第十七節
千夜が自宅で、見てもいないテレビをつけたまま眺めていた頃、柚葉は自宅の居間でソファに座り、学校で千夜と交わした会話を思い出していた。読書会が月曜日に行われるのだと教えてくれた千夜は、本の面白さが四十川さんにも伝わると良いのだけど、と自信なさげに言っていたが、正直に言えば本の面白さなどは二の次だった。自分は千夜が本を読む姿を見たい、その声を聴きたいだけなのだ、と、言葉にはせず、また自覚もしていなかったが、彼女はそう思っていた。
カーペットの上に胡坐をかいて、常盤がテレビのレーシングゲームをしている。やり慣れたもので、NPC相手に五連勝したらしい。そこでようやく飽きたのか、彼は不意にゲーム画面を閉じた。画面が切り替わり、シンプルなセットの前に立つ男性の顔が大写しになった。
「今、話題となっているキーワードをお伝えする、なうわーどのコーナーです。今日ご紹介する言葉は、こちら」
言いながら男性が掲げたホワイトボードには、「ナンバリング殺人の可能性」と書かれている。柚葉はそれまで眠たげだった目を見張った。男性アナウンサーの解説を聞きながら、その表情はどんどん険しくなっていく。老人の話が始まるか始まらないかというところで、柚葉はテレビの電源を落としてしまった。
常盤が驚いた顔で柚葉を見た。
「お姉ちゃん……」
常盤は、姉の顔色が真っ青なのに気が付いて立ち上がった。そうして、柚葉の隣に座った。優しい姉は、何かに怒りを覚えるような、恐ろしさに耐えるような、どちらとも言い切れない表情で、唇を震わせていた。
「お姉ちゃん、大丈夫」
柚葉はそこで初めて常盤の存在に気が付いたようで、一瞬慌てたように口を開いたが、すぐに笑顔になった。
「大丈夫だよ。ただ……人が死んでるっていうのに、面白おかしく騒ぎ立てるなんてひどいと思ってさ」
被害者の名字に数字が入っていたということだけで事件に名前を付けて、まるで何かの祭りででもあるように連呼する。それがマスメディアの仕事なのかもしれないが、亡くなった生徒の遺族や友人、関係者のことを思うと、あまりにも人間味のない態度のように、柚葉には思えてならなかった。姉の性分を理解している常盤もまた、今消えたニュース番組に対して怒りを覚えていた。しかし彼の場合は、姉にそういう思いを抱かせたことに対する怒りが大きかった。とにかく、彼は姉には幸福な気持ちでいて欲しかったのだ。
「お姉ちゃんは正しいよ。ぼくも、そう思う」
「常盤……」
ありがとう、と呟いて、柚葉は常盤の短い髪の毛をわしゃわしゃと撫でた。常盤は気持ちよさそうに目を細める。そうしているところへ、波留香が勤め先から帰って来た。手には土産のアイスクリームが入った袋を提げている。ただいま、と言いつつそのアイスクリームを子供たちに分配し、波留香はカレンダーに目を向けた。朝、電話を終えてから書き入れた赤い丸印を確認しながら、子どもたちに声を掛けた。
「お母さん、土曜日に友達と会いに出かけてくるから」
「はーい」
常盤が元気よく返事をする。人付き合いの多い母が友人と外出することは珍しいことではない。二人の意識は既に、手にしたアイスクリームに向いていた。嬉しそうにスプーンを取り出し構え始めた二人の子どもを見ながら、波留香は、無二の親友である正月一日 鉛(あおがね)と交わした、今朝のやり取りを反芻していた。
鉛は予想通りに憔悴していた。波留香の推測は的中し、月曜日に殺されたのは鉛の一人娘で間違いなかった。鉛は生来の不機嫌そうな声を更に低めて、赤羽千代子という名前を繰り返した。
「赤羽千代子か。なるほど。確かに、あの女ならあたし達に復讐しようってのも分かるわ……。なるほどね……」
波留香がその名前を出しただけで、鉛はその可能性に思い至ったらしかった。それだけ、二人にとって赤羽千代子の存在はタブーとなっていたのだ。二人は土曜日に会って、二つの事件に赤羽千代子が関わっているという可能性について、より詳しく検討するつもりだった。
波留香はカレンダーの丸印を睨みつけ、それから視線を緩めて、我が子たちを見つめた。もしも、自分と鉛が考える可能性が本当に的を射たものだとすれば……自分はもちろんのこと、この子たちも狙われる。むしろ二つの事件のことを考えれば、自分よりも子供たちが狙われる可能性の方が高い。それは、絶対に阻止しなくてはならない。それだけは、絶対に阻止しなくては。
思わず握りしめていた両拳を開いて見ると、爪の跡がくっきりと残っていた。娘と息子は何も知らぬげにアイスクリームを突き合っている。この平穏を、誰にも壊させるものか。自分の幸福を、「あんな女」に、壊されてなるものか。
まだ推測に過ぎない一つの「可能性」に、波留香は尚のこと強く、拳を握り締めた。
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