(四)ギミック

「紺塔さんからの指示でね、最終ステージのギミックの『パワーイーター』、あれを移動させる様に変えろって」


 雪乃が田無からそう言われたのは、木曜日のお昼休み前だった。『パワーイーター』とは、最終ステージ用のギミックで、PCピーシーが一定距離内に近づくと、吸盤の付いた触手を伸ばしてくる。この触手にヒットしてしまうと、スキルと呼ばれる特殊能力を発動させるための『メンタルパワー』というパラメータにダメージを受けるという仕様だった。

『パワーイーター』の触手の伸びる距離には制限があり、それ一杯まで伸びると元の位置まで縮んでいく。PCは、この間にパワーイーターを避けて通過すればよいが、触手の伸びる射程距離は三種類あって、どれだけ逃げる必要があるかが触手の長さによって異なる。雪乃は、ユーザーにPCを闇雲に突進させる操作をさせるのではなく、近づいては逃げてを繰り返して進む緊張感のあるプレイを提供したくて考案したギミックで、終盤の緊張感をうまくもたらしているとチーム内でもその有効性が認められていた。


「移動……ですか? アレを移動させると難易度が跳ね上がってユーザーへのストレスが増すと思うんですが……」


 間に合うわけがないと思いつつ、それを真っ先に口にするのは避けた。どうぜ返ってくる言葉は容易に想像が付くからだ。


「うん、でも紺塔さんはあれは移動させた方が絶対面白くなるって。やれって」


 雪乃は、田無の表情がいつもの薄笑いを浮かべたままなのに、目が笑っていない事に気がついた。流石に今のタイミングで要求することではないということを理解はしているのだろう。だが紺塔にやれとねじこまれれば、田無も断れない。無理無茶を承知で紺塔の指示をスタッフに下ろさなければならない立場なのだった。だが紺塔の指示に従えば、雪乃の考えた『パワーイーター』というギミックの意図は大きく崩れてしまう。

 あれが移動してプレイヤーを追うことになれば、難易度は格段に増す。破壊できるならまだしも、ギミックの目的からいって破壊を許さない仕様にしていた。破壊できないものがプレイヤーを追いかけてくる。これがそこかしこにあると、プレイヤーの移動先を大きく制限することになり、ユーザーが味わうストレスは格段に高くなる。

 雪乃は自分が意図したギミックの目的が崩れてしまうことをそう説明した。


「うん、でも紺塔さんは移動する『パワーイーター』を避けながら敵をうまく倒す状況を作りたいんだって」


 それは、もうギミックを作り直すに等しい要望だった。ギミックだけではなく、『パワーイーター』をステージ上にどう配置するかも、敵を考慮してすべてやり直す必要がある。


「せめて、ベータ2ROM以降になりませんか。仕様を変更して素材も移動できる様な形に修正してもらって実装して配置もやり直して……。今から明日のROMになんてとても間にあいません」

「いや、ベータ2ROMだからね。全要素入れこみだからさ。何とかしてくれないかな」


 新規の要素が追加されるならともかく、実装済みの要素の仕様を変えるのであればベータ2ROM以降でもいいのではないかと雪乃は思ったが、口には出せなかった。田無がだんだんイラついてきているのが分かったからだった。彼は声を荒げて怒鳴るようなタイプではなかったが、表情と目に負の感情が色濃く出る。普段から疲労の色が濃く、常に疲れた様なその表情は、ぶら下げているセキュリティカードに印刷された新入社員のころの若々しくてはつらつとした微笑を浮かべている顔写真とは別人の様相を呈していた。それがさらに顔を強張らせて眉間に皺が寄ってきているのが容易に見て取れる。結局、雪乃はやってみますとしか言い返せなかった。それを聞くと、田無は言質を取ったようにさすが早見さんと顔を輝かせて背を向け、雪乃はため息をつきたいのを我慢してオフィスを後にした。


 ステージ担当のプログラマーである柏も流石に鼻白んだ。


「そりゃあ無茶苦茶だよ早見さん……、明日提出だって分かって……、でもまあ例によって上の指示なんだよね?」


 不機嫌な表情のまま柏は憮然と言った。雪乃がはいと頷いて本当にごめんなさいと頭を下げると、柏は天を仰いでからため息をついた。子安も表情を曇らせていたが、柏に早見さんのせいじゃないでしょうと言ってくれた。それを受けて柏も、まあいつものことっちゃいつものことだけどさと苦笑してから、仕様を決めてくれないとと雪乃に笑顔を向けてくれた。


「時間が勿体ないから、この場で仕様を詰めてしまおう。内容をテキスト箇条書きでいいから、後でメールで送って」

「はい」


 こうして雪乃は柏と子安と三人で、『パワーイーター』の仕様変更に臨んだ。一時間ほどで大まかな仕様を取り決めると、それをテキストで柏と子安に送ってから、『パワーイーター』を配置しているステージの設計図上で、配置場所の変更作業を開始しようとしたが、変更指示を出したUIについての質問メールが数件あってその対応に追われて作業の開始はさらに遅れた。もう定時になっていたが当然帰れるわけもない。軽い目まいを感じながら頭を切り換えて、配置の修正作業にかかろうとした時、イベント担当の蓮沼が怒りの形相で雪乃の席に近寄ってくるのが見えた。


「ちょっと早見さん! 『パワーイーター』の仕様変更のこと私聞いてないんだけど!」


 ああしまったと雪乃は思った。『パワーイーター』の配置場所にはイベントが幾つかある。敵やギミックの配置場所がイベントの発生場所と重なった場合に都合が悪いケースも考えられるので、本来は事前にイベント班にもきちんと連絡をすべきだったのだが、疲労感が激しく作業も急いていたせいで、すっかり忘れてしまっていたのである。


「……忘れていました。申し訳ありません」


 雪乃は席を立って蓮沼に向かって頭を下げた。


「困るのよね! ちゃんと連絡をくれないとさ、イベントがきちんと起動しなくて怒られるのは私なのよ? 分かってる?」


 蓮沼の声は、もう怒りというよりは勝ち誇ったようなトーンを帯びていた。それから、雪乃の連絡不備をまた重ねて遠回しにねちねちと非難してから、雪乃が想定している新たなギミックと敵の配置がいつ上がるのか確認してから、今度連絡来なかったら知らないからと吐き捨ててオフィスを出ていった。


「……なんだ、ありゃ。早見さん、大丈夫?」


 プレイヤー担当のプログラマーである渋谷が心配そうに声をかけてきた。


「大丈夫です。悪いのは私ですし……」


 そう言いつつも、蓮沼に対して負の感情が芽生えてくるのを自覚した雪乃は少し自己嫌悪に陥る。自分に非があるのだから、いくら蓮沼の物言いが悪意に満ちていてもどうしようもない……。そう必死に理性に語りかけるが、頭痛がそれを遮断させた。こめかみに手をやった雪乃を見て、渋谷はちょっと顔が赤い、失礼すると言って自分の掌を雪乃の額に当てた。


「あっ、熱があるじゃないか!」


 突然渋谷に額に触れられたが、驚く間も元気も無かった。そうか、熱があるのか。週末から体がだるくて弱い頭痛があったが疲労のせいだと思っていた。


「薬を取ってくるよ」


 渋谷は小走りにオフィスの奥にある薬が入っている棚に向かっていく。別にいいんですと言おうとしたが間に合わなかった。渋谷は中堅プログラマーで実力も確かだが、人柄が温和で面倒見も良い。ルックスも清潔感がある。年齢は三十代後半とのことだが、未だに独身なのは不思議だとその背中を雪乃はぼんやりと見ていてが、その背中をいつの間にか恋人の背中に置き換えて見ていた。北浜に会いたかった。

 眠くならない解熱剤を渋谷が持ってきてくれると、雪乃は素直にお礼を言って受け取ったが、もう帰った方がいいという彼の助言は笑って聞き流すしかなかった。渋谷も状況は百も承知しているのでそれ以上は何も言わずに自席へ戻っていった。雪乃は渋谷が持ってきてくれた解熱剤を水で流し込むと、席に戻って作業に戻った。


「早見、シンドイ時こそ笑え。口角を上げろ」


 高校時代のテニス部顧問の口癖というよりは命令を思い出す。真夏の炎天下の中、『振り回し』というコートの左右に広く打ち分けられるボールをひたすらリターンし続けるというハードな練習中、雪乃は何度もこの言葉を聞いた。息も絶え絶えになりながら笑えと言われる。立つのもやっとの状態だが、それでも笑えると言われる。他の部員の中には笑うどころか泣き出す子もいた。

 雪乃も三十本あたりからもう半泣きになりながら走ってはボールに追いつけずラケットは空振りし、反対に走っては何度も足がもつれて倒れ込んだ。それでも顧問は容赦なくボールを打ち続けていた。こんな練習中に笑えないと思ったが、それでもよろよろと立ち上がり、口角上げてみる。半泣きで笑顔を作った。顧問はうなずくとボールを反対側に打ち込んだ。スパッ、という感覚と共に雪乃はボールに向かって走り込みボールをリターンした。あっ、と思った。顧問はそこで雪乃の練習の終了を告げた……。

 雪乃は机から手鏡を取り出して口角を上げて無理矢理笑ってみた。

 うん。まだ笑える。大丈夫大丈夫。雪乃はパソコンのモニタに向きなおると、配置変更作業に戻った。


 結局、『アンバランスヒーロー』のベータ2ROM提出は予定より一日遅れ、土曜日の午後十時となった。直前の仕様変更や新規要素の追加が重なってフリーズが多発するようになった事と、ROM出しの段になっても紺塔が細かな修正指示を繰り返したのが原因だった。

 ある程度頻度の低いフリーズには目を瞑るというクライアントの助け船もあって提出を終えた際、ROM焼きを担当したプログラマーの渋谷が「みなさん、お疲れさまでしたー」と大きな声を上げると、フロアにいるスタッフは疲労感を色濃くたたえた顔にそれでも開放感が手伝って口々にお疲れ様でしたーという声を上げた。雪乃はその挨拶をしてから机に突っ伏して意識をシャットダウンした。次にハッと目を覚ましたのは翌日日曜日の午前十時過ぎ。周囲を見ると、自分と同様に机で眠っているスタッフが数人居た。気づくと、雪乃には毛布がかけられていて、机の片隅には紅茶と雪乃の好きないちご大福が、メモと共にあった。

『お疲れ様でした。今日はゆっくり休んでください。』

 そのメモの末尾には、丸印の中に『北』の字があった。

 翔さん……。

 雪乃は毛布を両手できゅっと引き寄せてそっと目を閉じた。

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