第二章 ディレクション1

(一)ステージ作成

『アンバランスヒーロー』の開発はベータ2ROMへ向けての態勢となった。

 ここでいうベータ2ROMとは、ゲームに必要な全要素の実装がその定義である。基本的に調整を残すのみとして、バグチェック体制に入れる状態にすることを意味する。

 雪乃は新規追加となった挙動の実装を何とか終えて、それを矢切に引き渡すと、再びゲームで使用するステージマップの設計、それにUI画面の仕様作成に追われた。時間はいくらあっても足りない。まず、遅れているステージマップの設計に取りかかる。


「まず、そのステージで何をユーザーに楽しんでもらうのかを考えないと」


 ノートに思いついたコンセプトやアイデアを書き連ねていく。

 ステージ担当として最初に作成したマップの出来は我ながら酷いものだったと雪乃はあの時の事を思い返す。

 雪乃は最初、何となくという『感覚』のみでステージの設計図を作成した。だが、設計図通りにデザイナーが作ってくれたステージをゲーム上でプレイしてみると、まったく何の手応えもない。端的に言うとつまらないと雪乃は感じた。

 広い。やたら迷う。敵とのバトル発生頻度も偏りがある。アイテムの配置も適当すぎる。

 何となく迷って何となくバトルをさせて何となくアイテムを拾って何となくボスと遭遇する。そんな無味乾燥なステージになっていた。上司である田無に確認を依頼するまでもない。それ以前に作った自分からしてこれはだめだろうという感触が、コントローラーから伝わってきた。

 ステージモデル担当のデザイナー、子安二三子こやすふみこに、設計からやり直したいことを相談して謝罪した。すると子安は小声でうんわかったと言ってくれたが、言葉の端々から、どうも最初に設計図を渡して作業を開始した時点から問題があると感じていた様子だった。彼女は雪乃よりも二年先輩の社員だが、自己主張があまり強くなく、雪乃が設計したステージについても文句も何も言わずに設計図そのままに作業をしてくれるが、それが却って仇になった感がある。

 注意しなければならないと雪乃は思った。これまで作成した仕様や設計図をプログラマーやデザイナーに説明した時に、穴や問題点をよく指摘された。それは、その時は確かに煩わしいと感じてしまうのだが、それは明確な問題点であって、それを解消しないまま実装すると、結局後で二度手間を担当者に強いてしまう事になる。勿論、どれだけいいと思えた設計図も実装後に大小の問題点は生じて、そういう現場の経験から言うと机上で完璧なものなどできることは無いのだが、机上のレベルで発覚する問題点すら潰さないまま実装される方が問題なのだと雪乃は考える様になった。

 言い方のキツイ人はいるが、それでも問題点は早めに露見させるほうがいい。雪乃は仕様や設計図を担当者に説明する際にそこを注意するようになり、問題点を指摘してくれる人に感謝できるようになったし、何も言わない人には色々な切り口から本当に問題がないかを質問形式で確認するようになっていった。

 設計したステージがつまらないという課題については北浜に相談してみた。勿論恋人としてではなく、プランナーの後輩から先輩にお願いするという形を取ってでのことである。それは違うプロジェクトのプランナーから見て自分のステージ設計がどの様に見えるかを聞いてみたいという素直な考えからだった。

 雪乃の相談を受けた北浜は、自席で渡されたステージの設計図をじっと見つめていたが、ほどなく言った。


「うん、このマップからは意図が伝わってこないな」

「意図……ですか」

「この最初の入り口から入ってすぐのところ、分岐が三つあるのはなぜ?」

「えーと、何となく……」

「ここの距離だけがやたら長いのはなぜ?」

「作成の流れで……」

「ここにアイテムボックスを配置した意図は?」

「えーと……」


 雪乃は恥ずかしくなった。北浜の言いたいことが理解できたからだった。彼はステージの設計図を雪乃に返してから穏やかに言った。


「そういうこと。このステージは、一体何を目的として、何を意図して設計すべきなのか。それをまず考えてごらん。それが決まれば、ステージの設計図をどうすればいいかも自然と定まってくる。そこまでできれば、後はステージを作る人の個性の問題だよ」


 あれから、担当ステージは何を意図して設計するのか、そのためにどんな構造にするべきかを考えて仕事を進めるようになった。北浜の柔らかな微笑を思い浮かべて、甘酸っぱい気持ちを胸に感じながら、雪乃は新しいステージのコンセプトをノートに書き連ねる。

 ステージ十六は倉庫のある港。終盤にさしかかる。これまでにユーザーが体得したであろう操作やテニクックをフルに活かせる様なステージ構成にしたい。雪乃はステージを三つのセクションに区切ることにした。ストーリーの流れとして前の章から引き継いで盛り上がっている場面なので、その勢いのままバトルの連戦を味わってもらい、その後時間制限のあるギミックで緊張感のある操作を要求てから最後のバトルエリアへ。

 うん、これで考えようと雪乃はキーボードを走らせた。やりたいことをテキストに書き連ねて落としこんでいく。頭の中で直感的に浮かんだイメージをそのまま入力して、それらを整理していく時間は楽しい。テキストレベルで作成した概要を、まずは同じチームのプランナーにぶつけてレビューしてもらう。そこで受けた意見をフィードバックして概要を修正する。それを、今度は担当のプログラマーに見せて、プランナーとしてやりたいこと、そのために必要な要素や仕組みを説明してすり合せを行う。大抵のプログラマーは、詳細に仕様を作る前に相談してくれることを喜んでくれる。

 後は実装面での課題やネックになりそうなところをプログラマーに見てもらって確認して、何とかなりそうだとの見通しがプログラマーとの間で立って、初めて詳細な仕様の作成に入るのが雪乃個人の作業の進め方になっていた。

 仕様レベルの打ち合わせは、担当デザイナーにも同席してもらってミーティグンスペースで行うようにしていた。プログラマーと事前にすり合せはほぼ済んでいるので、細かな実装レベルでの仕組みや問題点のすり合せ、デザイナーに作成してもらう素材についての話がメインになる。一時間程度で打ち合わせを終え、その結果をまた仕様書に反映して、プログラマー、デザイナーに連絡して、やっと一段落。

 それでも雪乃は、仕様書作成という仕事について自分なりの「流れ」というものをようやく作れてきている気がした。最も、今でも打ち合わせは苦手だし、苦手なタイプの人とのそれは苦痛だ。だが、仕事ならば自らえいやっと飛びこんでこなしていかなければならない。私はプランナーなのだ。末端のプランナーでも、ゲームの企画に沿って担当項目のあるべき姿をイメージし、こうするんだ、こうやってゲームに落としこむのだと自らのイメージを他のスタッフに提示していかなければならない。ステージ担当プログラマーとの打ち合わせ準備をしながら、その姿勢は北浜の背中を見て感じ取ったものだと雪乃は恋人への尊敬の念を改めて抱くのだった。

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