(二)仕様変更
四日後、仕様変更に基づく新たな挙動と、第四エリアのボスがゲームに実装された。
「うん、いいじゃない。調整したい箇所はあるけど、これは実装してからの先が見えるよ」
田無は三十代後半のベテランプランナーで、オストマルクの看板クリエイターである紺塔と長く仕事をしてきた。企画課の課長補佐でもあるが、この『アンバランスヒーロー』プロジェクトでもリードプランナーというポジションで、紺塔の直下でプランナーセクション全体を統括している。普段はもうこの田無が全体を見て指示を出していると言って良かった。チーム全体のスケジュールや情報の管理までを一手に引き受けていると言っていい。田無が休めば、あらゆる作業が詰まり出す。同時に、紺塔に対しては反対する、と言うことが一切無く、凄まじく受け身のプランナーであるとも言えた。
「ありがとうございます。渋谷さんが早く実装してくださって助かりました」
「うん、これで来週の
オストマルクは東京は品川のとあるオフィスビルに入居しており、その五階から七階を借り切っているが、同じチームのスタッフ全員を同じフロアに固めるのは難しいため、スタッフ間のやり取りは、メールの他にチャットツールやメッセンジャーと呼ばれる簡易メールとでもいうべきツールを使うのが普通になっていた。使い分けのルールは特に定められていないので、雪乃は全体に流すべき情報はメールで、個人的な相談や報告はメッセンジャーやチャットツールで行うようにしている。
「はい、せっかく新しい挙動を入れたので、この挙動を駆使して楽しめる箇所を増やしたいんです。ちょうど第五エリアは迷路がコンセプトになっていて、特にギミックの無いフロアがありますから、そこに第二エリアで使った氷柱のギミックを使って、こういう罠を作って、その先にご褒美のアイテムを置いておいたらどうかと思うんです」
ギミックとは、『仕掛け』の事である。罠であったり、PCがうまく利用できるものであったりと、ステージによって色々な種類のものが用意され、ゲームの進行が単純にならない様に使われる。雪乃は図に描いた紙を田無に示して、自分のビジョンを説明した。
「ああ、なるほど。そのくらいならプランナーがステージエディタで配置を設定するだけで完結できるね」
「はい。でも、処理負荷だけがちょっと心配で」
ゲーム機が物をテレビに描画すると、その分描画する処理能力に『負荷』がかかる。一つの画面内にあまりにも多くの描画すべき物がありすぎると、『処理落ち』と呼ばれるカクツキ現象が発生することになり、ゲームを遊んでいるユーザーの入力にすぐ反応できない。『アンバランスヒーロー』の様なアクションが主体のゲームでは、基本的に避けなければならない現象だった。
「あー。うん、でも大丈夫じゃないかな。それに遊びの内容も今よりは良くなると思うし。まあ重かったらまた相談して」
「はい!」
田無の許可を得て、雪乃は作業予定を頭の中で組み立てた。今日は別のステージ仕様を一つアップしなければならないが、それが終わり次第、ステージエディタで早速第五エリアを見渡して、氷柱ギミックを入れる適当な場所を調べようと思った。
田無は引き続きコントローラで、何度も主人公のキャラクターに新規追加された挙動を再生しては感触を確かめていた。その横顔は無表情だった。疲労の色が見える。無理もない。実質、今は一人でプロジェクトを回している様な状況だった。その田無の顔を見ながら、雪乃は思い切って自分の疑問をぶつけようと思った。入社してから長い間、抱いていた疑問だった。
「あの、田無さん――」
と声をかけた時、田無の机の上の電話機が内線呼び出しを告げるけたたましい音を立てた。彼はちょっと待ってというように雪乃に片手の手のひらを向けると、受話器を手に取る。
「はい、第一開発の田無ですが……ああ、紺塔さん。……はい、はい、じゃあすぐ行きます」
受話器を置くと、田無は手帳を握りながら雪乃に断りを入れた。
「ごめん、紺塔さんから呼び出し。後でいい?」
「はい……」
田無はふう、と息をつきながら開発フロアを後にした。紺塔は、開発スタッフのいるオフィスとは別に専用の一室を与えられているので、そこへ向かうのだろう。
オフィスにはスタッフの皆が黙々と作業を進めるキーボードを叩く音と、作業上のやりとりをする声だけが響いている。その音を聞きながら、田無が出て行った開発フロアのドアを、雪乃は重い空気を感じつつしばらく眺めていた。
その後、定時後にプランナースタッフ全員が田無によって集められ、紺塔の指示で『スライディング』の挙動を止めて、代わりに『しゃがみ走り』を入れる仕様変更をかける旨が説明された。
「えっ、どうしてですか?」
自分の仕様がまずかったのかと雪乃の背中に嫌な悪寒が走る。だが、田無はバツが悪そうに言葉を続けた。
「紺塔さんが、昨日見た映画でしゃがみ走りをしてるかっこいいシーンがあって、あれを入れたら絶対かっこよくなるからって」
「映画……?」
共に仕事をしているプランナー、バトルアクション部分を統括している
「早見さん、申し訳ないんだけど引き続き頼める?」
「ええ……。でも……」
田無の確認に対する雪乃の返答にはためらいがあった。実装してもらった『スライディング』挙動をゲーム中でどの様に活かしていくかを企画して段取りを進めていた事もあるが、それよりも、せっかく追加してもらったばかりの挙動を活かすボスを実装してもらったのに、また新しい挙動に変更するなど、渋谷たちに対して申し訳が立たない。雪乃は自分の疑問を口にした。
「仕様変更をかけるにしても、渋谷さんたちにどう説明すればいいんでしょうか」
「そこは、紺塔さんの指示だからと言えばいいから」
雪乃は納得がいかなかった。何よりも、『しゃがみ走り』とは具体的にどのような動作なのか、おぼろげなイメージしかないし、どういう意図で入れるものなのか、その目的も皆目検討がつかない。
あの、と口を開き書けた時にまた内線が田無を呼び、それを契機としてミーティングは解散となってしまった。だが、雪乃としてはこのままでは作業に入れない。せめて、『しゃがみ走り』とやらのイメージだけでも把握しておかなければならない。時間を見計らって再度訪れた雪乃に対して田無は無表情に『しゃがみ走り』のイメージを説明してくれた。幕末を舞台にした漫画が原作の映画、『素人剣心』の一シーンとのことで、運良く予告編にそのシーンが二秒入っているというのでそれも確認した雪乃は、動きのイメージをやっと抱くことができた。刀を構えて膝を着くぐらいの低姿勢のままで走り続けている。映画での見た目は確かにいい。問題は、どういう意図でゲームに入れるべきかさっぱりイメージがつかない事だった。田無に相談しようとすると、
「ごめん、矢切君と相談して」
と言われて、矢切に相談を持ちかけると、
「任せたからしっかりよろしく」
と丸投げされてしまった。本来、このプレイヤー周りの挙動担当は矢切の仕事ではないか。なのにその態度はひどい。雪乃はそう思ったが、言葉を飲みこんで自席に戻った。大分参っている。新たに『しゃがみ走りの仕様作成』のタスク(やるべき仕事)を自分のスケジューラの作業タスクとして入力してため息をつく。疲労感が激しかった。
「大丈夫?」
心配そうな表情で、デザイナーの
「あははー。あんまり大丈夫じゃないかも、です」
雪乃は力無く笑った。なんだか胃が重い。未沙はしゃがんで雪乃と目線を合わせると、手をそっと重ねて優しく言った。
「ウチの会社、プランナーのレベルが全体的に低いと私は思ってるけど、雪乃ちゃんはしっかりやれてるよ。前のライン、『魔法少女伝説』で一緒だったデザイナーもプログラマーもみんな感心してた。面倒がらずに連絡をきちんとしてくれるしちゃんと動けているって。ウチのプランナー連中の中ではかなり頼りになるほうだって。大丈夫、安心して」
未沙に優しくそう言われると、嬉しくて涙がにじんできた。未沙は雪乃の頭を優しく撫でると、今夜飲みに行こうよ、私もちょっと溜まってるから私の話も聞いてくれるとうれしいなと誘ってくれた。雪乃は頷いて、時間の約束をした。その時に開発フロアの隅から怒鳴り声が響いた。
「なんだと! もう一度言ってみろ!」
「言われたからそのまま実装したなんて、最低な仕事の進め方だと言ったんです」
「何だその態度は!」
フロア中が静まりかえり、視線が集まる。スタッフ二名が言い争いをしている模様だった。
「新能さんだわ、アレ」
未沙がそっと呟く。
「お前さんがどんなやり方をしてきたか知らないが、この会社にはこの会社のやり方があるんだよ! いいから仕様書を作り直してくれ」
周りの視線に気がついてプログラマーは声を潜めたが、声色にはいまだ怒気を含んでいる。
「それはいいですが、周辺の仕様をまだ把握していないので、三日ください」
「だめだ、明日の定時までだ」
「いや、だから前任のプランナーとあたなの不始末の尻ぬぐいをする時間がもらえないのは理不尽です。大体スケジュールではまだ時間があるでしょう」
「不始末だと……」
またただならぬ雰囲気が立ち上ったところへ渋谷が割って入り、二人を開発フロアから連れ出していった。
「新能さん、あんまりいい評判聞かないのよね」
緊張の解けた開発フロア内で、未沙がちょっとため息交じりに言った。
「そうなんですか?」
「ベテランで、仕様書もしっかりしたものが書けるし、案件のハンドリングもできるってことで紺塔さんのプロジェクトに投入されたのだけれど、とにかく衝突が多くて田無さんも持て余したみたい。で、途中でプロジェクトから離脱させられて別のラインへ。そこでもやっぱり色々と衝突が耐えなくて。今はまた別のプロジェクトにいるのだけれど、あの様子じゃあまたどうなるか分からないわね」
自分は一緒に仕事をしたことはないが、言動を聞いていると確かに攻撃的に過ぎるところはあると未沙は自分なりの見解を述べてくれた。
「はあ……」
雪乃はぼんやりと返事を返しながら、遠目からでも分かった新能の鋭い目つきと、その発言を思い返していた。
『言われたから実装したなんて、最低な仕事の進め方だ』――。
その言葉は雪乃の心に強く残った。一人で休憩コーナーに出向いて、ペットボトルの紅茶を買って椅子に座り、少しずつ飲みながら何度も何度もその言葉を
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