(三)奮闘

 まず、一番作業がヘビーであろう子安と柏に相談に行った。二人とも表情が曇る。


「プログラム的には新規のギミックやら仕掛けやらが無いなら、新規ステージの登録作業だけだから問題ないんだけど……」


 柏は子安の顔を見やる。子安は曇った表情のまま首を振った。やっぱり。どうしようと雪乃は途方に暮れそうになったが、彼女は雪乃を手招きして、持参しているノートに立ったまま簡単なステージの地図を描いた。


「まるっきり新規のステージ作成だったら無理だけど。今のステージのボリュームアップってことだよね?」


 雪乃が頷くと、子安はさらさらとステージの地図に線を引いて区切った。


「早見さんの設計してるステージはエリア内でもブロックごとに区切れるでしょう? ブロックごとにちゃんと意味づけがあるから。だから、例えば既に作ってあるステージのブロックを反転させて再利用するの。こんな風に……」


 ジグザグの道のブロックを反転させる。別のブロックとくっつけてみる。そうやってまるまるゼロから作る手間を省けばいけるかもしれない……。

 子安は小さい声でたどたどしくも、そう説明した。BGの3Dモデルを作成している3Dモデリングツール上でできる事だった。


「あっ! なるほど」


 雪乃は感心してしまった。それならば確かに新規にステージを作るほどの時間はかからないかもしれない。


「うん、案外使い回しなんてわからないと思う。それでも大変は大変だよ。それに早見さんの方は大丈夫? これまでのステージのどこをどう使い回して遊べるステージにするかを設計図にしてもらわないと」

「ええ、そこは今まで設計したステージですから、何とかします」

「もうまんまステージ反転しただけのものでもありじゃないかな。特にやりこみ用のヤツ」

「そうですね。やりこみ用のものは、ものすごく割り切って設計していきます。とにかく数を用意しないと」

「設計図、いつごろもらえるかな?」

「トータルで、ええと……」


 今日の残り時間。それに明日土曜日と日曜日をつぶせば何とかいけるかなと雪乃は目算を立てた。


「週明けの月曜日の始業時間までに全てお渡しできるようにします」


 ご愁傷様と言いたげに柏が両手を合わせて雪乃に頭を下げたが、子安は自分も土曜日は出るから設計ができた分から渡してと言ったのを聞いて、柏は自分も出ると言ってくれた。


「とりあえず、追加のステージは明日すべて仮素材で登録までやってしまおう。早見さん、今日中にステージリストを更新してくれるかな。正確な総数とファイル名を決めたいから」

「わかりました。お手数をおかけしますがよろしくお願いします」


 雪乃は二人に深々と頭を下げた。



「そんなの間に合うわけないでしょ……」


 開口一番、イベントチームのリーダーである蓮沼佐衣子はがっくりと肩を落とした。二十代後半で、シナリオやそれをゲーム中のストーリーとして段階的に見せる『イベント』に特化した人材として独自のポジションを社内で確立している。ポニーテールで髪をまとめた容貌は年齢に似合わぬ愛らしさがあるのだが、見た目に反して自分のシナリオ、特に台詞に文句をつけられるとムキになって怒りの感情を露わにするところがあり、雪乃は苦手なタイプだった。


「シナリオ自体は追加ではないといっても、今実装しているイベントをさらに細分化して分ける手間。それに追加ステージを加えて再度イベントを割り直して再実装する手間、しかもそれってステージが完成して実装されてからでないとできない作業だからね。また貫通の確認も全部やり直しになるし。二度手間もいいとこ」


 話をしているうちに、蓮沼はだんだんヒートアップしてきた。これまでにもイベントチームには度々紺塔から突然無茶振りされることが多かったので、いい加減にしろという気持ちがここにきて頂点に達した様子だった。だが雪乃はステージは完成していなくても、イベントに必要なもの、即ちゲーム中でイベントの起動トリガーになる『イベント用コリジョン』と呼ばれるオブジェクトの配置さえできれば実装確認はできるはずだと思った。

 極端な話、ステージの3Dモデルだけあれば作業は進められるし、これまでもそうやってきたはずだった。だが、今ここでそれを指摘しても火に油を注ぎかねない空気だ。雪乃は迂闊うかつなことは言ってはいけないと思いつつ、頭に浮かんだ台詞の中から最もつまらないものを選択してしまっていた。


「でも、紺塔さんの指示なので……」


 反射的に言ったその一言が、蓮沼の負の感情に油とマッチを合わせて放り込んでしまった模様で、一瞬の間を置いてから彼女はガタッと立ち上がってまくしたてた。


「何? 紺塔さんが言ったから? それをどうにかするのがあんたの仕事じゃないの? 言われたからってそのままこっちに気軽に作業を振ってこないでよ!  ちょっと可愛いからってちやほやされていい気になってるんじゃないの!」


 以前にも同じ事を別の誰かに言われた気がすると思いながら、蓮沼の剣幕にたじろいだ雪乃はすぐに二の句が告げずに言葉を濁す。


「ちょっとこれは普通ではありえない作業量だし、早見さんさぁ、一度持ち帰って再度田無さんと検討してくれないかなあ?」


 そう口を開いたのはさっきから全く発言が無かった、イベント担当のプログラマーである坂戸輝義さかとよしてるだった。四十代のベテランのプログラマーと聞いているが、でっぷりと太り、白髪の多い容貌は、年齢以上に彼を老けさせて見える。

 そう言われても。雪乃は対応に困った。無茶振りをされているのは自分も同じなのだ。それを再検討することを要求されてもこのまま田無とイベントチームの間を行ったりきたりするハメになることは明らかだった。時間の無駄である。だが、蓮沼はきつい目と表情の双方で相談を拒絶し、その隣で坂戸は薄ら笑いを浮かべて同調している。


「蓮沼さんもさぁ、ずっと大変なんだよ、ほんっとにがんばってるのに一向に作業が減らなくてさぁ。そこへ来てこれは無いよぉ、ねぇ」


 坂戸は両手を蓮沼の両肩にぽんと置いた。蓮沼はまだ二十代後半で坂戸とは随分と年の差があるが、彼の中で蓮沼はまだ恋愛対象の範疇に入るらしいと雪乃は場にそぐわないことを考えながら、もう本当に面倒くさい、田無に直接交渉してくださいとやけくそで言ってやろうかと口を開きかけた時だった。


「ステージ数を増やすのがそんなに嫌か?」


 雪乃が背後に男物の香水の匂いを感じるのと、蓮沼と坂戸の二人の表情がぎょっとなるのとが同時だった。紺塔である。


「何? 俺の言う事がおかしいと考えてるの? 嫌なのか?」

「い、いえ……」


 蓮沼は歯切れ悪く言葉を濁し、坂戸は無言でぶんぶんと首を振った。


「こなしてみせろ。それがプロだろ。よろしく」


 紺塔はそう言ってから口髭を撫でながら雪乃の方を見た。


「早見だっけか。ステージはどう?」

「……柏さんと子安さんと相談して、ギリギリ何とかなりそうです」


 紺塔には幾分気圧される圧力の様なものがあると雪乃は感じながらそう答えた。


「そうか。まあ頼むよ」


 紺塔は雪乃を足から顔まで、じっと品定めするように視線を這わせると、雪乃の肩を軽く叩いてからオフィスを出ていった。後には、苦虫をかみつぶした表情の蓮沼と坂戸、それにどっと疲れた雪乃が残った。雪乃は最早何を言う気力も無く二人に頭を下げ、ステージリストは今日中に更新する旨だけを伝えるとオフィスを出た。


 それから雪乃は怒濤の仕事量に忙殺された。

 金曜日はステージリストを確認後、これまでに作成したステージの設計図を見返して追加するステージ構造の、大体のアタリをつけておいた。土曜日は休日出勤となり出勤時間に制約は無いが、普段よりも一時間早く出勤して追加ステージの仕様書を作成し始め、同時にUIの実装についての質問や相談に対応した。バグの報告や修正確認は後回しにせざるをえない。それでもステージの設計図作成は捗らず、定時の十九時までに子安に渡せたのは三つだけであった。それらのうちの二つを作ってから蓮沼は柏と二人で退社した。二人とも雪乃を気遣ってくれ、差し入れの紅茶をくれた。


「……残り二十四かあ……」


 差し入れの紅茶を飲みながら目まいがするのを感じる。こめかみを指で抑えながらため息も出てしまう。作業的に重いストーリー本編の追加ステージ分から手をつけたのが失敗だった。やりこみ用の軽いステージから手をつけていれば、もっと子安に数を回せて、今日中に子安のスキルをもっと物量をこなす方に発揮してもらえていたはずだった。その間に自分はストーリー本編の重い設計をこなせばよかったのだ。仕事の組み立て方を失敗してしまったと雪乃は自分の頭をぽかりと拳で叩くと、ノートを広げて自分の失敗についてメモを取る。新人時代から続けている習慣だった。

 同じ失敗を繰り返さないために失敗の内容や原因、次はどうするのかを自分で言語化して書き付けておく。折に触れ読み返しては、仕事を惰性でこなしそうになる自分に喝を入れるのだった。他にも仕事で気づいたことや知識、果ては誰かと衝突した時の怒りの感情も、そのまま露わに書き連ねてある。それによって負の感情をある程度発散させているのだが。


「とても他人に見せられたもんじゃないわ……」


 特に北浜には。雪乃は恋人の顔を思い浮かべた。彼も今日は出勤しているはずだ。もう帰っただろうか。基本的にフロアが異なるのでそうしょっちゅう顔を合わせるわけではないし、つき合っていることはできるだけ会社の人間には知られないよう互いに注意している。


「あいたいなぁ……」


 思わず独り言が出てしまった。最近、初台が北浜に妙に接近している機会が多いのも気になる。同じプロジェクトにいるのだから不自然とまでは言えない。だが雪乃には、初台が北浜に対する接触機会を恣意的に多くしている様に見える。嫉妬だろうか。自分は思ったよりも嫉妬深くて甘えん坊なのかもしれないと思いながら、雪乃は両手で頬を数度ぱんぱんと叩いてから、ステージの設計作業を再開した。

 結局、雪乃は土曜日はそのまま数時間の仮眠の後泊まりこみで作業を進め、日曜日の二十二時にようやくすべての作業を終えて会社を後にすることができた。


 月曜日の始業開始と共に子安に設計図のデータを渡して、同時にすでに仕上がったステージデータに敵やアイテムを配置していく作業が延々と続く。途中でバグを見つければそれを報告して、UIを実装してくれたプログラマーやデザイナーに対して、修正のお願いや質問に答えるなどの対応もこなしながら、設計図を見た子安の質問や確認に追われる。時間はあっと言う間に過ぎていった。

 さらに実装したステージのテストプレイもやらなければと思い、お昼休みにもコントローラーを握る。新しい挙動や仕様が実装された影響だろうか、そこかしこでフリーズが発生してゲームが正常に進行しなくなっていて、確認作業はさらに手間がかかった。それでも根気よくプログラマーに確認を取りながらテストプレイを重ねてはステージに配置した敵やアイテムの調整を行っていく。時間は瞬く間に過ぎ、気がつけば終電間際になっていた。

 どうしようか、このまま寝ないで作業しようかと雪乃は迷った。今日子安が作ってくれた追加ステージが四つあった。それらへの敵やアイテムといった配置作業を進めておいた方がいいかもしれない……。単純計算で、十七の追加ステージのうち配置作業まで終わっているものが五つ。残りは十二ステージ。残された日は今日を入れて四日。一日三ステージという作業量ノルマは、それだけならば問題ない量にまでなっていたが、これ以外にもやるべき作業=タスクは山積みだった。少しでも、実装を終えた状態の要素を増やしておいたほうがいい……。

 そう考えて、雪乃はまたモニタに向き直ったが、目がかすんだ。頭を振る。やはり疲れている。心なしか頭痛もする。だが今週のベータ2ROM提出を乗り切れば、一息つけるはずだ。もう一踏ん張りと自分を鼓舞して、プレイステーション3上で動く配置作業用のエディタを立ち上げて、コントローラーを握った時、その雪乃の手を抑える暖かな別の手が伸びていた。


「早見さん、もう帰った方がいい」


 北浜だった。呼び方は会社という場でもあって名字だったが、間違いなく恋人を気遣う思いのトーンに満ちていた。


「自分で思っている以上に疲れているんだ。土曜日も泊まって日曜日も遅くまで仕事をして」


 北浜は集中力が落ちるとか効率が悪いとか理屈めいたことは一切言わずにただがんばりすぎだよと雪乃の手を握りしめた。


「うん、でももうちょっとだから。大丈夫です」


 つい、はいではなくうん、と答えてしまってから、雪乃は両手の指先で口元を抑えてから今日三つステージの配置作業を終えておけば、明日は楽になるはずなんですと言い直した。


「深夜作業は効率悪くなるから、ルーチンワークにできるようにあらかじめ配置も設計図を起こしてあるんです。これに沿って配置するだけ」


 無理に笑顔を作って雪乃は言った。それは事実だったが気持ちとは真反対だった。ほんとうは、もうモニタに向かうのもコントローラーを握るのも嫌になっていた。すべて放って帰ってゆっくりと眠りたかった。だが、仕事だ。自分はゲームプランナーなのだ。課せられたタスクはこなさなければならない。ましてステージ追加作業をお願いした子安ががんばってくれているし、それに自分が作業を早く終えればイベント班の蓮沼も早く作業を終えられるはずだ。自分の作業を滞らせるわけにはいかない。


「大丈夫です。ありがとう、北浜さん」


 無理に笑顔を作って北浜に微笑む。このあたりの根性は、高校時代にテニス部で鍛えられていた。顧問の先生が一際厳しく、シンドイ時こそ口角を上げて笑うことを強要するスパルタな部活で、半べそをかきながら無理に笑うことなどテニス部では珍しくもなんともないことだった。


「そうか。うん、わかった。あー、僕も今日は泊まりになりそうなんだよ、例のテニスゲームの調整が今ふたつ、うまくいかなくてね」


 そう言って北浜は頭をポリポリとかいて、照れ笑いを浮かべた。この人の笑顔が雪乃は好きだ。きっとその作業はまだ急ぎではないはずなのに、自分を心配して泊まり作業につきあってくれるつもりなのだろう。また後で様子を見に来るよと北浜は笑ってオフィスを出て言った。

 ちょっと、充電できた。

 雪乃は両手で顔をぱんと叩いてからコントローラーを手に取った。


 結局、雪乃は木曜日まで激務が続くことになった。イベント班の蓮沼から、イベントの配置作業を行う際に、ステージ構造の都合が悪いので変更を要求され、子安に相談しながら対応をお願いした。雪乃が困ったのは、どう考えてもそのままでも問題ないと思われる修正要望箇所で、その点を確認すると、蓮沼は前のイベントからユーザーが抱くであろう感情を適切なタイミングで維持するにはどうしてもこのステージ形状は都合が悪いのだと、分かるような分からない様な持論を繰り返した。

 話をしているうちに、傍で耳をそばだてていたらしい子安が、それくらいすぐやるよと助け舟を出してくれて事なきを得たが、あのまま話を続けていれば、雪乃は蓮沼に適当なことを言わないでと声を荒げるところだった。二度手間になるのでベータ2ROM後ではなくすぐに対応してほしいという蓮沼の要望のまま、雪乃は火曜日と水曜日も深夜を使って修正作業を続け、家に帰れなかった。さすがに火曜日の朝、会社の机に入れている臨時用の着替えを手に、近くの漫画喫茶に入ってシャワーを借り、汗を落として身支度を整えてから仕事を続けた。机の上で突っ伏して三時間程度だけ仮眠を取る時だけが、休める時だった。

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