抱いた。鳥戸も大那も今は恋人がいないのだという。


「いい男がなかなかいないのよねぇ、この業界……」

「そやねん、ほんまどないなってんねんて思うわ」

「そうですよねえ」


 同業の北浜とつきあっていながら、雪乃は二人の意見に同感だった。勿論、恋愛目当てでこの業界に入ったわけではないが、それにしても人間的な魅力を感じさせる人が少なすぎるように感じるのだ。

 例えば、高校、大学と、部活を通して出会った人たちは、例えそれほど深い仲にならなくてもどこか好ましい面が感じられる人が多くいたように思う。勿論、学生であるということを通してつきあうことと、社会に出て共に仕事をするという前提でつきあうこととはまるで意味が違ってくるであろうから、その一面だけを取り上げて評価するのは不当であるかもしれない。

 それに、同僚の男性側から見れば、女子のほうこそ「ろくな女がいない」と思われている可能性もありますねえと雪乃が言うと鳥戸も大那も「うっ」、と詰まってしまった。


「まあ、ねー。確かに私らもあっちから見たらアレなのかもしれないけれど……」

「仕事でいつもやることに追われて、時間に追われて、人とあれこれ衝突して気をもんでってことが多いねんから、男も女も表情が硬く暗くなってるのかもしれへん」

「でもね、この業界の人ってほんと挨拶一つできない人多いんだよ」


 鳥戸がため息交じりに言った。何も完璧な礼儀に則って、敬語一つ間違えないような挨拶のことを言っているのではない。朝出勤したらおはようございます、仕事中すれ違ったらお疲れ様です、退社する時にはお先に失礼します……、そう声をかける程度の事すらできない、やろうとしない人が多いのだという。それは雪乃にも覚えがあった。オストマルクでも同じ様な人が多いのだ。


「でもウチの会社の人たちはまだマシかな。社長はもちろん、座名さんも拝道さんもその辺はうるさいほうだし」

「そやねー。いつだったか、よその会社から出向で来てもらった人がおって、ウチも顔あわせに同席してんけど、ウチと座名さんが部屋に入ってきても、その人座ったままやってん。で、座名さん立ったままで挨拶初めてんけど、それでもその人結局最後まで立たへんかった……」


 お願いしたい仕事の説明の段になって、やっと座名は座ったが、相手はそのまま座って資料にばかり目を向けていたのだという。

 注意する人も教える人もいないのだろうと雪乃は思ったが、そのエピソードには続きがあるのだと鳥戸が続けた。


「楚亜ちゃんが知らないのは無理もないんだけど、座名さんがあの後その人を呼び出して、会議室でお説教……というよりは、諭したのよ。やんわりとね。私も実際にその様子を見たわけじゃないんだけど、後で座名さんに聞いたの。あの人に何か言ったんですかって。そしたら、マナーについて会社で教えてもらった経験の有無を聞いたんだって」


 相手は無いと答えた。それから、座名は自分は専門家ではないが、あのような場面での一般的なマナーについてお伝えしたいがよろしいかと断りを入れて教授したのだという。それからその人はきちんと挨拶をするようになった……。


「あ、それであの人突然変わったんや……。私は鳥戸さんが苦情入れたんやろかと思っててん」

「そんな面倒なことしないわよ」


 雪乃はオストマルクでの紺塔の振る舞いを思い返した。すれ違って会釈をしても無視される。出勤時にエレベーターでたまたま一緒になっておはようございますと雪乃が言っても眠そうな不機嫌そうな表情で「うーす」と返すだけ。社員だけで百名を超すオストマルクでは、全員の顔などとても覚えきれないだろうが、それを差し引いても、紺塔に限らずオストマルクではその辺の高校生よりも挨拶すらできない人間の方が確かに多いのではないか。

 座名についての意外なエピソードを聞いた雪乃は、その座名堂二が率いているこのプロジェクトの現状を、もっと確認しておきたいと思った。大那にプロジェクトは今どういう状態なのかと聴くと、彼女はうーんと腕を組んだ。


「今は、二ヶ月後のオールインであるベータROMに向けて進行中やねんけど……」


 カードによるダンジョン探索の部分については、もう落ち着いた状態で量産と調整の態勢に入っている。シナリオも初期リリース分である二十章のうち十四章が完成し、ゲームにも十一章分までの実装が完了している状態だ。


「問題はやっぱりバトル? 楚亜ちゃんから見てどうなの、今のバトルは」

「うん、ウチは今でも普通におもろい思うねんけどなあ。座名さんは『絆』のバトルへの反映という点で、まだコンセプトをゲームに落としこみきれてへんて言いはるねん」

「私と新能さんにもそこを何とかしてくれないかって話だったんです。でも『絆』なんてどうゲームに反映したらいいのか」

「ねえ、難しいやんねえ。でも座名さんとしては、スマホのRPGやけれども、きちんと攻略したいと思わせる要素があって、しかもそれがきちんとコンセプトを反映している……、そうでないとあかんって」

「絆とか友情とか……ゲームに落としこむのに一番やっかいで面倒な題材をよくも使ったもんよね」


 鳥戸は見かけによらず酒が強いとのことで、乾杯のビールに始まり、日本酒、泡盛ときて今は芋焼酎を舌で転がしている。大那はそれほどお酒が強くないらしく、りんごチューハイをちまちまと飲んでいた。


「座名さんて、バルバロッサのみなさんの中ではやっぱり尊敬されてるんですか?」

「ウチは座名さん好きやでー。いつも現場を明るくしてくれるし熱意もあるし、何より偉そうな態度せえへんし」

「そうなんですか? 座名さんディレクターだから何だか現場で強権振るってるイメージが強いんですが」


 大那はかぶりを振った。

「確かに譲らへんところは譲らへんけれど。でも人に対して命令口調を使うのは見たことあらへん。いつもお願い口調やねん。それはどんなスタッフに対しても変わらへんわ」


 意外だと雪乃は思った。ディレクターとは、絶えず強い権力を持ってスタッフに作業をやらせるものだというイメージがあった。オストマルクでの紺塔の指示する様を思い出しながら、まあやり方は人によって異なるものだろうと胸にあるひっかかりを、雪乃は日本酒と一緒に飲みこんだ。

 三人の女子会は、それから再び好みの異性のタイプや東京と大阪の文化に違いに及んで、雪乃は久しぶりに気持ち良く酔えた。

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