(二)ヴァルキリー・エンカウント

 翌日の火曜日。バルバロッサへの出向初日、雪乃は朝六時に目が覚めてしまった。普段の起床時間は七時なのだが、やはり気持ちが落ちついていないのだろうと一人で納得し、二度寝して寝坊したらばかばかしいと考えてベッドからもそもそと這い出て、顔を洗ってからテレビのニュースを見つつ朝食を食べたが、ニュースの内容は頭に入ってこなかった。

 雪乃は最寄り駅から新大阪まで歩いていっても十数分ほどだと分かると、もう通勤は歩いていこうということに決めていて、九時半にマンションを出ようと思った。バルバロッサの始業時間は午前十時だから、充分間に合うだろう。再度カバンの中身を確認して、名刺や筆記用具、ノートPCが入っていることを確認してから身支度を調えていく。初日だからきちんとした格好で行こう。そう考えて、ベージュのパンツに白いシャツ、その上から紺色のジャケットを羽織っていくことにした。

 結局落ち着かない気分のまま九時二十分に家を出た雪乃は、東京よりは暖かいかもしれないと感じられる一月の気温の中、四ヶ月は通勤経路となるはずの周りの風景に目をやりながら、ゆったりと歩いていった。結局、バルバロッサには九時四十分過ぎに着いてしまったが、ギリギリになるよりはいいと考えて、五分だけ自販機で買った紅茶を飲んで時間をつぶしてから受付に出向いた。

 バルバロッサは六階のすべてのオフィスを借り切っていて、エレベーターから降りてすぐに会社名ロゴが入った立看板があり、『(株)バルバロッサへご用の方は、左手の受付に起こしください。』と書かれてあった。左手には『(株)バルバロッサ 受付』の表札のあるドアがあり、その横には電話機が置かれたこじんまりとしたキャビネットがあった。『ご用の方は、大変お手数ですが内線一〇一までご連絡ください』のポップと、電話機の使い方が書かれた紙がある。その通りに電話機で内線をかけると、二コールですぐに若い女性の明るい声が聞こえた。


「おはようございます。こちら株式会社バルバロッサでございます」

「おはようございます。私、本日からこちらでお世話になります、株式会社オストマルクから出向で参りました早見雪乃と申します」

「あー! はい! 伺っております! 少々お待ちください」


 受話器を置く間も無くドアが開かれ、中から眼鏡にボブカットの若い女性が現れた。細身で薄黄色のスーツをきちっと着こなし、タイトスカートがよく映える美しい脚線美の持ち主だった。眼鏡が理知的な印象だが、目元が優しくて朗らかな印象を与えてくる。美人とも、可愛いとも形容できる不思議な魅力を雪乃は感じた。


「ようこそおいでくださいました。私、バルバロッサの総務を担当しております、鳥戸とりとと申します」


 きちんとした挨拶を受けて、慌てて雪乃も初対面の挨拶を返す。そのまま中へ促されて、オフィス内の応接室とおぼしき一室に通され、こちらでお待ち下さいと言われてそのまま座った雪乃は、落ち着かない気持ちを応接室の様子を見ることで紛らわそうとした。ああそうだ名刺を出さなければと思ってカバンから名刺入れに筆記用具と手帳を取り出しているうちに、再び鳥戸がお盆を手に入ってきた。プラカップに入ったコーヒーを雪乃の前に置いてくれてから、改めてご挨拶をと名刺を差し出した。雪乃も立ち上がって名刺を出す。

『株式会社バルバロッサ 総務課 鳥戸彩子』

 名前の下にローマ字で『TORITO SAIKO』とあるから、『とりと さいこ』と読むのだろう。雪乃が渡した名刺を受け取ると、鳥戸はよろしくお願いしますねと微笑んだ。穏やかだが、暖かみのある声だと雪乃は思った。勧められるまま席に座ると、対面の席に座った鳥戸は、雪乃の顔を見て目をぱちくりさせ、こんな美人の方が出向に来られたらうちのスタッフ連中が大騒ぎになりますと笑った。それは嫌みではなく、場の空気をほぐそうとしてくれているのだと雪乃は感じた。彼女はコーヒーを改めて勧めてくれてから、これからの事を話し始めた。


「今日は初日ということもありまして、まず弊社での就業に当たりまして注意事項等をご説明させていただきますね。あっ、でももうお一方、いらっしゃるんですよね?」

「はい、新能という者が来社する予定なのですが」


 雪乃が時計を見ると、九時五十分になっていた。と、開け放しだったドアから呼び出し音が鳴り、鳥戸ははいはいと言ってぱたぱたと応対に出た。やがて、オフィスの入り口のドアが開く音がして、ほどなく応接室に新能荒也が入ってきた。意外なことに、スーツ姿だった。ネクタイをきちんと締めて、髪も整えていて無精髭もない。相変わらず目つきは鋭いものの、その風貌はどこかのデキる商社マンの様な空気を漂わせて、雪乃は一瞬見惚れてしまったが、慌てて席を立っておはようございますと頭を下げた。


「ああ、おはようございます」


 と新能はけだるそうにだが挨拶を返し、頭を下げてから鳥戸が勧めた雪乃の隣の席に着席した。


「お二人は、これまでも一緒にお仕事を?」


 新能と名刺交換を済ませると、鳥戸は世間話の体でそんな話題を振ってきた。


「いいえ、顔合わせも一緒に仕事をするのも今回が初めてですね」


 新能は広げた自前の手帳に何やら書き込みながら淡々とした声で答えて、雪乃も鳥戸の方を向いてうなずいた。鳥戸はさほど気にした風でもなく、オストマルクさんも大分大所帯ですものねと言ってから、バルバロッサでの就業説明を始めた。

 バルバロッサの始業時間は午前十時。お昼休みは十三時から十四時。午後は十四時から十八時まで。出勤と退勤は、会社内専用のホームページに勤怠を管理するページがあり、そこで記録する様になっている。欠勤や遅刻の際は、部署ごとに割り当てられたメール宛に報告すること。メールが無理な場合は電話で総務に連絡。オフィスのドアは、一番乗りの正社員が開けることになっているが、遅くても始業時間の三十分前には自分か、総務の誰かが出社して開けることになっている。そういった一通りの説明を聞いてから、セキュリティカードを渡される。オストマルクでも使用している、似たような形のものだった。

 鳥戸は説明を終えると内線でスタッフの誰かと話をしてから、ただいま担当の者が参りますのでお待ちくださいねといって、頭を下げて応接室を出ていった。新能と二人取り残された雪乃は何か話をすべきだろうと話題を考えたが、新能は手帳になにやら書きこみを続けていて、話しかけるのが憚られた。だがいい加減、新能と会話らしい会話をしておかないと、このままずっと距離が開いたままになる気がして、雪乃は声をかけた。


「あの、新能さん、UBHプロジェクトに参加されてたんですよね?」

「ん? ああ、はい、でもほとんど何もやっちゃいない」


 手帳への記述を続けながらぶっきらぼうに新能は答えた。まるで会話をする気がないようだが、雪乃はこれくらいでひるんでたまるかと思った。


「そうなんですか、それじゃ以前はどのプロジェクトに……」


 言葉の最中にノックの音が響いて、間髪入れず「どーもどーもどーもどーも」と言いながら、男が二人入ってきた。先頭の男はスキンヘッドで小太り。もう一人の男は逆に痩せぎみで黒縁眼鏡をかけた長髪の細面で、対照的な組み合わせだった。


 新能に釣られて雪乃も椅子から立ち上がって二人と向かい合い、挨拶して名刺交換をする。


「どーもどーもどーも。私、株式会社バルバロッサでディレクターをしております、座名と申しますー」


 スキンヘッドの男の名刺には、『株式会社バルバロッサ 開発部部長 ディレクター 座名堂二』とあった。名前の下には『ZANA DOJI』とある。もう一人の黒縁眼鏡の男に名刺には、『開発部企画課課長 リードプランナー』の肩書きで、『拝道礼人』とあった。はいどうらいと、と読むらしい。


「私はリードプランナーをしております拝道はいどうです。ようこそいらっしゃいました」


 新能と雪乃も改めて名前を名乗ってから、互いに席に着く。やはりまだどこか落ち着かない。


「新能さんに早見さんですか。よろしくお願いします。いやーほんま助かりますわー。もう手が足らんでどないしましょちゅう状態でしてん」


 スキンヘッドで小太り、さらに目の下には隈があるが、目尻が下がっている座名の顔立ちから厳つさは感じられず、どこか優しげな熊のイラストを思わせる雰囲気があった。

 座名は早速本題に入り現状を説明してくれた。


「お二人に手伝っていただきたいのは、今ウチで開発を進めてますスマホ向けのRPGですねん」


 拝道が、持参してきたクリアファイルからカラーの企画書を二部取り出し、新能と雪乃の前に置いてくれた。表紙には、精密な絵画を思わせるタッチで、剣を天に掲げた中世騎士風の女性が大きく描かれ、その周りを同様に多数の女性騎士が囲んでいた。全員、その背中に翼があり、北欧神話に登場する『ヴァルキリー』であることを窺わせる。実際、企画書には格調の高さを感じさせるロゴで、『Valkyrie Encount』とのタイトルがあった。


「ヴァルキリー・エンカウント……」


 雪乃は思わずつぶやいた。背中に震えが走る。これは、いい企画だという直感が走る。遊んでみたいと思わせるパワーが表紙にある。


 世界観としてはいわゆる架空世界のファンタジーもの。神界や人間界など様々な多層次元が混在する世界で、生ある存在を脅かす、『ファントム』と呼ばれる霊体のモンスターたちが神界や人間界を蝕んでいる。ファントムに対抗できるのは、『テンプル・コマンド』と呼ばれる特別な能力を持った人間の騎士とヴァルキリーのみ。ファントムを倒すには、肉体と霊体の双方に、同時にダメージを与えなければならない。そのため、テンプル・コマンドはヴァルキリーと呼ばれる神族の美しき戦乙女に選ばれ、彼女らをめとり、共にファントムに戦いを挑み、神界や人間界を守っていくというのが世界観のバックボーンである。

 座名の説明を聞きながら、雪乃は企画書をめくっていった。


「企画概要としては、スマホでプレイできるRPGです。現在のところ、ソーシャル要素(プレイヤー同士が協力する要素)は想定していません。コンセプトとして、『面倒でない本格派RPG』という点を打ち出しています」


 今度は拝道が、企画書に沿ってゲーム概要を説明してくれる。プレイヤーは、テンプル・コマンドの一人として、新たなヴァルキリーと契約したり仲間を集めてパーティを組み、ダンジョンやお城などを探索して、敵を倒してキャラクターを強化して物語を進めていくという、それだけを聞けばオーソドックスなRPGだが、特徴的なのは、ダンジョンの探索を『探索カード』を出して進めていく点にあった。

 通常、RPGは、目的地に到達するまでのゲーム進行を、俯瞰ふかん視点でフィールドを進んでいくタイプ、主観視点と呼ばれる、実際に迷宮や地形を目の前にしている視点で進んでいくタイプのどちらかが普通だった。ソーシャルゲームが隆盛してからはこれに『行動力』を消費しながら、定められた距離を自動的に進んでいくタイプが加わっており、『ヴァルキリー・エンカウント』はこれに近いといえば近い。


「そやけど、今日びようある、携帯電話のブラウザ型ゲームみたいに、ただボタンをポチポチ押すだけで探索が進むなんて面白うないですやん? 私はここをゲーマー向けに何とかしたいと思ってましてん」


 拝道に代わって座名が自らこのゲームでの探索の進め方を説明し始めた。


 パーティ内のキャラクターは、それぞれ能力や職業に応じて、『探索カード』を持っている。

 それらは、ダンジョン探索に出発する際に一定の範囲内でランダムに配布される。パーティメンバー全員分の『探索カード』が、このパーティが今回の探索に当って持っている『探索デッキ』となる。

 ダンジョンに入ると、まず、『探索デッキ』からランダムに五枚のカードが配布される。ユーザーは、この中からどの探索カードを出すかを選択する。

『探索カード』は、探索を進行させる『踏破』系、罠や宝箱等が無いかを調べる『調査』系に別れている。

 『踏破』系のカードを出すと、その数字の分、ダンジョンを探索する。ダンジョンは、階層やエリアごとに『踏破』すべき数値が設定されており、この数値分の『踏破』系カードを出せば、そのエリアや階層を制覇したことになる。勿論、『踏破』系カードを出して探索を進めるたびに、怪物が現れたり、罠があったり、宝箱や仕掛け、または物語であるストーリーイベントが発生する。罠や宝箱や仕掛けは、『調査』系のカードがあれば、うまく対応できる……。


「カードの出し方にも工夫がありますねん。同じ数字の『踏破』カードを同時に出せば出すほど効果が倍になったり、『踏破』系のカードと『調査』系カードを組みあわせて出すと、思いも寄らぬ宝箱を発見できたりといった具合に、ユーザーに『探索カード』をどう出すか考える楽しみがありますねん」


 海外のボードゲームのテイストを思わせるその内容に好感触のイメージを抱いた雪乃は、その感想を素直に口にした。


「これ、海外のボードゲームぽいですね」


 座名はパッと顔を輝かせた。


「そう! そうですねん! 面倒くさい思われがちな探索の部分を、うまいことカードゲームのプレイ感覚に落としこめたらええやろなァと思うたのが、この企画の出発点ですねん!」


 座名は続けて、『ヴァルキリー・エンカウント』でもいわゆる『ガチャ』は実装するが、それはヴァルキリーや仲間といったキャラクターの入手方法の一つとして設定するのみで、メインの課金要素は『行動力の回復薬』としてゲームを仕立てていくことを説明した。二〇一二年現在、ソーシャルゲームは家庭用ゲームを押しのけて大隆盛を見せており、特に『ガチャ』と呼ばれるゲーム上のくじ引きは、ソーシャルゲームの開発会社に莫大な利益をもたらしている。だが座名は、ガチャよりも行動力の回復薬をユーザーに買ってもらうことを収益の柱としたいらしい。

『ヴァルキリー・エンカウント』の行動力のシステムは、ゲーム上で何かをプレイするたびに行動力が減少し、ゼロになるとゲームがプレイできなくなる。一定時間ごとに少しずつ回復するが、すぐにゲームをプレイしたい場合は、行動力を回復させるアイテムを購入してもらう、というソーシャルゲームではよくあるシステムだった。

 ガチャのシステムが嫌いなわけではないと前置きした上で、こういうスマホで遊ぶゲームは、このゲームにならいくらお金を使っていいかという、言わばそのゲームの『価値』をユーザー自身が決めることができるのが目新しいところなので、そこに納得して課金をしてもらいたいのだと説明した。


「行動力の回復て言うたらコンティニューですやん? ゲームを面白い、金を払う価値があると思うたらコンティニューしてくれる。そういう形を実験してみたいと思いますねん」

「なるほど。これは確かに面白そうだ」


 無表情だが、新能も興味深そうに企画書に目を通している。


「いやぁ、それにしても早見さんもボードゲームやりはるんですか。ええなァ、今度是非一緒にやりましょやー」


 座名はいわゆるイケメンではないが、その風貌と異なって笑顔はとても人なつこい印象を与えてくる。雪乃も思わず笑顔になった。そこで拝道が咳払いをしてから説明を続け、企画書はバトルのぺージに移る。


「バトルのコンセプトは、ユーザーと仲間、それにヴァルキリーとの絆、という点にあります。仲間達との絆が強くなるほど強力な技が使用可能になる、という形で落としこんでいるのですが……」


 そこで拝道は言葉を切り、座名の方を向いた。座名は頷くと、雪乃と新能の方を向いて背筋を伸ばして言葉を続けた。


「実は、お二人にお願いしたいのはこのバトルの仕様ですねん」



 座名によると、『ヴァルキリー・エンカウント』のバトルは、この企画書にある通り、『仲間との絆』をミドルコンセプトとして作った。それは、仲間と行動を共にするほど内部パラメータの『信頼度』が上昇し、それに応じて色々な『スペシャルスキル』が使えるようになる……。


「ただ、実装してみたら予想以上に普通というか、地味でしてん」


 この場合の「地味」という言葉は、画面の派手さ、つまりエフェクトうんぬんの問題ではなく、『遊びの形』として地味であるという意味だろうと雪乃は思った。説明を聞きながら、渡されたスマホで開発中のバージョンをプレイさせてもらう。バトルに入る。横から見たサイドビューの視点で、2Dで描かれたキャラクターとモンスターがいる。予めコマンドをセットして、敵味方入り乱れて敏捷性の高いキャラクターから行動を実行するシステムを採用していた。コマンド選択の際には、ユーザーとの『信頼度』が高い味方キャラクターは、選択肢に『スペシャルスキル』が追加される……。

 しばらくプレイして、なるほどと雪乃は思った。確かに普通といえば普通かもしれないが、キャラクターやモンスターの動き、エフェクトは充分商品レベルにある。というよりは、グラフィックは従来の携帯電話やスマホで遊べるゲームとは明らかにクオリティの面で一線を画していて、内心驚嘆していた。聞けば、社内で独自に開発した2Dアニメーション作成用エディタがあり、その恩恵によるものだという。この『ヴァルキリー・エンカウント』が、初めてその機能をフルに活かしたオリジナル・タイトルとの事だった。新能も雪乃からスマホを渡されてしばしゲームをプレイしてから雪乃と同じ感想を口にした。


「うーん、確かに目新しさが感じられないといえばそうですね。でも、RPGのバトルの形としては破綻していませんし、『絆』のもたらすものがバトルに帰結されているという点では今のままでも良いと思いますが」


「そのままでは、だめですねん」


 座名は企画書のコンセプトのページを再び開いて言った。『面倒でない本格派RPG』の他に、『絆が、真の強さへと繋がるRPG』と銘打たれている。


「このゲームはRPGとしてやっぱり世界観を重視していますねん。その中核を成しているのは、人間と、ティターン、あ、こら神族ちゅう意味で使うてますけど、そういった仲間らの絆が結ばれていくところにあって……、そやから、その『絆』がどうバトルに反映されるかというのは、このゲームのバトル部分のキモになると僕は考えておりますねん」

「今頃そんなこと言うてからに……。そやけど、まァ、座名の言うことも分からんでもないんです。グラフィックはきれいやけど普通やなあという感じは確かにある」


 拝道が頭をかきながら言った。新能が口を挟んだ。


「RPGで難しいのがバトルのシステムだと自分は思っています。何せ、毎回他のゲームと違うモノが求められる。かといって今までのものとあまりにも毛色が違いすぎるととっつきが悪くなるし、それをユーザーに理解してもらえるように構成するのがまた大変ですよね」


 座名も拝堂もうなずき、座名は新能と雪乃を見渡してから言った。


「お二人には、何とかこの、『絆が、真の強さへとつながる』というコンセプトをバトルに落とし込めるように仕様を再考案していただきたいんですわ」

「それは、もうゼロベースで?」

「はい」

「期間はどれくらいで?」


 新能の目つきが鋭くなる。雪乃は一瞬焦りを感じたが、締め切りを確認するのは当たり前の事だ。ここは新能に任せよう。アイデアを出したり意見を言ったりする場面ではない。


「二ヶ月で実装を終え、残り二ヶ月で調整とデバッグをしたいと考えてるんですわ」


 座名は申訳なさそうにそう言って、拝堂は指先でぽりぽりと額をかき、新能はうーんとうなった。雪乃もまた、厳しいと思った。RPGの開発経験はないが、コンセプトをアイデアから仕様へ落とし込み、バトルとして既存の要素と整合性を取って構築しなければならない……。それは、口にするよりも遥かに難易度が高い仕事である。


「『ヴァルキリー・エンカウント』は自社オリジナルタイトルで、スケジュールもある程度は流動的に動かせますが、あまり後ろにはずらしくたない、というのが本音です」


 拝道が妥協を許さない口調で続けた。ゲーム開発で一番かかる費用が人件費だ。スタッフ一人を一ヶ月稼働させるのに百万円かかるとすると、スタッフ十人で毎月一千万、二十人だと二千万円が必要になる。それが一年続くと、スタッフ二十人で総額二億四千万円が必要だ。受託開発の場合、あらかじめ何人で何ヶ月かけて完成させるという見積もりを出し、それに基づいてクライアントからマイルストーン単位で分割して開発費が支払われるが、オリジナルタイトルということは『ヴァルキリー・エンカウント』はバルバロッサ自ら費用をかけて開発し、広告もユーザーサポートも何もかもすべて自前で行い、このタイトルをお金に換えられる価値のあるコンテンツとして作っていかなければならない。一ヶ月遅れるだけで担当スタッフの人件費がそのまま吹っ飛ぶ。リスクは高い。


「それは当然の事と思います。自分らは御社をお手伝いするために来たのですから、やるしかありませんね」


 新能は再び企画書をパラパラとめくりながらそう静かに言うと、ちらりと雪乃を方を見た。雪乃もまた、はいというしかない。


「よろしうお願いしますわ。お二人がほんま頼りですねん」


 座名も拝道も、背筋を伸ばしてから二人に向かってきちんと頭を下げた。

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