第一章 ゲームプランナー
(一)日常
「このボスは、前のエリアで習得した『スライディング』をうまく使って攻略するボスとして仕立てたいんです」
「……ああ、例の仕様変更で追加された挙動かあ……」
プログラマーの
「申し訳ないです」
雪乃は頭を下げた。やっと、という体で、ゲームの主要な要素が一通り実装されたベータ1バージョンの提出を終え、これからステージや敵の量産体制に入っていかなければならない次期に、突如、主人公である
「いや、ま、早見さんのせいじゃないし。それにこうして使うための意味づけをしてくれるんなら、やる意味もあるよ」
渋谷は苦笑しながら、先を続けるよう促してくれた。この株式会社オストマルクの中堅プログラマーである彼は、三十代後半で年相応の落ち着きがあり、温厚で、仕様書で疑問に思ったことや引っかかった事に対する突っこみもとげとげしくない。雪乃としては共に仕事を進めやすい相手だった。
「プレイヤーの『スライディング』をうまく使わせることを課題にするために、移動、通常攻撃二種類に加えて、特殊攻撃として『必殺技・ハイビーム』の実装を想定しています」
渋谷は、仕様書を見ながらふんふんと頷いてくれる。
「必殺技の挙動は、予告、発射、戻りの三挙動です。予告ではビームを出すよーって予備動作とエフェクトで、ユーザーに必殺技を予告します。で、両眼からビームを発射しながら、そのまま身体をY軸回転させたいんです。ビームのエフェクトはこんな感じで、ある間合いの範囲内で、タイミング良く『スライディング』を出せば、無傷ですり抜けられる、と」
「ははあ……、でもこれ、ユーザーは間合いってどうやって把握できるの?」
「はい。間合いは、ビームのエフェクトに、影をつけてもらおうかと。この影の範囲内で『スライディング』すればいいって伝わる様に、工夫してもらいます」
「あ、ここの部分か」
渋谷は仕様書で、必殺技の流れを図解している箇所を指さして言った。
「んー、どうかな、わかりづらくないかな」
「エフェクトを強調して作ってもらうので、大丈夫だと思います」
「そうか。うん、じゃあ後は実装してからかな」
「はい。それで分かりづらければ、ビームをまず地面に当ててヒットエフェクトを出してもらって、そのままヒットエフェクトで間合いを計ってもらおうかなと思ってます」
続いて、通常挙動の移動や攻撃についても実現したい動作について説明する。渋谷は特に異論を挟むでもなく、仕様書のタイトル部分にボールペンで赤く丸をつけると、実装作業は明日から入ることと、ボスの動きを制御するAI担当プログラマには自分が連絡しておくことを告げてパソコンモニタに向かった。
「ありがとうございます。それじゃ、素材発注に進みますね。よろしくお願いします」
雪乃は頭を下げてから、今度はボスのハイ・ビームなど、必要な特殊素材であるエフェクトを作成するエフェクトデザイナーと、ボスのアニメーション作成を担当するモーションデザイナーに、素材の発注説明をするために開発フロアの中を歩いて行くが、足取りはやや重い。
その分他の作業が遅れている。ステージ仕様は、次の新規ステージの内容についてコンセプトを詰めなければならない。新挙動のうち、すでに実装連絡のあった『三角飛び』のチェックもあれば、実装済みの挙動の修正要望をリストにしてまとめる作業もある……。
「これ全部明日まで? 冗談でしょ」
と心の中で自嘲する。
雪乃は大学を卒業後、ゲームプランナーとして株式会社オストマルクに入社して二年目だった。好きだったゲームのクリエイターである、紺塔生雄が在籍するこの会社へ入社してからの一年は、とにかく自分の思い描いていたプランナーの仕事と実態とのあまりのギャップに衝撃を受けると共に、自分の考えの甘さを思い知った。
自分でゲームの要素についてああしたいこうしたいとアイデアを考え、仕様化し、実装していく過程。それはただ一人のユーザーとしてゲームを楽しんでいたころに思い描いていたよりも何十倍も、時にはそんな数字で表せないくらいに大変だった。それこそ、仕様書という言葉の正確な意味も知らなかったくらい開発に関する知識が無いまま入社した雪乃は、もう無我夢中で与えられた仕事をこなしていくしかなかった。
入社後すぐに開発中のプロジェクトに投入され、デバッグやデータ作成といった仕事はそれなりにできるようになっても、自らのアイデアを、仕様としてまとめ、書面にして可視化し、その内容を他のスタッフに説明して、必要な素材を発注してプログラムを組んでもらうという仕様作成およびその実装という仕事は、自分なりの仕事の形を作れるまでに一年を要していた。付け加えて、今でもそのやり方に自信があるわけではない。
その間に、「仕様書の書き方がわからないの? 教えてあげるよ」とか、「学生時代にゲームを作るサークルのリーダーをやっていたから仕事のコツを教えてあげよう」などと言って、学生時代にモデルにスカウトされたこともある雪乃の美貌目当てで近づいてきた同期入社の新人プランナー六人のうち、既に三人が退職し、先輩のプランナーも二名が退職している。ゲーム業界は、噂には聞いていたもののとにかく人の出入りが激しい。
勤続二年目の雪乃が看板クリエイターである紺塔のプロジェクトチームに入れられたのは、実力というよりも、他に人がいない消去法の結果に違いないと彼女自身は考えている。とにかくプランナーは常時人手不足で、派遣や出向のプランナーに頼って何とか現場を回している状態なのに、彼らとて現場が気に入らなければ、契約期間終了と共に去ってしまう。結果、正社員である雪乃たちプランナーの作業量がどんどん増えていくのである。
それでも、結果が出るならいい。がんばろう。雪乃は気を持ち直した。だが、彼女には気にかかることがある。
ディレクターである紺塔は、取締役と開発部部長、さらには企画課の課長を兼任しているが、多忙だからなのか、普段はあまり開発現場に顔を出さなかった。ベータ1版実装の今の時期まで現場をどうにかこうにか引っ張ってきたのは企画課の課長補佐であるリードプランナーの
田無から聞かされるその内容は、「え? 今更?」と耳を疑う内容のものが多く、さらに「どうしてそれが必要なのか」については、明確な説明がされなかった。
「自分で考えろってことなのかなあ」
雪乃は、それがオストマルク、ひいては紺塔のプランナー育成方法だろうという見当で、無理矢理自分を納得させた。学生時代に想像していたゲームクリエイターは、映画監督の様に陣頭に立って現場を取り仕切るものだと彼女は想像していたのだが、このゲーム業界では違うらしい。どうも腑に落ちなかった。このままでは『あの紺塔生雄のゲーム』ではなくなってしまう。
いや、と彼女は思い直した。ベータ1版提出を終えてからだが、紺塔からの仕様変更指示が来ているということは、やはり紺塔がこのゲームのディレクターなのだろう。
そこで雪乃は、心に浮かんだある疑問を押し殺した。それは、なぜ紺塔は陣頭指揮を執らないのかという疑問だったが、やはり色々と事情はあるのだろうと、こめかみを少し親指と人差し指とでもみほぐしながら、デザイナーの机の島に歩を進めた。
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