(二)追加指示

 それから一週間。連日終電間際の残業と早朝出勤を繰り返して、雪乃が担当しているステージ十六と十七はほぼ実装を終えた。そのまま実装確認に入り、実際にゲームをプレイしながら感触を確かめていく。意図通りのプレイ感覚を生むことができるか。単調になっていないか。

 ゲームの要素の一部はまだ実装されていないが、完成形をイメージして実際にコントローラを握り、操作することが大事だと雪乃は考えていた。ゲームは机上の空論だ。それもイメージしたものを、複数の人間が形にしていくのだからなおさらイメージとは違う、ということが容易に起こりうる。だから、形にしてなお、完成形をイメージしながらそれに向けて修正をかける手間を惜しんではならない。

 ……納期の許す限りねと独りごちて、雪乃は主人公を操作しながら、修正すべき点を挙げていった。自分がイメージしたものを、具体的に形にしてもらえる。デザイナーの子安やプログラマーのかしわにありがとうと言いたくなった。

 子安は点と線で細かく作られた3Dモデルに貼りつけて、背景として見せるためのテクスチャーと呼ばれる絵の描きこみが細かい。臨場感がある。柏は雪乃が実装したいと相談したギミックについて面倒くさがらずに意見をくれる。例えば主人公が攻撃すると壊れる箱など、最初雪乃は箱に耐久値を持たせてダメージを与える形でいいと単純に考えていたが、柏はそこは攻撃回数で制御した方がいいと提案した。耐久値で壊れてしまうと、プレイヤーの攻撃力が上がると一撃で破壊できてしまう。そうではなくて、何回か攻撃しないと壊せないというもどかしさと、中に何が入っているのかという期待感がこのギミックのキモではないか……。

 雪乃はその意見に納得したし、思い返せばこれまでプレイしてきたゲームでも似たようなギミックはあったが、どれも必ず一定回数攻撃しなければ壊れないような仕様になっていた。それは、仕様の目的が同じだからだろう。

 自分のイメージを形にして、より良いものにしてくれる。雪乃は素直に感謝の心を持って、修正すべき点を取りまとめて相談すると、子安も柏も快く作業を快諾してくれた。そして、何とかそれらの修正と調整作業も、ベータ2ROMまでには間に合いそうだった。同時に雪乃は田無に現状のステージの確認依頼とフィードバックを依頼したところ、田無も昼休みに確認してくれ、思いのほか早く「OK」が出た。


「いいよいいよ、早見さん。プレイしてて気持ちいいし、長さも適切だと思う。これで敵パラメータのバランスが取れたら敵の倒しがいも出てくるかな。後は実際に全部の通しプレイができるようになってから、改めてプレイ感覚をチェックしよう」


 実はこの後からが大変なのだが、それでも「無いものを有る状態にする」ことを優先すべきだと雪乃は考えており、プランナーとしての動き方を変えていた。何もかも完璧にしてからチェックに回そうとしたところで徒労に終わる。それよりも、一定の水準、ビジョンが伝わるであろうレベルにさえあれば、とにかく形にして開発そのものを前進させた方が、却って効率は良くなるという感触を得るようになっていた。大変だが、がんばれば手応えは確実にある。雪乃は田無にチェックのお礼を言って自分の席へ戻りながら、これでUIの仕様変更作業に取りかかれるとほっとしていた。


 ところが翌日、出勤した雪乃は程なく田無に呼び出された。


「紺塔さんからの指示でね、ステージ数を倍にしろって」


 会議室で開口一番、田無は感情の無い声でそう告げた。雪乃は二の句が告げない。ステージ数を倍に。単純に言って現在の十七から三十四。ベータ2ROMまでの期間は一週間を切っている。到底間に合うわけがない。


「ええっと」


 雪乃はわき上がる衝動をこらえつつ、言葉を選びながら続ける。


「とても間に合わないと思いますが……」


 だが、田無は肩をすくめてから、硬い笑顔で言った。


「いや、それをどうにかするのがプロだろって紺塔さんが、ね」


 プロ……。それを言われると雪乃には返す言葉が無い。だが、どうこなすべきか皆目見当がつかないし、まだ懸念点もあった。


「あの、シナリオはどうなるんでしょうか?」


 現在、シナリオも十七ステージの想定で作成されているはずで、単純にステージだけを増やすというわけにはいかないはずだった。


「ええっと」


 田無は手元のノートを取り上げた。


「うん、紺塔さんは全体的にボリューム不足だと判断したんだ。十七ステージ十七章を、十七章二十四ステージで再構成しろって。で、やりこみ要素としてのおまけステージが十ステージ。こっちのシナリオは毛が生えた程度でいいって」


 つまり、メインストーリー部分は既存のステージを引き延ばす形で追加し、さらにやりこみ用ステージを追加か。それならば、ステージの素材はある程度使いこ回せるかもしれない。だが、3D部分は結局新規作成になるはずだった。


「シナリオの部分はイベントチームに聞いてみないと……」

「うん、任せるよ」


 田無は硬い笑顔を崩さないままだった。簡単に言ってくれるなあと雪乃は思った。それにイベントチームにも私が伝えろということか。ため息をつきたくなる。自分が田無にした言葉と表情がそのまま返ってくるに違いないと思ったからだった。とりあえず相談してみますと答え、雪乃は田無に背を向けたが、彼が後ろから再び声を発した。


「大変なのは分かる。でも紺塔さんも君には期待しているようだから頼むよ」


 雪乃は顔をわずかに田無の方に向けて軽く頭を下げ、オフィスを出た。

 期待している? 冗談だろうと雪乃は思った。紺塔とはロクに話した事がない。面接の時にすら出てこなかったし、新入社員紹介や入社式も歓迎会も、雑誌の取材やら何やらで顔も見せていない。普段は外に出ているか、与えられた個室にいることが大半で、開発室であるオフィスには普段あまり顔を出さない。開発を実質的に取り仕切っているのは田無で、紺塔は雪乃の存在を知っているかどうかすら怪しいと言えた。

 何だろう、このもやもやは。無茶な要求をされたから沸き上がる衝動なのか、それとも他の何かか。雪乃は廊下を歩きながら胃の辺りを撫で摩る。ゲームは楽しいもののはずなのに、開発現場はなぜこういつも重苦しいのだろうか。

 すこし気分を変えたくなって、少しだけ北浜の様子を見よう、休憩のタイミングが合って話ができればうれしいと思い、彼のいるフロアを尋ねた雪乃が見たのは、机で何か打ち合わせをしている北浜と初台の姿だった。初台は北浜に密着寸前の態勢で寄り添っている。嫉妬が心に芽生えてくるのを感じ、雪乃は踵を返す。仕事上打ち合わせは必要だが、あそこまでくっつかなくてもと思いながら、初台絵里香のグラマーなプロポーションは男受けするだろうなと雪乃はうらやましくも感じるのだった。

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